24.
勝手にここまで用意されていたリムジンから降り立ち、足元を所在無く流れていくような
白砂を踏みながら、コーザ曰く「フザケタバカ騒ぎ」の会場へ向かう二つの姿。それぞれに、
まったく別の印象を与えるようでいて、何の違和感もなく並び立つような。
きっちりと着こなしているのにどこか抑えた艶めかしさが表れるようなのは、計算されつくした
襟のラインから覗くとろりとした質感の真っ白なシャツであるとか、袖口から垣間見える手首の
細さであるとか、女性のものでは在りえない細身のスーツの優雅な線が描く硬質な曲線であるとか。
横に立つのが、慣れきったように雑にブラックタイを隙もなく着崩す男であれば尚更に。

エスコートをする約束をしていたナミは、一足先に会場へ向かっていた。
今朝早くに連絡が入り、入り口で待ち合わせね、と告げてきた。暗くなってから家を
でるとチョッパーがすごく嫌がるのよ、ゾロあんたどうにかしなさい。と付け足しながら。

そう遠くない距離を歩く内、潮の香りが風に乗って流れてくるようなのに、サンジが奇妙な
顔をするのにゾロは気付いた。ああ、こいつは。海を知らないのか、と。

この辺りは、プライベート・ビーチなんだ、と教える。
何の開発の手も入れず、調整もせず「むかし」のままの姿を残している、と。

「へえ?」
好奇心を隠す事にその瞳は失敗し、ゾロは小さくわらった。
「ああ、もう暗いからな。ちょっとここからだと見えないか、」
視線の巡らされる先を、サンジの眼も追い。
後で行くか?と問えば。
嬉しそうな笑みが返ってきた。

「"晩餐会"の招待客の心得は?」
「―――他のゲストと、会話を愉しむこと」
「上出来」
ナミを待ちながらの会話の最中、ゾロは指で答えてくるサンジの輪郭にそって撫でる。
集まってくる視線に、余計な期待も詮索も抱かせないための手段の一つ。

自分に向けられる視線が心持曇るのを目にし、ゾロは出来うる限り優しく言う。
「何も一人で放り出す訳じゃあない。ナミか、コーザの隣りにいろよ」
「―――ゾロは?」
「こういう場所は苦手なんだ、」

ほら、と夕暮れに浮かび上がる東欧の寂れた古い教会のような、透明な温室のようにも見える
豪奢な"仮設ドーム"の内部、目線で華やかな一団とそのエスコートをしている科学者風の多くが
談笑している一角を指す。
「"学都"の連中に捉まると面倒だからな。肩がコル」
唇端を引き上げる。

「折角だ、おれは博士とでも話してるさ」
「ゾ……」

「こんなところにいた!」
華やかなナミの声が背後から響いた。
「もう!二人で私のことエスコートしてくれる約束でしょう」
ふふふ、両手に花ね。と真ん中で片腕づつにそれぞれの腕を絡ませ、上機嫌にナミが笑ってみせた。

「ナミさん。こんばんは、」
その頬にかるくキスをする。また、ナミに笑顔がこぼれ。

タキシードのタイを緩め、海風のなか裸足で卓につき、シャンパンを女に注ぐのが似合いそうな男と。
月白の空を眺めながら佇み、回されてくる女の腕に静かに接吻しそうな男と。
繭色の、きわめてクリーンなカットの施されたイブニングの女。芸術的なまでのウェストのラインから潔く
重力に添ってまっすぐに長い裾が床に触れ、流れる。半ばまで首元を覆うバロックパールのチョーカーが
そのたおやかさを際立たせ。
この組み合わせは、天蓋のなかのざわめきをつかの間忘れさせるほど。

時間が過ぎるにつれ華やいだ空気が満ち、ナミも終始機嫌よく完璧なエスコート役に
満足し、たまにエスコートの奪回にやってくるコーザを追い払い、知人を見つけては会話をし、
気に入った曲が流れればフロアに誘った。

そして夜半過ぎ、
ぴくり、とナミの肩が揺れた。
「ナミさん?」
その視線は、遠くの一点に焦点をあわせたまま、動こうとしない。
きゅ、と無意識にその手が自分の手を握りこむようにするのをサンジは感じた。
「サンジくん、ごめんなさい、ちょっと私外して良い?」
もちろん、とナミは完璧な微笑で返される。

