青天縊死







自分は、感情に飢えているのだと思う。






@.静物
午後遅く、自分はこんなところで何をしているのだろうと思いながら、その場所を動けずにいた。
足元に、視界いっぱいにひろがる白すぎるほどの光の下にいるなんて酔狂だ。風は全景を抜け
波音を高め、耳を澄ませばこの小さな島に上陸中の船長ご一行様の歓声まで届くかと思うような中。
それでも、甲板に足を投げ出し船壁にもたれかかるようにして眠る姿の傍を、離れられなかった。


しずかな寝息をきき、煙草に火を点け。煙の昇天する先は、晴れたあおぞら。
今朝、日差しのきつくなる前に、およいだときに区別のつかなくなるほどだったのとおなじ色のまま。
その青明な景色の中にそこはかとなく起ち迷う、錆びたような匂いを感じた。眠るひとの右手の届く距離に
立掛けてある刀の方から、香木から立ち上る煙のように幽かな。
直接に相手の血肉を断つのだからな、
そんなことを思った。そして、傍らに座り込んだら、去りがたくなってしまった。


睡魔、とは良く言ったもので、自分たちのほかもう一人誰かがそばにでもいるかのように。
日差しを避けた筈なのに、水を通して陽にあたった肩や背が薄い布の下でわずかに熱を持つ。
それが、眠りへと繋がるのはきっといとも容易いこと。細く煙を空へ還し、睡魔のしぜんな言葉をきく。
それでも視線を横へ逸らせば、ふかい眠りにおちた姿が眼に入って



おれはおまえの夢を考えちまう。


穏やか、といっても良いほどの寝顔は
誰にも気づかれないほど幽かに、主の眠る隙に血の匂いを上らせる刀とはあまりにも不釣合いだ。
おまえのそんな顔をみる度に、悦しいような、かじかんだような気持ちになる。
おまえにそんな顔をさせるものを、おれは見られないから。


「万有の 生命の 本能の 永遠に孤独なる」、大昔に死んだ詩人の言葉を口に出す。
見ている夢まで知りたいと思う。それが悪い夢であれば、起こしてしまえるのだけれども。
起こしてしまえば、ふてぶてしい笑みの一つでも見せつけて、そのままこの場を離れられるのに。
まるっきり、理想のベッドで眠ってでもいるかのような顔をされてしまえば、そうもいかない。
そして、自分はロクデモナイことばかりを考え始める。


たとえば、
夢のなかでも、おまえは何に憧れ、どこへ行こうとしているのだろうかと。
おれは、いつもいつもそれが訊きたくなる。おまえはどこへいこうとしているのか、と。


おまえのなかで、道は多分まっすぐに通じていて、迷うことなどないのだろう。


こんなくだらない感傷は、おまえにはぜったい見せないから
少しでも、おまえのいま見ているものがおれにも見えれば良いのに。
さもないと、目覚めているときに、後先も考えずに言ってしまいたくなる。



おまえをみていると
おれのココロはいつもせつない、熱情の潤みに燃えるようだよ、と。


息をひそめて、真近でみつめる。
指先が、わずかに貴金属のさきに触れかけ。


バカバカしい。


その伸ばしかけ、触れかけた同じ指に煙草を移し変え、眠りの輪から立ち上がる。


「あれは風に飛び行く船のようなものだ
あれを追いかけるな
あれを走らせろ、遠く、浪の白く散るあの先まで。」



夢のなかまで知りたいと、思ったことなどなかった。


影もできないほどの中空の下に、自分の想いは何処まで持つのだろうかと、
そんなことを考える。


憬れきったいのちは光のようで
見つめていれば、眼が灼かれ涙があふれる。



おまえに近づいて媚をうれば、おまえは簡単に手に入るのかな
その両腕におれを抱いて、求めるものは与えられて?


