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 Arietta
 
 
 買い物帰りに小さなギャラリに寄った。メインストリートから僅かに外れた場所に在る、こぢんまりとしたスペース。
 それはふとしたことによる衝動的な行動だったから、思いがけない人がごく自然にそこに立っていて、オレの心臓は一度軽く跳ねたのだった。
 予想外の、とても嬉しい出来事。
 
 最初に目に入ったのは、すらりとした身体にフィットする光沢のあるグレイのイタリアン・スーツ。次いで見事なスティールレッドの前髪の間から覗く、印章的な濃いエメラルド・グリーンの切れ長の眸。
 人を寄せ付けない雰囲気が、けれど一瞬でふわりと解けて。
 「元気そうだな」
 どこか甘やかすトーンで低すぎない声が言った。
 
 「…アナタも、シャンクス」
 やっとのことで声をだせば。目が真ん丸だよ、ベイビィ、そう笑いを含んだ声で返され、するりと伸ばされた腕に抱き締められた。
 髪に優しく口付けられるのを感じとり、目を閉じる。
 昔となに一つ変わらない仕種。嗅ぎ慣れた香水にブレンドされた煙草の匂い。
 スレンダーな外見に反して、きっちりと筋肉の付いた身体に腕を回した。さらりと細長い指に髪を梳かれる。
 「独りでここへ…?」
 「まさか」
 くすっと耳元で笑いが零される。
 「ちゃんと居るよ。黒いのじゃないけどね。今頃外で人払いしてる筈だ。思いがけずオマエと会えたからな、邪魔されたくはないし」
 それからすぅとトーンが変わり。
 「ベイビィのボディガードかな、そこのコは。少し下がっていなさい」
 命令しなれた声が、威圧的ではないけれども従うことを余技なくさせるだけの威厳を以て告げていた。
 振り向いて、友人でもあるボディガードのビクトリアに声をかける。
 「この人は大丈夫だよ、昔からお世話になっているんだ。ゾロの知り合いでもあるしね。だからもしよかったら、先に中を回ってて」
 笑顔を付け足せば、納得したのか。恋人の次によく隣に居てくれる彼女が、すぅ、と身を翻して離れていった。
 「なかなか出来るコだね」
 「オレのボディガードやってるなんて、本当は勿体ないくらいなんだ」
 
 懐かしいエメラルド・グリーンを見上げれば。オマエはそれだけ大事にされてるってことだろう、と柔らかな声で告げられた。
 笑って頷いて返す。
 「…ふン、イイ顔だね」
 ふに、と頬を突かれた。その変わりのなさにまた笑顔になる。嬉しくなって、回したままの腕に力を込めれば、また優しく口付けを落とされる。
 
 「アナタは変わらず優しい」
 「もちろん。オレの手元から離れても、オマエがオレのかわいい子猫チャンであるのには変わらないからな」
 ぽん、と優しく肩を叩かれる。
 「店の方はどう?」
 「ウン?道楽の割には順調だよ。ラ・テット・ルージュもサテンドールも店員は入れ代わったし、趣も変えちまったけどな。今はジャズバンドを雇っている。G/Mじゃキャパオーバになるんで、もう歌わせていない。連中もスケジュールはフルだしな」
 「みんな元気?」
 「元気だよ。変わらずにやっている」
 「そう」
 背中を軽く押され、掛けられた絵の前を進む。
 見上げて、見つめて。我知らず、微笑が零れる−−−思い出した。
 
 「アナタとここで出会えるとは思ってもみなかった」
 「ん?埋もれた才能を発掘するのは趣味なんだよ、オレの」
 くすっとシャンクスが笑う。
 「この絵はどう?」
 「若い作家の割には宗教画くさいところが気に入っている」
 「うん、フラ・アンジェリコに感銘を受けたんだって」
 指さした先に描かれたのは、救世主を胎内に宿した聖母が麗らかな日差しの中でうたた寝をしている絵。陽光に透けるようなちいさな天使たちが、そっと覗き込んでいるのがとても愛らしい作品だ。
 「―――あたたかいね」
 「優しい絵ではあるな」
 「こういうの、シャンクスは好き?」
 見上げれば、苦笑が帰って来た。
 「好みから言えば少し優しすぎるが、モデルがお前に似ているからな」
 齎された返事に、一瞬戸惑う。
 「はい?」
 「眼鏡かけて見てみろ。女性らしくなってるが、これはお前だろ」
 ジャケットの内ポケットから眼鏡を出して再度見る。
 「―――なんで聖母がオレ?」
 「見る眼があったってことだろ」
 くす、と笑いが返ってきて、小首を傾げる。
 「大学に通ってた頃、オレすっごく素っ気なくて愛想なしで有名だったのに」
 「そう思い込んでたのはお前だけかもしれないぞ」
 「……?」
 「お前が大学に通ってた頃に同期だった何人かは、確実にお前のイメージを溶け込ませてるぜ?」
 次の絵の前に移動する。クラスメイトだった彼が描いたものは、戦場を毅然とした目線で見つめる武装した天使、タイトルには”明星”と書かれていて。
 「お前が堕天しても魔王にはなれないと思うが、時々こういう眼差しをお前がしてたってのはコイツにもバレてたらしいな」
 ―――命をかけて戦っているさなか、冷静な眼差しで状況を見遣っている天使。
 「―――彼とは挨拶を交わしたぐらいの仲なのに」
 こつ、とタイトルが書かれたプレートを叩く。
 「それだけお前が印象深い人間だったってことだろ」
 「うーん、ますます解らないなぁ」
 今考えるとつまらなそうに生きてたのに、と 呟けば。
 シャンクスは小さく笑って、お前はいつでも一生懸命に生きていたさ、そう言われた。ただキレイなだけだったら、誰かの印象にこんなにもしっかりと残ることはない、と。
 
