クリスマスがホワイト・クリスマスになるのは、ボストンでは珍しくもないことで。
テレビでマムと見た映画の中では大層な贈り物≠轤オかったけれども、イヴの未明から降り続いている雪は6歳のコナー・マクマナスにとってはただのいつもの冬の景色≠セった。
ただいつもと違ったのは、マムがコナーのために編んでくれた茶色のミトンを貰ったその日に雪で汚すのをためらったことだけで。
「クリスマスだからってなにがとくべつなわけじゃない」
子供部屋に無理矢理押し込んである子供には広すぎるベッドに 一人で寝転がりながら、既に暗い空から雪が延々と降り続けるのを コナーはじっと見詰めながら小さく呟いた。
今年もダッドは帰ってこない。今年のミサも、マムと二人きりの クリスマス・サパーも済んだ。
サンタがいるのは絵本とテレビの中だけで、コナーのところには来てはくれない。でもだからといって騒ぎ立てるほどのことじゃなかった。
教会のキャンドルはキレイだったし。いつもよりきちんとした身形の幼馴染のエイブとルディのドノヴァン兄弟が、それでもいつものように声をかけてきて、一緒にジンジャブレッドを分けて食べたし。小さなスティックキャンディは年下のルディにあげた分、エイブと少し多めにココアを飲めたし。
寝てしまえばクリスマスなんて一日はとっとと終わってしまって。明日には積もった雪で、エイブとルディと雪合戦をして遊べるのだから。
「……どってことない」
居住区も幼稚園も教区だって離れているけれども、ロッコやチェスだって呼び出せば一緒に遊んでくれるだろう。
だから。クリスマスがいつもと大して変わらなくたって、どうってことはないのだ。

きゅ、と目を細めて、一向に弱まる気配を見せない雪を見据えて いれば、階下で電話のベルが鳴り始めた。三回コール音がした後に、マムが出て。コナーには聞き取れない早口のゲーリックで誰かと会話を始めていた。
自分には関係のないことだとコナーは判断し、読みかけの本を読みに戻った。
ホビットのビルボ・バギンズが魔法使いのガンダルフと13人の ドワーフたちと、スマウグという邪竜に奪われた財宝を取り戻す旅に出ている物語。
コナーにとっては少しだけコトバが難しかったけれども、それでも読み出すうちに引き込まれていって。ふ、と気付いた時には、窓の外は真っ暗になっていた。時計を見れば、時刻はもうすぐ9時になるところで。
いつもならばマムに急かされてバスに入り終わり、ベッドに入る時間だったけれども。今日はクリスマスだから特別なのか、それともコナーが本に熱中しすぎていたせいか。階下からマムが何かを言ってきていた気配をコナーは覚えていなかった。
一瞬このまま眠ってしまおうか、と考えたけれども。マムに寝る前の挨拶をしないでいるのも変だし、とコナーは思い直し。
ゆっくりとベッドから降りて立ち上がった瞬間、家の目の前で車が止まる音を聴いた。

「……なんだろう?」
コナーは軽く欠伸をしながら、子供部屋を出た。その途端、一瞬で冷たい空気が家の中に入ってきて。
「……マァム?」
階段を下りて玄関を覗けば、そこに立っていたのは……。
「……ダッド?」
久し振りにみる雪塗れの父親の姿だった。そして。
「……?」
見慣れないものを見た、とコナーは思った。
ダッドの黒いトレンチコートの端に、懸命に掴まっている小さな手。
よくよく見れば、外の暗闇から少し浮いたネイヴィのコートの端っこと、雪に汚れた黄色い長靴が見えた。
ちいさな子供だ、と理解する。
その小ささからいえば、エイブより二つ年下のルディと多分同じくらいの子供のはずだ。
マムを見上げれば、険しい顔をしていた。だから、ダッドを見上げて声には出さずに訊いてみる――――誰、それ?
いつもトーンの変わらない、ダッドの声が言った。
「コナー、オマエの弟だ」

