*26*

気に入りの画商であるオットーのサロンで、珈琲を飲みながら一枚の絵を購入した。
パトリックは絵に興味はあまりない、寧ろいつも欲しているのは彫刻だ。
けれど、芸術品を買うのはパトロネージの発揮ではなく、ロイが言うところの“税金対策”だ。
『いえね、彫刻を買われるのはよろしいんですけれども、ボスのお屋敷の床が抜けますよ?』
そういつも顔を顰めて言われているから、パトリックが実際に彫刻品を買うのはよほど気に入った場合の時だけだった。
対して絵はドラクロワ辺りを好んだけれども、巨匠の絵を大金費やしてまで購入したくは無かった――――――――なにしろ税金対策なのだから。
というわけで、オットーが薦めてきたのは『近頃売れ筋の近代画家でございます』というシロモノだ。色使いが派手な割には、絵の中身ははっきりとはしない。
『それはモダニズムというものでございます』
モダニズム、クソクラエ。ピカソだって理解できねえよ、とパトリックは鼻で笑って、比較的ソレがなんなのか理解をしやすい室内画を購入した。
室内画――――――部屋の中に部屋の中の絵を飾る。
マジックミラーだとかを覗き込んでる気分にでもなれるか、と笑って一枚に決めた。実際には自分の屋敷にはありえない配色をした家具と壁とが並んでいる絵だった。
『この作家でありましたならば、フォービスムの絵の方をオススメいたしますが』
フォービスムはキュービズムより尖っていないものらしい。
『オンナのスカーフにでもしたら案外喜ばれるかもな』
その程度の感想しかなかった。
『ああ、あとはガキの絵本か』
ひく、とカオを引き攣らせたオットーの脇でロイがにかりと笑った。
『コドモは好きそうなカンジですね。イマジネーションが刺激されます』

一枚でも売れたらよしとしようとでも決めていたのか、オットーがとっとと選んだ一枚の絵を梱包させていた。
『いつものようにご自宅用でございますか?』
訊かれて頷きかけて、あ、と思い至った。
『猫にやるからリボンをかけてやってくれ』
そう言えば、く、とロイが目を見開き。オットーがぱかんと口を開いた。
『猫、でございますか』
『ああ、猫だ。ヤンチャで傷ばっか作ってくるが、必死にしがみ付いてくンのは、ありゃあカワイイな』
猫に絵画、猫に絵画、とブツブツと言い出したオットーの脇で、マジですかい、とロイが手でカオを覆っていた。
『お猫さまは、あのお猫さまですか、ボス?』
『ロイ、他にどの猫がいる』
短いやり取りをしている間に、がっくりと項垂れたオットーが、立派なサテンのリボンを店員にかけさせていた。
『よぉ、ロイ。これを猫の部屋にかけたら、腹立ち紛れに爪立てると思うか?』
『そんなお元気がありますでしょうか。むしろ為されるのならば、足で踏み抜くかと』
ひぃいいい、とオットーが口を抑えて固まった。
けれども商売人の性なのか、『万一がございましたら、当ギャラリィまでお戻しくださいませ。修復係を呼びつけます』そう至極熱心に訴えかけてきていた。
『まあ破けたらそれまでのハナシだな。オレの気に入りでもない限り』
そうロイに告げたのは、ギャラリィからの帰りの車の中でのことだった。

一昨日から昨日にかけて、ルーシャンをたっぷりと調教した。
泣かせて、強請らせて、自分から腰を振らせて脚を広げられるようになるまで、根気よくルーシャンを“躾けた”。
ルーシャンは、拓かせてみれば随分と具合のいいガキで。プライドの高さが鼻持ちならないが、それさえ折れてしまえば随分と“可愛らしい”モノだった。
なにより快楽には従順で、クスリや香の類が効き易く、しかも非常にセンシティヴで身体は直ぐに音を上げた。まるでファックをしらないガキのように、キツいキスと手の動きだけで、ルーシャンはあっという間に快楽に達してしまうことができた。
どこか擦れたような声は耳に心地よく。涙を零し表情を歪ませたルーシャンは、十分に観察して楽しめるだけの美しさを持っていた。
そして、仔猫と呼ぶに相応しいだけの“愛らしさ”も。
離さないで、と泣いて縋りつき、自ら唇を合わせてきた時の仕草といえば、純情な少女よりも可憐だった。自ら腰を振り、締め付けてくる内側は、高級娼婦のソレのようにパトリックを締め付けて離さないクセに、だ。

