4.

ゼフに連れられてサンジはそのまま東屋の方まで歩いて行かされた。

「ジャマするなよ、おれはもう広間に戻る」

掴まれていた腕を振り払い、憮然とした風に言うのを。

「嘘が下手なのはガキの頃のままだな」

笑みを含んだ声に返されては黙るしかなくなる。

夜の冷たさを含んだ風が海面を渡り届いてくる中、風の梢を揺るがす音だけがしばらくのあいだ続き。



「コブラが何と言おうと構わん。おまえはすぐに戻れ」

「―――なにいって、」

「理由は自分が一番良くわかっているんじゃないのか?」

く、と薄い唇が噛みしめられる。



「―――あの眼だ、」

サンジは黙ってゼフを見つめ返す。

「取り込まれるのも無理はねえ。だが。―――忘れろ」

ゼフの透けるほど色の薄い青の眼にゆっくりと柔らかな色が拡がる。

「明日の午後には迎えを寄越させる。コブラには言わずに、それに乗れ」

「おれは、」



「近づくな、と言っている。取り込まれるな。あれは、おまえにとっての“禍つ眼”だ」

きつい光を宿す夜目にも淡く浮かび上がるような碧の眼が、静かに伏せられたのを了承の印しと

ゼフは受け取り。くしゃり、とその黄金の髪を掌で乱す。





「戻らねえのか、」

東屋の柱に凭れて浅く水を張られた泉水に視線を投げているサンジに、ゼフが声をかける。

「―――うるせえよ、ジジイ」

振り向きもせずそう答えてくるのに小さく笑いを漏らす。

「・・・・・・まったくだ」

そう返し、遠く揺れる広間の明かりへとゼフは歩き出す。



サンジの眼はただ水に映る光の雨をみつめ。

自分の指先が、銀の拳銃を確かめるように辿っているのをかすかに感じていた。








空を彩る花も姿を消し、絶え間なく流れていた音楽もとうに絶え、ゲートへと長く光の尾を引いていた

客の車の列もすべて途絶え。大広間の明かりも、母屋の光も。すべてが。やっと闇に戻る。

それでも、あの国で夜毎に訪れていたような濃密な暗さは戻ってはいなかった。何かが暗闇で眼を

覚まし息づくような、生命の密度を持った暗さ。




東屋の石の座に身体をあずけてサンジは随分と長い間、思考の勝手に漂うのに任せていた。

夏とはいっても、夜になると急速に気温の下がるこの地域の気候を、すっかり自分が忘れていた

ことをいまさらになって気付く。身体が、冷え切っていた。



忘れろとか、取り込まれるなとか。そういう問題じゃないだろう。

そんなものは何も、憶えていないんだから。

自分のなかですべての音が消えていったこと、重なったかに思えた鼓動と、玉石の色。

もう、融けこんでしまった。



きつく目を閉じる。戻ろう、と思った。あの、体温と同化するような密度を持つ空気のなかに。

自分の他の存在が夜半に寺院の廃墟にいるとまざまざと感じられる、あの国でならば―――



思考を断ち切るように、「アホくせえ、」そう呟くけれども。

たとえようもないほどゼフに言われたことが腹立たしく、また自分を突き動かそうとする衝動にも

息苦しさを感じていた。気分が重いのに、鼓動だけは倍の速さに感じられ。濡れた何かが足元

から這い上がってくるような不快感と。漠然とした不安が自分の中に入り込んでくる。



ふと。思いついた。

スピードメーターの振り切れるまで飛ばしてみれば少しは気が晴れるかもしれない、と。

この街で自分にチケットをきる警官がいるはずも無いこともサンジは思い出し。口許にひきつるような

笑みの影をのぼらせる。一旦、そうと決めてしまえばもう後は、それが効果があろうと無かろうと

試してみる他はなかった。



幾つかある内の、庭からも使える地下ガレージへ通じるエレベーターに向かいサンジはゆっくりと

近づいて行く。そしてセキュリティのカメラからちょうど死角になるマグノリアの大樹の横を抜けようと

したせつな、腕を掴まれ反射的に銃に手をかけた姿勢のまま、その影に引き込まれた。




「・・・・・お、まえ―――!」

驚きにサンジの眼が見開かれ。

「ゾロ、だよ」

いきなり引き寄せた方は何でもない風に言い返してくる。

「なにしてやがるんだ?!今度みつかったらおまえ―――」

「みつかってない」

に、と不敵な笑み。

しー、静かに、とまるで子供をあやすような穏やかさで、ゾロはまだ驚きとこの事態に強張ったままの 

身体をそっと胸に抱きこむ。



あたたかいな、とサンジが漠然と思うその間際、屋内ではセキュリティが先までモニターが映し出して 

いた姿が急に失われたのに気づき。セキュリティが出てこようとするのと、サンジが視界の隅に母屋

から洩れる明かりを映したのはほぼ同時だった。



「っ!」

ゾロを突き放すようにその腕を雑に取り、数メートル先のエレベーターへと走り有無を言わさず開いた

扉の中へと押し込む。その直後に母屋から自分の無事を確かめに出てきたセキュリティに大丈夫だ、

と手を軽く振り。サンジの姿を確認すると軽く会釈をし、完全に武装をした男たちは屋内へと踵を返す。

それを認め、はぁ、と小さく息をついたのと同じくしてエレベータ―の扉が開いた。



壁によりかかるようにして平然と立っているのは。自分が。

誰より信頼を寄せている人間が、近づくな、と言い含めた男。鉄の箱へと、サンジは足を踏み入れた。






5.