 ダッドの足の影に隠れていた子供の背中が押されて、玄関の光りの中に、小さな人影が現れた。
赤茶色の髪に、潤んで、けれども見開かれた大きな真っ青の目。寒さに赤く染まった頬と、泣きそうにまっすぐに引き結ばれた小さな唇。
弟。
オレの?とコナーはダッドをもう一度見上げる。
静かにダッドが頷いて、マムを見上げる。本当に?
きゅ、と目を細めたマムの仕草から見て取れたのは肯定。
だからコナーは近付いていって、ぎゅうう、とますますダッドの コートにしがみ付いた子供の手をそうっと掴んだ。
「おいで」
冷たい、冷たい、小さな手。
じい、と一心に見詰めてくる青に、ほんの少しだけ笑いかけた。
「ちっこいの、こっち来い」
ダッドからまだ手を離せないでいる子供が、じいっと今度はダッドを見上げた。
「一緒に行きなさい」
ダッドが静かに深い声でそれだけを言った―――You go with him.
子供がきゅう、と唇を僅かに噛んでから。勇気を振り絞るかのように手をほんの少しだけ、ダッドのコートから離していた。
「来い、ちっこいの。あったかいところにいこう?」
自分の手から小さな手に、体温が全部持っていかれそうだった。 それだけ、このちっこいのは冷えてるってことなんだ。そうコナーは考えて。
またコナーをじっと見上げ、それでも、きゅ、と手を握り返してきた子供の手を引っ張って階段に向かう。
「……登るの、たいへんかな?」
階段を見上げてから、ちっこいのを見下ろす。自分の背丈の半分ほどしかない子供。
一生懸命首を横に振った子供に、コナーはちいさく笑みを浮かべた。
「じゃあ途中でギブアップ、なしな?」
一緒にオレの部屋にいこう、と子供に笑いかける。
子供が少しだけ後ろを振り向いた。腕組みをしてこちらを見ていたマムの方を。
マムの静かな声が廊下に響いた。
「面倒見てあげて」
マムの声に、コナーはこっくりと頷いた。
「ちゃんとする。だってオレの弟なんだから」
Of course I will. He's my brother.
そしてもう一度、ちっこいのに向き直って言った。
「早く行こう、弟」
 
