26.
「おまえ、背中は」
粗方のチームメイトが身支度を終えて出て行ったなか、着替え終えロッカーの扉を閉めたゾロが振り向きざま言う。
「……んん、悪かねェ、」
ベンチに俯き気味に座り、タオルを頭から被った相手からの返事は微かにくぐもっているようで聞き取りにくくはある。
掠り傷だ、との本人の宣言で簡単に湿布が当てられただけの右肩から背中にかけてゾロも簡単に視診し、軽い打撲程度だと判断する。多少の怪我や命に係わる大怪我さえ日常茶飯事な連中であるのだから、下手な新米外科医より目は確かだ。
自分の目線の下、犬の仔だか獣の仔じみて軽く頭を左右に振り。長く息をパートナが漏らすのをゾロは聞いた。はさりとタオルが頭から引き下ろされる。
「つぅかさ、」
視線がゾロにあわせられる。
「なんだよ」
「おれはむしろおまえのビビッタ声にびびった」
にー、とコーザの唇が引き伸ばされている。
ほぅ?とでもいう風にゾロが眉を片側だけ跳ね上げ、まだ生乾きの相手の髪を軽く掴みあげていた。
「ヤバイな、コーザ幻聴だぜそれ」

確かに、コーザが飛び込んでいった部屋からは明らかに有害な物を含んだ色をした煙が漏れ出すのが確認できたが。無線からは別の箇所に放水を要求する仲間の声が聞こえ、そして自分を呼ぶパートナの声が届き。
向かった先、煙の塊を通して見えたのは意識の無い人間を引き起こすコーザの姿と、いままさに崩落しようとする天井だった。ぐったりとした男の身体ごとパートナーの腕を掴み「こちら側」に引き寄せたのと、建材が臨界点を越え崩落するのと天井に空いた洞から火柱が降り注いだのは殆んど同時だった。
耐火服の裾が熱気に煽られ溶けはしたが撤収し、運び出した男が救護班に引き継がれたときに突然コーザが濡れた路面に膝を着いた。

「ウーソばっかりな。マジ声だったね、アレは」
「おまえが紛らわしいんだ」
がし、と腹立ち紛れにゾロがパートナの頭を軽く小突くと小さく溜息を吐いた。
「だってよ?おれの酸素マスク、あのおっさんにやってたからマジで煙吸い放題だったンだってば」
頭痛ぇし、視界は回るし。立ってるの限界だった、と続けている。
「血まで吐きやがって」
「あれにはおれもちっと驚いたヨ」
まさかあんなに血が出てるとはね、そりゃ口ンなか気持ち悪かったけどさ、とまたわらっている。
「飲み込んどけ……!」
「やァだよ」
ゾロが背後の床に半ば投げつけるように人間二人を引き戻したとき、どうやらコーザは口の中を「切っていた」らしい。
「だからどこの―――」
小僧だよてめえは、と続けられるはずだった言葉は、すぅ、と真剣味を帯びたコーザの眼があわせられた所為で呑み込まれ。自分の左薬指で光る輪に唇で触れながら眼を逸らさずに
「借りが出来たな?天井まで気ィ周って無かった、アリガトウ」
そう言葉にする相手に、アホウ、とゾロは返していた。
「奢れ」
「オーケイ、ゾロ」

けれど、人声が止むまでシャワーブースから出るに出られなくなっていたパウリーが笑いを噛み殺していたことは連中は知らない。そして、ウチの若造共はいい具合に育ってるぜ、といまは亡いチームメンバに内心で語りかけたことも。


そして、夜半過ぎのパブでは。
どこかふにゃりと柔らかいようなサンジの笑みに迎えられ、僅かにゾロが眉を引き上げるようにし。
それをすかさず目撃したコーザが誰にとも無く掌を上向けるようにしていたが、やがて話が「いままでに一番緊張した瞬間」は何だったか、といったことに移っていき。
「ビビにプロポーズしたとき」
そう、さも当たり前のようにかつ幸福そうに嘯く元遊び人は、遠慮なく伸びてくる二人分の手に頭を小突かれていた。
「痛っえー、何、何の恨み」
笑みが半分新婚にも浮かんではいる。
「ん?や、なんか果てしなく図々しい気がした、あんた」

「そういうサンジは、」
乱された髪を雑に直しながらコーザが言えば。
「んー、初オーディションとかかなぁ」
「ちなみに、合格したのかよ?」
に、と口端でわらい明らかにからかい混じりなのはゾロであり。
「当たり前だっての」
そういう可愛くないことを言うやつに出す夜食はナイ、とばかりに目の前から皿を取り上げようとするサンジが、ゾロは当然の如く皿を大人しく下げさせるつもりなど皆無であったから、おそらくほんの偶然で触れたちょっとしたコンタクトに。素直すぎるほど、ひゃは、とでもいった風に外科医の「だいじ」が笑うものだから、己が身の今後の安全のためにもここはひとつ親友を裏切ってERの神様に即刻電話でもしようか、などと冗談交じりに思うのだった。
そして天然の誑かしオトコでもある肝心のパートナはといえば、と。す、とコーザが視線を流せば。
「はン?何わらってンだよ」
おれのメシ返せ、と言いながら目元でわらっていやがった。―――あー、これは本気で誑し込んでやがるよ、それも無意識だね、と判断し。思わずココロで十字を切っていた。いまならば、煌めくサーベルタイガーの牙まで幻視できそうだ。

「なぁ?」
そこでコーザが問いかけた。
「ん?」
くい、とゾロがまた片眉を引き上げていた。
「“兄上”の公認モラッテマスカ?」
おまえはバカか!!と二重音声で返され。
なんだよー、マダかよ晩熟(おくて)だねぇとけらけらと笑うものだから、しっかり親友から握りこぶしで額を小突かれていたがまったく意に介さず、夜食を平らげていた。




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