AUBE
「惚れたのは、一人の男だけ。あの人以外は、オトコなんて、みィんな同じなのよ」
そういって、抱いた女はくすりと笑った。
柔らかいというよりは、しなやかな躯。滑らかな肌は自分より熱が低く、身体を重ねた後でも不思議とさらさらと涼しげで。だからか、男にしては珍しくすぐには下がらせずに部屋に残し、酒の相手をさせていた。
この界隈で一番の店らしく、酒も女も申し分なかった。
静かな部屋に、夜の無い色街の遠いざわめきが楼閣の窓の下から立ち上ってきていた。
「あんた、悪名持ちだろう?」
だからどうした、とでもいいたげな男の様子に女はくすくすと小さく笑う。
「この店の他の妓がみィんなあんたに付くのを怖がってサ。第一、通り名が悪いよ」
「何も好きで呼ばれてるわけじゃない」
男は杯を飲み干し。
「女に優しい、良いオトコなのにねェ」
差しだされた男の手の杯に、女は静かに酒を満たす。
「おまえは」
「なんだい?」
「怖くはなかったのか、」
眼を細めて女が笑う。
猫だ、男はふと連想した。
「アタシはねェ、待ってるのサ」
女の細い指が自分の喉頚を掻き切る仕草を作る。
「こんなくらしを終わらせてくれる男をね。あんたじゃなかったねェ」
三日月の形を、紅のとれた唇がなぞる。
おもしれえ、男が小さく笑う。
そして金の入った袋を女に渡し言う。
「しばらく長居することにした。どうせ俺の相手はおまえしかいねえんだろう?」
「そりゃ、そうサ」
ふふ、と笑い、猫のようにしなやかに女は寄り添った。
「不思議な色の眼、してたんだな、」
二度目の宵、差し向いで酒を杯に注がせた男はいまさらなことを言う。
「やだ。いまごろ気付いたって?」
野暮な男、小さく言ってもその目元は笑みを残しており。
「凍った、海の色に似てるな。北の方で一度だけ見たことが有る」
「そう?」
「ああ。良い色だ」
かすかに女が首を傾け、長い黒髪が、肩の線に沿って流れた。
「アタシの惚れた男もね、同じことを言ったっけ」
「死にたがってる女に惚れられるなんざ、因果なヤツだな」
そうだねぇ、と女は答え、差しだされた男の杯に酒を満たし。
男の杯を飲み干す咽に、そっと朱の唇をあてた。
窓の外にはいつしか月が上り。杯を手に、単衣をはおっただけの男は月を背に座していた。
「あお、じゃあないな」
「アタシの眼はね、錆浅葱(さびあさぎ)って色よ。あんたの色は若竹色と、薄萌黄。後ろの空は黒橡(くろつるばみ)。月にかかる雲は、素鼠色」
娼婦の語彙とは思えない、色の名前を次々と女は口に出し。
「くわしいな、」
「アタシは機織りだったのよ、昔はね。糸を染めて、まいにちまいにち絹を織ってた」
ずうっと昔、女は続けた。
あの人に惚れたのも、そのころ。一緒にクニをでたのはいいけれど、いまじゃあこんな苦界のくらし、と、たんたんと穏やかな声で。
でもね、他の妓にくらべたら、アタシは良い方。あの人以外はオトコなんて誰もみィいんなおんなじ。
悪びれもせず、自分を抱いたばかりの男に告げる。
「あんたは良いオトコだけどね」
かた、と酒器が倒れ。しゃら、と金属のあたる微かな音が響いた。
夜が明け始める。高楼の、彫刻の施された窓の手すりにもたれて、男は変わる空を見ていた。
その横で、一心に女が次々と移り行く空の、雲の色を男に教える。
あれは緋(あけ)、あれは紅柄、鴇羽色(ときはいろ)、あれが蘇枋で、梅紫。その下が、蒲萄(えびぞめ)、紅藤、半色(はしたいろ)。
次々と歌うように色の名前を告げるその横顔が童女のようで。薄物をはおっただけの細い肩が冷たくなるのが哀しげで。
初めて女を、好ましい、と思った。
もともと一所に長居できない性分の男が、色街とはいえその店に登楼して8日目が過ぎるころ、店主がそっと男に話をもちかけてきた。
あれがそれほどお気に召されたなら、どうでしょう、ひとつ、身請けをなさっては。
次々と賞金首を狩る男にとって、告げられた女の命の値は驚くほど安かった。
けれどもそれは決して安いとは言えない値であることを、人の常から外れた道を進む男には知る由もなく。
その晩、男の部屋に女が上がると、慣れた風に男の肩に手を滑らせ、その腕を抱き込むようにして自分の身体を添わせた。
「明日はお立ちかい?」
「おまえは、こないのか?」
静かな、声。
「いまさら自由の身になったってすることもないもの。もうここが、アタシの居場所なのよ」
女は言った。
「ひとりで歩くのは、アタシは止めにしたんだ」
男が自分を身請けする気でいる、と店主から告げられた時、女は男の素直な強さを愛しいと思った。
「連れていってやるさ」
「どこまで?バカなお人。アタシがあんたの生業を知らないとでもお思いかい?」
