YES I LOVE YOU



「なぁー、」
声に出す。
「なぁなぁなぁなぁなぁ」
「ウルサイ」
「なぁ、コナァー、なぁー、なぁってコナー」
「黙って本も読めない哀れな子羊か。おまえは」
隣のベッドでペーパーバックを相変わらずコナーは読んでいる。さり、とざらついた紙が捲れてく音がする。
このどえらい王様が『ウルサイ』と言ったせいでおれはテレビを音声ナシで我慢してみてやってるってのに。
感謝がたりねぇ、このクソアニキ。あいしてンぜ。
「哀れでも子羊でも子ヤギでもヒナギクでも何でもいいけどよぉー」
「一々語尾延ばすなよ、ヒト以外のものと喋ってる気がしてくるじゃねェか、それにヒナギクってのは止せ、何がなんでも薄気味悪ィ、ミセス・ベリンダのベリィ・ダンスくらい萎える」
「うわお」
「イエス、考えろ、想像しろ”ベイビィ”。齢60を迎えるチャーチ・ウーマンがケツと同じ太さの腰、つか腹をくねらせて淡い色のシフォンからはばさばさのヘアが覗く」
「……うわえお。」
「萎えたか」
どこか威張った風なコナーにおれは遠慮がちに抗議する。
「いや、その配慮は泣けそうにありがたいンだけど、……サカッテタ訳じゃねェんだけど、おれ」
お?という風にコナーの視線がここで初めて行間から上った、辛うじて壁には。まだおれのことは見ねェけど。

「みゃあみゃあ言うから春ネコくらいにはキてンのかと思ってた、そりゃ悪かったな」
すらすらと言葉が出てくる。
誰かが、大抵オンナノコたちだ、たまに誤解する。『コナーは無口なヒト?』ってね。そういうときは、おれはにっこり笑顔でこう応えることに取り決めている、他でもない コナー本人と。『どうだろう、本人に訊いてみなヨ?』
どえらいキング曰く。『てめぇから声かけるガッツもないようなオンナに用は無い』あらま、ご尤もなことですな、王様。『そもそも、おまえをダシしようなんざクソ早いだ ろうが』これには参った。どストレートな愛情表現にも満たない、アタリマエのことをアタリマエに言ってくるまっとうさを纏ったホンモノの愛情ではあるのか?

「思い出せねェんだよーぉー」
わざと語尾を延ばす。キョウダイではあるのにおれとコナーの声は似てない。コナーはおれの声が好きだと言う、おれはコナーの声の方が好きだ。どこか掠れるときのタイミ ングがセクシーですげェイイと思う。
「何をだ?マーフィー・マクマナス。これがおまえの名前だよ。身長は訊きたいか」
明らかに面倒臭がり始めた。コナーがベッドの上に腕を立てて頬杖を突き始めた。もごもごと声がくぐもる。
「オカマのボクサーの出てた映画」
「ヘイ、マーフィー・ボーイ。映画のタイトルが知りたいにしてはまた随分と広大なとこから始めてるな。1、それはロッキーではアリマセン」
まぁエイドリアンがいいって時点で結構微妙か、とコナーがふふんと笑った。
「オカマのボクサーが出てきて、でも最後はラブレターと一緒にコイビトと電気椅子に掛かるんだよ、それに出てた役者がいまこのクソテレビ映画にも映ってる」
ぱた、とコナーがペーバーバックを閉じた。表紙が眼に入る、へえ…?
「珍しい、あんたがミステリー読むなんてさ」
頭の中であやふやな映画のタイトルよりも目の前の事に気がいった。
マーフ、とあきれ返ったニュアンスのコナーの声が届いた。

「なン?」
「おまえの”要約”、あれ相当むちゃくちゃだな」
「そうかな」
「電気椅子には何が何でも一人で座るモンだろう」
「……元ボクサーがコイビトへ書いたラブレターと一緒に電気椅子にかかるんだっけ?」
「おれに聞くな、一切かかわりのないことだ、オマエの頭のなかのムーヴィー・インデックスはイカレテル」
コナーの、左手、指も長いソレがひらひらと……あれだな、昼間の蝶々みたいだ、ひらひらっとする。ソレがたとえ頭の横でくるりと円を描いていようがおれは怒らない寛大 な弟だから。
うーん、と手を伸ばして見る。その擬似蝶々に向かって。ザンネン、とどかねぇや。
おれの密かな努力をバカにしたみたいな、コナーの蒼眼がぶつかった。眼は口ほどにモノを言い、ます、か?
「ばぁか」
コナーが笑った。
同じじゃねぇかよ。チェ。
ひら、とコナーの手が協力的におれの方に伸ばされてきた。だからおれも手を伸ばして、ぱしりとその甲を指先で押すようにした。その反動で揺れた手を今度はしっかり捕まえたなら同じタイミングで腕ごと引かれておれはベッドから落ちそうになる。