 「うーん…そっかあ…」
 「なんだ?不満そうだな」
 「んん、オレより綺麗な人なんていっぱいいたのに、って思って」
 次の絵の前に移る。こちらは珈琲カップを片手に膝に乗った猫を撫でている絵。背景にはよく手入れされた中庭。
 「…あ、よかった。オレに似てるけどオレじゃないや」
 「前の二作は在学中に描き上がったモノだが、こっちは少し後だな」
 「あ、多分そうだね。他にいいモデル見付けたのかな」
 次の作品を見詰める。十字架に向かって一心に祈りを捧げる若い神父の絵。オレのようでもあり、違うようでもある誰か。
 「本人に聞けばいい」
 「ん」
 笑みを浮かべてシャンクスを見詰める。ふわりと笑みが返ってきて嬉しくなる。
 
 次の絵は、中世イタリアが設定の仮面舞踏会。どこか抑えられた色使い、けれど華々しさが失われることはなくて。
 「…うん、素敵になった」
 絵から深みを感じ取る。記憶を辿り、出来栄えを無意識に比較する。年数の分だけ滲みでた味わい、成長の跡。
 「……時間が経ったんだねえ」
 呟けば、シャンクスがさらりと髪を掻き交ぜて笑った。
 「そうだな」
 
 芸大の元クラスメイトとオレの知らない誰かの作品展示会をシャンクスと見回り。一周した所で戸口で待っていてくれたボディガードのビクトリアに、ひらりと手を降った。小さな頷きが返される。
 「この後シャンクスはどうするの?」
 「画廊と連絡して商談」
 「気に入ったものがあったんだ」
 「まだオレのコレクションに加えるには未熟すぎるんだがな。かといって放置するのは許せない」
 ふに、と軽く頬を摘まれる。深いエメラルドグリーンの目が柔らかで、また笑みが零れる。
 「原因はオレ?」
 ふふん、とシャンクスが笑った。
 「Don`t be so sure, baby」
 頬に口付けされる。”随分と自信ありげだね、ベイビィ”。
 「貴方の”特別”であることの意味を今なら理解できるから」
 エメラルドグリーンの双眸を見上げれば、額にもやわらかな口付けが落ちてきた。
 「聡い子だね、この素敵なラブキャットは」
 踏み込ませない光を持った目は、それでも格段に優しい。
 「…シャンクスに出会えてよかった」
 にこりと笑って言えば、シャンクスもにやりと笑った。
 「当たり前だ、ベイビィ。みんなそう言うよ」
 「うん」
 頭をくしゃくしゃに撫でられる。それから、柔らかな抱擁が続く。甘い笑いに彩られた一瞬。
 