それにネ、と女は優しく男に向かって微笑む。
「アタシには、待ってるヒトがいるんだから、一緒にはいけないヨ」
そうなのか?と問いかける男はどこか子供じみた当惑を浮かべており。
年相応の幼さを初めて女は眼にする。
「あんたは、カワイイねぇ」
女が手を伸ばし、男の若竹色の髪を指で梳く。
「さ、抱いとくれ?」
相手の腕の中にすっぽりと身体をおさめそう言った。
まだ、宵の明星が空に残るころ、身支度を整えた男を送りだすために女は店の入り口にいた。
男の気配を横に感じ、その顔を見上げる。
それでも、手が差し出された。自分に向けて。
なんてバカで、優しい男なんだろう、女の中で気持が溢れる。
「あんたの連れていくのは、アタシじゃあないのよ」
そっと手を押し返すようにして、女は続けた。アリガト、と。
「まだ生娘だったころはね、もっと良く見えたんだけどサ。あんたの先が、アタシには少しだけ見えるよ。ね、教えてやろうか?」
「いらねえよ」
予想していた通りの答えが返ってくるのに女は楽しげに小さくわらい。
「あんたの捕まるのは覗色。連れていくのもその色よ」
「ノゾキ・・・?」
女は男の背中を押すように、店の広い入り口の方へと導く。
「なあ、おまえの惚れた男は・・・」
「東雲色の雲の向こうに、いんのよ。あの人は」
「遠くなのか、」
そうよ、とくすくすと女が笑い。
男衆が逗留の間あずかっていた男の三本の刀を、後ろから女に手渡す。女は丁寧にそれを受け取り、男の方に歩を進める。
両手に捧げ持つようにして刀を男の方に差しだす。
「さ、旦那」
男は、うなずき、受け取る。
そのときになって初めて自分が女の名さえ聞いていなかったことに思い至る。
そして錆浅葱の瞳が、ひた、と男にあてられ。ふ、と細められた。
「"また、きておくんなさいよ"。」
二度とは逢わぬ、永の別れ。
明ける空。
雲の色を甲板で眺め、思いだした。賞金稼ぎをしていたころの淡い恋ともいえないような気持とそのときの女の声。
「なあ、」
ふと、黙って空を同じように見ていた隣の男に向けて声をかけた。
「なんだ?」
「しののめ色って、どんなのだ?」
あ?と片眉を引き上げるのは問われた方。まだ熱でイカレテんのか、とでも言ってやろうかと。
しかし、おもいがけず真剣な眼とぶつかり、からかいの言葉を引っ込める。
「東雲色ってのはな、天国のある方向、明け方の、太陽の周りの雲の色だ。ほら、ちょうどあんなの」
指さす先には、まばゆいばかりの明けの色。
「じゃあ、薄萌黄ってのは?」
「ん-----?緑のつよい黄緑のこと。ああ。ちょうど、てめえの眼の色だな、そういえば」
どうしたよ?と問いかけられる。それには答えずに。
「おまえ、なんでそんなに詳しいんだ?」
「料理人はな、色に繊細なんだよ。てめえみてーな刀バカとちがってね」
「そうか、」
妙に納得した風の剣士に向かい、どうしたよ?とまた同じ問いを繰り返す。
「じゃあ、ノゾキイロってのも知ってるか?」
「ノゾキ・・・?ああ、覗色か?ホライズン・ブルーのことだ」
「ホライズン・ブルー?」
「あー、つっても、てめえにゃわかんねーか。あのな、水平線の色のことだよ、」
海と空の間をすんなりした指が示す。
「あの色」
返事の無いのをいぶかしむように、剣士の方を振り向く。
さっきから、こいつの様子はどうもおかしい、大丈夫か?などと頭が勝手に心配なんかを始めてしまう。
すい、と伸びてきた手が、自分の顔を挟み込むまで。
真近で、見つめてくる薄萌黄の瞳。
それだけでさっきまでの熱さが、自分の身体に戻りかける。
「おまえの、眼の色のことだったんだな」
そんなことを言われても。
「ホライズン・ブルー、っていうのかその色」
「俺の・・・?」
「ああ。一緒だ」
ふわふわ、と唇が目元におちてくる。
「おい、ゾロ・・・?」
きつく抱きしめられる。
「連れていくから」
と聞こえた。耳元で。
「ああ」
答える。広い背中に腕を回し。
互いの鼓動を感じながら。永遠へと続く1日の始まり。
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こんなにひっぱってどうするよ。うーみゅ。イメージ的には実年齢18歳なりたてくらいで想定しています。相手のお姉さんは>26歳くらい。なんか、頭の中ではとても良さ気だったのにおのれの拙さがくやしいぞぅ。
すこしでも楽しんでいただければ嬉しいです。時間的にはPasturesのすぐ後のお話。と思ってくださいませ。
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