9.Jake

『何故我らを殺す、ハンタァ?我らがヒトを殺めたこと非ず。ヒトを危めたこと非ず。ミナウやヴェロニシュカのように戯れにチャイルドを作ること非ず。我ら“クリシュナの血統”はヒトと契約しその血を金で購う。故にオマエの敵ではない筈だ、ハンタァ!!』
目から血の涙を零した女吸血鬼は、崩れ去った仲間の灰を握り緊めて憤怒に満ち溢れた絶叫をハンタァに向けた。
リヴォルヴァを見事に開いた豊かな胸元に向けて、ジェイクは首を傾げた。
『悪魔がこの地に住まう権利がないからだ』
カ、と見開かれ、闇よりも黒い双眸がジェイクを睨みつけた。
『それはオマエも同じだろう、ハーフ・ブリード!!地獄から追い出され、天から拒まれ、ヒトに疎まれている貴様こそ、真に呪われたモノだ!この世のどこにも居場所の無い憐れな呪われしモノ!!』

そんなことは解っているさ、とジェイクは無人と為った古い屋敷が燃え落ちていくのを見詰めながら呟いていた―――――“クリシュナの血統”だと名乗る吸血鬼一派の最後の一匹、マルグリッドと呼ばれていたモノに返した言葉と同じソレ。
『解っているさ。この地の最後の悪魔を屠ったらオレも消える―――――もしくは誰かがオレを首尾よく仕留められたならな』
遠くから消防車が近付いてくる音を耳が拾い上げ、ジェイクは燃え盛る屋敷に背を向けた。
裏門の脇から抜け、少し離れた林道に停めておいたレンタカーに乗り込み、街中へと車を向ける。

見知らぬ国の道も闇に沈めば、どこでも一緒だ、とジェイクは思った。
どこに行っても景色は変わるようでいて変わらない―――――神の創造と、ヒトの建造と、悪魔の改造があるだけだ。
ヒトはジェイクを疎み、悪魔は揶揄する。天使がいたらきっとジェイクを拒絶するのだろう。自分が誰にも望まれていない存在だと理解したのは、脳に刻み込まれた最初の記憶だ、だから今更そう告げられても、ジェイクの心は痛まない。けれど……。

柔らかな笑顔をヒトツだけ、思いだす。
ジェイ、と歌うように甘い声で呼びかけながら、見上げてきたスカッドの記憶に染み付いた表情。ジェイがなんであるかを知っても、変わらず見詰めてきたブルゥグレイアイズを、叶うことならばもう一度だけ、見つめてみたいと思った―――――彼を狩るモノとなった今、同じだけの情を向けられることはないだろうと思っても。

デーモンも、ヴァンパイアも、同じようにジェイクに訊く、なぜヒトの味方をするのか、と。
ジェイクの答えはいつでも同じだ―――――天が神の領域で、地獄が悪魔の領域ならば、例え神と悪魔の実験場、もしくはゲーム・フィールドであったとしても、この世はヒトの領域だ。天は最初にジェイクを見放し、悪魔は次いでジェイクを突き出し、この世はジェイクの存在を疎みながらも、それでも仮の居場所をジェイクに許している。ジェイクはヒトに味方しているわけではない、ただ悪魔を排することによって、いってみれば賃貸料を払っているようなものだ。それがジェイクをここまで“育てた”連中への“支払い料”だから。

自分が神の手駒なのか、それとも悪魔の手駒なのか、ジェイクには解らなかった。自分の中の、どちらの部分がより大きいのかも。
正直に言えば、神と悪魔がその“子”らを使って賭けをしているのだとしても、それもどうでもよかった。いずれ死んだとして、その後どちらへ回されようと――――無に帰したとしても、それすらもどうでもよかった。
ただいまある自分を何かに使わないと“生きて”いけないから、悪魔を狩るモノになっただけだった。それ以上の意味も、理由もなかった。

真に呪われたモノ――――オンナの声が残響する。
その通りだ、だから何だ、とジェイクは思う。生れ落ちた瞬間から、いやもしかしたら生まれ出る以前から呪われているとして、だからどうなんだ、と思う。
その事実を知ったからといって、“いま”が良くなるわけでも悪くなるわけでもない。味気ない“毎日”の連続になんら影響を与えはしない。“同属”を屠ることによってより呪われるとしても、それがどうした、と思う。ジェイクに“望み”はないのだから―――――。

