--- Steel Green ---
「おまえ、無冠の王サマだったんだってな?」
サンジがミドリを覗き込むようにした。薄い唇の端に煙草を挟んだままで。
「何だよ、ソレ」
ゾロは窓外に広がる景色から、とはいってもだらだらと広がる枯野だったが、面倒くさそうにくっきりとコントラストのきつすぎるほど青味の冴えた白目、その真ん中にぽとんと浮いているようにも見える鉱石めいた瞳を寄越して見せた。
元正規軍のエリート、それも武勲なんぞ後からざかざかと幾らでも付いてくるような生きた伝説だったパイロットは、勲章を片っ端から断り昇級も拒み続けてきていたらしい。飛ぶのに何の役にも立たない、と。そして何時の間にか正規軍内だけでなく、反政府派内にもシンパができてしまうほどになっていた。
ミッションを果たし迎撃してしまえば非常脱出した敵方のパイロットには興味を失い、弾を打ち込むこともせず。飛び去っていくトリの尾翼の描き出す線は、敵味方問わず眼を奪ったらしい。
要は、長引きすぎた戦乱の一握りにも満たない「英雄」であったようだ。

「おまえはこの間の戦争の、たった一つあるかないかの偶像だった、って話してンの」
「関係ねぇよ」
光線から保護する為にあてさせている眼帯をしたゾロが言った。
「一番早く飛べるトリに乗りたかった。飛びたいだけだった。革命軍がイイ機体を持っていたなら“こっち”にハナから入ってンな」
旧政府側が「負けて」、革命軍が「官軍」になった。長く続いていたクーデターの成功。
「空」だか「飛行」だかが至上の目的だったゾロにとっては、アタマがどう据え変わろうと大差なかったらしい、とサンジも読む。道義の無い男ではなくて、ハナから義の中身が他の軍人とは違っていただけのことだ。
終戦を機に正規軍は解体され、所詮傭兵の集合のようだった旧革命軍は正規に訓練された「軍人」たちを厚遇で迎え入れた。需要と供給とがかみ合い、希望者はつつがなく現正規軍に組み込まれた。

昨日の敵は今日の友、を地で行っている。
ご都合主義極まりないとも思えるが、このクニはいつだってアタマが変わるといっては戦を起こしていた。
ただ、自分の世代の者がモノゴコロついたころからこの戦争は続いていたから、少なくとも国内の平和を国民は歓迎した。講和条約が旧政府軍と現政府軍の間で交わされたのは昨年のことだ。

その両軍にとっての「英雄」は、噂よりは随分と若く思えた。なんとなく、この基地の司令官と同年代くらいだろう、とサンジは勝手に想像していたのだが。
「赴任早々、タイヘンだねおまえも」
「別に、」
す、と眉をゾロが引き上げる。
「上に。一番飛べるところに出せと言ったのはおれだからな」
式典に借りだされるお飾りに成り下がるのは御免、ってヤツか、とサンジがくるりと瞳を動かして見せた。
「ナルホド。期待通りか?」
「あァ。10日目で負傷するのは予想外だったが」
何か言いた気にゾロの眉が寄せられるのを見越し、サンジがさらりと言葉を継いだ。

「ふゥん、ところで中尉、」
「―――誰の事だ、」
「おまえだよ。こんどの負傷でね、おまえ昇級決定だから。上からの書類にサインしたの覚えてねェの?」
「ハ?」
「あらま。ICUでおれ、ちゃんとおまえに訊いたけどね?で、なんか顔動かしたからおまえの代わりにサインしといてやったぜ」
それは有印紙文書偽造というのだ、ということなど百も承知の上での笑み付きでサンジが言う。
「断わ―――」
「れねェのよ、それが」
サンジが言葉をまた引き継いだ。
「おまえの墜としたトリ共な?あれ、専用機に乗ってた“政府要人”って実は首相で。敵サンは首相狙いのアナキスト連中だったんだとよ」
またすぐ次のテロリストがおれらの後継いでくれてンだな、と続いたサンジの言葉に、ゾロが口を引き結んだ。これはキゲンが悪いのだ、と目を瞑ってもわかるだろう。
そして、首相が近隣諸国へ外遊に出る、というニュースを最近聞いたこともゾロは漸く思い出していた。
「軍は政府のモノ。政府は首相のモノ。食物連鎖だよ、一種の。諦めろ。ただまぁ、首相直々の見舞い要請はおれが断ってやったけどな?そこンとこはおれに感謝しやがれ」
とはいえ、サンジもオノレのテリトリーをぞろぞろと役人共がのし歩くのがイヤだっただけなのだが。

