3.
例えばヒトが、決して目にしてしまってはいけないものはあるのだろうか。
ソレを見たがために、残りの生き方がまるっきり変わってしまったりであるとか。
いっそのこと、生きていくのを止めてしまいたくなるほどのモノ。
そんなものは、あるのだろうか。

おれがそんなことを問い掛ければ。

あるだろう、とこの男は言う。
ひどくぶっきらぼうに。
ならばそれでおまえはシアワセかと聞いたら。
さあな、と返された。


例えば、おれはおまえをみつけちまった。
多分、不幸や幸福やそういったものをぜんぶひっくるめて
おれは、おまえの眼のなかに映った自分をみつけたときなにもかもがずっと……


ふいと言葉が途切れ。


そして、もうこの男は、じっと黙して何も語ろうとしない。
こいつは、言葉が縛ることを知っている。おれが、縛られたがっていることさえも
どこかで察知している。泰然としているようで、実は酷く敏いのだ。こいつは。

そしておれたちは黙り込む。

おれは言葉を待って
こいつは、空間を埋める誰かがやってくるのを待って。落とされた灯かりと、
喧騒の輪からほんのわずか外れて。


ディールに付き合わされた足でそのまま、また部屋まで連れ戻された。
10分待つ、着替えて来い。一言、それだけをオマエが言った。
「シャワーは?」
「プラス2分、」
「オマエが髪乾かせよ」
ハナサキに顔を近づけた。
おれの部屋にも寄る、だれかにやらせるさ、と。薄い唇を引き上げていた。
「どこへ行く、」
保つ距離に、心臓が音を上げかけた。
「ロビンに呼ばれているだろう、」
「ああ、思い出した。きょうが誕生日だったっけ」
それでも、なんとか口に出した。


それから、宝石を選んだ。
群青の藍。それは招かれた場の主人公の白い首を幾重にも覆い下げられた。
煌めく灯かりの下、優雅に立つ姿。
カノジョはおれのフィアンセだった。
けれどもこいつに恋をして、おれを捨てたカノジョはこいつに捨てられた。
時間が過ぎてしまえば、胸のうちに抱えていた感情はあっけなく浄化された。
多分、おれとロビンだけが持っていたソレ。


音ばかりが、周りを流れていく。
音の中で、眼を閉じた。


おまえは、他のいうことをちっとも理解できない
おれたちはきっと 死ぬまで連中のことなど理解できないだろう


だれかが歌っていた。そんな歌詞だった。


手遅れになるまえに、おれたちは別のやり方を探そう


そんなことを、ひどく不安げに揺れる声がそれでも遠い望みを託すように歌うようだった。




平凡すぎるディール
惰性になりかけたときが最も危うい
新しい取引相手、一定のルール
ペルーから来た「オシート(小熊)」、その通り名のままの丸い体躯と濃すぎるほどの光を乗せた目を
した仲介人。コロンビアから飛ばす飛行機の話をしていた。
それが、

「ミ・ロード、カンクンのビジネスの具合はいかがかな、」
メキシコ、キンタナロー州のリゾート。国内に流れ込むドラッグの通過ポイント。
「知事とは懇意にしているが」
「ああ、ルーナ・デ・ミエル(蜜月)」
言葉を受けてにやりと笑い。歌うように言ってきたオシートに、掌を上向けて見せた。
「ならばおまえの入り込む余地はあるか?」
「ミ・ロード、オシートの兄弟はカルテルを持っている。けれども兄弟ももう年を取り過ぎている」
「ならば即刻引退しろ、」
「そこで兄弟はあなたのボスを思い出した」
「……親父か、」
「シ、セニョール。」

予定調和が微かに乱れた。
「オシート。いまはおれがビジネスを引き継いでいる」
「ミ・ロード、ならばぜひあなたが会ってやってくれ」
指を鳴らした。
背後にいた影がすいと近づく。
「ディールは成立だ。2件目の話は、これにしてくれ」
言い残し、廃工場の出口へと向かった。
「あなたのメイン・マンか、」
問いかけには、ドルトンが答えていたのを背後で聞いた。
「いや、私はあの人の部下だ」

生真面目な口調が妙に可笑しかった。
そうして、南へ飛ぶのは面倒だな、と。そんなことを考えた。
メイン・マン?
いるとすればそれは、膨れっ面でバックシートにいるだろう―――



「これ、誰の?」
ぽかりと。水泡が弾けるように声が届いた。
考えに沈みこみかけた自分の、すぐ目の先に。決して澱むことのないだろう色が光を跳ね返した。
スティール・ブルー、その色味よりも語感の方がきっとおれが夢想するおまえの色に近いだろう。
しらない、と答えれば。
いかにも興味を失った風におまえが軽く首をめぐらせて誰かに笑みを向けるのを見ていた。
入れ替わり、立ち代り。


「なあ、サンジ」
なぜ、言い出したのか自分でもわからなかった。






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