古びたホテルのパーキングに車を停めて、焦げ臭い服の匂いに顔を顰めて借りた部屋へとアンティークの域に入りそうなエレヴェータで上がっていく。
疲れたし、早く眠りたかった―――――“自分”を維持することに手間が掛かるのは、果たして誰の呪いだ、とジェイクは思う。そういえば、悪魔も“自己”を維持する必要がある。そのために躍起になってヒトを喰らい、魂を啜り、存在を繋いでいくのだから。
だとすればそれは“神”の呪いか―――――あるいはそれこそが、灰色の目のオトコの言うとおり“祝福”なのか。

がちゃ、と扉を開けて、ジェイクはぴたりと足を止めた。
さして広くないベッドルームとバスルームしかない部屋の真ん中に、落とされていた白いリネンが目に入ったからだ。
ベルトから下げていた銀のナイフを引き抜き、後ろ手に扉を閉めてから部屋をゆっくりと見回す―――――なんの気配も感じなかった。
そっと一歩を踏み出し、リネンを拾い上げる。ベッドの下を覗き込んでも、その低いスペースの下には何もなかった。

ベッドメイクを拒否したためにヒトが立ち入ることなく、開きっぱなしになっていたカーテンの間に嵌ったガラスの外を見遣った。夜明け間近の漆黒を弾くように、そこには自分の姿しか反射していなかった。
それでもジェイクは近付いていき、鍵が閉められていることを確認する。目を細め、ふ、と手の中に持っていたリネンの匂いを嗅いでみた。覚えのある爽やかなグリーンノートに、ほんの少しだけ重く甘いサンダルウッドの混ぜられたトワレの移り香。
そして、目の端に飛び込んできた“跡”に、ふ、と笑いを零す―――――8階にある部屋の窓の外側に残された手形は、ヒトのものであるわけもなく。かといってこんな風にしてジェイクにその存在を“示す”必要のある存在が在るとしたらたったヒトリしか居らず。

「……スカッド」
その名を呼んで、くくっとジェイクは笑った。ナイフを鞘に戻してガラス越しの手形に手を重ねて、コツン、とガラスに額を押し当てる。
キン、と目の横が痛くなる―――――ヴァンパイアの痕跡を嗅ぎ取ったときに現われる症状。
来訪がなんのためのものだったか解らなかったけれど、スカッドが“生きて”この街に居ることが、嬉しかった。

「オマエ……バカだろう」
呟いて、目を閉じた――――きっと、スカッドはこんな風に“自分”を残していく気などなかったはずだ。
感情の起伏が激しくて、随分とウッカリ者だったスカッドの手形が、埃に薄汚れたこの窓に残されたのは、きっと偶然でしかない。リネンを乱したのも、狙ってしたことではないのだろう。

「リネンはフロアに落としていくクセに、鍵はかけたのか……」
中途半端に抜けたスカッドの行動に、ジェイクは人知れず微笑みを浮かべていた。
そういえば、スカッドは随分とバカなところがあった、と思い出して。

仕事帰りのジェイクを、コーラを飲みながら待っていた夏の日。飲みかけていたのも忘れて、近付いていくジェイクを見上げて『ジェーイ!』と片手を振り上げ、口許のコップを傾けすぎて自分の胸元をびっしょりと濡らしてしまったこと。
あまりのことに足を止めたジェイクを見上げて、へへ、と笑い。『びしゃびしゃだ、』と言いながら、コップを投げ捨てて、カットソーを脱ぎ、ばたばたと振って散らしてから、絞ってさらにその染みを広げていたこと。
その甘ったるい匂いをクンと嗅いでから、もと通りに着込み。呆れ返っていたジェイクをちらっと見上げて、『わるくないかもナー?』と、にかあ、と笑ったこと。

階段を踏み外す、足元に自分で置いた荷物に躓く、ソフトクリームを垂らす、壁に手足をぶつける……それはいつでもジェイクだけを見上げていたから起こったことだった、と。思い出すたびに気付かされた。
コドモのような熱心さで、ジェイクの一挙一動を覚えこむように見詰めていたスカッド。
なぜそんな風に見詰められるのか、理由はジェイクには解らなかったけれど―――――鬱陶しいフリをしていたけれども、そのことが本当は自分は嫌いじゃなかった。

今日、スカッドがジェイクの許を訪れた理由は解らない。
彼を見付けたならば、自分は彼を仕留めなければいけない、けれど―――――。

リネンを握り緊めたまま、古いホテルだけに開閉可能な窓を大きく開いてみた。
キン、と冷えた空気が、一気に入り込んできて、ジェイクは目を瞬いて闇を見詰めた。
その中で自分を見詰めるモノも、動くモノもなく。しばらくジェイクは窓辺に寄りかかって闇の中を目を凝らして見詰めてみたけれども、ただ夜明けが遠くから広がっていくだけになったところで、窓を閉じた。