 「それにしても。お前は随分と柔らかくてふわふわしたものになったな」
 さらりと長い指先が前髪を梳いていく。微笑んで真っ直ぐにシャンクスのエメラルドグリーンを見詰める。
 「痛かった所も、尖ってた所も、みんなゾロが治してくれたから」
 くすりとシャンクスが笑った。
 「言ってくれるね」
 「幸福だから」
 シャンクスの頬に口付ける。
 「シャンクス、貴方にも沢山の幸福を」
 グラーツェ、と柔らかな発音が耳を擽る。
 伸びた髪をさらりと長い指先が梳いていく。
 「お前は素敵な天使だが、ラファエルかジブリールってとこだな。少なくともルシフェルではない。そこがコイツの限界かな」
 「…天使のことはよく解らないけど。オレにとってはアナタはミカエルだから」
 炎を司る”正義”の守護天使。
 くす、とシャンクスが笑った。
 「昔から悪魔だの魔物だの言われてきたけどなぁ」
 「オレにとっては、だから」
 「お?否定はしてくれないんだ?」
 「うにゃっ」
 くすくすと笑うシャンクスが、冗談だよ、と囁いた。
 「あ、でも…あれ?」
 なんで否定できないんだろ、と首を傾げたサンジに、にぃ、とシャンクスが口端を引き上げた。
 「いいんだよ。オレは悪魔だから」
 「うーん、イメージはミカエルなのになぁ…」
 むむ、と唸ったサンジの頤を捕らえ。にっこりとシャンクスが笑う。あんまり可愛いと頭から喰っちゃうよ、と。
 「がぶっと?」
 「がぶっと」
 「丸ごと?」
 「丸ごと」
 「うーん」
 こら、そこは考える場所じゃないだろ、とこつんと頭をノックされる。
 「ふふ。シャンクスも解ってて言うよね」
 「あいつはホントにお前を強くしたね」
 初々しいお前はどこにいった、と顔を覗き込まれて微笑んで返す。
 「ゾロはオレの全部を本当に包み込んで愛してくれてるから。だからとてもゆったりと息ができるんだ」
 どこにも無理がなく、ゆったりと。
 
 「お前はきっと天使より良いものだね」
 ふわりと微笑むシャンクスを見上げる。
 「シャンクスは前も優しかったけど、いまはもっと優しいね」
 髪と同じ色のきれいに整えられた髭に軽く触れてみる。すい、とその手を引き上げられ、掌に軽く唇が押し当てられる。
 「本当に聡い子だね、お前」
 優しいエメラルドグリーンがふんわりと微笑む。その意味を感じ取る。
 「…シャンクス」
 「ん?」
 「大好きだよ」
 知っているよ、と柔らかな声が聞こえた。そのままくしゃりと髪を掻き交ぜられた。
 「ほんとはお前らにも自慢したいんだけどね。人見知りするコだから」
 「そっか。どんな可愛い子なんだろ」
 本当にシャンクスが大切にしている宝物。きっと飛び抜けて素敵なヒトに違いない。
 くすっとシャンクスが笑い、ウィンクが飛んでくる。
 「オレが可愛がるようなコだよ」
 「うーわあ、ますますワカラナイよ。でもきっととても素敵なんだろうけど」
 
 不意に優しかったシャンクスの気配が引き締まる。そして現れたのは上等な黒のスーツを来た男性。
 「失礼します」
 シャンクスがオレの肩を軽く叩き。それから、すい、と彼に近寄っていった。秘書のようなボディガードのような彼がオレに軽く会釈をくれる。
 入れ違いにビクトリアが戻ってきた。どこか心配げな眼差し。
 「だいじょーぶだよ、心配しなくても。それよりなにか気になる作品はあった?」
 そうやって彼女と雑談をしている間に、シャンクスが軽い足取りで戻って来た。す、と退く姿勢を見せたビクトリアを手で牽制する。
 「お仕事?」
 聞けば静かにシャンクスが口端を引き上げた。
 「残念ながら画商を虐める時間はなくなっちまった。代わりに代理人を寄越すけどな」
 「シャンクスは有能だから」
 「そういう解りきったことは言わなくてもいいんだよ」
 軽くハグと頬にキスで別れの挨拶。にこりとシャンクスが笑った。
 「またな、ベイビィ」
 「うん、またね」
 ひらり、と手を振ったシャンクスが踵を返し。それからエレガントな足取りで小さなギャラリを後にしていった。あっという間の出来事。
 
 「サンジ、彼は」
 「うん、オレにとっては大切な人。ずっと面倒見てくれてたんだ。だからゾロ以外の人には彼のことは絶対ナイショだよ」
 人差し指を口に当てる。溜息と共に彼女が頷いた。
 「天地神明、口はつぐむと約束する」
 「ありがとう」
 貴方はなかなか意外性のある人だね、と彼女に言われて、そうかな、と笑った。
 
 空気に残る懐かしい匂いを肺に収め、ぐるりとギャラリを見回した。記憶のどこかにひっかかっていた名前に引かれてふらりと訪れた場所。
 「充分に見た?」
 ビクトリアに聞けば、貴方は?と返ってきた。
 「うん、堪能した」
 あんまり懐かしくは思えなかったけど。確実に過ぎていった時間を思い起こさせてくれた。
 
 ビクトリアに促されて、ゆっくりと歩き出す。
 「ねえねえ、帰りにさ、ジェラート屋に寄っていこ。そこから一度部屋に戻って荷物置いてさ、ゾロのとこに顔出しにいこう」
 「ジェラート屋、ですか?」
 「うん。ダウンタウンにあるんだけどね、すっごくおいしいんだ」
 くすっとビクトリアが笑った。
 「わかりました、そういたしましょう」
 
