28.Scud

とくん、と。
最後の“神に愛されたものであった印”、ジェイクの最後の鼓動が、ながく自身の内に響き渡り残響し、そのかすかなエコーさえどこまでも甘美に、静かに内に棲まう闇に吸い込まれていった。
ぐ、と感じ取れぬほどに微かになった温もりを腕にきつく抱きしめ、スカッドが目を閉じたままで深く、密かに息を吐いた。
刹那、すべての事象から遠く離れ。すぅ、と影よりも濃い闇に包まれる気がした。ただの闇ではない、意思を持つ太古からの暗がり、その暗黒。ヒトであったころなら本能が畏れたであろうソレは、けれど。いまは慰撫するように柔らかく包み込もうとする。
どうすれば“チャイルド”を創り出せるのかなど知らなかった。けれども混ざり合い、溶け合った“古い血”はスカッドの飲み干したものに歓喜した。その喜悦の深さ。
唇を濡らし、牙を立て、咥内に熱く溢れた赤に、自分のソレが混ざっているのをスカッドは感じ取り、大丈夫だ、と思ったのだ。不意に。そして確信した。これが正しい“愛し方”であるのだと。

鼓動の絶えた身体を抱きしめる。
力をなくした腕が、スカッドの背中から滑り落ちるのを感じ。は、と短く喘ぐようにスカッドが埋めたままでいた首元から顔を上げた。
てらり、と口元が赤に濡れているのを自覚するより先に、誘われるままに舌で赤を舐め取っていった。その微かな生命の名残にさえ、身体が震える。
吸血をしている最中は感情の交感があることは……知っているつもりだった。
捕食者として最初のイノチを手に掛けたとき、飢えに苛まれていてさえ意識に直に流れ込んでくる恐怖にスカッド自身が酷く怯えたことも。ソレがほかでもない、自分の糧の感じていた恐怖だと知ったときの悲憤も。
けれど……このときほど深く、一度に想いの重なりあい、流れ込んできたことは無かった。
ジェイ、とスカッドがまだ仄かに温かい唇に口付ける。
「Hey, Jay. I truly love ya」
なぁ、ジェイ。ほんと…あいしてんよ。
ぎゅ、と抱きしめ穿たれた牙痕に口付ける。

もう、謝らないよ……おれ。
あんたの記憶も、おれのなかにいまぜんぶ、ある。
だから。
あんたが出生をどれほど憎んでいたかも、どれほど……さみしいコドモであったのかも。
誰からも腕を差し伸べられず、誰へもその腕を伸ばそうとはせず。
そして―――そんな思い出のなかに、おれの居場所がちゃんとあったことも。あんた、おれのこと覚えててくれたんだね……“おれ”だってことはわからなかったみたいだけど。
初めて、あのチビの手を握ったことも…流れ込んだこどもの体温も、あんた、覚えててくれたんだね―――。
もう一度出会えてからのことも、あんたがおれのこと“バカ”だって苦笑交じりに思ってくれてたことも。
おれが“いなくなって”からのあんたの行動も、想いも……ミナウの、イシュの最後も。
ジェイ……

ほとり、と。朱色の雫がジェイクの頬に滴り落ち、スカッドが瞬きした。
―――血の涙。
は、とスカッドが力なくわらった。
デーモンにより近いものである証が、自身の眦から零れたことにスカッドが唇を笑みに歪めた。
ジェイ、あんた、すげぇや……あんたの残りの半分のカケラ、おれ、喰っちまったんだ……?
もう一度、抱きしめ。
つきり、と背が痛みを訴えてくるのにスカッドが眉根を僅かに寄せた。痛みと喜悦の鬩ぎあう表情で。
その背中の痛みが、先刻の記憶を簡単に揺すっていく。
血を飲み干す間に、ジェイクの爪が背中に立てられたことと。その力が、不死者であるはずの自分を傷つけることのできるほどの強さであったことを。ジェイクの内に在る半分、呪われたもののもつ力で。
浅く深く、背を抉られるたび、幾度も喜悦が引きちぎれるほどの高みに引き上げられたことも。
そして、間近で見つめる蒼が、その色味を真紅に幾度も変えていたことを。
その血色に、恍惚となった。その同じ色を飲み下し、自身の飢えを埋めていきながら。死に至る喜悦と、生まれ出る苦しみとが鬩ぎあうような色に目を奪われた。

「ジェイ、」
そうっと呟き。乱れた寝台の上にその身体を横たえ、室内をスカッドが視線で薙ぎ。
静かに寝台を降りると脱ぎ散らした衣服を拾い上げ纏いながら、床に落とされたままの銃やナイフを見やった。それに触れることは……狩られる者であるスカッドには出来ない。
けれど、呪われた存在と生ったハンタァは―――?
思いに、ふる、と小さく頭を振り、スカッドが呼吸を止めたジェイクの身体をリネンに包んだ。
なによりも大事なものをそうっと抱き起こし、頬に唇で触れ、抱き上げ。静かに室外へと出て行った。


