Selenicereus grandiflorus






こいつからは、いつも匂いがしない、ふいとゾロは夜中のキッチンで思い当たった。

仮にも料理人ならば、身体に何かしら食物を連想させる匂いが付いていそうなものを。

そういえば、誰もがそう思い込んでいるようではあるけれども。こいつからは。

食べものの匂いはしない。



微かな煙草の香りと。

僅かに纏う香料の、記憶の底にいつまでも残るような香りだけがする。

いまも。



凪の海に碇を降ろし、入り江に停泊していた。微かに上下するような穏やかな揺れは

確かに陸に近いところにこの船がいるのだと思わせる。仲間が陸に下り、常より静かな

船内に一層それが感じられるのだと。

そして扉を開け放し、自分達は灯りを落としたこの場所にいるのだ。

ひっそりと。




待ちながら。





花の咲くのを。










3週間近く前、立ち寄った港で、市場からの最後の配送品と一緒に、腕に大ぶりな鉢を抱えて

サンジは船に戻ってきた。その唇に煙草と一緒に上機嫌な笑みを乗せて。

なんなの、それ?と問いかけるナミに向かい、これはね、不ッ細工なサボテンですけど実は世にも

美味な薬味になるんですよ、と歌うように語り。



「美味」の言葉に近寄ってきた船長には、喰ったら殺すぞオラ、と眼光鋭く威嚇してみせ。当の船長は

へえーでっけえなあ、ヘンな刺ェ、とサンジの身体半分ほどの高さのある植物をみて喚声を上げていた。

触るんじゃねえぞ、といいながらもその様子はどこか楽しそうで。



少し離れて甲板から眺めるとも無く仲間達に目線を送っていたゾロは、ふいに上げられた眼差と自分の

それとがぶつかって、ただ非常にその様が穏やかそうだったので精神の負担にならない程度に笑みを

返した。そうしたら。めったに拝めないほどの、上等な笑みが返って来たのにゾロの方が驚いた。

そんな中、この深い藍に塗られた鉢に入った「サボテン」はキッチンに居場所を定めていたのだ。



機嫌よく、土が乾いた頃合を見計らって水をやり、丁寧に世話をするサンジの姿が船に馴染み始めた頃、

その「サボテン」が幾つかの蕾らしき緑色の物を付けた。

「これの実が美味いのか?」

「そうだよ、だから喰うんじゃねえぞ」

そんな会話を何度となく、段々と大きくなる蕾の前で船長と料理人が交わし、日が過ぎていっていた。



言葉を交わし、憎まれ口を叩きあい、それでもお互いの腕の中は妙に居心地が良くて。

相手の「何か」がわかったような気がするときもあれば、永遠にわかりっこないと諦念してみたり。

それでも目が追うのは、やはり一つの姿だけで。

そんな気持になっているのは。悔しいかな、おれさまだけかよ、などとサンジがぶつぶつと「サボテン」に

語りながら水をやっていたのを偶然耳にしたのは、寝酒を取りに扉まで近づいていたゾロであったことは

余話。そしてその口許に誰も目にした事がない微笑が刻まれていた事は、ナミが目撃者となりそれとなく

サンジに伝わることとなったのは、また別のお話。










「付き合え、」の一言で、夜中の甲板で風にあたりながら眠りについていたゾロは、この場所に来ていた。

なんだよ?と問うのに、月に金髪が青に染まるような相手は、ただ一言。

花が咲くんだ、とだけ告げてきた。



「サボテン」が据えられた床の前に直に座り始めてから、はや数時間。

サンジが用意していたジンやグラッパ、ズブロッカといった強いスピリッツばかりが床に置かれた

トレイには並べられ、その間に相当な量がもうなくなっていた。



窓からの青がすべらかな皙い皮フに映り、顔立ちの陰影が強調される。星が溶け込んだような

その目は、蕾に向けられたままだった。その横顔を眺めながら、ゾロは以前自分が感じたモノの

正体に思い当たる。こいつが、内に孕んでいるもの。整った外見に惑わされがちではあるけれど

最初に逢ったときすぐ感じたあのバランスは、こいつだけのものだ。今にも切れそうなぎりぎりの

緊張。不穏な空気とそれを抱きとめる静謐。そういった物。それを掴んでみたいと思ったんだ、と。



「まだか、花」

思考を切り上げ、ゾロはグラスを床に置いた。こういうことを考え始めるのは、大抵アルコールが

許容量を超えかけた時だと自分もいい加減、学習している。外見の変わらないのも要注意事項。

自分がロクデモ無いことを言い出すのも、大抵こういうときだ、と。