「ン―――?ナンダよ、これ」

ゾロの眉根が僅かに寄せられるが、ティン、と扉の閉まったのを告げる澄んだ金属音が響く。

「おまえ、自分の立場わかって言ってンのか?」

何が、と。至極素直な問いかけの顔。

それにサンジはゆっくりと苦笑を作り。



「地下のガレージへの直通だよ、コレは。クソバカヤロウ」

「―――ああ、なるほど」

目許が笑みを含み、その顔立ちの整いすぎている所為で苛烈な印象が崩れる。

微かな浮遊感。それは、ハコが動き始めた所為だとサンジは思うことにする。

「止まらないわけか、」

そのまま眼を逸らさずに暢気にわらっていたのが、ふ、と眼差が伏せられ。

続けて小さく呟くように。

取り込まれたか、運命に、と。その囁きは、サンジの耳には届かなかった。



ゾロが再び目を上げると入ってくるのは。

まだかすかに淡く光を纏っているような姿。



「まあ、少なくとも。これで蜂の巣にはならねえな、」

自分の口から洩れる皮肉な言葉はどこか微かに甘さを声に乗せているようで、サンジは瞬間、躊躇う。




気付いたら。

まじかで翡翠の双眸に魅入っていた。固くまわされていた腕。それでも言葉に乗せる。



「おれが、テメエの頭に一発打ち込まない限りは」

カチ、と。



耳のすぐ上に銃口が軽く押し当てられ、銃鉄ががすでに上げられているのもとっくに知っていた、

とでも言わんばかりに。唇の触れ合う距離でゾロが囁く。




「ああ。気に食わなきゃ、いつでもソレ引いていいぜ」




鉄と大理石の箱は浮遊を続け。

空の高みへ?それとも地の縁へと・……




「いずれにしろてめえは―――」

それを受けた言葉の途中で、奇跡のようにうっすらと唇が笑みの形を模り







光が交差する。








自分は、いつか言った。

運命ならば抱き寄せる―――と。







微笑を刷いたままの唇を舌先でたどる。

鋼の冷たさが直に皮フに触れてくるのを感じ。眼をあわせたまま、触れる

ゆっくりと、奥まで。溶け合うような

熱情と、それとはほど遠い安堵  



相反する感情は縺れて沸き上る。

焦がれるような劣情と どこまでもわからなくなるほどの溶け合う熱が 

身体の深くからゆっくりと 息が続かなくなるほどの緩やかさで

喉元にまで拡がってくる。




「チクショウ、なんでだ―――?」

うすく唇を離したとき、そう囁くのは。

宿星が、その光を落とし込んだような薄碧の眼差の持ち主。

「おれも、同感だ」

そう答えてくるものは。




キケンだ、サンジは思う。こいつは、

自分のなかの何かを引きずり出す。強い手と。どこまでも遠くを凝視するような眼差。

引き金を、いま、引いてしまえば―――









石の床に、銃の転がる音が響いた










エレベーターの扉が開き、どうにか唇を解放されたサンジが言葉にのせた。

ここにいるわけにはいかないだろう、と。その手はかるくゾロの肩を押し、箱の外へと出させる。

地下のガレージには、どうみても観賞用としか思えないクラシックカーから完全防弾仕様の

ソレまで、ずらりと「並べられて」いた。



「とにかく、ここを出るのが先決だろ」

「お気遣い痛み入る、」