胸の中に広がる何種類もの感情が起こっているのを認識しながら、ジェイクはベッドに寝転がって目を閉じた。感情の分析は諦めた―――――答えが決まっているのならば、考えるだけ無駄だ、と思い込みながら。



10. Scud

戯れに其処此処に灯された燭台の光が揺れる窓の無い広い主寝室は時間の感覚を失わさせ、時を経た調度品に囲まれたその場所は時代の境を狂わせていく。揺れる灯りに照らされ遠く壁に映る影はなくとも、密に重い空気は二つの姿を包んでいた。
ぎしり、と寝台の軋む音と押し殺そうとした懸命さが密やかに滲む喘ぎが重なり、手指の立てる濡れた音と、とろりと絡まりあい溶け込んでいっていた。

「―――愚かなこどもだ、…ハンタァの元にまで出向き、始末して来ないとは」
眦に涙を乗せ揺らぐようだった一層深い色味みに変わった蒼が、自分に合わせられたことにイシュトバーンが口端で微笑んだ。組み敷いた“オーファン”の色づいた唇が何かを語ろうとするのをとらえ、けれどそれを短い嬌声に変えさせながら熱い内を一際抉るように下肢を引き上げさせ。眦から零れ落ちた雫を舌先で味わい、耳元で囁く。
「クリシュナの血を継ぐ一族を滅ぼしたぞ、オマエのハンタァは…スカッド」
びくりと震える体躯を片腕に抱き、イシュトバーンが続けた。
「あの者たちはオレの同胞ではないが、古い血を持つもの達ではあった」
スカッド、と囁く。オマエにも聞こえたのではないか?あの一族の断末魔が。オマエのハンタァに倒された者たちの声が、と。
は、と短く喘ぎ、震え。腕の中のものがそれでも懸命に頭を横に振るのを見つめ、イシュトバーンは小さくわらった。

「まったく強情だな、オマエは」
高め、幾度も極みまで引き上げ、懇願させ。それでも解放を許さなかったスカッドの身体は酷く「熱く」、それが自分を悦ばせていることにイシュトバーンがうっすらと微笑んだ。本能と衝動に彩られ、煙るような色合いの蒼は幾度も色味を深く変えていき、いま、このオーファンがもっとも求めているものを言葉より如実に伝えてくることも。
そう、愉しい、と時を生き過ぎた存在は滑らかな首筋にうっすらと牙を宛がった。
指先は唇を愛撫し、犬歯にそうっと指先で触れ。内からも外からも絶え間なく爪弾かれた身体が震えるのを味わう。

「欲しいか、」
柔らかな声で訪ね、肌を薄く牙で穿てばしなやかな脚がきつく回されてくるのにイシュトバーンが片眉を引き上げ。いいだろう、と呟いた。
深く牙を首筋に埋め、熱い内を奥深くまで刺し貫き。喜悦に震えたオーファンの牙が指に立てられ、熱い舌が絡み取るように含んでいくのに口元が笑みを象り。
その間にも、転化してまだ10年にも満たないオーファンの血をその感情ごと味わう。本能のままに“エルダー”の血を何の躊躇いもなく呑むその愚かで無知なこどもの想いごと。もつれ合い、混沌とし。けれども自身の追手だけを欲し、同族を憎み敵対者のみを愛している子供。ヒトの血を拒み、エルダーのソレのみ求める寵愛されし者。

その恩恵は、オマエを追うものにとっては最大の呪詛であるのにな、と。数少ない“エルダー”の子供にだけ許された行為をごく自然と求め、享受していく愚かな遺児。
ミナウ、とイシュトバーンは心の内で友人であった美しい女を思った。貴女はまったく大層な現具をオレたちに遺したものだね、と。この子供はハンタァにとっての罠には違いないが、……オレたちにとっても同様に酷く魅惑的で抗いがたい罠だ、と。

滴る雫が絹を濡らすほどに牙を一層深く埋め。引き起こされる波に噛み締めることの出来なくなったオーファンの唇が甘く声を洩らすのを聞き、そしてその声が吐息混じりに一人の名を呼ぶのに、奥を深く突き穿ちながらイシュトバーンが低く喉奥で笑った。
なるほど、オレはそのモノに謝意を述べようか、もしまみえることがあるならば、と。




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