その、淡い繭色のドレスが他の色に紛れていくのをしばらく見送り、このドームの外には
"海"があるって言ってたな、とサンジは思い出す。知識では知っていても、まだ本当のそれを
目にした事は無かった。暗くてもみえるのかな、と。星を映すような透明な天蓋に眼をやる。
そして、笑いさざめくような人の間をすり抜けていき


「なあ、おまえ、」
いきなり、力強い手に肩を押さえられた。
「な―――、」
まだ少年の面影を強く残すような、随分と若い男が立っていた。雑に額に落ちかかる
黒髪の間から覗く漆黒の眼、その強すぎるほどの光がひどく印象的な。

「―――ルビイの、ガートルードの弟か何か?」
相手の答えを待たずに続ける。
「あいつに兄弟はいねえと思ったんだけどな、」
「あなたは―――、」
「おれか?"海賊王"だよ」
とんでもないことを口にして、眼に眩しいほどの笑い顔をする。
「失礼ですが、人違いをなさっているようです。僕は―――」

「じゃあなんで、あのバカと一緒にいたんだァ?」
にやりと。皮肉気に唇が歪められたけれども、目許には紛れもない笑みが浮かんでいた。
「見間違いでは、」
「あーあ、じゃあ。おまえ、アレか!ゾロの作った"人形"か?」
他意の全く感じられない明るい声は、空をみて青いと言い、海をみて広いなと言う、
そんな当たり前の素直さ。

一瞬、その蒼が閉ざされるのを漆黒の瞳はみつめている。
「――――ええ。そうですよ」
軽く完璧な会釈をし。柔らかな微笑を残して、振り向かずに細い背が遠ざかる。

「ルフィッ!」
人波からナミがやっとその目立つ男の腕を捕まえる。半ば悲鳴に近いような声。
「あんた、なんて事をッ―――!かれは……」
「―――わかってるさ。ALには、あんな表情できねえよ。なぁ、いまの!ルビイもキレイだったけど、
すげぇ美人だな。あんなお宝捕まえといてなにバカやってるんだ?あのロクデナシ!」

せっかくでけえ花火持って返ってきてやったのによー。な、後でみんなで見ような?すっげえんだぜ!と
思い出したように生き生きと付け足す。

「ちょっとなに言ってるの、それに"ルビイ"ってだれよ?」
ナミが見上げる。
「ナミ。おまえも元気そうだな!うっし。なあ、あのロクデナシのとこへ案内してくれよ」
パキリ、と乾いた骨の鳴る物騒な音が、その手許から起こる。
「コイビトにあんな表情させやがって。いくらゾロだからって、容赦しねえぞ」

「でも、」
「はーやーく、連れてけよぉ。おれまだ何も喰ってねえんだってー」
この連邦政府も手が出せない"海賊王"の言葉に、逆らえる者など限りなくゼロに違いない。

「お待ち、」
ルフィのアタマをむずと掴む力強い手。
「あ?なにす―――」
うおっ、と咄嗟に飛び離れすかさずアタマをガードする体勢をとる恋人にナミが眼を見張る。
そして続けられた声は。
「元気かい?ガキども」
「ドクター?!」

「まったく、あのバカもどうしようもないね!」
意志の強そうな瞳と高い鼻梁の印象的な長身の"女"が、大げさに嘆息する。
軽く足を開いて立つスタンスは、医師というよりは武闘家のそれを思わせた。
「あんたも来てやがったのかぁ」
まだガードを解かずに感心したようにルフィが言う。
「相変わらず礼儀知らずだねお前は。海賊風情が偉そうにまぁ」

滅多に"学都"から出てくる事ない連邦随一の脳外科医はあっさりと笑みを含んだ声で告げ、
そしてその長い指が天幕の一角を指す。
「ルフィ。食べものならあっちにあるよ。行っといで。あのロクデナシなら私がきっちり片つけてやるさね」
ルフィの物となんの遜色もない物騒な音色が女医の手許からも起こる。
「おう」
にんまり。と全開の笑顔でさっさとナミを残しその指し示された方向へ進み始める。
「ちょっと、ルフィ!」

