Three



--- Intermission: Void ---
高台にある家の側には、こじんまりとした、それでも海を見晴らすような公園がある。
天気の良い午後には このあたりの住人がわざわざピクニックバスケット持参で日光浴に出かけるような、そんな場所で。 そしてすこし外れたところ、海に向ってなだらかな傾斜をつくるその途中にこの街には珍しい、 桜の大樹のあるのはあまり知られていないけれど、それは充分に美しい眺めで。

花の時期には 必ず一度は見に行っていた。だから、黄昏時のちょうど人の少ない時間そこへ向かい。



満開の花の下に歩きこんだ。そうしたら。



その幹にもたれかかり、ヤツが足を投げ出すようにして根元に座していた。 端整な貌はただまっすぐに頭上に広がる薄闇に朧と浮かぶ花をみあげ。ひらひらと、ひそひそと、 聞こえるはずのない花の散る音さえ聞こえてきそうで。
「死体かと思ったぜ、」
近づいて、そう声をかけた。
「ああ、おまえか」
視線が俺にむけられ。
「久しぶりに、この花をみた」
そう言った。 ざああ、っと風がまた花を散らせた。

ほんの子供の頃、一時期キョウトにいたんだ、と隣に座った俺に言うともなく視線は空にあげたまま、 ヤツが言った。子供心に恐い花だと思っていた、と続け。短い滞在の間にできた友達が古い寺の 一人娘で、それでもその境内の桜をよく見に行った、と。
「―――こわい?」
「ああ。そう思った。そいつに言ったら、当たり前だ、って言われたぜ。桜の森には鬼が棲む、ってな。 言い伝えがあるんだと」
「ああ、その話はしってる」
「そうか、」
東洋文学も教養課程で取ってるしな、と答えると。 ヤツは小さくわらった。 本当に、桜の森の下にいったことはあるか、と。 こんなに淡い色なのに、満開の中にいると閉じ込められる気がする。 そいつに連れて行ってもらったんだよ、山の中に花を見に。こわかったぜ、と言った。
初恋の話でもきかされてるみたいだな、と言うと。 まあな、と返された。

「さてはテメエ。ファーストキスも桜の花の下でその子と、ってやつか!」
冗談めかして口に出したら。
「バァカ。なにしろ子供だからな、失敗だよ」
俺のほうへ向き直り、すい、と顎を引き寄せられた。 真近で、翡翠の瞳が笑みを含んでおり。 こつ。と額があわせられ。
「デコとデコがぶつかって、おわり。」
ひとしきり笑いが消えると、逢わせたままの視線が漂い。 風に枝が鳴り花びらの流れるのにあわせるように、唐突に手が離された。

「そのこは?どうしてるんだ、」
「ああ、死んだ」
「・・・・・・え?」
「山に行った次の日に、自分のとこの鐘塔から足滑らせて、死んじまった」
だから、俺はいまでもこの花がすこし恐ェのかな、と。 それでも優しげな視線は頭上に向けられ。



あ、と思った。 つかの間、見えたのは。その後ろにぱっくりと口を開いた虚空。



ヤツの頭を無理矢理向かせるようにして、戻るぞ、と強い口調で告げたら。 そうだな、と。 答えと一緒に肩に腕が回されて、引き寄せられた。 花に中てられた、そう聞えた。 肩越しに、降り積もるように散り掛かる花をみていた。なるほどな、と。閉じ込められるにしても、 これは酷く美しい檻だと思い。
「“花の下には無限の虚空がみちている”、ていうんだ。捕まるな、」
口に出していた。



しばらく、そうしていた。




--- Breaking glass ---
きっかけは、ほんの偶然で 。
講義が終わった帰り、ノースマーケットのカフェでビビとレポートをしていたらコッ、と窓を叩かれ。 二人してバカみたいにぎくっとして眼を上げたら意地悪ネコ笑いを浮かべたゾロが通りに立っていた。
ビビの隣に座るまえに通り過ぎざまあたりまえのように俺のアタマを子イヌかなんかにするみたいに 手で引っ掻き回し。それに俺が牙を向き。ビビが笑い。 窓から陽が差し込んでグラスの水がテーブルにきれいな模様をおとしていた。


