Angels Don’t Cry 晴れの日は嫌いになった。 抜けるような蒼穹に風の抜けて行くような日は最悪だ。 思い出すから。 「テーブル・クロス」。 木の卓にひくソレを子供の遊ぶみたいに真剣に、それでも笑い声をたてながら ひらめかせ ふありと布が。卓を包み込んでいったこと。 くしゃ、と笑い顔をつくっていた。 黄金の王冠を被ったみたいにその髪が陽を光に返していた。 甲板を走るいくつもの軽い足音。 夏雲が海の際から立ちあがる。 陽射しと 風と ヒカリと。 あるはずも無いのに襟足の後ろあたりに空気がそよぐ気がする。 飽きることもなく続けられていた剣の鍛錬とルーティーン。 やがて伝う汗が 不思議と「海」の味がした。 ちょっと困ったような吃驚したような表情が返って来ていた。 ソレがおもしろくて イトオシクテ 日常。 最悪だ。 防水シートでオカシゲな屋根だけのテントをつくって夜中の見張り台で わらいながら もう一生分キスはした筈と思ったのにな。 夢の場所に居ンのに、なんで 意識が飛ぶかね、おれも。 馬鹿だな、どうしようもねえ大馬鹿 あのクソ剣豪も―――おれも。 それとも ずっと続くものなど無いのだと。 日常は、奇跡が続いているだけなのだと。 子供の頃に、自分の中に叩き込まれた想い。 終わりが、見えてくるまでおれはそのことを 限界にまで高められた神経がその音を捕らえ、緩んだ。 人の身体の7割は水分で要素は海水と近いのだとか、そんなことを言っていた。 あれは、いつだったか 男の頬を掠めた。死の数瞬前、自分より随分と年長の男の口許にちらりと刷かれた笑みは。 小さく嘲う。 拡がる朱を混ぜ込んだ水。ぱしゃり、と靴先でそれを跳ね散らし。 歩き始める。 問いかけてきた いまのおれなら。 あんたの中に在ったその思いに 共鳴できる 昏睡から覚めて3日目、もう普段通りに夜中の見張り台にいる姿にサンジは声をかけた。 刃が交される度、磁場が歪み重力が狂うようなあの時間は ただそれを見守る事しか許されていなかった自分達にとっても 特別な意味を持つようになっていた。 夢の航路の果て。 新たな、一歩。 げんなり、とした風に言うのにサンジが「アホか、」と返す。 「チョッパーがいなけりゃその大キズだ、時間差でてめえも死んでるぞ」 に、と意地の悪い笑みを浮かべる。 「最短記録更新だぜ、在位2分の王座なんてのは」 拳か剣で返されるかと思った反撃は、いつまでたってもやっては来ず。 代わりに、ひたりと。揺るがない眼差があてられる。 「その先を、考えたこともなかった、」 自分の内側を手で探るような低い声は 「俺はな、生まれて初めて。―――恐えと思ってる、いま」 思いも寄らなかった独白を告げ。 それが、微かに震えているのを、サンジは信じられない思いで見ていた。 怪我を慮ることもせず、精一杯抱き締める。 「ずっと突っ走てりゃ良いだろーが。何も変わんねェよ」 自分の背にやがて回された腕が抱きしめ返してくるのを痛いほどに感じていた。 自分たちのついた嘘を 苦痛と錯覚するほどの悦楽と 妄執と見分けの付かない愛着 抑制の効かない衝動 タマシイもココロも お互いの手のなか サンジの言葉が、絶望的なまでの穏やかさで耳に届く。 「この、海に。おまえより強えヤツ、もういねえんだもんな」 いつもの通りに賑やかに朝食が終わり次の航路を目指してでもいるかのような。 慌しいなかにもどこか晴れやかな気配の中で、サンジを除く全員が甲板に出て近づいてくる 島影を眺めていた。 ぶうう、と膨れているのは「海賊王」で。 「言ってんだろうがよ!」 ばし、とすかさずソレを突っ込むのは着実に自分の夢を叶えつつある「海の戦士」。 海賊王の寄港に島は祭りのような騒ぎになり。 近づいてくる埠頭の歓声に自分たちの声もままならない。 「これ、万能薬だから。でもな、死んじまったら、効かないからな?言っとくけど」 「ああ、ありがとうな」 「うん。」 キツイ眼差が穏やかなものに変わり、そしてぐしゃぐしゃとキャップごと頭を引っ掻き回すような 大きな手の感触に。いくなよ、と言いかけ制する。 あの、コックも言っていない言葉を自分が口に出すわけにはいかない、と。 ナミが真近でにやりと笑みを浮かべ。 「私たちもここに寄港するけど、あんた私たちに最後のご奉公しなさいよね?」 「なんだよ?最後までロクデモねェ魔女だなてめえは」 「急に荷物持ちがいなくなったら、サンジくん可哀相でしょ」 ぱし、とゾロの頭にくるくると巻いた紙を打ち付ける。 その紙を手に取ったゾロにあわせられたナミの目に。ちらりと涙が浮かびかけ、 慌てて背を向け既にルフィが喚声をあげている舳先へと向かう。 その背に。 「なに?」 振り返らない。 「―――海図、か?」 「お餞別。あんたでも迷わないくらいの上物よ。失くしたら承知しないわよ?」 