「ナミ。あんたも元気そうで何よりだ。さ、バカのところへ案内しておくれ」
パキリ、ともう一度乾いた音が起こる。
「いくらカワイイ甥っ子だからって、容赦しないよ」

「でも、」
ナミの目線が心配気にサンジの進んでいった先を追う。
「私の眼はね、まだ見えるんだよ。さっきのボウヤならドームの外へまっすぐ出て行ったよ。
コーザもね。あのガキも相変わらず人がイイねぇ、ほんとに。さ、早く案内おし!どうせトトの
所にでもいるんだろう?アレは」



それにしてもあのクソヤブ医者。仮にも医師なら少しは加減しろってんだ。
あれじゃあ軍医の方がまだマシだ。
ドームを横切りながら、ゾロは軽くアタマを振る。
「信じらンねえ、ったく」
口調が自然と粗雑になる。
脳震盪を起こしかけるほどイキナリ、ヒトのアタマに蹴り寄越すか?と。
博士も博士で文字通り膝を叩いて盛大に笑い。事情も知らずに便乗してほぼ握り拳で
自分のアタマを「触診」してきた。診断結果は残念ながら損傷なし。当たり前だ。

「こんなところで何してるんだい。とっとと迎えにお行き」
突如自分に向かって落とされた踵に、ゾロが抗議の声を上げる暇も無く。
そう告げてくる強い眼差。深淵まで覗き込まれるようで。

「さっき、見たよ。随分とキレイな子だ。"人形"にしてでもいたらお前をタタキ殺して
やろうと思ってたんだけどね。どうやらそうでもないらしいじゃないか。覚悟を決めた
のなら早くおし」
にやり、と笑って寄越す。
「チャンスのカミサマってのはね、前髪しかないんだよ」

「海賊風情が、あのボウヤに言っちまったよ?"おまえはルビイの弟か?"ってね」
「ッルフィ、あのバカ―――」
がたっと身体を預けていたアームチェアから跳ね起きるゾロの腕を、女医は押さえ
告げる。お待ち。お前、ほんとうにわかっているのかい?と。

ゾロの額にあわせられる、大振りなそれでもひどく繊細な指をもつ手。
「ゾロ。もう、あの娘を還しておやり」
「くれは……?」
「忘れろ、と言っているんじゃあないよ?ただ。お前の中の、あるべき場所に戻しておあげ」

ふわりと目許がやわらかに霞む。
「私もね、最近、あの娘のことをよく思い出すようになった。私の研究室でわらっている顔をね」
さらりと。その長い指を髪に差し入れるようにする。

お前はどうだい?そう言って。


25.
一人で砂浜を歩き、足元を照らす月を見上げる。
その国名を指すときは"ルナ"で、それでも空に浮かぶそれを見るとき、自分達はなんの
躊躇いもなくそれを"月"と呼ぶ。不思議なもんだよな、と思考を漂わせながら足跡を残す。
ガラス粒でも混ざっているように、砂がたまに光を反射する。遠い波浪の音。灰青色にたつ浪。

季節の変わり目に月は美しくなると"KAYA"が教えてくれた。たしかに、こんなに大きくて明るい
月は初めて見た。海の真上に浮かび、海面に月の道を作っている、さざ波が光っている。
足元に寄せる波も、きっと月長石の色だろう。

懐古趣味で作られた木製の桟橋、その先に立ちサンジは月に見惚れている。
それは非現実的な眺めだった。
月へと続く海上の一本道。

海へ人が魅き込まれるとすれば、きっとこんな宵なのだろう。
波の下に、何かが待っているような気がする。月に魅せられる、というのは本当だ。
波の一つ一つが光り、砕けていく。本当に月に海は光るんだ。作り事じゃ、なかった。
記憶の中の、もう顔の無いヒトの話してくれたこと。
"あの時に、船を降りていればおれは何を見つけられたんだろう。"
そう言って、四角く切り取られた夜を顔をあげてまっすぐに見ていた。

