aqua pula






おれはキミを想うよ、と何度か言った。
アナタのことを忘れはしないよ、だけどアナタはおれを忘れるかもね?と。そう言って送り出してみたこともある。

去る背中、長い髪。
風に巻き上げられてひろがったシルクの裾。
ビーチ・グラスみたいに、角がなくなって色も淡い何かの欠片。もてあましもせずに、かといって、どこかの引き出しに入ったままの
もの。開けなくても、そこにあることがわかっているもの。たまに思い出して、その色とかたちをイメージするだけのもの。

明るい日差しに、壁に埋め込まれた淡い色味の丸い石がゆっくりと湯気に濡れて色を濃くしていくのを眺めていたからこその、連想。


あぁ、そういえば。
浜で拾って、小さな広口のビンに集めていたあれは。もう随分と遠くなってしまった自分の私室にまだあるのだろうか。
「――――んー…、部屋がまだあそこにあるとは思えないネ」
ゆらり、と温かな水が腕を泳がせたなら、たゆたった。

ちいさな、独り言ともいえないような意識の破片がただ零れ落ちていった。
遠くへ来た?
遠くへきているのだろう、ここは多分自分の夢にほんの僅か近い。
まだまだ遠い…?
気が遠くなるほど遠いかもしれない。だけど、想いの強さを信じる気には、自分は知らない間になっている。

アナタを想う、と囁いた自分は、随分とこまっしゃくれたコドモではあったのだろう。
否定をせずに微笑んでくれた人は、「優しさ」を教えてくれる程度には大人であったのだろう。
男が想う程度には、女はムカシの男のことなど覚えていないものだ、と年長の連中は、いつまでもいつまでも遠ざかった船影を
見詰めていた自分の頭を小突いて、「ほらほら、いまから忙しいんだ」と足早に通り過ぎたっけ。



ああ、でも。「待っている」と言ったことも、「待っていて」と言われたこともなかったな。


「いま」はどうなんだろう。
待っていろ、と言われたなら待っちまうのかもネ?
あの翠の目指す先を、少しは「しっている」と思う瞬間がある。
その眼差しが周りに誰もいないときに深く重い色を刹那、浮かべることがあるのを見咎めたときに、そんな気がした。
まだコトバを交しさえする以前だけれども。
だから、いまも。理解し難いとはいっても、笑う気にはなれない。そして誰の想いであろうと、それだけは自分は出来ない。


恋をしていようと、いまいと。
自分はそれをわらったことなど一度もなかったのだ。


そして「待つ」ことの意味を知ったいまでさえ、言われずとも請われずとも自分は、あの無骨な男のために居場所を空けて
おくのだろう、自分のなかに。深く。
そんな素振りをみせでもしたならば、必ず浮かべるだろう表情まで見えそうだ。思い切り、あの跳ね上がった眉を引き寄せて
顰め面を寄越すのだろう、それも見事に。


それでもいいさ、―――ウン。
……なんてなぁ。

うううん……
これは、いっそのこと―――純情、とでも言うのだろうか。

あまりな自分の思いつきに、はは、とわらって。ぱしゃり、と手を揺らしたなら水滴が跳ね上がった。
湿った音を立てて、唇に挟んでいた穂先の火が消えた。
そして、指先は。両手共に長く湯に伸ばしていたから濡れている。


「あーあ、」


乾いた茶をした葉まで、濡れた巻紙を透かして見える。

浴槽の縁に乗せていた灰皿にそれを戻して、頭の天辺まで水の縁に沈む。
しゃりしゃりと、水の中で首のチェーンが揺らいで音を伝えてきた。細い鎖が触れ合うよりは、川底を流れる小石じみた音。


待っちまうのかねェ?
自問。

多分そうしちまうんだろうなァ。
自答。


―――言われなくても、さ。



さぱり、とまた湯の表面を揺らして空気を飲み込む。
浴室の天上は、今気がつけば青いタイルが張られていた。

「……あーあ、」

頭を一振り。濡れて落ちかかる髪を一撫で。
開けっ放しの扉の向こうから、珍しく「起きている」気配が届くのに、また少しばかり眼を細める。




「なぁー、おまえこっち入って来ねェ?」
タバコ、火ぃ消えちまったんだよ、とわらって付け足した。
助けてやろう、って気にならねェー?。そう笑えば。

「ばしゃんばしゃん遊んでっからだろ、」
言外に、馬鹿じゃないのか、と饒舌に含ませながらも声が近付いてくるのに、また笑みが深くなる。

「おまえもざっばざば遊べばいいじゃね?」
「へーへー、」
ひょい、と扉の横に姿が追加される。その眉が、すい、と跳ね上げられたのを、見逃す自分ではないのだ、とサンジがまた笑みを
かすかに引き伸ばした唇に乗せた。


「楽しい濡れ方?どーよ」
ひらり、と手を一振り、そして手招き。
「おまえがタバコ吸い終わったらな、」




秋の午後の、ただしい過ごし方。










FIN