子供の大きな目が、もっと大きく見開かれて。そして、くしん、と小さなくしゃみをした。
コナーは小さく笑って、精一杯の力で子供を抱き上げる。
「オレの大事なもの、全部オマエにやる」
階段を一歩一歩上がりながら、不思議なにおいのする子供の柔らかな赤茶色の髪に鼻先を埋めた。
足を踏み外さないよう、バランスを崩さないよう、コナーは慎重に階段を登る。くっついた先から、体温が全部持っていかれるような気がしたけれども、コナーはちっとも構わなかった。
小さな声が間近で響く。
「あぶないよ、」
まだ甲高い、心配している弟の声。
「ニーチャンに任せとけ」
大丈夫。世界がひっくり返っても離したりはしないから。
コナーは心の中でそう続けて。階段を最後まで登りきった。
「……にーちゃん=c?」
確認しているような子供の声に、コナーは頷いて。そのまま子供部屋に弟を運んでいき、ラジエターの前にその小さな身体を下ろした。
「オレ、コナー。オマエのニーチャン。オマエは、弟?名前、なんていう?」
ぱか、と小さな口が開いて。けれども寒さに悴んだ子供は、声が上手く出せないようだった。ベッドから毛布を引っ張り剥がして。何度もトライしては最終的に口を噤んだ弟を、自分ごと包んで抱き寄せた。
歯がカチカチと鳴りそうなのを辛うじて抑え、子供がなんとか声を絞り出した。
「マァ……ィ」
ぎゅ、と抱き締めたまま、上手く聞き取れなかったコナーは言葉の続きが音にされるのを待つ。
ふ、と。子供の身体から僅かに力が抜け、柔らかくなり。コナーは少しだけ腕を緩めて、子供を見詰めた。小さな声がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「マーフ、ってマムが」
じっと見上げてきた大きな目が、夏の空のような青い色をしているのを見詰め。コナーはそっと名前を呼んでみる。
「マァフ?」
こく、と頷いたマーフが、にこお、と柔らかな笑顔を浮かべたのに、コナーもにかあ、と笑みを返す。
「にーちゃん?」
「なに、マーフ?」
「マムは……?」
青い目がじっと見詰めてきているのに、コナーは首を傾げる。
「オレのマム?それともマーフのマム?」
少し潤んだ青を見詰めていれば。
「マム、きっと寒い」
そう言ってぽろぽろと泣き出したマーフを抱き締める。
「大丈夫。ダッドがちゃんとしてくれてるよ」
ぶんぶん、と首を横に大きく振ったマーフの頭を抱え込んで、漸く体温を取り戻した頬に唇を押し当てる。
「マ、ム。ハグ、しても。つめたか……っ」
うえ、と泣き出し。ぽろぽろと涙を零すマーフを見詰め、コナーはどうしていいかわからなくなる。
「マーフ、マァフ、泣くなよ」
柔らかい赤茶色の髪の毛を掻き混ぜて。いつもコナーのマムがしてくれているみたいに、目元や瞼にキスをしていく。ひく、と喉を鳴らしてさらに哀しげに嗚咽を洩らす弟を抱き締め、コナーは柔らかな髪に鼻先を埋めた。
ひぃん、と本格的に泣き出し、マムが前に編んでくれたコナーの深緑のセータを握り締めるマーフの身体を小さく揺する。
「マーフ、マーフ。ごめんな、ニーチャン、どうしていいかわからないよ」
でも、とまだ冷たい耳元に唇を押し当てて言葉を続ける。
「あとでダッドとマムに聴きにいこう?」
ぎゅ、とコナーの首に腕を回して、思い切り泣き声をあげる弟の身体を抱き締め。コナーはそうっと赤茶色の髪にキスをした。
「オレにできることなら、なんでもしてあげるよ。オレのちっちゃいマーフ」
柔らかいほっぺたにもそうっとキスを落とす。
「オレの大事なものも、好きなものも。みんなオマエにやっちまうよ」
鼻水と涙でぐしゃぐしゃな弟の顔を見つめ。首を横に振ったマーフの唇にトンとキスをした。
「オマエはオレの大事な弟だからな。これからは何をしてもオマエと半分こだ」
な?と顔を覗きこみながら、コナーはにっこりと笑顔を浮かべた。
マーフも、う、と笑おうとし。けれど涙を止めきれずに、またぼろぼろと新しい雫をその青い双眸から零した。
「オレのちっちゃいマーフ。オレはどんなときでもオマエの一番の味方だからな!」
柔らかな頬を両手で包んで。コナーは不思議な匂いのするマーフの額にそうっと唇を押し当てた。
「神さまに誓って。どんなことがあっても、オマエはオレの大事な弟だよ、マーフ」
ひっく、としゃくりをあげながら、それでもマーフはぎゅっとコナーに抱きつき。それから、そっとコナーの頬に、ちゅ、と小さなキスを返した。
コナーはがしがし、と少しだけ乱暴に柔らかな赤茶色の髪の毛を掻き混ぜてから、またマーフの大きな青い双眸を覗き込んだ。
「よし。じゃあまずニーチャンと風呂に行こうな!」
「へんなにおいする、」
「うん。全部洗って落としてさっぱりしよう!」
 くすん、と鼻を鳴らしたマーフから毛布を剥ぎ取り。
「マム、いい匂いじゃなくなった、」
「うん」
じいっと見詰めてくるマーフの頬から涙の雫を拭い、コナーはゆっくりとマーフのコートのボタンを外し始める。
「マーフのマムの分まで、オレががんばるから」
涙と鼻水と、雪とそのほかのよくわかならいもので薄汚れたマーフの鼻先にトンとキスして、コナーはコートを脱がせた弟の手を引いてバスルームに向かった。
「だからもう心配するな」
ぎゅ、と握り返された手に、コナーは小さく笑った。いままでで  一番嬉しいギフトを神様からもらったのだ、と幼心に思って。
弟のマムは、多分神さまの御許にいったのだ、と解ってはいても。コナーはそっと神さまに感謝の祈りを捧げずにはいられなかった。






以下、諸々経験しつつ高校卒業までー。

勝って設定で、二歳差の腹違い兄弟です。