願いがある。
何に願えば良いんだろう。
たとえば月に?それとも全能なるAIのカミサマに?
ちいさく笑みを刷く口許。それでもその眼はひどく静かで。

名前が、判ってしまったなら。
もうそれはただの、イメージなどでは無い。
一人の、存在だった。
たとえ、もうどこにも逝ないのだとしても。

記憶の中にしか、いないのだとしても。

どうしても、手に入れたいものがある。
もう生命はあげられないけれど、"自分"ならいい、差し上げます。
だから、どうか。


「おーい。おれ、いっつもおまえに"なにしてる"て言ってる気がするんだけど。気のせいか?」
軽やかな足音に、振り向いた。そこにいたのは見慣れた顔。
「あ。コーザ」
頭を軽く手で払われる。
「あ、じゃないだろ、あ、じゃ。並み居る美女を掻き分け泣かれ、それでもヒトがせっかくシンパイして
来てやったってのに。圧倒的に感謝の気持が足りないってのおまえ」

視線が逢わせられる。足の下で波が砕ける。
「"ガートルード"て、死んだの―――?」
「―――サンジ?」
死んでしまったのかと、もう一度問われる。
「ああ。2年前に」
「そうか、」
月に揺れる水面に戻される眼差。

「ひとつ、いいか?」
黙ったままの横顔に続ける。
「あのな、相手と共有できるものがあるとすればそれは。いま、とその続いていく瞬間だけだ。
過去などじゃない」
子どものレンアイじゃあるまいし。まっさらなおまえの方が珍しいんだ、とコーザは半ば呆れた風に
言ってみせる。

「コーザ、」
サンジは言った。
「オトナだね」
「当たり前。伊達に経済背負ってマセン」
にっ、と。意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「おまえもさ、惚れる相手間違えるし」
自分の言葉に微笑むサンジの頭をぽん、ともう一つ叩くと砂浜の方へと桟橋を戻っていく。

石で舗装された小道から砂浜に降り立ったゾロは、桟橋から少し離れた階段のところで
コーザと会った。
「ルフィのヤツ。戻ってきてるぜ?」
「ああ。聞いた」
「でな。"花火"を持って返ってきた。打ち上げるスタッフ付きで」
「……相変わらず、訳ワカンネエな」
口端でコーザが笑い顔をつくってみせる。
「いま準備させてる。もう少ししたら余興の始まりだ」

ああ、アレな。そう言って、長い指が桟橋を示す。もうしばらくあそこにいるってさ、と
コーザは掌を上向け、わずかに肩をすくめ、通り過ぎた。こんな仕種が陳腐にならない
男は滅多にいないだろう。半ば感心して、ゾロは見送る。

そして目線を戻し、桟橋に立って月を眺めている人影をみつけると、口元に笑みが微かに
ひろがった。そのまま階段に座る。

その立姿がいつかみた夢と重なった、まだサンジに逢う前に。
落ちてくる雪の代わりに、魚鱗を散らしたように光る波打ち際に立つ後ろ姿が。煙草を
取りだし火を点ける。夜空に連なる海の色、その上を夜目にも淡色をした煙が漂う。


おまえに、本当に逢えるとは思っていなかったよ。


26.
桟橋から下りようと向きを変えたとき、ぽ、と、サンジは遠くのオレンジ色の小さな光点に迎えられた。
月明かりに照らされた石造りの濃い灰色の階段に、ひと。
桟橋から飛び降り、砂を踏み、近付くにつれはっきりしてくるシルエット。


「ゾロ、」
呼ばれた相手は細く煙を吹きやった。
ずっと遠くから二人を呼ぶ声と賑やかな笑い声が響いてくる。
その方向を少し見遣り、また僅かに離れて隣に並んだサンジを見、独り言のようにゾロは言った。

「おまえがいなければ、なんの意味もない」
そして、思いがけない答え、
「でも、知っていたよ、おれは。」
深く息をすい、ゾロ一瞬、眼を閉じた。膝の上で組んだ手に顔を埋める。
サンジは急に遠ざかる潮騒の最後の音を聞いた。

「いつから―――?」
「あんたを好きになってから、ずっと。でも、本当にわかったのはこの間」
「あの時か、いなくなる前の」
「そうだよ、」

「わかったんだよ。おれにも、やっと。おれの顔がその人に似てたからあんたは側に
いさせてくれて、今じゃそれが邪魔するんだろ?でも、これはおれの顔なんだよ。
この顔とアタマの中身と。その両方で初めておれになるんだ。自分を否定されて、
それでも大事だって言われて、おれはどうすればいいんだよ?」
「サンジ、おれは否定してなんかいない、」
少し掠れた、声。

