46.
そんな重責が自分の肩に掛かっているとはついぞ知らないし、知ったとしても「なにを大げさなこと言って」と笑い飛ばしてしまうほどには外科医に甘やかされて育ってきたこのオトウトは、サインに従ってのんびりと廊下を歩いていき。そして、すぐに仮眠室を見つけた。なんの変哲も無い、白いドアがあるソレ。
ふむ、とサンジが一瞬その前で首を傾けた。ここはノックをするべきか。とはいえ、あの寝起きの極悪な異母兄のことだから、ノックの音程度にそもそも目覚めるはずも、無いか。
あっさりと結論を出すと、サンジはすう、とその横開きの扉を静かに開けた。

「おはよーう……、」
まっくらに灯りを落とされた中へ呼びかける。明るい外部から覗いたのでは、まだ眼が暗がりに慣れていないから進むに進めない。それでも小声で呼びかけた。他人に睡眠を妨害されたなら、異母兄は凶暴性が増すことも知っていたので。そして同時に、自分の声ならばどれだけ寝ぼけていても異母兄が聞き間違えることは無い、との確証済みでもある。
けれども、名前を呼びきらない内に、たいそう低い声が部屋の真ん中あたりから届いた。
「よう、ベイビィ」
「あ」
起きてるよ、とサンジが多少なりとも驚きを隠さずに短く声を漏らした。
「ヘイ、ちょっと顔みに寄ったんだよ」
とはいえもう機嫌よく言葉を続ける。
「んー……」
珍しく異母兄の声はまだ低いままである。
ナンデ電気つけないんだ?暗いじゃないか、ともっともなことを言えば、あー…うん、とまた非常に珍しいことにキレの悪いどころか無い返事が外科医から返ってくるのにサンジが眉を引き上げた。
「もしかして、疲れてるとか……?」
とにかく、声の方へ歩いていくことにする。

「ベイビイ・ブラザ、」
「うん?」
どうやら、外科医は仮眠室に誂えられたベッドに座っているらしい。
暗さに多少は慣れてきたサンジの眼が朧に室内を映し出し始めていた。
そして、暗がりでも全部を見通すような異母兄の声に、さんざん、ERの関係者がトラだトラだと恐がっていたことを追想して少しばかり唇を引き上げている。そういえば、このヒトは夜目まで利くんだったよな、と。
「おれはくだらねェモラルだの社会常識だの宗教だの道徳だの倫理だの、そういうのでムカついてるンじゃねェんだよ」
ん?とサンジが眉を僅かに寄せた。
「おまえがシアワセであること、おまえが少なくともジブンの決めた道に迷わなけりゃもっとイイんだ、ソレだけなんだがな」
これは、もしや?

「だから、」
はあ、と深く一つ息を外科医が吐いているのに、サンジが確信した。コレは、ジブンがちゃんと言う前に兄には全部お見通しみたいだ、と。
「すっげええ悔しいけどよ、悔しいどころかおれの長年の夢が!おまえに良く似たちっこいかわいいエンジェリックな甥でも姪でも、ああでもできれば甥が良かったよな、おまえみたいでな……!それを甘やかし倒して構い倒して生きるっていうな、おれの!ジンセイの趣味を!うっかり逃しちまったことは大目にみよう、」
すう、と静かに怒れるトラの声が静まった。
「惚れちまったのがヤロウならしょうがねェ。残念ながらまだクローン育てるインキュンベーターは表向きは出来てねェし、おれは医学者だが代理母にはイマイチ賛成できねェんでな、オマケにあのクソッタレガーディアンのハラに種を戻したからってただの三面記事だぜ!!」

「えーと、シャンクス……?」
話の流れの奇天烈具合にサンジが思わず異母兄の名を呼ぶ。
「アレがまあ、えっれえ誑かしのロクデナシのクソイカレ火消しだってことと。あのクソガキがイイ人間だってことは結構な勢いで同等じゃねぇかよ、大体よ。だからおれも無碍に大反対もできねえ、それがまたムカつく、―――わかるか?サンジ」
「ええと……ウン」
「くっそうー、カワイイお返事だぜ!」
イキナリ、むぎゅう、と抱きしめられてサンジが跳ね上がった。
とさん、とそのまま異母兄の傍らに座らされる。
「シャンクス、」
「ウン、なんだよベイビイ」
「おれ、シアワセなんだよ、自分でも驚くくらい」
「そうか、」
「ウン。相手を好きなだけでもいいか、ってこの間アパートメントに行ったとき話したろ?だけど、やっぱりいまの方が全然違う」
「シアワセ、って状態なわけか」
すい、と額を指先で撫でられ、サンジが眼を細めた。
この距離ならば、慣れた眼には表情が読み取れる。
「んー、だね?」
ふんわりと浮かべれら笑みに、外科医がまた嘆息し。ぎゅう、と両腕に「大事大事」を抱きしめていた。
「サンジ、」
「ハイ?」
「どうしてもそンなにあのバカがいいのかよ」
「そんな質問自体が意味ないって」
「フン、そうか。じゃあ、……大目にみてやる」
「おおめ……?」

「おう、クソロロノアだよ。あのヴァカ、いま床に転がってンぜ」
「ハ……?」
サンジの蒼が見開かれ。キラキラと物騒に燐めいて光る翠とぶつかった。
ぱしん、とシャンクスの手元のスイッチで仮眠室の明かりが戻り。
確かに、ベッドの反対側の足元に………脚が見えて

「ゾロ?!」
酷く驚いたサンジの声に。
「サイショは殊勝な話あいだったンだけどなー、」
こき、と首を鳴らしながら外科医がこともなげに話す。ヴァカがおれを訪ねて来たんだよ、仮眠室に行く途中に、と。
「そのうち、うっかり果し合いになっちまってさー?」
げらげらげら、と笑い始める始末だった、この無敵の王様は。
「勝手に脳震盪起こして伸びてやがるから、オレは本来の目的に戻ったわけだ、」
すい、と外科医が眼を閉じて眠る振りをし、それが妙にチャーミングであるからタチが悪いのだろう。

うー、と酷く不機嫌な唸り声が漸く聞こえ。ゾロがゆっくりと床に腕を着いて半身を起こしていた。
「わ、おまえなにやって……」
慌ててその傍に行き、起き上がるのに手を貸す「カワイイの」をちらりと見やって異母兄が、また、フン、とハナを鳴らしていた。

「こンのイカレ暴力イシャが……」
漸く、短い間の意識消失から回復したゾロが低い声で唸り。
「おまえみてェなキナ臭ェヴァカにオレの何より大事な!!!!オトウト預けるんだ、それくらい軽い!」
びし、と指を突きつけられて逆に宣言をされていた。
「はっはっは!悔しかったらもっと喧嘩巧くなってこいや、クソガキ」
てめぇが異常なんだろうが、ギャングかよあンたは、と。ゾロが口中で呟き。

「そもそも何で話し合いが殴りあいになるんだよ?」
とサンジが異母兄とコイビトの間を視線を往復させ。
「話し合いじゃねぇよ」
ぼそ、とゾロが呟いた。
「おう、あんまりどきっぱり宣言しやがるからオレもむかッ腹が立ったのヨ」
異母兄が言い。
一体この両名の間で何が話されたのか、これ以上の追求は止そうとサンジが思っていた。




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