「ファック、コナァ……っ!」
「テネシー・ウィリアムズ?」
「はン?!」
噛み付こうと思ったら、まあまぁ怒るな、とコナーがちかりと目元でわらって半分以上ずり落ちてたおれをレスキューした。だから噛み付けない、けどキスもできねぇ。背中 が痛ェっての、この反り方じゃ。ごそ、とだから獣めいてコナーのベッドに這い登ってやることにした。追い出されなかった、フン。
「いかにも好きそうかな、と思ってさ、そういう展開。アメリカ文学史の授業っぽいじゃねぇか」
「フランス語でジャン・ジュネだったかもしれねえ気がしてきた」
「じゃあおまえはその映画は観てねェだろ、おまえフランス映画は眠り薬」
「オカマのボクサー……」
「なにがおまえのファンシィをそんなに擽ったんだかな、ランボーの観過ぎか?」
に、とコナーが唇を引き上げる。この話はオシマイ、とコナーのブルーアイズが宣言して、ぱたりとまたペーパーバックは開かれる。

「気がついたときには、もう全てが遅すぎるって話が泣けたんだ」
ごそごそ動いて、またミステリーに意識を半分以上戻したコナーの背中の真ん中に頭を乗せたら。ずり落ちて結局腰のところにおれの後ろ頭が落ち着いた。
「後悔はキライだよ」
ぼそりと呟く。
「出せない手紙も、飲み残したコーラも、冷蔵庫で干からびてくサンドウィッチも、返しそびれたトモダチの本も、温いギネスも、薄い壁も、」
延々と言い募りそうなおれの気配を察したコナーが、くくっと笑い始めた。
そしてかなり無理をしている風な角度で、コナーが後ろ手に腕を伸ばしておれの頭を掻き混ぜていった。
「おまえは優しいコだよ」
ぱち、と瞬きした。
コナー?
「うん、マーフィー。おまえは優しいコだ」
バカだけどな、と。
同じ声が続けて、ペーパーバックが壁に向かってすこんと飛んでいった。本の角が壁に一回バウンスして、巧い具合にテーブルに落下していく。
「コォナー」
「イエス?」
ぐいっと髪が引っ張られた。痛えっての、クソアニキ。のそ、と背中に乗りかかる。肘を突いて半分上体を浮かせていた上に。背中に胸がぺったりとくっつく。「うぎゃ、」と 丁寧に音声付でおれごとキープしねぇでコナーがベッドに体重を乗せていった。
「ファック、マーフ、おまえ絶対ェ太りやがったな、息ができねぇえ」
妙な言い回しがきっといつかソファで並んで観たテレビ映画の悪役の言い回しのコピーだってすぐに解る。けどどこの家だったっけ、ダチのところか自分のところかは曖昧だ 。

「あいしてンよ」
「フン」
フン……?だってサ。せめて言葉にしようぜ、コナー。そんなことを思ったけれどもおれは普通に機嫌が良かった。だから、コナーが、「おれは、」と言葉を続けたときには マジに少し驚いた。
「まぁ、元ボクサーのオカマを育てるとは思えねェよ、」
―――ハイ?
「ラブ・モンスタァかもしれねぇけどな、コレ」
コナーが声と一緒にいともあっけなく身体をひっくり返しておれの視点が入れ替わった。ぎゅっとハナを摘まれて思わず顔を顰めたら。
「ブッ細工なモンスタァだよな、マーフ」
コナーの笑みをちかちか盛大に灯したキレイなブルーが近づいてきて、額がゆっくりとくっついた。少しくすんだブロンドがおれの目の先に落ちてきて、その感触がクスグッ タクテ気持ちいい。眼を閉じるのもモッタイねぇくらい気持ちいい。
「コナァ、」
「こにゃあって言いやがったのか、いま」
笑い混じりの声に、くそぅと毒づいて足を絡めた。

「コナー、ヤろうぜ?」
「サカッテナイんじゃなかったのかよ、マーフ」
唇の触れるギリギリの距離で吐く息があったかい。
「あんたの眼、見てるだけで結構クるんだって」
「そいつはどうも」
「なぁーなぁなぁな……」
むぐ、と口を塞がれた。
「ヘイ、ストップ、デジャブかと思うだろ」
おれの口を軽く押さえるコナーの掌を舌を押し出して舐めた。ゆっくりと方眉だけを引き上げるコナーをじっと下から見上げておれもわらう。
一度舌を絡めあったら、ア、っていう顔をコナーがした。
なんだ……?
少しばかり性急にコナーが舌を解いて、それでも唇を押し当てるみたいにしてくれるからいい気分だ。
「さっきの、」
「……うん?」
さっきの?なんだ?頭が微妙についていけない、何いってんの、コナー、あんた。
「ミシマかもな」
「うん?」
「おまえの言ってた映画の本」
おれは映画の役者のことを言っててなにも原作のことは、ってかなんでいままたここでなんだかなァ。

「……おれが鳴く前にその話ヤメロ」
ぴしりと人差し指をコナーのハナサキに持っていってみた。
「言い出したのはおまえなのにナ」
指先をコナーの真白の歯に齧られて腰が痺れる。
「いいんだ、おれは弟なんだから」
「マーフ、あいしてるよ、」
「……ハンソクだ」
「アニキの特権だろ」
ぐしゃぐしゃに髪を掻きませられて、うっかり嬉しくなって眼を瞑って抱きついた。
うん、おれはボクサーにはならないな。









Niya, May 2006