何だって自分はこんなにこの人が好きなんだろう、サンジは思う。完プ無きまでに。
「否定してるじゃないか。現に、あんたはおれから何も受け取ろうとしない」
「うけとっている、おれは」
「おれにそれがわからないのに?それとも気付かないうちに?」

ゾロは白々と照り返る月を見上げ、目を細める。
そしてまたサンジに目を戻し、うなずいた。
「そうだよ」
「大ばか。相手からもちゃんと受け取らなくちゃだめだろ。わからせろよ?じゃないと、喰い違う。
なに言ってんだよ。あんた、そんなこともわかってないじゃないか。よくそれで……」

あ。だから。
だから、このひとは、ヒトの夢をいとも簡単に紡いで見せたんだ、サンジは言葉を飲み込む。
"AL-ERF"は、ただただ、無償の愛情を注ぐのだと。教えてくれたのは誰だったか―――
ざあん、と波の音。少しの沈黙。瞳に、すうと影が通りすぎた。

「同じことを言う、」
冷たい指が、サンジの頬に添えられる。ゆっくりと、ためらうように。
「同じカオをして。おまえは誰なんだろう、そんなことをおれは思っていた」
そして夜を溶かし込んで青鈍色に変わった瞳がサンジを映す。風が砂を巻き上げ、音をたてて階段を滑る。
サンジがほんのわずか、ゾロに近づく。

おれの好きな声だ、サンジは瞳を閉じそうになる。

「たしかめたと、みつけたと思っても――――」
言葉は途中で消えてしまった。その続きを探すようにその眼はさまよいかけ、サンジは両手でゾロの顔を
自分に向けさせた。決心したように、再び口を開く。

「おれは、自分のことを強い人間だと思っていた。だけどな、もう」
耐えられそうもないんだ、と。噛みしめるような声が唇の間から洩れた。
「おれは、もう。喪くすことが。おいていかれることに、耐えられそうもない。もし、また失うようなことが
あれば、その前に自分の手で滅ぼしかねない。だから、」
この手はもうなにも、持たないほうがいい。抱かない方がいいんだ、と。

「ばかだなぁ、」
答える声は限りなく優しい。

「ゾロ。おれはあんたのことが好きなんだ。意地の悪いところや気分屋なことや嘘つきなところも
全部ひっくるめて、肩も首も髪も声もカオも指も全部。あんたの着る服も、好きな薫りも、みる夢も、
全部、全部好きだよ」
そっと伸ばされた手が、何度かゾロの髪に差し入れられる。

「言葉じゃ足りない。あのな、あんたに無条件降伏したんだ、おれは。だからもし、おれのこと要らなく
なったら、まず最初にあんたはおれを殺してくれなきゃいけないんだよ?おれも、もういやだから。
他のやつとは一緒にいたくない」
「サンジ、」
「おれは、あんたがおれを拾ったとき。死んじまいたかったんだから」
手は降ろされた。

「だから、何も心配することなんかない。すげえ悔しいけどさ。こんなに好きなんだから、おれが誰よりも
一番よくゾロのことをわかってる。親やコイビトたちより、もういないひとより、おれが一番よくわかってる。
おいてなんかいかない。だから、」

一つ、息をついて、サンジはにこりとする。

「だから。もういい、何も言わなくても。苦しんだりしなくていい、それはおれの本意じゃないから。
ゾロが決めればいい、"どちら"と一緒にいたいのかを。おれは、ちっとも構わないから。あんたを
なくすことに比べたらそんなこと、なんでもない。こわくもない。ほんとうだよ?」

ゾロは「愛しい」ものをみつめる。
自分の勝手で理不尽な愛情を全てわかっていてもなお受け入れて、それでも好きだと告げてくる人を。
他の誰でも、例え自分からいつか見ることを忘れていた死んだ恋人の面影でもなく。
そしてその瞳が薄く涙を浮かべるのを。

「ただ、ひとつだけ。ゾロ。いまおれに、あんたの気持ちを少しでもくれたら、あとは何もいらない。
そうすれば、おれは"自分"だっていらない。あんただけでいい。あんたの見たいものになる。
だから決めて、名前を呼んでくれるだけでいいよ」
そんなのたいしたことじゃないんだ、少し首を傾げて、そう小さく付け加える大事なもの。