なんとなく、その日の居心地のよさが影響したのか、それ以来3人でいる絵面が非ッ常にイヤミなこと に気付いた悪趣味も多いに愛する俺達は、ときおり連れだって出掛けるようになった。最初は、「良い男 2人連れてる私(ビビ談)」に、嗜好を問わず集まってくる人の視線を面白がるビビの「女王さまごっこ」の おつきあい程度だったけれど、いつしかそれが自然 になっていった。
とはいっても、 3本足の椅子で危なっかしくバランスをとって遊んでいるみたいに感じ る事はやはり
あったから。クラブだと大抵、遅い時間にはナミがふらっと取り巻き連中と現れていたから二人は 放って おいてナミや女の子の方へ俺が流れても。なぜか最終的にはプラスナミ、の4人でいたりした。


それでも。
「ん?オハヨ」
って部屋のベッドのブランケットからナミが顔出した時には、心臓がとまりかけた。
「おれ、ナミお持ち帰りしちゃったの?」
けらけらナミは笑って、伸び上がるとヒトの頭くしゃくしゃにした。
「バッカね、あんたがお持ち帰りされそうだったわよ?」
「・・・・・は?」
「覚えてないの、あらら。あんたね、きのうずううっと!ゾロにくっついてたのよ酔っ払っちゃって。 もう、喉ごろごろいわせてんじゃないかってくらい。ビビもビビで、にこにこしてるしあのコってば」
「うああぁ。マジで?」
「バカ。勝手に言ってなさい。ほんとに困ったヒトね」
「今度から気をつける」
「せいぜいそうなさい、」
ぴし、とハナ先に指を突きつけてナミはにっこりとした。
「あんた、酔っ払うと殺人的にかわいいんだから」
「・・・ナミ、悪かったって。勘弁してくれ。フレンチ・トーストで良い?」
にっ。とナミがして。


なんで俺が、とかぶつぶついいながらヤツはボウルにタマゴを割り入れ。
「ウッセエ、テメエにも責任の一端があるんだよ、」
「どっちかっていうと、俺は被害者じゃねえか?」
「そんなわけあるか!」
ナミはそんなやり取りを聞いて笑いながら庭に椅子を持ち出して、まだ寝ていたビビを起こしにいき。


そんな風に時間を過ごすようになって、ビビが突然言いだした。
「あなたたち、前世で双子だったんじゃないの?」
「は?」
「だって、どうしてあたしにもわからないこと、相手がなにを思ってるとか、どう感じるかとか、 なにも言わないでわかるの?」                                                          すこしふてくされた風に言うその顔が可愛くて。つい、ヤツと目があった。 ゾロは片眉を引き上げる。
「同じオトコだからだろ」
その口から出る返事はいたってそっけない。
「ううん。ぜーったい、前世で双子よ」
前世双子説は当たり前のようにほどなくナミにも伝わり。 挨拶が、「あら、サンジ弟。おにいちゃんは元気?」に取って代わられた。


けれど、5カ月が過ぎるころから、すこしづつビビの様子がおかしな風になってきた。 女の子が誰かを想うだけで、どんどん奇麗になっていくのはひとつの奇跡だと思う。 だから、俺はビビを見ているのが好きだった。
だからこそ、重なっていく小さな変化に気が付いた。 笑う回数の微妙な減り方。 思い詰めたような眼差しをときおり俺にまでむけて。 かと思えば逆に傍から離れなくなってみたり。 感情の起伏と、逆にフラットになる度数が増えたこと。


そしていま、何かが決定的にかみあっていなかった 。ナミや女の子たちと食事をして家に戻ると、 ドアを開けた瞬間から、やっぱり外にいれば 良かったかと 後悔することになった。
フリーザーからライムとぺリエを取り出してダイニングへ 行ったら。 リビングの革ソファの端にビビが膝を抱える ようにして座っているのがみえた 。そこは普段良く俺が寝そべっているくらいだから、ビビがそんな風に していると、ほんとうに子供が途方に 暮れているようで。
ゾロは、ちょうど斜め向かいに置いてある一人 掛け用のオッドマンに深く座り、俯いたまのビビを微かに眉を寄せるように して見つめていた。