『パトリックさまは、打算的なお相手とは数回しか保ちませんからねえ』
そういつも言ってくるのはロイだ。
執事のウィンストンに到っては。
『ご主人さまは不慣れな方を相手するのがご面倒な割には、純情な方がお好きですからね』
そうロイよりドライに言い切るほどだ。
二人揃って言うには、『恋を為されるほど、パートナに興味はございませんけれども』
だ。
確かに、自分は恋をしないだろう、とパトリックは思う。
惚れた、と言い切れる程相手に心酔することはないし、恋をしている、という程に自分の心が浮つくことはない。
ヒトとしては欠陥品だ、と言われれば、パトリックとしては肩を竦めるしかない。30代で一大マフィアのトップに為るには“ヒト”なんかじゃとてもやっていけないだろう、と。
執着心は弱みになる、いざとなれば親も腹心も家人も友人も見殺しに出来るほどでないとやっていられない――――――親を食って、家人を騙し、友人を利用して、腹心を身代わりにする。それくらいの心意気がなければ、とてもこの時代にグローバルに手を伸ばして伸し上がっていくことなどできない。
恋人や最愛は、最も効果的な脅しのネタだ。
自分のコドモは、さらに厄介な火種の元で、厄介事の種だ。
だからパトリックはオンナとの関係にシリアスにならなければ、長期間に渡って発展させたりもしない。そんな相手は見向きもしてこなかった、どのみち“大切”にできるほど自分に時間的、精神的余裕があるわけでもないし、束縛されてもヨシというほど相手も従順じゃない。
パトリックの内側にあるのは、精々ペットを可愛がる程度の愛情と余裕――――――それ以上は求められてもどだい無理だし、求めらることすら鬱陶しい。
ましてやそんな扱いをされた上で、巻き込まれて死ぬかもしれないということに、果たして“諾”というニンゲンがいるのだろうか――――――いれば相当“クレイジィ”だと、パトリックは考えている。

自分の若い頃からの知り合いで、今はパトリックの腹心なんかを嬉々としてやっているロイや、ご主人様のご面倒を見るのが私の務めでございます、と真顔で言い切るウィンストンにしたって、十分オカシナ連中だ、と認識していた。
二人や、例えばニコールなどにも、自分自身が彼らのことをどう考えているか率直に伝えたことがあったけれども。帰ってきたのは色々な表現ではあったけれどもにたような回答で。
『ヒトは死ぬときは空から飛行機のパーツが落ちてきたって死ぬんです。だったら努め甲斐のある職場で好きな仕事をして好きなだけ働いて死ぬことに、なんの悔いがあるんです?』そういうような言葉だった。
パトリックは、いざとなれば誰を蹴落としてでも自分が残ろうとするニンゲンではあったけれども、感謝を忘れたこともまたなかった。特にそういって面白がって自分の側に居てくれる連中には、出来うる限りのチャンスで礼をすることをしてきた。
自分に忠誠心を誓ってくれる末端の部下にさえ、休暇を与えたり、レクリエーションの場を提供したり、子供の学費を出したりして“感謝”の気持ちを伝えてきた。
だから――――――パトリックがボロボロに精神を食い散らかした仔猫のために、ギフトを用意するのもまたアタリマエのことだった。それがたとえ気紛れの結果であったとしても。
そしてそのギフトをなんといって受け取るのかは、受け取り手の自由だ。そんなところまで自分の意思を押し付ける気など、パトリックにはなかった。迷惑料だと思うならば、そう思えばいいし。気まぐれだと思うのならば、それもいい。手付金だと思うのならばそれでもよかったし、慰謝料と取るのだったら、それもまた構わなかった。
仕出かしたことには代償が着くのは個人同士が衝突しあって生きているこの世の中ではアタリマエのことであったけれども、ココロの内側や感情は金銭にはならない。それで相殺できると思うのならば、それに充てればイイ、ぐらいには思うけれども。感情の代償としてモノを与える、という行為はパトリックの中では起こりえないことだった。
ロイやウィンストンに“好意”を返せるのは、それだけのものを彼らがパトリックにくれているからだった。
プライドを圧し折った仔猫に支払うべきものは絵画一枚などでは事足りないどころか、引き合いにもならない筈で―――――たまに別れたオンナなどの中には、『慰謝料としてイタダキマス』といって宝石や美術品などを持っていくニンゲンもいたけれども。そんな下衆な考え方しかできないニンゲンは、用なしだった。
パトリックは金銭に厳しいニンゲンではあったけれども、だからこそ、不明瞭な“感情”やら“心の傷”などと言うものに“値段”をつけられないと考える性質だった。金銭に置き換えた時点で、“そんなもん”に自分自身がなってしまうからこそ―――――実際の労働力や拘束時間などとはちがって軽々しくは“支払えない”と思っていた。
だから、軽い気持ちで絵画を買ったはいいものの、実際になんといってルーシャンに渡すかは考えていなかったし。ルーシャンが絵を見て不愉快になって枠に収められたキャンバスに蹴りを入れて絵に大きな穴を開けても、それで “気分が晴れる”のだったら、そういう価値のものなんだろう、と思い切れる思考をしていた。そもそも他人にプレゼントしたものならば、それをそのニンゲンがどうしたところでパトリックにとっては管轄外の問題だった。ましてや買った絵画をルーシャンにプレゼントしようと思ったのはほんの気まぐれで。まあ気晴らしにでもなればいいか、ぐらいにしか思っていないから、実際にどれだけの大枚を叩いてパトリックが買ったにしても、気まぐれで与えてみようかと思った分ぐらいの価値しかその絵にはなかった。