ちがう。
わかってる。おれがそんなものを手に入れたって、おまえには何の煩いもないんだろう、
たとえば、離れていくときに。



おれは、何が欲しいんだろう
理性の、幻想の、情感の、すべてで






おれは、飢えている。






A.およぐひと
珍しく、今朝はやくに甲板に出た自分が眼にしたもの。
幽かな水音に、船尾のほうへ足を向ければ。


“およぐひと”がいた。


間の抜けた言い方だが、実際、自分はそう思ったのだ。


まだ薄明るい昇りきるまえの太陽が、薄くさしこんで
見慣れたはずの海面が、まるで違うものに見えた。


長くそろえて引き伸ばされる二本の手、
波間、無心にただおよいでいるらしい姿は、確かめる前に
あいつだろうとどこかで確信していた。


船縁に寄りかかり、眺めるとも無くみていた。
水のなかに溶け入るように、きれいな泳ぎ方をするのだな、と。
何かが記憶にひっかかる。思い出しかけて、
金の頭が波間に潜り、また現れたとき、眼があった。
距離を隔ててもなお、お互いの視線の衝突したことはわかった。不思議だとは、思わなかった。


ひらひらと手を振って、おはようとか、早ぇなとか。
わずかに声が海の方から自分の耳まで届いた。
そのときには、形をとりかけていた物は、ぼんやりとどこかへいってしまっていた。



いつか見た、滑らかに磨き上げられた大理石の柱のようだと、ふと思った。
水から上がり、少し離れた足元に投げ出してあったシャツを手元に引き寄せるのに半身を折る、
肩から繋がるその襟足までの線が。濡れた髪の作る曲線が、柱に施されていた飾りを思い起こさせた。
触れたら、それは冷たいだろうか、と。思いつき不意に笑い出したくなった。


それは古い神殿で、黒い服を着た女がその柱に紅のとれた唇を寄せていたことを。
縋るようにその白に手を添わせ、祈りの言葉を上らせながら
口接けていた情景。


目の前の、まっすぐで真っ白なその直線に、海藻の切端がなぜだかまといついていた。
それに気が付いてしまえば、考えるより先に手が出ていた。
指先が触れた感触に、ひくりと濡れた肩が動くさまと
指先の伝えてきた水を含んだその質感に、いきなり内でなにかが呻いたかと思った。



それは、たえられない、と言っていたか。



「着いてたぞ、」
腕を一振りして、波間に切端をおとす。
「あ、・・・うん。ありがとな」
半身を起こした、蒼穹の青が、見開かれる。


なあ、おまえは―――
言葉に乗せかけ、押し留める。言って、どうなるというんだ。
その答えをきいて、どうなるというんだ。



「あれのかえっていくところには、ましろな大きな幸福がある。
あれにはあれの幸福がある。
あれを還らしめよ。」


目の前で、傾けられる襟首の曲線。
たとえば、いま
衝動に任せて、手繰り寄せてしまえばおまえはそのからだを投げかけてくるか?


わかってる。おれはそんなものが、欲しいんじゃない。
おれは、知りたいのかもしれない
おまえがその眼にうつしているものを
おまえの聞いているもの、すべてを。


たとえば、いつか
遠い空の雷鳴を聴くようだった、晴れ渡る空の下で。
別の日は、彼方までひるがえる波浪の響きに耳を傾けてでもいるように
眼を伏せていた。



気が付いているか?
おまえは、たまに
とおい墓場でも眺めるような目つきで白日に立つ浪の境をみていること。


そして、きまっておれは
なにかに、



―――飢える。






B.午睡
けれど、いまは。
少しばかり日差の強すぎることを除けば、この蒼空は丁度良かった。
今朝の海を思い出させるような色をしている、目を閉じても十分に伝わるほどの強さで
瞼を通した薄ら明かりが、ずっと気になっていた記憶をいまになって揺り起こす。


朝、思い出しかけていたのは
ずいぶんと昔、子供のころに聴いた歌の文句の切れ端。
眠り込みかけ輪郭を失くしていく意識と、記憶のなかの誰かの歌う声とが低く重なり合い、
なぜだか妙に気分が良かった。
白々と日が差して、乾いたような、飢えたようないまの心持は押しやられる。
少なくともあの眼は、水の中から自分のことを見つけはしたのだから、と。




およぐひとは潮風に溶け入る髪をもつ、
およぐひとの心臓(こころ)は海月のように透きとおる、
およぐひとの瞳は天鐘の響きをききつつ、
いつまでもうたい続けるこころをもつ。
およぐひとのたましいは水のうえの月を望み、


そしてこころからしあわせになれかしとぞ、願う



かのひとと。










# # #
あらあらどうしたことでしょう。
こいつは、また――――エセ散文調で(ごめんなさい)。両想いなのにいま一歩の所ですれ違う人たち。
こういうの、たまに降って沸いたように書きたくなります。くぅー、申し訳ないです。
ああ、朔○郎なんて読み返すんじゃなかった・・・・・










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