Fondle



「ああ、これかい?“とびとびの実”っていってね?ここいらの島じゃあそれほど珍しいものでもなくてさ。こう、なんて言えばいいのかねえ……食べちまった人がね、どっかへ“いっちまう”のさ」
「おい、」
ゾロの眉根がぎう、と寄せられ、大した悪党面になるが。女将はあらまあ、とわらってみせた。にーさん、そんな怖い顔をおしじゃないよ、と。
「行くっていっても、夢の中で夢と現の間をね、こう……落ちるっていうか子供にかえって遊ぶっていうか。なんせ“夢”だから時間も越えちまってね、不思議な心持になるだけだよ」
それに、と女将が椅子にすわったまま寝息を立てているサンジを見遣った。
「このにーさんも。身体はただ眠ってるだけだもの、心配ありゃしないさ。眼が覚めたらウチの自慢の酒でも飲んでいっておくれよね」



1.
剣士はただ、人の多い市場に立っていただけだった。
『いいか、そこを一歩たりとも動くんじゃねェぞ』
妙に威張って(とはいえいつもの通りで)ぴしりと言ってのけ、そのままコックは人波のなかをすいすいと泳いでいき、だから言われたように立っていた。とはいえ、その場所は通りの中央付近であったし、だからそれほど通行人の妨げにならない場所に何歩かずれ、あげた視線の先に、金色が見えた。

アレは目立つ、良い印だとゾロは思う。その目印が、何かの店に入っていこうとしている。視線を感じたのかサンジが戸口で振り返り、なんとはなしに視線がぶつかる。に、とサンジが笑みを浮かべると、『待ってろ、』そうタバコを挟んだままで器用な唇が動いた。ひらりと手を一度揺らせてからはもう金色は振り向かなかった。
コックの買い物リストの中身は自分の関知することではないし、用があれば問答無用でしょっ引かれるのだろうから、と。またゾロは視線を市の人波に彷徨わせた。

そのとき、ヒトの足に勝手にぶつかってばったりと倒れたコドモがいた。
大層見事に尻餅をつき、カオを上向け。ひー、と泣き出す前に硬直していた。すったああん、と転んだことよりも自分のぶつかった対象に驚いている、驚きを飛び越えてアタマが真っ白になっているのだろう。
いま、下手に手出しをしたなら逆効果だ、とゾロも知っていた。
ただ、足元にまで転がってきたリンゴのような果物だけは拾い上げてやる。そうしたなら、横から女の腕が伸びてき、一緒にそれを拾い上げ。ごめんなさい、うちの子がご迷惑を、と若い女の声が次いで届いた。別に、というようなことを返し。
母親がコドモの埃に汚れたズボンの後ろを手で払ってやりながら足早に去っていくのを見るともなく眺め。親子2人ともが、キラキラと日差しを同じような濃い金色の髪をしていたことに、いまさらながら気づいていた。

「ン……?」
すったあああん、とヒトにぶつかってきた金色。
大層見事に尻餅をついたような格好で下から見上げてき、泣き出す直前に固まってしまっていた……

あぁ、一緒か、あのときと。

ゾロが思い出した。


2.
「―――ひっ」
地面に足を投げ出したコドモは大層驚いた風だ。
剣士は無表情を崩さずにヒトに勝手にぶつかってき、転がったままのコドモを見下ろした。ここで下手に無理をした笑みを作ろうなどしてはいけない。却って逆効果なのは学習済み、だった。だから、ただコドモを見下ろす。
「ヒぃん」
コドモがますます情けない声を上げ。だからおれの額から角でも生えてるってのかよ、とゾロが内心苦笑した。
視線のした、コドモ特有のでかい目がますます見開かれていく。
「どうした、立てねェのか」
声をかけてみる。
きらきらきらと、金貨と同じような酷く明るい黄色が目に入った。そして、見開かれた目はまっさおであり。
「おい、」
コドモの目がますます見開かれていく。
あぁひょっとして言葉が違うのか?と思いかけたなら。

そのとき。
ぴょん、と。

キラキラとした髪の間から、右側。半ば飛び出てきたのは麦色をした三角の……
耳??

はァ?!がゾロの内心ではあった。
が、なぜかすかさず片手でその飛び出てきたものを押さえ込んだ。
ぴる、とその温かい『耳』が手の下で震えた。
―――またかよ、と剣士は嘆息した。
まただ、歩いていたら勝手に物の怪がぶつかってきた。や、違うな、コレはどっちかってぇと……キツネか?