「フザケテンナよ?だいたいおまえどうするつもりだったんだよ、下手すりゃ死ぬぞ?」

「さあ?逢えると思ってた」

どこまでが冗談が本気かわからない返事に睨みつけるようにしても。

静かな瞳に笑いかけるようにされてしまうと、それ以上の言葉は続かなくなる。

「・・…乗れ、」

シルバーのTVRタスカンのドアが雑に開けられた。



暗い海面を横に、銀の影が夜の中を進み。

「このまま攫っていければな、」

ふ、と隣りから洩れ聞こえた声に

「めでたく全面戦争だ」

前を向いたまま答え、落ちかかる髪に隠されてサンジの口許だけが引き上げられる。

空気が動いた、と思ったら

突然、顎を捕まえられて口づけられた。車体は激しく蛇行しかけ、



「その前に事故死ってのもアリかもな」

ナビシートに上体を戻しあっさりとゾロはいって寄越す。

「ってめ、」

思わず声のほうに向かって文句を言いかけるものの、に、と返され、前方を長い指が指し。

「前見て運転しろよな?」

「・…クソ」



「ギャップの激しいヤツだな、おまえ」

片眉を器用に引き上げてゾロが言い。

「てめえもな。いったい何なんだ、コレは。異常事態だぜ」



笑い声がどちらからともなく洩れ。

やがてそれも退いていき、静けさが立ち昇る。

「―――なあ、」

ゾロの低い声がそれを破り。

「ん、」

「明日、出てこられるか、」

一瞬の間の後、静かな声が返ってきた。

「ああ」





「朝には、迎えをやらせる」

「じゃあ、ゼフからの使いだと言わせろ」

ふ、とドアの外に立つゾロの眉根が寄せられる。

すっかりウィンドウの下ろされたドアに肘をかけサンジは、上向くようにしてわらって寄越し。

月の粉が撒かれたように、半顔を隠してしまう黄金の髪が淡く光を纏う。

手を差し入れ頬をつつみ、触れるだけの唇をおとす。

そっと浮かせかけた時、腕が伸びてきてゾロの頭を抱き込むようにし深く重なった。



「待てるか?」

再び離れたとき、濡れて光る唇は挑発的な笑みを浮かべ。

「うるせえ。」

仰向かせ首もとに歯を立てるようにしてきつく吸う。

軽く息をのむ音に、ゾロはさらりと掌に髪を滑らせる。

浮かび上がる痕にもう一度、唇で触れ髪に手を差し入れたまま額をあわせるようにする。



その手に

流れ込んでくる熱に

離れ難い、という気持が自分の中にも居たのかと

サンジは自嘲にも似て思う。自分は、いままで。

何にも執着が無いと思っていたのに。ほんとうは、モッテイナイだけだったんだ、と。



目を閉じたまま、頬に手を添える。僅かにその筋肉が動くのが掌を通して伝わり、

きっと相手も微かに笑みを刷いたのだろうと。サンジも唇に笑みを刻み、

額を更に押し当てるようにする。




「おやすみ、」

「ああ、良い夢を」

その答えにサンジの眼がわずかに伏せられ、

イマガソウダナ、そう囁くと。次の瞬間には放たれた弓のように銀のTVRは夜を裂いていった。






月明かりの中、黒い影は佇んでいた。その軌跡が消えていくまで。その唇が形作ったのは、

誰の名前であったのか。

















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