7.
「あ、なんだよまた忘れものでもしたのか、あンた?」
カウンターの後ろ、備え付けのキャビネットに重いショットグラスを戻しながら振り向かずに時を経たずに
開けられた扉の気配に軽く声をかけたならば。
「あららら、」
聴きなれた、カラカイ混じりの声が返された。
「あーあ、カーラー!」
すかさず、店の奥にいるだろうバーメイドに向かって大声を上げている。
「あれだけ言っておいたのに!おれの大事なおとーとに悪いムシがもうついちまったのかァー?」
何言ってんだよ、もう、とサンジが振り返り。
「バカじゃない?」
片眉を跳ね上げて見せる。
「トライアンフの音がしたわね、だからきっと片割れよ」
奥から声だけが返ってきた。
「あーあ、アレか!」
にぃ、と外科医は「こいつにだけはメスを持たせたくない。」と万人が願うほどの笑みを浮かべて見せ。
「音だけでわかるんだ?」
サンジは、思い切り良くくびれたウェストに手をあて近づいてくるバーメイドに向かってひどく感心する。
「あたりまえよ、ハニィ。アタシのダンナはこのあたりイチのメカニックなんだから」
とん、とブロンズに塗られた長いツメでサンジの額をかるく弾き、すい、と慣れた風に差し出されたシャンクスの
頬に軽く、けれどわざとルージュの跡を残し唇で触れた。
「くそう、あのウスラとぼけ」
「やっぱり、面食いってことかしらねェ?」
ぼそり、と呟いた天然チェリィブロンドにくすくすと喉奥で笑いながらカーラが指を絡めていた。
「あーあ、おれってば不倫現場の目撃者なわけ、」
あっきれた、と節をつけて笑いながらサンジがグラスをすべて棚に戻し、カウンターからすいと出てきていた。
「あのバカコンビめ、おまえに手ェ出してくるとは」
「だから手ェだされてねぇって」
はー、とサンジがまた溜め息をつき。
「でもなんで知ってんだよ、連中?」
はい、どおぞ、とテーブルにショットグラスを置く。僅かに首を傾け言葉の続きを促すようにするのに、
あーもーカァワイイカオして、とシャンクスがにやりとしてみせるのを拳で小突く振りをする。
「アイツら、ウチの管轄なんだよ」
「へえ?」
「なにかあったらタスケテ欲しいってナースがうじゃうじゃ」
サンジも声に出して笑った。あぁ、あと、とシャンクスが目をあわせた。
「アレとは救護室で取っ組み合いの殴り合いした仲」
へ?とサンジが一瞬目を見開いた。
けっこうでかいアパートメントの火事騒ぎと、たしかどこかのガキ同士が仲良く集まってぱんぱんぱん、って
具合に撃ち合いかなにかしたんだ、それが重なりやがってな?とリズムに乗って言葉が続けられた。
「急患をウチだけで処置しきれなくなって、クリストファーの医局に回せ、って言ったらブン殴ってきやがったん
だよ、あのガキ」
「―――ええと、どっちが?」
サンジが、「名物」扱いされているらしい二人組みの様子を思い浮かべる。
「ミドリバカの方、ロロノア。コーザ、ああ、アッシュブロンドの方な?アレは後ろから止めに入ってたけど
癪だから殴ったら三つ巴」
けらけら、と笑う義兄にサンジは嘆息した。想像してみる。急患が次々と運び込まれ秒単位でイノチの遣り取りを
している現場でイキナリ始る殴り合い。―――冗談じゃあない。
「ストレッチャーじゃあ足撃たれたガキが、おれは平気だはやく家に返せとか喚いてやがるし、ロロノアのバカの
ストレートはけっこう効くしな、」
看護士がコーザ引っぺがしてインターンは泣きかけるしえらい騒ぎだったんだぜ、と。その元凶がけろりと
続けるのを見つめながらまたサンジが息を長く吐いていた。
「まぁ、要は名物なんだねェ」
「ふうん、」
「ああいう連中だろ?1年の半分はなんか怪我してやがるからさ、」
すこしばかり「連中」の風情を思い返してみる。日常が危険と隣り合わせでいるようには見えなかったな、と。
「おれのお得意さんでもあるわけだ」
「取っ組み合いもしつつ」
サンジも真似をしてにやり、とした笑みを浮かべてみせる。
「そ。とんだ守護天使サマどもだぜ」
「―――なんだそれ?」
「こんど本人に聞いてみな、」
すい、と落ちかかる髪の間から翠が光を弾いた。
「アイツら、けっこう話すと面白ェから」
「そうなんだ?」
「あぁ。」
「あ、でもな?」
すい、とグラスを空にして立ち上がった姿をそのままに見上げ、眼で「なにが?」とサンジが問いかけ。
「アイツらの"にっこり"に騙されんじゃねぇぞ?いくらデカイいぬみたいだからってよ」
シャンクスの軽口にカウンター側にいたカーラが笑声をあげ、とんとん、と細長い指先で髪を掻き混ぜられた
サンジが何か言い返すより早く、すっかり笑い声混じりの気配だけが閉ざされた扉の内側に残っていた。
「なんだよ、アレ」
毎度毎度わけわかんねぇ、あのヒト。
そう「大事な弟」がぼやくのを、カーラがまたわらって見つめていたが。
閉店時間を超えてまで店を開けるつもりで知らずになっているし、おまけに。なにか軽く食べるものでも
用意しておいてやろうか、とまで漠然とサンジが考えていると知ったら。おそらくあの過保護な外科医は
飛んで帰ってくるのかもしれない。
それからまもなくして、本日最初の「客」がドアを抜けて入って来はじめた。
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