急に視界がオレンジの色で埋まった。 ナミが、細い腕を肩にまわし。抱きつく、というよりはぶら下がるようにして そう、呟いた。 「目が覚めても。終わらないと思ってたのに」 「そうだな、けどよ」 ぽん、とその気丈な女の頭に手を下ろす。 「次のが、もう始まってるだろ」 ひらひら、と手が振られる。一箇所を指して。 迎えに、ゾロの足はラウンジへ向かう。 例によって、分かりきったルーティーン。食料の供給量は一度の往復で済むほどのヤワな物で ある筈もなく。往復するたびに、別の道を面白がってサンジは選び、それは近道であったり逆に 街を迂回しているものであったり。必ずといって良いほど遠回りは船へと帰るときの道で。 その度に、てめえクソ重てェモン担いでるおれの身にもなってみろ!とゾロが変わらず声を荒げ。 サンジはけらけらと高笑いし。普段の行いがよっぽど悪ィんだぜてめえ、と。 まるで、明日にもそれが続いているかのように。 最後に残されていた道はやがて緩やかな坂道となり丘へと通じていた。 海を見おろすそれは柔らかな夏草に覆われ、午後遅い風が抜けていくような場所で。 その頂には随分と年月を重ねた樹が枝をはり、葉擦れの音をさせていた。 細い、いまにも草に隠されてしまいそうな道は、そこで分かれていた。 微かに、唇端が引き上げられる。 ただ、溢れるような陽射しと晴れ渡る空の下で 触れまいと誓っていた細い身体を抱きしめるしか、自分の中で興った感情を納める術を知らなかった。 一緒に手放してしまったものは、何だったんだろう。 あの、笑みと一緒に。感じられた温かさに。 これは自分の望んでいた「高み」であるのか、ただの虚像であるのか もう長いこと、どこかが麻痺してでもいるように。 幻のような日は。 まるで与えられた恩恵であったのだと。そんなことを思う。 冴え渡る月に。妖刀が朱を吸い光を乗せる。一振りし、刀身からそれを飛散させ。 わらい方なんざ、忘れちまったよな、と。 その手にした鋼に話し掛けでもするように。 感情を手放す事から。 古傷を抉って指先が震えだすほどの痛みを伴っても確かに残る 愛情の記憶 ここじゃあ、中が喰われちまうんだな 斬り続ける自分に まさにコレだな、とサンジは思う。 眩しすぎるほどの光に溢れた、夢のたどり着いた場所。 「ばかっ!あんたナニ言ってるのよ!私がいるのにそんな手間取る訳ないでしょっ」 ばし。とナミの拳が炸裂し。 船から降りた日、ルフィは底が抜けるほどの笑顔で舳先から手を振りつづけていた。 仲間、と一緒に。 自分のなかに、ぽかんと空いた穴は変わらずそこに在ったけれど。 丘の上のあの分かれ道。 振り返らない背の進んでいった先を いつまでもいつまでも眼で追っているんだろう。 ここはただの「海」でしかない。それを前にして何か仕出かそうっていう気概がなけりゃ、どこにいたって 変わらない。ここは、あくまでおれの「手段」だったんだ。「目的」じゃなかったんだ、と。 時間をこの自分が持て余すなど、前代未聞だ。おまけにここは―――― 夢にまでみた場所なのに。 あの頃。 当たり前のように受け取っていた熱が。得がたいものであったこと。 バカみたいだ。 ソレで、誰かを生かしておきたかったらしいなんてな。 笑える。 「見つけりゃ、良いんだろ。要は」 あのクソ剣豪をよ、と。 何も変わらない景色。市街地から、埠頭へと続く道。 持ちきりだった。この島はあの海賊王のお気に入りの港なんだと、誇らしげに住民が話していた。 それを聞くともなく耳にしながら、自分の周囲に常に在った血の匂いが、少しは薄らいだような 気がした。口許に微かに笑みの影がよぎったことまでは、ゾロは気が付かなかったけれども。 この丘の頂きで、自分の選んだ道を。もう一度選びなおそうと思う。 できることなら。 その先は、あの海へと 繋がっていて欲しいと 祈りにも似て、願う。 でも、その先は?わかんねえな。あのクソ方向音痴の行く先なんか、お手上げかもナ。 フン、と小さく笑ってサンジはタバコに火を点ける。 どこまでも遠く、眼下に広がる夏の野原。 記憶の底がざわついて、締め付けられるような色彩。 幹に寄りかかり、頭上に拡がる翠に目を細め。 渡る風にやがて眼を閉じる。 樹の陰にすわり「なにか」の来るのを待っていよう。しばらくは、そんなことを夢想していたって 罪にはならないだろ、せめて埠頭からここまで来るのに浮いた汗がひくくらいまでは。 風、気持良いな――――。 甘ったるい幻かと思った。 樹の陰、目を閉じているおまえ。睫が影をつくり、それが細かく揺れているようで。 在り得ない、そんなことを思った。何かを、待ってでもいるように静かに、眼を閉じている姿。 消えてしまわないように 不意に落ちてきた影に開かれ ちょっと重ために仕上がってしまいましたでしょうか…。再会は果たしたです、どうにか。 |