広間へ通じる長い廊下を行く間にも、城にいた吸血鬼たちの灰となり散った亡骸さえもう残されてはいなかった。纏っていた衣服さえ炎に舐められるように跡形もなく。
倒された豪奢な家具や砕け散ったガラスや……壁に散った血痕、ヒトのものだった、だけが引き起こされた一瞬の殺戮の様子を伝えてきていた。そして、くっきりと残る残響だけが。幾多もの悲鳴と、冷笑と。この城のエルダー、カテリーナのソレは残されていなかったことに、スカッドが微笑んだ。
レディ・L、あんたも死にたがりのエルダーの一人だったんだ……?と。

この城へ到着してすぐに、きん、と目の奥が痛み。
僅かに眉を顰めたスカッドに向かいルジェが秘めやかに微笑み、領主であるカテリーナもちらりと眉を引き上げていたことを思い出す。
『おや、さすがにミナウのこども……おまえは深く感じとるのだな。おまえのいま感じ取ったのは、この城の地下で処刑された裏切り者の哭き声だ。あるいは、生きながら地下廟に葬られ、未だ死すら望めずに呪い続けているわたしの同族の声』
くぅ、とカテリーナの長い白い指が、足元を指差していた。
『わたしの城にはね、寵愛されし者。同族のための処刑場がある、』
ルジェが、ふわりとスカッドの耳元に顔を寄せ、囁いていた。
『イシュの方が慈悲深いわ、イシュの屋敷には“温室”があるだけだもの』
『麗しいルジェ、死に変わりは無いよ』
それが刹那に齎されるか、じりじりと足元に近づき己を舐め上げていくかだけの差、と。カテリーナは笑っていた。

「レディ・L―――ジェイは慈悲深いよ、殺しを愉しまない」
そう小さく呟き。
そして、消え行かずに音として留まる呪詛の満ちる中を、スカッドは軽く眉を顰めただけでまっすぐに進んでいった。城の地下へと。

                                * * *   

足元に墨色をした煙が上がってくる錯覚に惑わされないよう、スカッドが眼差しを僅かに強め。

固く封印されていた石扉を押し開き。足元に広がった暗闇に瞬きした。澱んだ空気がふわりと立ち上り、それが酷く湿っていることに小さく息を零した。
「おれ……ネズミって嫌いなんだけど、」
軽口を零し、急な階段に躊躇うことなく踏み出し。地下深くまで続くソレを降りていった。
侵入者に、生きる死者たちが声もなく叫ぶなか、スカッドはまっすぐに奥へと進んでいく。より闇の濃いほうへ、と。何の灯りがなくとも、石張りの通路から左右に細かく道が分岐していくのが見える。ふ、と思い当たった。この城は、おそらく。地下墓所の上に建てられたものなのかもしれない、と。

そして、突き当たりの、つるりとした扉を開ければ其処に処刑場があった。
大きくくり貫かれた井戸の底の様な、円形をした黒御影石で壁を覆われた部屋。そして、井戸の底から仰ぎ見るように、遥か遠い天井は丸く開かれていた。陽がおちたばかりの色を示す夜空に向かって。
何のためらいもなく、スカッドはするりとその小さな扉をジェイクを腕に抱いたまま潜り抜け、後ろ手に扉を閉じれば。
ほんの髪一筋さえも通らないほどの境と、ぽつりと小さな鍵穴だけを残して扉は壁と一体となった。

ふぅん、と少しばかりスカッドが感嘆する。
これは、鍵をもっていなかったら、ちょっとドキドキするね、と。手の中の鍵を小さく鳴らす。地下入口にあった小部屋に掛けられていた幾つものなかからアタリマエのように“古い血”が選びだしたモノ。
そして、どこかのんびりと優雅に壁にもたれかかって腰を落とすと、ジェイクを膝の上に横抱きにする。

身体が温かで、満たされているのがわかる。
満たされているのだ、譲り受けたジェイクのイノチで。
―――酷く単純に嬉しくなる。
満たされて、幸福で、あいされているのがわかる。
ジェイクは、愛情のことはまったく知らないから、スカッドに全霊をかけて寄越した感情がまさにソレだと、いまは気付いていないけれども。

「ジェイ、」
ほわり、と呟く。
気持ちがいいよ、おれ。あんたにイノチもらって、お腹いっぱい、ってやつ。
あんたに抱かれたのも、すげえ気持ちよかった。
あんたに比べたら、何千年生きてようがローマ帝国生まれだろうが古代エジプトだろうが、エルダーのなんてどぉってことねぇや。
ふふ、とスカッドがわらった。
“生きて”いたころに、何度かジェイクが眉を顰めた口調に独白が知らずに戻っていたことに。
ジェイ、とふわふわと幸福なままあいするものを抱きしめた。
……だからさ。

「起きたらもっとすげえのしようナ」
ふにゃ、とスカッドがコドモめいて微笑み。ジェイクの唇にそうっと触れるだけのキスを落とした。
そして、ふ、と柔らかく眠りに包みこれていった。




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