天蓋は蒼一色に塗り潰され、眩しすぎるほどの陽射しが甲板に出た途端

色素の薄い瞳に直接飛び込んできた。思わず手をかざし陰を作ると、

視界の先に見慣れた姿がある。



日光を遮る物の何も無いなか、相変わらずの「バカの一つ覚え」の日々の

鍛錬真っ最中の姿。咥えタバコのまま、本人はにやりとしたつもりでも、

ハタから見れば十分ふにゃけた「にっこり」ともとれる口角の角度を作り、

サンジは長い歩幅で近づき。



｢よお、いくらてめえでも脳溶けるんじゃねえの」

声なぞかけてみる。

｢うるせえ、てめ―――」

勢い良く振り返り、ゾロは自分の視界が溶けたガラスのようにぐにゃりと

曲がるのに一瞬､意識をわすれる。

鈍い音をたてて重りが甲板に落ちたと思ったら

｢―――？」

｢え？っておい、うわ。アホおまえ、ってうあ？」



ぐらりと傾いたゾロの身体に咄嗟に手を差し伸べ支えようとし、

そのちょうど同じ見計らったようなタイミングで船が大波に乗り

船上の全てモノが瞬間､重力から浮き上がる。



ぱったりと。

ゾロの身体の下にいた。おまけに後頭部までかるく打ったらしい。

｢いって、てめ、おも……」

肩のあたりのカオに言うものの。きつく眉根を寄せ、その瞳まで

閉じられてしまった様子は、天変地異に近い。



｢おい、ゾロ―――？」



薄く眼が開けられる。



｢おら、クソデコ」

ひた、と。この熱のなかでも温度の変わらず低い手が、自分の額に

あてられるのにゾロは小さく吐息をつく。



｢おまえ、水分補給してたかよ？」

真近で、貯められた水より青い蒼が笑みを含んで揺れる。

｢―――あ？」

｢ンなクソ暑ィなか炎天下でバカみてえに汗かいてたンなら、

てめえはぜってえ熱中症だ、オラ」

ぴたぴたとその端整な頬のラインを掌で叩きサンジが言う。

｢退け。で、水飲んでしばらく日陰にでもいやがれ」

よいせ、と軽く肩に腕をつき相手の身体を浮かせ身体の下から

出ようするのだけれど。



頭を抱え込まれるようにされ、あろうことか。

自分の顔の真横にゾロが顔を寄せるのに、ぎくりとする。

頬が触れあわされ。



｢てめえ、いつもこんなに涼しかったか―――？」

抱き込まれたまま気持ちよさそうに言われる始末。

跳ね上がるのは自分の鼓動。



｢アホ。おまえが熱あるんだよ。いいから退きやがれっての」

肩を押し返そうとはするけれど、その口調はひどく柔らかい。





｢……あつくるしいわ、」

カラン、と手許のグラスの中で氷が音をたて、デッキチェアからの

視界の隅で展開される光景にナミが言葉を乗せる。

｢このクソ暑いのに何ジャレてるのかしら、あのバカ共は」

まさに、ナミの言葉通りの状況に見えなくも無い。

｢仲良いんだな？」

まだ今ひとつこのスタンスの理解に苦しむ船医が、冷たい果汁の

入ったグラスを両の手で抱えてナミに問い掛け。

｢雨が降ろうが、日照りだろうか､吹雪だろうが嵐だろうがいっつもあんなよ」

｢へえ！」

｢チョッパー、好きな人が出来ても真似しちゃ駄目よ？」

｢う…うん」





｢オイ。ゾロ。いい加減おれの方が暑さで死にそうだっての。退けヨ。

何か飲むモノ作ってやっから」

もう一度、両手で肩を押し返し。ふと。

左手首辺りに感じた違和感をとりあえずサンジは無視した。






Day 2: Dinner and After Dinner

｢うおーうまかったァ！！サーンジーィ！おかわりぃぃっ」

｢もうねえっ！」

｢サンジくん、今日のデザートはなあに？」

その声に満面の笑みで振り返る。

｢フランボワーズのソルべです、どうぞ召し上が……れ？」

左手に持った銀のトレイに乗せられていたガラス器が表面を滑走し、

ぱああん、と床に散る。その後をトレイが追い、派手な音をたて。

｢サンジくんっ？？」

ナミの声に、全員の視線が彼の人にあつまる。



ひどく素直な驚き顔を浮かべたサンジは自分の左手を見ていた。

｢えー、と。チカラ、入んねえんだけど」





｢筋がちょっと変みたいだな。今日ずっと無理して動かしてただろ」



がーーーん、とチョッパーの診断にサンジが言葉を失う。

｢――――え？」

｢捻ったか？すぐ治るけど。明日は1日動かさない方がいいぞ」

｢ハァ？ざけんな、おれァ、」

｢うん。料理人だよね。自覚があるならなんでケガしてるのさ。駄目だよ？」

くるん、と丸い目がサンジにあてられる。

｢ぜったい、動かすなよ―――？」

