小説

Chicken Jack

「アチ、」
脂が染み出したのか、マーフィーが指をぴくりと跳ね上げた。
普段なら、大抵は跳ねた指ごと手を捕まえて、ぱくりと口に収めるコナーもいまは似たような状況でいたから、
すぃと眉を片方跳ね上げて見せただけだった。くすんだブルーが少しばかり「ザンネン」と言った風にちかりと笑みを弾いて。
へへ、とマーフィーの顔もふにゃりとした笑みに崩れ、またしっかりとスパイスで香ばしいオレンジ色にも見えるチキンに齧りついていた。
「ンマイ、」
咀嚼する間もニコニコで。
「……だよナ」
ぺろ、と脂とスパイスに濡れた人差し指をぺろりと舐め上げ、コナーも次のピースに手を伸ばし。
「あ、」
一足先に、食べやすそうにキラメイテいたドラムスティックをコナーが口許に持っていくのに小さく抗議する。
「ハン？オマエのもまだあるだろうが」
「ヴー……」
コドモの頃からのマジックで、コナーのモノの方が美味しそうに見える。マーフイーが文句を言いながらチキンの脂で少しばかり濡れた口許を尖らせた。
「―――わぁかったよ、」
がっつり一口齧ってからその食べかけのピースをオトウトに引渡し、コナーがついで、とばかりにナプキンで拭った指先でマーフィーの口許を擦った。

「オマエ、べたべた」
はは、とコナーが笑う。
「おーう、おれのことはタンドリー・マーフィーと呼べ」
がぶ、と譲り受けたタンドリ・チキンに齧り付きながらマーフィーが自慢気にアオメをキラキラさせていた。
「……ハン？」
とはいえこの程度の奇矯さに驚くコナーでは無い。

「や、なんとなく」
「バァカ」
笑いながらコナーがとろりとしたオレンジ色のラッシをストローで吸い上げ、「―――あめぇ、」と呟いていた。
そして気を取り直したように、語呂悪いけどな、と言いながらも。
「タンドリー・マーフ」
そう律儀に呼びかけてやれば。

「なあ？」
く、と白い歯がチキンミートを引き裂き、ぺろりと飲み込んでからマーフィーが言った。
「"タンドリー"ってスパイスのことか？マサラとかガラムとかそういうインドのヤツ」
いつもオトウトの興味はトウトツだ。
その目は、今度はぱりんと香ばしく焼けたチキンの皮にあてられていた。
「タンドリ？」
「ウン」
今度は皮だけを肉から引き剥がし、その薄くて歯触りの良い食感にご満悦なマーフィーを眺めながら、コナーがまた甘いラッシーを一口飲み。とろり、と行ったこともナイ南国の果物の味が舌に広がった。
「あぁ……それな、」
頭のなかのどうでもいい雑学の収まった辺りを意識でつらりと撫でる。
「ウン？」
やっぱスパイス？とマーフィーが首を傾げる。
「このスパイスに漬け込んだチキンだからタンドリー？」
「"竈"のことだぜ、」
たしか、とコナーが付け足す。
ハイスクール時代の同級生にいたインド系のトモダチがそう言っていたような気がする。ざっと記憶を洗い直し、
確認し。

「あぁ、そう。……カマドだ、やっぱり。カマドで焼いたものが"タンドリ"」
「神秘のスパイスじゃなく？」
「イエス、ザンネンでした。BBQチキン、みたいな感じじゃねえ？タンドリ・マトンもだからアリだろ」
「うーん、インド版BBQチキン」
うーむ、とマーフィーが脂に濡れた指先を舐めていた。
「美味いからさ、いいけどね。神秘のベールが剥がれても」
すい、と腕を伸ばしコナーの飲みかけのラッシーを引き寄せてごくりと一口。
「―――コラ、」
笑うようなコナーの声にマーフィーがにこりとする。
「おれの方やるよ、こっち」
ハイ、と左手でアイスティーをコナーに押し遣っている。
あめぇ、とコナーと同じようなことを洩らしながらも半分以上にこにこと飲みながら、あぁでもポテト食いたかったかも、などと頓珍漢なことを言っているオトウトにコナーがまた呆れたように眉を引き上げてみせる。

白っぽいテーブルの表面にタンドリチキンの残骸とシシカバブの串とがあった。ナンはすっかり腹の中だ。
ふぅ、と満足気にマーフィーが息をつくと、椅子をがたりと鳴らした。
「ごちそうさま」
「―――だナ、ごちそうさまでした」
だからオマエ口の周りべたべただってぇの、と言いながらコナーが紙ナプキンでオトウトの口許を拭っていき。
へへ、とマーフィーがいたくシアワセそうにわらった。
「―――あ、けどな、マーフ」
「ウン？」
紙ナプキンを丸めチキンの残骸の上に落としながらコナーがさらりと言った。

「"タンドリー"もあながち嘘じゃねぇよな？オマエんなかいっつもヤケドしそうにアチイし」
アイスティーを飲み干し、コナーは口に入り込んできた氷を噛み砕いてから、に、とわらう。
「―――へ？」
きょとん、と一瞬マーフィーの目が見開かれ、けれどもすぐに。
「――――セクハラアニキ…ッ」
ぱぁ、と目元まで赤くなったマーフィーに、フフン、と何故か自慢気にコナーがわらいかけていた。
いや、ほんとうに良い午後だナ、とでもいう風情で。

そして、"インド・ランチ"を手土産に遊びに来ていたロッコが、何も聞かなかったことにしようと決意を固めていたことは、きっと些細な蛇足だ。

Niya, June 2006