 車を回してくるといってビクトリアは先にギャラリを出ていき。ふい、と見遣った先、出入口のすぐ近くに置いてあったテーブルの上のサイン帳に気付いた。
 「―――そうだ」
 なんとなく覚えのあった名前に引かれてここに来たけれども。
 ペンをくりんと回して一瞬考えてから書き込む。
 ”素敵な作品を描いてください。天使なんかじゃ無い元クラスメートより。”
 「よしっ、と」
 書き込んだページを見る。流麗なシャンクスの文字が見当たらなくて、なんだか納得しつつも笑ってしまった。
 
 ドアが開く音がして、女性スタッフが出て来た。
 「もう帰られますか?」
 「はい、お邪魔しました」
 にっこりと笑えば、彼女はビックリしたように目を見開いた。
 「大丈夫?どうかした?」
 「あ、いえ。なんだかどこかで見た方のような気がして。でもこんなに綺麗な方だったら、一度見たら忘れないかなぁ、と。あ、どうぞ」
 彼女がドアにかかっていた札をひっくり返していた。開かれたドア越しに見る”オープン”のサイン。
 「……ありがとう」
 ボディガードが人払いしている筈だ、と言ったシャンクスの言葉を思い出した。また笑みが勝手に零れる―――シャンクスはやっぱり、守護天使みたいだ。
 
 ビクトリアが運転する車が目の前で停まり。乗り込めば、とんとん、とサングラスの縁を叩いていた。ふと思い出す、眼鏡をかけっぱなしだったことを。
 「ありがと、忘れてたよ」
 サングラスにかけかえる。
 「でも正解だったかもしれないですよ。まだ彼女、こちらを見てます」
 「あ、ほんとに?」
 「三点ほどサンジがモデルっぽい絵がありましたよね。だから既視感を覚えられているのでしょう」
 にこ、とビクトリアが微笑んだ。
 「…ぱっとみでも解る?」
 「私は解りました。いま時点のサンジの方が断然キレイですけどね」
 「キレイかなぁ」
 首を傾げて見遣れば、くすっと笑みが返ってきた。
 「コンタクトを入れてない、裸眼の時にお会いすると。目が潤んでいて愛らしいですよ」
 「うーわ、そうなの?」
 「しかも一生懸命見詰めてきますでしょう?ますますキラキラして見えますし」
 「うーわあ、知らなかったぁ」
 私が雇われた理由が解りました、そう言われて笑ってしまう。
 「結構これでも喧嘩してきてるんだけどね」
 「格闘家でもない限り、しないに越したことはありません」
 
 車はダウンタウンに向けて走り出す。ジェラート屋、前にシャンクスに教わった場所。訪れた時に傍らにいたのは―――。
 「元気にやってるかなぁ」
 優しい気持ちで思い出す。遠い昔に思えるあの頃のこと、そして大好きな彼らの笑顔。優しくふんわりとした記憶。
 ふ、と街中の巨大看板が目に入る―――完成前に何度も見たソレ、ニューアルバムのジャケット写真。
 
 「ビクトリア、もうすぐツアーが始まるね」
 「はい。また移動する日々ですね」
 「楽しみだね。今度はどんな所に行けるんだろ」
 ゾロやみんなと訪れる様々な都市。その街にあるいろんな風景をゾロと一緒に見れるのは他とない喜び。
 「クリスマスもツアーにかかっているね」
 そういえば、正月もですよ、と言われた。
 「今年はどんな変装をなさってパーティに連れて行かれるんでしょうね?」
 くすくすとビクトリアが笑う。なんだろうね、と笑い返す。
 「スタッフさん、遊びの延長とかいいながら、すっごい凝るしなぁ」
 「でも毎回似合ってますよね」
 「そう?」
 「サンジだとは安易にはわかりませんが」
 くすくすと笑う。
 「ま、オレはゾロと一緒に居られれば、他に望む事はないからなあ」
 にっこりと笑ってビクトリアが言う。
 「その前にクリスマスですね」
 「そうだね。サンクスギビングもあるね」
 今年は早めに用意していきましょうね、と笑ったビクトリアに頷く。
 「そうだね。今年は―――」
 
 
 
 
 FIN
 
 
 
 
 Say You Will、のシリーズ番外です。
 いかがでしたでしょうか、ひさびさの「ぽにゃ」は!本当に幸せそうに微笑んでくれてまして、私は嬉しい……ッ。
 ぞろのあめ、こんちくしょう!>コラ。そして、武藤家の天下御免な刃物男様も―――ほぼ1年振りのお目見えで!
 うああ……例の。2003年のハロウィンの頃にイキナリ展開したお話以来です。しかし―――あのくるくるな子……
 「愛されてる」ようです、ぶるぶるぶる。
 
 
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