「お蔭でおれまで面倒なことになっちまってなァ、」
サンジがぷかりと煙草の煙を吹いていた。
「おまえの全快がおれの最優先ミッションになりました。他の患者サンは助手が診る。昼食はおれが持ってきてやるから」
わかったならそろそろおまえ寝ろ、そう一方的に告げるとサンジはさっさと病室を出て行き。しゅん、とその背中を左右から閉じてきたドアが隠した。

「なんなンだよ、アレは」
わけわかんねェぞ、と。ゾロが枕の上で片腕を突いた。
そもそも、ハナっから理解不能ではあるのだ、あの医者―――サンジは。



                                         --- Whatever ---
「おい、」
「ハイヨ」
「おまえは何がしたいンだ?」
「愛ある介助、」
そう言うと、医者はスプーンをゾロの口の前へとまた持ってきた。
「はい、飲め」
「あのな―――」
口を開けた隙を逃さず、そこは大した迅速さでスプーンを滑り込ませる。
イキナリ口に突っ込まれた金属にゾロも眉を片方引き上げるが、問答無用に喉へ流し込まされては飲み込むしかない。

「一応、将官クラスのメニューだぜ」
美味いだろ?としれっとしたカオでサンジは告げて、また気楽な風情でスプーンを差し出してきた。
「モンダイはそこじゃねェ」
「おや、どこですか」
また口を開いたから、また滑りこませ。シマッタ、とゾロが遅れて気付く。
「だから、」
こんどは医者の手首を捕まえて言葉にする。
「おれが負傷したのはこっから上なんだよ」
そう言って、もう片手でジブンの鳩尾辺りを示せば。
「あー、だな?」
に、とサンジが唇を吊り上げて見せた。
「そっから下が問題ねェのはもう身をもって知ってるヨ」
色だけは飛びぬけてきれいだと認めざるを得ない蒼が、意味深長に鳩尾から下へと移動する。
また口を開きかけたゾロの、薄いくせに造形は絶妙に「妙にソソルよなぁ」とサンジが認める唇の隙間にするんとコンソメを送り込む。

「おれ、巧いと思うけどね」
僅かばかり舌先を覗かせて、にぃ、とサンジがわらう。口の周りについたミルクを舐め取る猫じみている。
そりゃ確かにイキナリ寝込み襲ってちったァ悪かったかなーとは思うさ、とサンジはいっそ無邪気に続ける。
「けどよ?普通に“やらせてみろ”っつっても“しよう”っつてもおまえ、絶対ェ。ウンって言うわけねェだろ?」
アタリマエだろうが、と返すのはもういっそ、無力感に近い何かを感じてでもいるような声音だ。

サンジ曰く、『寝込みを襲う』の顛末とはこうだ。
寝込みどころかICUから個室に移されたその日の内に、ふ、と目覚めてみれば自分の脚の間にきらきらきらきらしたキンイロが蹲っていたのだから、いっそ声も無く驚愕した。そして一呼吸遅れて、じわりと感覚が追いついた。熱、湿気、濡れた、包む、潤滑、単語の羅列と。「これはおれは死んだか?」との疑惑。迎えだか死神だか知らねェがソレでも来たか?と朦朧としたままの意識が珍妙な結論を下そうとし。
ンなわけあるか、と釣り糸で繋がれた理性が言ってくる。どこの死神が咥え―――……ちょっと待て!
だが、理性を繋いでいた釣り糸は、そこでぱっつりと断たれた。酷く熱い舌が絡みつき。男の本能の単純明快さが台頭した。きらきらとした色が上向きに動き。明らかに意識をもった咥内の反応に、く、とうれしそうに聞こえた小さな笑いの兆しを洩らす。
戻りきらない視界に浮かび上がるのはキンイロと、それの纏うシロ。病室だよな、ココは―――性質の悪い仮想ムーヴィかよ、と一瞬アタマを霞めるがすぐにまた上等な具合に包み込まれ。おれのアタマも大概だ、とどこか冷静に判断した。生還したからって見る夢がコレかよ、と。
手を伸ばし、キンイロに触れてみる。びくり、とシロを纏うその肩が揺らいだ。そのまま差し入れ、軽く撫でるようにすれば一層熱の中に引き込まれ。悪くねぇな、と思ったのだか呟いたのだか。―――夢の中のことなので忘れた。