きゅ、と包帯をきつめに結ぶ。

｢･……わかった」

明らかに肩ががっくり落ちてしまっているサンジの様子に、医療カバンを

閉じた船医はちょっと言い過ぎたかな、と心配顔になる。




何たる失態―――！利き腕じゃねえからまだしも

クソジジイに知れたら蹴りじゃすまねェぞこんなテイタラクは！

あーチクショウ一体なにが――――



　　　　あ。



サンジの唇のあいだからタバコが床に落ちていく。

思い当たるのは、昨日。ブッ倒れかけたクソ剣士を引っ張った拍子に

倒れたとき、手を妙な具合に甲板についたこと。

｢クッソー……」



おまけに昨夜、ちょっとまあ、興が乗ってはげしめにイタシテしまい。

投げ出した腕、それをゾロの手が捕らえ、左手首を握りこんできたことを

思い出す。

｢―――アンニャロ、」




ぱあん。と勢い良くラウンジの扉が閉まり。

まだ薄明るい甲板に飛び出していく。

｢―――なんで、あいつカオ赤いんだ？」

ぽつりと。疑問を口に出す船医の小さな背中に､後のソファで食後の読書中の

ナミの明るい笑い声が届いた。





そして、船首のほうからやがて盛大な雑音が響き渡る。

｢オラクソゾロ！てめえが加減知らずだからナァこういうことに

なンだよこのイロボケがァ！！」

｢はぁ？てめいきなりナニいってやが―――」

｢問答無用ッ！」

｢ケンカかぁ〜っ？？」

｢「ルフィ！てめえは黙ってろッ！」」



｢チョッパー、カバンまだしまわない方がいいわよ？」

ナミがにこやかに言って寄越した。






Day 2: After Rumble

｢申し訳ありません、」

しゅん、と可哀想なくらい項垂れるサンジの頬には大きめのバンドエイド。

手には更なるぐるぐる巻き。テーブルを挟んだ向かいにはナミと、少し離れて

チョッパーがゾロの肩に湿布をあてている。

｢まあね、でも仕様がないわよ。若いんだもの」

ナミがにこやかに返す。

｢―――は？」

に、とするのはナミ。



｢そんなことより。明日はちょうど航路にホワイト･ヘブン島っていう

無人島があるの。せっかくだから停泊して、みんなで明日はバーベキュー

でもしない？それだったらサンジくんもお料理しないですむし、私達も

美味しいもの食べられるし。野菜はその場でみんなに切ってもらいましょ」

｢ナミさんっ！」

あああなたはなんて優しいんだ､美しい上にその天使のハート！とか

なんとかかんとか。とどまる事を知らない美辞麗句のタイフーン。

チョッパーの眼は真円になり、サンジの感情の起伏を数値化しようと

試みてでもいるようで。



｢あんたも責任持ってよね、ゾロ？」

サンジの耳に届かない程度の小声でナミが話し掛ける。

｢あ？なんでおれが、」

｢あら。理由言って欲しいの？私に？ここで？いいわよぉ？みんなも呼んでくる？」

ぐ、と黙り込むのに、天使の如き微笑を浮かべる。

｢ペナルティよ。あんたが料理当番ね」



｢……あ、でも。肉の仕込み」

｢心配しないで、サンジくん。この寝太郎つかえばいいじゃない。

肉さばくのは上手そうよ？私、スペアリブがいいな」

｢はいっ」



この船のボスはナミなんだな、と。トナカイの部分でチョッパーは理解した。






Day 2: Kitchen

｢てめえがそうやってっとさァー」

｢ナンだよ…？」

大量のバックリブを保冷庫から取り出しどうにか調理台に積み上げ、指示通りに

その中の一塊を「バラす」作業に取り掛かる。

｢なんつか、」

くくくっ、と横で機嫌良さそうにサンジが小さくわらう。



｢妙にハマリ過ぎてコエェー！」

｢ウルセ。斬りはしても解体なんざしたことねェよ」

左手に肋骨の塊を抑え込み右手には肉切り包丁に､不機嫌なため凶悪目付き。

こんなのを見て笑っていられるのはこの料理人くらいだろう。

｢ちゃんと水で血ィ洗い流してからきれよ？」

だから、こわいってば。と誰かがいたなら言っただろう。



どうにか全てのバックリブを骨ごとに切り離し。これだけで既にトレーニング

3時間分くらいの疲労度をゾロは感じ、げんなりする。

｢ふん。上出来じゃねえ？伊達にバカ力じゃないなおまえ！」

リブを指先でつまみチェックすると、ばんばんとその肩を叩き激励するのはサンジ。

「ああ、ありがとよ。で、次は」

既に反論する気力も剣士は減退しているらしい。



「マリネードソース作り。いいか、粗塩を肉に揉み込むだろ、で、バーボン､黒コショウ､

