45.
パステルカラーの淡い色彩と植物のグリーンが柔らかなコントラストを作り上げている待合室に受付を済ませて座れば、ビビがにっこりと笑みを浮かべて見上げてくるのにサンジも笑みで返し。そのまま視線を赤ん坊や子供連れの若い母親に移してからまたそっとビビに戻し。
「え……と、いつが予定日デスカ」
どこか緊張した風に訊けば、ビビがくすくすとわらった。
「なに言ってるの、サンジさんてば」
「ん?何か訊くことってこの場だとそれくらいしか浮かばないよ」
「あのね、」
ビビが内緒話のトーンまで声を抑えてくる。
「5月」
「そっか……、あと少しだね」
「ウン」

きゃあ、と2人の座っていたシートの一つ後ろにいたコドモが高い声を上げて笑い始め、すい、とサンジが首を傾けた。
「ビビちゃんに似たオンナノコならいいね」
「そう?」
「ウン。そうしたら“リトル・プリンセス”って呼んでおれ、眼一杯可愛がるのに」
「アリガト。ねえ?」
「うん?」
「もう少し、診察が終わるまでかかりそうだから。せっかくここまで来たんだし、ドクタに会って来たら?」
事前に示し合わせたわけではないのだけれども、自然と気遣いの出来るビビであるから「共犯者」は病院へ「オトウトを連れ出してから」の展開を任せているのだ。
そうだね、とサンジも一瞬考え。
ふわ、と目元で笑みを刻んだ。ありがとう、そうするよ、と言って。
ここ数日、ぱったりとパブに異母兄が覗かなくなったことをサンジも気にはしていたのだ。

「じゃあ、カフェで待ち合わせしようか」
大凡の時間を決めて、サンジが立ち上がり。ビビの頬へ忘れずにキスを落としていく。
外科病棟の方へ向かう後姿をビビも柔らかな笑顔のままで見送くって、さっきからじっと見詰めてきていた後ろのソファの子供に微笑みかけた。

「ねぇ?」
子供がまっすぐにビビを見上げる。
「なあに?」
「パパ?」
子供のふっくらとした小さな手が、ビビのウェストのあたりを指しているのに、あら、とビビが小さくわらった。
「ちがうの、かれは大事なお友達」
ふぅん、と子供が少しだけ何かを考えるようで、ビビも笑顔のまま続きを待てば。
すい、と子供が今度は眉の辺りを指で押さえ、
「……パパ?」
とまた問いかけてきたのに、ビビがもっと笑みを深めていた。
「そうよ、あなたにもあってるの?」
「ん」
と頷き、ふにゃ、と子供が笑う。
どうやらビビが診察を受けている間に、「良人」は待合室の子供たちと中々有効なひと時を過ごしているらしい。

けれども今日の付き添いでもある「大事なお友達」は、子供と遊んだり、父親修行に励むよりも重大な用件があったのだ。おそらく、ありとあらゆる関係者にとっての「怒れるサーベルタイガー以上のナニカ」を心安らかにする、というソレ。もうこれは、サンジにしか出来ない芸当になっているのであるし。

周囲の願望を他所に、その「溺愛対象」はまっすぐにけれどどこかのんびりと外科病棟へと歩いていき、ふ、と思い当たって歩調を緩めていた。
急に思い立って会いに行ったからといって、アニの担当はER(救急救命)なワケだし居ないかもしれないな、と。急に医局を覗くよりナースセンターに顔を出してからの方がいいかもしれない、などと思いながらゆっくりとナースセンターに院内のサインを辿って向かう。
そしてナースセンターらしいガラス張りの一角に着き、カウンターで誰かを呼び出そうとしたならば、院内の電話を取り何事か話していた一人のナースがサンジに目を合わせ。その口が大きく「オー」の字に開かれていく。
なんだろう?とサンジが僅かに首を傾け。デンワを肩に挟むとそのナースの空いた手が必死に誰かを呼んででもいるように大きく振られていく。
「あの、」
サンジが口を開きかけたとき。
「サンジさん……?!」
別のナースが奥から飛び出してき。サンジが瞬きする。どう考えても初対面であるが。
とはいえ、ハイ、と笑顔で応えるのは元来人懐っこいのと職業上の嗜みとのなせる技だ。

「アニがお世話になってます、」
社会性も申し分ない。
でもなんでご存知なんですか、と笑みのままで訊けば。
「だって、ドクタのオフィスでお写真拝見してますから!」
と満面の笑みで返される。やっぱりカワイイ……っと件のナースが内心で叫んだのはまた別の話である。
「アニはじゃあオフィスに?」
「いや、仮眠室だそうだ」
突然、背後から掛けられた声にサンジが振り向き。
ナース2人も、ドクタ・ベックマン!と声を揃えていた。明らかに喜色が滲んでいる。
先ほどまでデンワを持っていたナースに向かい、神経外科医が溜息を吐いて見せた。
「ミズ・ウェイン、私は目覚まし時計扱いは止してくれとお願いしたはずだが?」
ゴメンなさい、と悪びれた様子もなくウェインと呼ばれたナースが小さく告げていた。
どうやら、先の電話はベックマンを呼び出していたものらしい。
「だって、ドクタ・ベックマンがお時間があるって仰るし……レジデントは全員泣き出しそうになってますし……」

あ、とサンジがここで思い当たる。異母兄は、寝起きが壮絶に悪いことに。
が、なぜここまで事態が悪化しているのか、およびその原因についてはこの当人、まったく心当たりなどゼロではあるが。
「もしかして、アニを起こしに行くのでもめてます?じゃあ僕が……」
にこ、とサンジが笑みを乗せ。
ベックマンがその肩に、とん、と掌を軽く弾ませていた。
「それは助かる。仮眠室はこの先を右手に行けばすぐにわかるはずだ、」
す、と蒼が合わされるのに、ベックマンも目元で微かに笑みを刻み、言葉を続ける。では、後ほど、と。

ナースと医師に軽く微笑み、サンジは言われた通りの場所へと向かっていき。その姿が遠ざかると、ベックマンが厳かに、その場に現れずともドア影で耳をそばだてていた全員に向かい宣言した。
「1時間後にキミたちの“カミサマ”が戻ってくるのか、“我侭王”が戻ってくるのか、手負いの獣か果たしてジェノサイド(大虐殺)を命題に掲げた“地獄の御使い”が黄泉から這い出してくるかは……彼にかかっているな」




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