By Your Side: Tears




あの北の国を出港してから、幾日か過ぎ何も以前と変わらないように思える非常識な自分達の日常が、それでも続くのだろうと思っていた。ただ、自分の中にゆずれないモノが一つ、増えた事を除いては。



最初は、ほんの些細な事だった。自分の気のせいかとも思うほどの。
しかし
一旦、気づいてしまえば見過ごすのは難しかった。
一度や二度ではない、抱く度に
一瞬、腕のなかの人間が「違う」ような気がした。

朝、それとなく尋ねても、怪訝そうな表情が返ってくるだけだった。






まだ数えるほどしか肌をあわせてはいないけれど
それでもやはり微かな違和感をゾロは覚えた。初めて船で抱いたとき、まるで放心した
ように、それでも自分の肩や背にすがるように腕をまわし、自分が不安になるほど、瞠かれた碧の瞳から止めようもなく涙の溢れていたこと。なんか処女でも抱いてるみたいだ、そんな考えが頭をよぎり。それを打ち消すように引き寄せ、やがて洩れてきたつややかな声に、ひどく安堵したこと。それは一度きりのことだったけれど。いまも、悦楽に意識を手放す直前、息のつき方や身体の癖が、瞬間、別人のようで。とまどう。

けれど名前を呼び、口接ければゆっくりとひらく瞳の濡れたような光はやはり、サンジ
以外の物では在りえなかった。それでも自分の中の何かが、入れ替わる、正体のわからない一瞬を拒絶し続けた。

登りつめて、糸の切れたように眠りにおちる。その瞬間は確かに、真実なのに。






「だめ、わかるの、自分でも。私は、よわい」
金の髪が流れ、女の顔を覆い隠す。

「あなたに、焦がれて囚われてもう、還ることもできない」

「たすけて、ファインズ。私を、斬って。共に在れないのなら、」

「もう、終わりにさせて」


女が、泣いている。
意識のどこかで、自分がそう告げる。
どこで―――?


すぐ、横
おれの―――

    ゆめ?

覚醒する。
窓辺に、陽に透けるような金色に包まれた女。

おまえは――――


思い出す。雪の中、自分を抱きしめていた柔らかなひかり。


すう、と女が近づき。

室内に差し込んできた朝日に消える。
開けられた扉の横に、細身のシルエットがあり。
「朝メシ喰いに起きてきやがれクソ剣士。」
笑みを含んだ声が届いた。



午睡


それ以来。
気配を感じる。
いつも


自分の傍らに。


何かを問い掛けるようなサンジの視線をあえて返さないようにし。
他のクルーとも距離を置き、ゾロは後部デッキで過ごすことが多くなった。


寄り添ってくる気配に問いただす。
何がのぞみだ、と。
わたしを、斬って、そう囁く女。


浅い夢のなかでも、女の声は柔らかに、静かに繰り返された。


なぜ、おまえを斬らなきゃいけない?

おねがい、



黄昏


す、と自分の前に膝をつく姿があった。
「また、メシ喰いに来なかったろ、おまえ」
「栄養は補給してる」
「酒でかよ」
「まあな」

ゾロ、と。囁きにちかい低い声。
きゅう、とサンジが抱きついてきた。まるで、不器用な子供のするように。
「おまえ、大丈夫なのか?」
「どうした?」
「こっちが聞きてぇよ。てめえメシも喰わねぇし、ヒトのこと抱きもしねえし」
くぐもった声。

また、俺はコイツ泣かせたのか
ゾロは思う。

「ああ、そうだな」
「そうだなじゃねえ、クソボケ」
金の髪に掌を滑らせた時

吹きつける殺意を感じとった。
初めて。


「サンジ、戻れ。」






そこに

女が、いた。

数日前の朝、溶けるように消えて以来、始めて立っていた。


あなたは私を愛してくれたでしょう?ファインズ、

そう、聞こえた。

俺はおまえを愛した憶えは、ない


刀が、乾いた音をたてる。

ゆっくりと女は近づき。


「あなたのその剣ならば、魔を斬れる。おねがい、私を」

「おまえは、魔などでは・・・」

「あなたに逢う事ができたわ、もう一度あの国で。あなたを抱きしめる事ができた、
雪の中で。なぜ、あなたをあのとき連れていかなかったのかと」

女の白い手が、その貌を覆い。
長い金の髪が、左右に揺れ、半身を覆い隠す。

「私は、ずっとあなたに焦がれて。逢いたくて。彷徨ってた、」

また、近づく。ゾロは動かない。


「逢う事が叶えば、この想いから解かれると思ったのに。逢ってしまえば、あなたに
一度でも触れたくて―――」

「あれは。おまえ、だったのか」


総てを理解する。
なぜ自分があれほどまでに、あの一瞬を拒絶したのか、忌まわしいとさえ思ったのかを。

だって、あのこは私の半身だもの、と。
呟く女の唇に厭わしくそれでも美しい笑みが刷かれ。


あなた、と
風に金の髪が広がり。女の美貌が一瞬悲しみにゆがむ。


「だめ、わかるの。自分でも。このままだと、」

「私は、あのこを殺す。愛しいのに。自分の中の闇がわかる、」


自分を、惹きつけてやまない碧。おなじ色。おなじ瞳から、赤い筋がつう、と伝わる。


「あなたと共に在れる、あのこが。私は・・・」


ゾロはきつく眼を閉じる。
あまりにも惨い言葉をこれ以上、この女の口から言わせるわけにはいかなかった。



「わかった、」


女が、視線を遭わせる。

す、と刃を正眼に構え。
雲から月が差し、刀身に紅い光をおとす。妖刀がその身を暗紅に染め。


「ただし、」
みつめる。
「おまえを斬るのは、俺だ」


うれしい、

花のほころぶように女は笑みをつくり。


刃が光を走らせ

女の影が瞬時に重なり、恋人の頭をその胸に抱きこむようにする。



「愛してる、あなたたちを」


声が、直接響いてくる。


やわらかな香りがつつみこむ。
鳥のさえずり、木漏れ日、足元で小さく音をたてた小枝、絹擦れ、甘やかな笑い声。
これは、記憶。
「マルト。」
咽かえるような花の芳香。 あいしてる、遠くなる声。




突然、全てが消失した。
冷たい夜気と、波音があり。デッキには月が光だけを落としていた。


妖刀に映り込む自分の姿は
眼を逸らすことなく、みつめる。
「俺は・・・・・・・」
ぎり、と奥歯を噛みしめ
女の霧散した先は追わず

女を、斬ったな
闇がそっといびつな指でゾロをさし。
妖刀の鞘がかたかたと小さく嘲うように鳴る。


刀身をかざし、月の粉が撒き散らされたような甲板にいつまでも立ち尽くしていた。


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