「ほんとーに、その絵、ルーシャンさまにさしあげるんですか?」
屋敷の中の廊下を歩きながらロイが言ってきたのに、パトリックはうっすらと笑った。
「なにか問題でも?」
「やあ、まあ。その絵を売り払うだけで、あの方がパトリックさまに支払わなきゃいけない分だけの申請はできるとはおもいますけどね。なんたって現代美術の巨匠の一人の作品ですし」
「屋敷から持ち出せなくてここに置きっぱなしならば、たとえどんなに世界で価値があるモンだとしても、ここではゼロに等しいだろうが」
「ま、そう言っちゃったらそうですけどぉ」
ドアの前で立ち止まったパトリックに、ルーシャンが首を傾けた。
「今日も最後まで抱かれるンですか?」
「はァん?」
「今日も点滴でしたよ。水はお飲みになれたので、栄養剤だけですが」
今日は手でしたよ、腕は両方点滴の穴だらけですで。このままずっとお食事を取れないようでしたら、脚とか腿とかにも移さなきゃいけませんね。そう告げてきたロイに、肩を竦めた。
「まだ暴れるのか」
「いえ、もう暴れるのは無駄だと漸くご理解いただけたようでそれはしませんけど。泣きそうな顔をして、いやだ、って縋るように仰ってくるだけですかね」
「ふ、ン。心理が気にはなるな。まあどう思っていたとしても、オレに添うようにはさせるがな」
「ボスならそうできますでしょ。お抱きになるのなら、細心の注意を払ってあげてくださいね」
いま抱かれたらタイヘンですから、と言ったロイの頭をぐしゃりと撫でて。
「今日はただの見舞いだ」
そうパトリックは言った。
「一日で回復できるような抱き方はしなかったからな―――――残り数十日、しっかり楽しめるように馬鹿な無茶はしねえよ。壊すのが目的じゃねえし」
ロイ、オマエはだから今日はオレがこの部屋を出るまで休んでろ。そう言ったパトリックに、ロイが笑った。
「ほんっとボスって案外お優しいんですよねー。言動とか、そうは思えないことが多いんですけど、結果をみればね」
すい、と歩き出したロイの後頭部を叩いてから、ルーシャンを隔離している部屋のドアを開けた。相変わらず猫の姿は客用リヴィングにはなく。
「また床にでもいたら、天井にでもこの絵を貼ってやるか」
そう薄く笑って、ベッドルームへと続く扉にゆっくりと手をかけた。

ドアが開いてみれば、ルーシャンはライティングデスクの椅子を引き摺っていったのか、アップライトの背凭れに身体を縮みこませて座っており。
ゴン、とフレームの角がドアに当たった音に反応して程よく色っぽくやつれた猫が、太陽の下でほへえとしていたのが、ふい、と振り返り、パトリックが大きな荷物を手に持っているのを見止めて、こくん、と首を傾げていた。
く、と片眉を跳ね上げて、点滴の作用なのか痩せてやつれている割には少し浮腫んでいるようなルーシャンを見遣ってから、ざ、とドレッサーの椅子を引いて対面に配置し、その上にトン、と荷物を置いた。
「退屈だろ」
薄いグレイのシルクの布に、深紅のサテンのリボンがかかった細長い馬鹿でかい荷物の縁を、ぽんぽんと叩いた。
押し黙り、じっと大きなブルゥアイズで見詰めて来るルーシャンに、すい、とパトリックは肩を竦めた。そして、ざ、とサテンのリボンを解き、ぱら、とシルクの布を表面から落とした。
「見舞いだ。あとでロイに言って、好きなとこにでもかけてもらいな」
「―――――――マティス、」
ぽそっと呟いたルーシャンに、ふン、とパトリックは視線を上げた。
「スキなんだ?」
そう極めて“フツウ”に訊ねてきたルーシャンに、くう、と眉を跳ね上げて、パトリックは薄く笑って応えた。
「オマエが好きならそれでいい。オレはオマエが喜べばそれでいい、ルーシャン。まあオマエがキライなら、部屋のどっかに飾ってダーツの的にでもするがな」





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