レッドペパー、にんにく、蜂蜜、パセリ､タイム､ローリエとローズマリーを合わせた中に

リブを馴染ませて、よおおっく漬けとくんだよ。どおおだ、簡単だろうが。仕様がねェから

ベイジングソースは勘弁してやるよ。てめえにもできるモノ考えてやっただけありがたいと

思いやがれ。大サアビスのテリヤキソースは、ソイソースに蜂蜜とバーボンだ。作れ」

「･･……、」

「おら、お返事は？」

ひらひらと、右人差し指を鼻先で揺らすのはサンジ。



「おい、いまの……何語だ？」

「―――ハ？」

「バーボン以外、何言ってんのかわからねェ」



「―――塩、わかるか？」

「ああ」

憮然、と答えるのはゾロ。

「よし。じゃあそれからいこうな……？」

心なしか、サンジの口調が憐れむようなそれに変わった。



「あっ！てめそれショウガだっての。にんにくはその横！」

「うわっシナモン入れてどうすんだボケ！そっちは水飴だっての色盲かよ！」

「それはカイエンペッパーだっての！コショウはその上ッ！」




ぜえぜえと、テーブルに全ての調味料が揃った頃にはサンジの息が切れかけていた。

「―――もうやだ、」

ぐったりと椅子に身体を預けるのはサンジ。

「……それはおれのセリフだ」

ゾロは勝手にバーボンに口をつけ。

「お。美味い」

暢気に感想など述べる。



「てめえ……」

ぎろ、と睨みつけられても全く動じず。もう一口含むといきなりサンジの顎を持ち上げ

強いウィスキーを直接、喉に流し込む。

「気付け。で、あとはどうするんだ、センセイ？」

に。と唇端を引き上げる。



「口でしか言わねェからな？クソ不味いモン作りやがったらオロスぞ」

「おれは別に構わねェけど。後悔するのはてめえだぜ？」

ぐしゃぐしゃとその黄金の頭を大きな手が引っ掻き回し。

「―――ヌカセ、」

「ほら。なにをどうすりゃいいんだよ。とっとと済ませちまおうぜ」

そんなにイロっぽいカオで言われても真実味ねぇし、とはゾロの胸中。



「ほお？粗塩もわかんねえくせに余裕じゃねえの」

「だから。塩くらいはわかるって」

「どうだかね」

「てめえ、泣かすぞ」

「オオワライダゼ、エロ剣士」

言葉のじゃれ合い。

ふいとサンジの目線があわせられる。

「美味く出来たら褒美を遣わす。ありがたあく受け取りやがれ」

「へーへー。せいぜい期待しとくよ」



「じゃあ、まずは。にんにくをミンスしろ」

「―――おい、」

「あん？」

「それは、何語だ？」

「さーあねぇー？」

にやりと。サンジの唇にはたしかに、邪な笑みの影。






意外そうに、サンジの片眉が引き上げられた。



｢オーケイ。味付けは上々」

マリネードソースに指先を浸し、舌先で味を確かめる。

｢てめえにしちゃ、上出来」

思いがけず、皮肉の欠片もない微笑。

｢お疲れサン」

｢―――まったくだぜ」



ばったりとゾロはソファに倒れこむ。

サンジもその隙間にすとんと身体をあずけ。

｢でな、」

｢―――まだ何かあるのか」

ゾロの腕が目許に上げられる。口許は完璧に「への字」。

｢さあ。でもてめえの得意分野じゃねえ？」

｢ンなもんはねェ」

男らしく断言する。



｢へえ？あのな、」

さわさわと。細い指が翠の髪に差し入れられる。

｢おれ。料理していいぜ？」

上体を傾け、ゾロの腕にかるく舌を這わせる。



せつな。

その腕は細い頚をつかまえ。ゆっくりと、翠の瞳がヒカリをのせる。

｢―――しらねェぞ？」

｢ん？」

その手に右の手を重ね、淡く笑みをのせるのを。そのまま頚ごと胸の上に

引き寄せ。

｢“フルコース”」

｢食後酒つきな？」

真近で翡翠のミドリを覗き込む。

｢当然だろ、」

指が、まだ何か模ろうとする唇をなぞり。それをかるく噛みサンジがちいさくわらう。

｢バーボンの味がついてやがる」

｢すぐにてめえの味になっちまうよ」







重なる唇と、鼓動。











さて翌日ホワイト･ヘブン島で、サンジの右手がバーベキューで何の役にもたたなかった

のは、また別のお話。










＃　＃　＃

akoさま、奉げさせていただきます！大概にしろっ！てくらい、あまっ、でしょうか？
いかがでしょう。まだ足りないかしら。ありがちといえばそうなのですが、そこは「定番」
ということで、ご容赦をー。きっと肉もゾロが焼かせられたに違いアリマセン。
ピクニックのお父さん状態･…。