はずが。
ジンセイには思い掛けぬところで落とし穴が仕掛けられている。

翌朝、キンイロのアタマの「医者」とブルネットの「看護士」が連れ立って診察に現れた。
初めて見る「執刀医」であり「担当医」の、きらきらとした髪色にゾロは僅かに片眉を引き上げたが、ただの偶然と思うことにした。
すぅ、と医者の蒼がジブンにあわせられるのを感じ、「何か、」と問えば。医者は、笑みを浮かべ、「イエ。経過は順調なようですね」と答えていた。
チェックアップの後、看護士がまず先に出て行き。医者がくるりと扉から振り向いた。そしてすたすたとベッドの脇まで戻ってくると、「昨日はちっと遠慮したけど、チェックアップで問題ねぇってわかったから。今日は最後までヨロシク」そう言うと。ゾロが一瞬言語をすべて消失した合間にひらひらと手を振っていなくなっており。
なんのかんのあったのだが、結局は売り言葉に買い言葉、おまけに所詮は男の理性の限度だか何だかも相まって「最後までヨロシク」してしまったのだ、要は。

そう遠くもない過去を思い返していた患者に向かい、サンジが僅かに首を傾けた。
「おおい、ロロノア。もっと食わないと栄養価足りねぇぞ」
ほら、とフォークにさしたトリ肉を差し出す。
ゾロの手指に握り込まれたままの左手首が妙にあっちぃ気がするが、とりあえずそれは放っておく。惚れた相手に手なんか握られてンだから熱くって当然だよな、と思ってなどもいる。握ってねぇよ―――!とゾロも、もし聞いたなら技術屋も声を揃えたことだろう。
そもそも。「惚れられて」いるなど、この患者が思ってもいないことはサンジの念頭にはからっきし、無い。
惚れてなけりゃ誰がヤロウとなんかやれっか!とサンジが豪語するニンゲンであることを、全く持ってゾロは知らないのだが。

「―――おまえは何がしたいんだよ?」
ゾロのミドリがまっすぐにジブンに向けられ、サンジがまた少しだけ首の傾斜度を深める。
ぱくりと、焦れてジブンでトリ肉を食べたサンジに向かいゾロが問い掛ける。
「すきなんだよ」
こくり、と呑み込んでからあっさりとサンジが答える。あっさり具合は、サンジにしてみれば「惚れている」のだから当然の帰結なのだが。

あぁ、まったく、とゾロが内心で嘆息する。
おまえがトリを好きだろうが子牛を好きだろうが関係ねぇ、そっちのイミじゃねェヨ、とどこか途方にでもくれた気分になる自分を訝しみながら。
「そうか、じゃあ全部食え」
イキナリ齎された言葉に、サンジが内心で驚愕する。
え??いまこいつなんて言った?!と。

「全部くってイイのか???」
「―――あァ、」
ぱあああ、っと。照明弾でも炸裂したかと思うほど光度の上がった表情に目を細めつつゾロが答える。
そんなにすきか、とため息混じりに続ければ。
があ!っとサンジはトレイを脇に押し遣り、イキナリその両腕が首に回された。ぎゅううう、と何故か渾身の力で抱きつかれてゾロは不意に笑い出したくなった。やっぱ、こいつわけわかんねェや、と。
ちらりとトレイを見遣り、食わなくていいのか、とキンイロの髪に向かって言えば。
勿体ねぇから後にする、と言われた。
「ふゥん?」
そう答え、サンジの背中を何度か掌でゾロは柔らかく叩き。はあ、と何度目かの溜め息を吐いた。



                                       --- One More Time ---
しゅ、と。研究室の扉が開き、振り向きもせずにウソップは「うぉい、入室禁止って書いてあるだろぉうが!」とスクリーンを見詰めながら言い。返された返事に飛び上がった。
「ん。まー、そう言うなよ。チーフ」
「し、司令官―――っ」
ぴょおおん、とスツールから5センチはヒップが浮いている。
「ウン、」
こくり、と頷いているのはこの基地の総司令官である。ウソップの作ってやったネズミ型ロボットを丁寧に軍服の左胸ポケットに潜り込ませてはいるが。
「ウチの医者がな?」
まぁ聞けよ、とすたすたと室内に入ってくると勝手にもう1客あった椅子を引き摺ってネズミ型のソレだけをちょこりと座らせる。
「B手術室にこもって出てこねェんだ」
「―――はぁ……」
ソレは、余程「いいこと」か「最悪だぜ」なことが医者の身に起こったことを意味する。