サンジが目を向ける。

「まだだな。夜中にならないと」

「もうとっくに夜半は過ぎてるだろう?」



「暇つぶしでもするか?」

ふわりと。温かな息が自分の首筋をかすめるのを感じた。

「それは、やめておく、」

ゾロは言ってサンジの方へ手を伸ばした。そしてくすり指で眉をたどり、そのまま髪へと手を差し入れた。

「その程度じゃ済まないからな」

フン、とハナサキで笑い、サンジはそう言ってくる相手の薄い下唇を啄むようにした。

「どこからその自信は湧くかね?」と言いながら。

薄い布地越しに伝わる体温と、鼓動に身体を預け。

えらい無防備だな、と自嘲にも似た思いが自分の中を掠めるのをサンジは意識した。



そしてその思いも全て消えかけたころに。

「ああ、咲き出したな」

ゾロが言った。






「月下美人、っていうんだこれは。実が美味いってのは、大嘘」

床にひいた布の上に皿を置き、サンジが言った。

そして真ん中から二つに切った大輪の白い花の、残りの花弁を食べてしまった。そして言う。

「一年に一度、月夜の贅沢」



熱湯に通しただけの艶やかに咲いた花をゾロも口にした。捕えどころがないくせに、つるりと喉を

降りていく確かな質感。

「どうだ?」

好奇心を湛えた目が、まっすぐにゾロを見てくる。

「おまえの舌みたいだな」

そう言って、冷やしてとろりとさせたジンを凍らせたグラスで一口。

「言うに事欠いてそれか?挑発的な酔っ払いだな、おまえ」

サンジがひっそりとわらう。



「おまえは、」

ゾロは、自分の思考が勝手に言葉になるのをどこかで意識していた。しまった飲みすぎた、とも。

「普段、食べものの匂いがしねえだろ。料理人なのに。どこか、おまえは危なっかしい所があるんだ、

何かが、薄い」

じっと、蒼が自分をみつめてくる。

「弱いとか、言ってるんじゃねえぞ?ただ。たまに、おまえは―――――」

「なんだ・…?」

ゆっくりと、続きを促す声はとても静かで。

「すげえあっけなく、死んじまうような気がする」

サンジが、何度か瞬きをした。



「―――ゾロ?」

「悪ィ、」

発作的に、金色の頭を胸に抱え込んでいた。

「けどな、こんな浮世離れしたもの喰ってるときだけ、てめえも生き物なんだなって思えた」

「生活感がある、って言え、クソミドリ。ヒトを人外かなんかみてえに言いやがって」

抱きしめた小さな頭の先に、月下美人の膨らみかけた残りの蕾が一つあった。

長いあいだ、見つめていた。腕の中のものが、離れる素振りを見せなかったから。



「明日も、咲くのか」

問い掛けられてサンジは胸の中から見上げる。

「多分な」

強い腕の中から身体を抜き出し鉢の側まで行くと、優雅に身体を伸ばして、残された蕾に接吻した。

「ゾロ、」

言って手招きする。その横に肘をついて寝そべり、そしてまたゾロは透明な火酒を一口含んだ。

眼をあわせ、サンジは言った。

「一晩中ついていれば蕾の膨らむ音が聞こえるかもしれない」

「待ってられねえ」



「きれいな花だけどな。美人だけに世話も焼けるんだよ」

そう言うサンジに、腕をついて起き上がりすいとゾロは顔を近づける。唇の片端を引き上げるクセのある

笑みを浮かべると言った。

「おまえほどじゃない」

「おい。それ、ほめてるのか?」

曖昧な笑みにゾロの微笑が変わり。

視界が反転し、柔らかに身体の下に引き込まれていた。

その肩を下からあいた手で押しやるようにして身体を起こしかけサンジは言う。

「またすぐそうやって―――」



舌先で唇をたどり黙らせる。

「花が咲くまでの暇つぶし。いまからなら付き合うぜ?」

「ふん。おまえ、世話焼いてみるか?」

言って蒼が真近で笑みを含む。

「ああ、悪くない」








髪を梳き、口づけた。

一夜で枯れる、花などいらない。














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30000ヒットオーバーありがとうございます!!
――――なんだかな。だから明るい話書こうよ、自分・・・・・。
これが御礼ですか二矢サンや??うううう。ごめんなさい。
悪い意味で納涼的贈答品ですかしら。また「格好良い」の意味を穿き違えたんでしょうか、私??(涙)






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