プロローグ:




木の重い扉を開けたとたん。灯りを落とした中から声がかけられた。
「あれ?おまえのロクデモねえパートナーは?」
「ああ、」
答えて、やんわりと笑みを作った。少しばかり疲れの覗くその顔は目に心地良いものだった。
「"パーソナル・メサイア"の最初の心音を聞くんだって言って、まっすぐ帰っていったぜ」
「ビビちゃんの―――?そっか。もうそんなになるんだ、」
コトリ、と小振りなグラスがカウンターに寄りかかる男の前に置かれた。


「ああ、驚きだろ。あいつがもうすぐ父親だってのは」
うん、と返事をしながらもカウンターから出てくる支度をし始める。
「それで、ゾロ。今日はなにもナシか」
アラーム・ベルは大人しかったかと話し掛けられ、まだ内側に立つ姿を眺めながら軽く肩を竦めた。
「まあな、たまにはこういうのもいい。このエリアでは、ゼロだ」
「そっか。お疲れさん」
サイレンの音もなにもない、華やかではあっても酷く平安な宵であったことをサンジは思い出す。


「挑戦するんじゃなかったのかよ?カミの領域に。業火だろうが地獄の入り口だろうがニンゲン取ッ捉まえて
もどってくるんだろ、こちら側におまえはさ」
「ああ、けどな。今日はホンモノがいるらしいから、おれたちにはお呼びがかからなかったのかもしれない」
ははっと小さくわらってカウンターから出てくる姿を目にする。
「おまえは?忙しかったんじゃないのか」
「うん、せっかくのクリスマスだってのにな。どうして酒場なんかに来るかね?」
言いながら軽く金色の前髪を梳き上げ、隣のスツールに座りなおした。


「コールセンターみたいなモンだろ」
「ん?」
「羽休めのワンクッション。日常に戻る前に逃げ込むシェルター。一人で居ても孤独じゃない場所、ってやつだろ。きょうは自殺願望の強まる日だってどこかの医者が言ってたな」
「わ。似合わねェなーオイ」
言葉を受けた空の色が和らいだ。
「ま、要はここも一種のシェルターってことだ、ゴクロウサン」
「なるほど。それじゃおれはさしずめ守護天使、ってとこだな」
「おまえがガーディアンならおれはとっくに救世主だ、」
ぽす、と指の長い手があたまに下りてきて、何度がリズミカルに強弱をつけて上下する。はあ、とそれに
あわせて吐息をつきサンジが唇を引き上げる。


「偽預言者、」
「……なんだよ」
「あのさ」
「ああ」
すいと相手の上体を抱えるようにし眼差しをあわせた。
「"ここ"で待っててやるからな、何があってもおまえ、戻ってこいよ?」
「負ける気はしないけどな」
翠の双眸がじっとあわせられる。
「―――火に、」
それをみつめたまま言った。
「そういうこと。まあ、せいぜい後方支援でも頼む」
冗談めかしてグラスを目の高さまで差し上げ、ゾロが飲み干した。


「負けねえんだろ、」
腕を伸ばし、耳元から手を髪に差し入れるようにした。指先をかすめる貴金属の感触。
「火には、な。運の部分はおまえに任せた」
「冗談じゃねえ。おれの運までおまえのために使えるかっての、」
うすく笑みをはく。
「せいぜい飛び込む前にこの場所でも思い出しやがれ。戻ってきたら褒美にキスの一つでもしてやるから」
「―――ハ。上等」


スツールが小さく音をたてる。
「これは、今日の分な」


乾いた、それでいて自分のよりやわらかな唇。
「ハッピー・ホリデイズ、」
ふわりと、かすめる。
ちいさく喉元で抑えたわらいが続き、薄い背中に腕を回した。
「じゃ、おれはおまえの心音でも聞くか」
「んーー、明日はさ一日ぐだぐだしてような、なんもしないでベッドにいよう、」
腕の中の細い体躯から徐々に力の抜けていくのを感じていた。
「せっかくのホリデー・シーズンだろ」
言いながら、サンジが額を押し当てるようにした。


「―――なあ、」
呼びかけには、返事の代わりに耳元に唇で触れられた。
「おれは」
「わかってるよ、戻ってくるんだろ」
「ああ」
「努力しろ。死んでも諦めるな。約束しろ、それでおれのことすきだって言え」
ちいさくわらい。無茶を言う金の頭にゾロは顔を埋めるようにする。
「死んでも戻るのかよ」
「あたりまえだ。このおれが待っててやってんだぞ」
「わかった」
もう一度、抱きしめた。


小さく息をつき。サンジが言う。
「なあ、もうおまえのとこ行こう」
「そと、雪が降ってたぞ」
「そっか。じゃ、おれの部屋に変更だ」
「―――なんでだよ」
「天窓。ベッドで雪見しようぜ」
ゾロが唇を寄せ、そのままスツールから抱き起こした。


後ろ手で扉のカギを閉め、夜明け前、まだ足跡も残されていない積もりたての雪にわらいあった。
今ごろは、自分だけのメサイアとマリアを抱いて眠っているはずの男の言葉を思い出したので。
祖父の言っていたという古い言い伝えは、積もりたての雪を誰よりも早く踏むと願いが叶う、というもの。
そして同時に踏み出し雪音をさせ、ぶつかりあうようにしてタクシーを捕まえに走った。
羽根を散らすように空からはまだ白い欠片が落ちる。遠ざかるわらい声と一緒に。
なにごともない一日が、続くことを。せめてこの季節の間だけでもと。







Coming soon.
December 27, 2001










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