これは、派手にやりあったな、というのが第一印象で。
とりあえず、ビビの側までいき、頬にただいまのキスをおとしてみた 。 きゅ、と固くそれでもビビの唇は 結ばれたままで。 どうしたの、と問いかけ、側に立ったままその頭を俺のほうに引き寄せるようにしたら。 きゅうっとしみがついてきた。
「みず、いる?」 
押し付けられたままの頭が頷くから、サイドテーブルにグラスを置き。腕をとかせてさっさと部屋に 戻ろうと思ったら、ここにいて、とすがるような声。 まだ力がいれられたままの腕に軽く触れて、わかったよ、としか返せなかった。


そしていま、何かが決定的にかみあっていなかった 。 ビビは俺を通してゾロと会話をする。相手を見ずに。ヤツがそれに返事をするはずもなく。 一方通行同士の 媒体代わり。
俺は俺でその場がどんどん不快になり。ネガティブな感情に限って染みのように拡がっていく
から。ゾロの方からの苛立ちが伝わり、ビビはビビであえてそれを逆なでするようにますます頑なになり。

だめだ。限界。
テーブルにまだ残る煙草のパッケージを放って捨て いたたまれない雰囲気に席を立ったときのビビの顔を俺はしばらく忘れられそうになかった。 悲しみとやりきれなさに歪められた、それでもキレイだったその顔 。




俺が、きみにそんな顔をさせたの?




ドアへ向かう俺の腕を急に捕まえるアホがいた 。
「なにす、 」
「いいから。俺が行く 」
ああ、なんにもわかってないな、こいつ 。
腕を雑に振り払って、あのなあ、とにかく二人で良く話せ、と口にした 。 俺がいるとよけいややこしくなりそうだし、と。
今度はゾロの端正な貌が、歪みかける 。
「いいか?わるいのは、おまえだ。だからおまえが、そんな顔するな 」
ぐ、とゾロの形良い眉が寄せられる 。
「なんで俺が、 」
「女の子は、大事にするモンなんだよ。特にビビを泣かせたりするな。そんなこともわかんねーのか? ビビは普段はあんな風にならねえよ。テメエが追い込んでんだろ?アホか 」
ビビの声が俺を追ってきたけれど。聞こえない振りをして、そのままドアを抜けた 。


アパートメントのドアを開けたナミは何も言わず、ただ、お疲れ様、と小さく笑った 。
「おれ、もう嫌かもしんねえ 」
ぽんぽん、とナミは何回か軽く背中に手をあてて、誰に怒ってるのよ、と言い 。 そう問われて初めて―――気が付いた 俺に、と答えたら 。
「そっか、 」
ナミがドアを閉じ
「でもね?私はあんたのこと、だいすきよ 」
とん、と肩に額をあずけてきた 。 その明るい色の髪に顔を埋めるようしたら、なんだか涙が出てきそうになった 。


それでも時間は戻らずに。それ以来、 「サンジくんも行くなら出掛ける」 「おまえも来るならつきあう 」 二人の口からでひんぱんに出るようになった言葉は。



ちょっと待てよ。明らかに俺はいない方が良いだろ 。 ビビ、俺を仲介にしたらダメだよ 。 「あ、わりぃ、俺きょうパス 」 の返事でヤツは一人でどこかへ出ていき 、 ビビは遠ざかる車のエンジン音が消えると部屋に閉じこもる 。 圧倒的に多くなってきたこのパターン 。



なあ、キミたち いい加減にしてくれないかな。俺はいったい何なんだよ ? 泣きたいのはこっちだっての、と悪態をつくものの。長続きしやしない 。 女の子が、それも俺の大事な、綿菓子みたいな娘が泣いてるんだ 。



「ビビ、 」 と声をかけ、部屋をノックし。ビビの「安全毛布」を本気で演じるつもりで ―――ちょっと待て―――演じる・・・・・?
俺はいいかげん、自分にうんざりしてきてた。いつから、歯車がおかしな具合になってきていたんだろう。 漠然とした苛立ちが、ゆっくりと表層に現れてくる この状況に、自分達に。 しばらく家出でもするか、とか。全然なんの解決にならない、馬鹿馬鹿しいことを考た 。




帰る場所があるのに戻れないあのバカも、相当自分にうんざりしてんだろうな、と。 どこかで思いながら 。





でも


簡単に、気持が離れるのなら誰も恋なんてしないだろう。