56.

「―――さぁむ……っ」
アパートメントのドアを抜け出し、サンジが思わずといった風に灰色の空を見上げた。厚みを感じさせる色、そして雪が風に乗りながら斜めに降りしきる。
ファーの襟元に顎を埋めるようにしながら、ふ、と思う。こんなときにだって、あのバカは水浸しになるんだ、と。つきり、と音を立てて心臓の奥が軋む気がした、ほんの少し。

ホリディが明けてすぐの頃、四日前に、珍しく憔悴した様子の連中が閉店前の店に現れた。どうした、と尋ねても軽くいなされるように首を僅かに横にゾロは振っただけだった。何も、ゾロもその親友も何も語らなかったけれども。その日、コイビトの部屋に寄ったなら、目元に口付けられ、そして抱き締められた。ドアを入ったところですぐに。雪の匂いと微かな煙の匂いとタバコと、清潔なソープの匂い、首元に顔を埋めそれらを静かに感じ。腕に力を込めて抱き締め返した。
なにかあったんだな、と薄っすらと感じ取りながら、ただ抱き合って眠り、ずっと胸の内で語りかけていた、おれは、おまえを、あいしているよ、と。

そして一昨日、店にシフト明けに寄った署の別のチームメンヴァから、ゾロのチームの一人が重度の火傷で集中治療室にいると知らされた。
『容態が安定したら、専門施設のあるところに移送させる』
開店前にふらりと立ち寄り、サンジjの淹れたエスプレッソを呑みながら、そう言っていた異母兄を思い出す。
『意識の落ちる直前まで、梯子車に乗せた男のことを気にしてやがった……まったく、連中ってのは』
『その―――ひとは?』
『無事だったヨ、次に梯子車が上りかけたところで、イニスの上に天井が崩落してきたらしい』
そう、とサンジが口ごもり、それでも視線を上向け、良かった、と言っていた。きっと、自分のコイビトも自身のことよりは手を伸ばした先に在ったイノチを慮るだろう、と知っていたから。
そしてそのことに目の奥が痛むように熱くなり―――微笑の出来損ないを浮かべてしまい。外科医が小さく毒づきながら大事なタカラモノを頭ごと引き寄せ腕のなかに抱き締めていた。
『ベイビィ、おまえのこと泣かしやがったら、オレがあのバカ泣かすぞ』
そう軽い口調で言い、サンジのこめかみに軽く唇で触れていた。
大丈夫、とサンジが呟いた。
大丈夫だって、わかって……スキなんだから、と。

雪の所為でひどく静かに思える道を渡り大通りへと歩いて行きながら、深く、冴えた空気を吸い込んだ。
自分は信じているんだ、と雪の中を歩きながらサンジは思っていた。
多分、”差し入れ“を持ってあのときもこんな雪のなかを歩いた朝、ゾロの部屋まで向かっていたときからきっと。
覚悟しているはずだ、と自問する。
自分は、あの存在がどういう生き方を選び、そして全うしようとしているのかを。
冷たい空気で肺が軋み、胸奥が痛むかと思う。
余計なところで「運」はつかいたくないと、何かの会話の弾みでゾロがほんとうに何でもないことのように口にした言葉に、サンジは自分が酷く内心でうろたえたことを覚えていた。どれだけのほんの些細なキッカケが明暗を、生死を分けるというのだろう、と。

何度かバーにもシフト明けに立ち寄った、ゾロのチームのヘッド、そのひとがカウンタで飲む2人をちらりと見遣って苦笑したことも思った。『こどもが生まれるなら内勤に回るか、と聞いたんだ。そうしたならあのバカは水ぶっかけられた犬みたいな面しやがった』と。
まるっきり、なんのことだかわからないってェ顔が、まったく、と。呆れた風に言うその目元が読み取れないほどに微かな苦笑に細められたことも。

ふ、とサンジが息を吐いた。
それでも、自分は、きっとあいすることをヤメになんか出来ない、と。

そして、また雪のなかを歩いてオフィスに現われたサンジに向かってエージェントも微笑み。温かいコーヒーと一緒に台本の第一稿を手渡していた。




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