いとしいもの、もう二度と失くしたくないもの。わかっている。残酷なほどはっきりと。
いまお前を捕まえたら、もう決して手放さなくていいのか?誰にも奪られなくていいのか?
もう、決して――――

「でも、ちょっとだけ恐いかな」
そして、少しだけ泣き笑いの微笑。
胸の奥深くが痛む。初めて目にする表情。
記憶をたどっても、どこにも―――無い。

また、望みを持ってもいいのだろうか。希望の可能性を?
おまえは側にいてくれると言う。共犯者じみた、迷路の出口で浮かべる微笑を持ち。
大切な―――おれの?


"世界"が重なったかと思った、
内から湧きあがるイメージに包み込まれる。
氷を通してみるような青い光、
ゆらゆらと深い水底にむかって遠ざかっていく船型の棺。天上の音楽。
眠るように微笑むひと。


――――ああ、お前が。やっとわらってくれた




ルビイ。




「向こうの方に―――」
「サンジッ、」
勢いをつけて立ち上がりかけた腕を強く引き止められ、信じられない、という風に見下ろした。
「いい、行くな。行かなくていい」
「ゾロ………?」

自分にとって、それが真実だった。
二度のルナ行きと。昨日までの自分の不在。その間に、何度も感じ取ったもの。
一度目の"学都"は ただ単に"家"の相続手続きのため出かけ。
二度目の不在は、確めるため。
"三月都市"に戻り、全てを処分してきた。ずっと手をつけられずにいた空に近いあの部屋も
売却し。初めて残されたモノと向かい合ってきた。そして二度目に "学都"を訪れた時は、
父親に頼み"ミューズ"と会い、登録コードの備考を抹消させた。

そのときに、初めて自分は涙を流す事ができた。
逝ってしまったものの為に。
確かに命を懸けて愛した、奇跡のような生と、その突然の剥奪。


そしてこの気持ちが、真実だ。
目をあわせる。逸らせることなく。他の誰でもなく。


「大事だよ、おまえのことが。きっと、何よりもいま、必要なんだ。もう一度、生きていくのに」
また、風。遠くの笑い声を運んでくる。

「ゾロ、」
すとん、とサンジは砂に膝をついてしまった。冴える月を背に。
一枚の絵。きらきらと波の鱗。
なんてきれいだろう、ゾロは思う。言葉は無能だ表わしきれない。
いつか夢でみた、あの在り得ない情景より遥かに美しい。

「おれで、いいんだ?」
「バカが。上等だよ」
ゾロはくすんと笑うサンジの頭を肩口に引き寄せた。一瞬の躊躇いのあとそのまま
自分の腕に抱き込む。冷え切ったその身体を風から守るように。

鼓動を額にかんじていた。温かさと波と、その音だけが全世界だった。
ずっとずっと待ってた。溶ける、そう思った。
ゾロは「いとおしむ」という言葉がそのまま表わされたように腕の中の身体を抱きしめた。
ずっと彼方から、「花火ィー」と叫ぶルフィの声が流れてきた。ぱあっと光の輪が空に散る。
天蓋の高みから降り積もるような光のなか、そのままお互いを抱きしめていた。

「―――ゾロ?」
「ん、」
「………"抱いてくれねえの?"」
額を合わせるようにして、わらいあった。
やがて。
"家"に戻るかと問われ。返事の変わりに、首許に固く腕をまわす。


降り積もる光の雨のした、並んで子供のように夜空を見上げていた。
淡色の絹が色の渦に浮かび上がるようで。離れたところで、ジャケットを脱ぎ捨て
ドレスシャツだけになったコーザは、スチールの筒に次々と"花火"がセットされて
いくのを横から覗き、スタッフからあんたは筋がイイと褒められ上機嫌に笑っている。
「すげえキレイだろ。見せてやりたかったんだ、」
見上げたままの横顔。
「あのオレンジ。あいつらしか出せない色なんだぜ?」
「ルフィ、」
呼びかける。
「私、あんたが戻ってきてくれて嬉しいわ」
満面の笑みで、ナミは返される。





to the final scene


back to story 10