「大昔も大昔。アマテラスオオミカミが岩室の中に篭っちまって昼間が無くなって困ったって―――」
「あー、司令官」
ぐ、とウソップが掌でストップサインを出す。
「要は。あンたはサンジを引っ張って来い、と仰る」
「マー、そうだな。庭にでてるウチの医者を見ると心がやすまる」
ウン、と一人で納得している司令官に向かい、ウソップは内心で『それはあンただけだよ―――ッ!』と叫ぶが。
「岩室の前で踊りを踊った―――」
古のクニのそれまた古の伝説を語り続けかける司令官に向かいウソップはまた手を押し出した。
「―――…手術室まで行きます」
なぜか、ジブンがいつもそのサンジの「お篭もり」の解除役になるのはこれはもう―――慣れであるのかやはり友人である所以なのか。
「いいこと」が原因である場合は、ココロが多少は平静になったら自分からいそいそと出てくるので、医者が「いいこと」で動揺しているだけだ、と知れれば基地の関係者はひとまずは安堵するのだ。
「じゃ、ゼンハイソゲ。」
行って来い、と。司令官がドアを指差した。
「わかりましたよ―――」
主が部屋からとぼとぼと追い出された。

そして手術室の前で声を掛けたなら。
イキナリ扉が開いて、中から伸びてきた腕に引っつかまれてウソプはぎゃあと言った。が、その声は閉ざされた扉に遮られる。
「なあ、おい、ウソ!!」
「―――ップ、付けろよサンジ」
こだわりの技術者である。
が、キラキラと蒼を煌かせる医者には、ちっとも届いていないのだが。
「すげえんだよ、なあ。おい!」
―――う?が、この危機察知能力はあるのに活かしきれていないウソップの反応だった。

「すきだっつったら、くれるって言われちまったぜ!!」
にひゃあ、と満面の笑みの医者に、もしもーし、と語り掛けたいウソップである。
「えーと、すまん、……なにが?」
数日前の『寝込み襲ったぜ!報告』以来、ソラ恐ろしくてあえてなにも耳にいれようとしていなかったウソップなんである。
「ロロノアだよ、ロロノアっ」
「あいぎゃ??」
すっとんきょうな悲鳴を技術屋が上げる、無理も無い。
ばーっと早口でなんだかわけのわからぬ説明を受け。数分後、コンランするアタマを抱えつつ技術屋がうめくように声を絞り出した。
「―――それでおまえは貰う気満々なわけだな?」
「あたりまえだろうが!」
バンザイ、みたいなポーズまでされてしまってはこちらも文字通りお手上げである。
「イッタイなにがどうおまえらのアタマのなかで繋がったンだかわからねぇが―――まぁ、うん、良かったな」
それだけをどうにか口にし。よろよろと手術室から抜け出した技術屋はまずは総司令官にウチの医者はもうすぐ出てきそうだ、と報告すると次は病室へ向かった。

「よう、」
眼帯姿まで良い男かよ、コイツは。と思わず嘆息する程度には機嫌が中程度風情のゾロがベッドから見舞いに来たウソップに向かい言い。
「お、ナンだョ。おまえまだ眼帯かよ」
軽口でウソップが返し。
あー、医者がな、なんかまだ取るなって言ってやがる、とひらりとゾロが右手を揺らしていた。軽口を言い合える程度には、親しくはあったのだ。トリを介して通じあうところも多々あるのだろう。
「まぁ、けどそりゃそうか。10日も経ってねェくらいだもんな」
アレだけの手術から2週間足らずなのに、こいつやっぱテラ系以外の血が混ざってンのか、とウソップが改めて懸念するほどには、聞くところによると心身ともに回復順調であるらしいし。能動的に襲われっぱなし、とかいうオソロシイ事態なんだろ?とウソップが必死にオソロシイ思考を切り離し。

「まあ、うん。よくわかんねぇけどおめっとさん」
ソレだけを口にしてみる。
案の定、ぐ、とゾロの眉が寄せられた。
「―――ア?わけわかんねェぞ」
ゾロの本気の声が病室に低く響く。
――――――あったア、が。ウソップのココロの声であった。
ウチのお医者のおっちょこちょいさんめえ!とついでに脳内で喚く。わが道を行き過ぎて実は色恋じゃなくて恋愛ゴトには初心、とかってヤツですかい、おい!と。

「あのな、ロロノア。ちょっと聞いてくれ―――」
あァなんて友人想いなんだと、おれは――!と涙するがともかく、伝えてやろうとする。
ウチのお医者はおまえにゾッコンらしいんだが?と。




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