「おい、おま……」
アタマを抑えられさらに硬直していたが、ヒトの声に。またこのコドモは。
「ひっ」
「わ、こらおまえ」
今度はぴょおん、と左耳が飛び出てき。なぜか慌ててゾロがそれをもう片手で押さえ込み。
「ひいん!」
さらに驚いたのか、ふかふかとした尻尾までがぴょおんとコドモの半ズボンの下から現れ。
「バカおまえ、こんな……」
ヒトだらけのところで何化けの皮はがして、といいかけ。ふ、と気づいた。
ざわざわと自分たちの周りを流れていくヒトは、何も注意を払ってなどいない、寧ろ。倒れたコドモをオトナが引き起こす、とでもいったアタリマエの光景にでも見えているらしかった。
理由はわからないが、可笑しげなものばかり『視る』ゾロのほかは、このコドモから飛び出たものは見えていないらしかった。

「おまえはなにものだあ」
地面にへたり込み、ひいーと泣き出す直前のわりにはこの物の怪のコドモの口調は生意気だ。
「てめえこそなにものだ」
行きがかり上、地面に方膝をつきコドモの頭に両手を置いた可也珍妙な姿勢でゾロも返し。
「なをなのれー」
コドモがさらに泣き出しかける。
「あのなァ、」
はあァ、とゾロが溜息をついた。バカバカしくなったらしい。
物の怪の、それもコドモ相手になにをおれは、と。
そして、自分の足元にいくつか転がってきたものを拾い上げる。なにしろ、耳を手で隠してやるまでもなくヒトにはそれは見えないようなのだから。もう理由に関しては放っておいた、どうせわからない。
拾い上げればどうやら、コドモが手に持っていたものらしい。小振りでつるつるとした表面の、黄色の、耳じみた突起が2つついている見たことのない果物だか何からしかった。

「これはおまえのか、」
「……ひん、」
どうやら、うん、と言いたかったらしい。
「か、いにきたんだー」
「そうか」
くう、と頷いている。そしてゾロの声に、コドモがカオをあげる。
「ほら、立て。妖し」
ぐ、とその手首ごと持ち上げるようにしたならば。
ひー、とまたアヤカシの小さいものがか細い声を上げた。殺されるとでもおもっているのかもしれない。
「泣いてンじゃねェぞ」
拾ってやった果物を小さな手に押し込み。ついでに、人差し指で作った輪にそのまま入りそうな手首ごと軽く引き上げてコドモを立たせる。
けれど。よろり、とあまりのショックに足もとが覚束ないらしい。また、ゾロの足元にぶつかってきていた。
「なにをそんなに驚く」
おれは人攫いかよ、といいかけ。
「おれの耳がみえてる、おまえなにものだ」
よろよろとなりながらも中々気丈な物の怪の子であった。
尾っぽも見えてるがな、とはゾロは言わなかった。
「ただの剣士だ」
「けんし?」
「あぁ」


3.
「けんしーってのは、なにをする?」
まっさお目がきらきらと見上げてき。
「修行するな」
そう至って単純な答えを渡していた。
「ふぅん?」
ぴょい、と隣を歩くコドモが半分地面から軽く飛び上がった。数センチばかり。
そして、突き出た耳がまたぴん、と動いたのだ。
「おまえはまだまだみたいだな、」
修行、とゾロがその耳を指先で弾けば。
小さい掌が、ばあ、とそれを押さえていた。
「ほかには?」
旅をしている、とでも応えるかとゾロが思えば。
ひょこひょこと長い尾っぽまでが左右に揺れていた。
「アヤカシ、おまえは?」
「あやかしじゃないぞ」
ぷく、と丸い頬が膨れていた。
「へえ?じゃあなんていう」
連れ立って歩きながら聞く。なぜか行きがかり上、この物の怪のコドモをどこかまで送り届けるようなことになりつつあった。既に目に映る景色は街中をとうに抜けていた。
「ヒトにおしえるもんか」
くく、とゾロがわらった。
なるほど、妖しの類が名を知られるのは致命的だからな、と。

「あ、」
コドモが足を止めるのにゾロも歩調を緩めた。
そして、蒼のじいっと見詰める先を追えば、そこには何の変哲もない植え込みめいたものがあった。自然の。
ぷちりとコドモの手がその翠のつややかな葉を毟り、口元にあてていた。
「なにしてる?」
「笛」
ふうううーっ、と。
コドモの息だけが洩れていき。息を吐くのにあわせてまた長い尻尾がぴーん、と空に向かって伸ばされていた。
「ヘタクソ」
ゾロがまたわらった。
「けんしはできるのかー?」
「あァ、」
手近の枝から葉を取り。あっけなく高い音を出して見せれば。
「わあ」
今度は物の怪のコドモの耳が両耳揃ってそっくり返った。

「しゅぎょうだな」
コドモの語彙に、どうやらそれが組み込まれたらしい。
ポケットからなにやら紙箱を取り出すと、つややかな翠をした葉を千切ってはそのなかに入れ始めていた。一頻りつめ終わると、くるりと見上げてき、にぱ、とコドモがわらった。

そして、見えてきた野原の真ん中あたりで。
ぴたりと立ち止まると果敢にぴーぴー言わせようと“しゅぎょう”を始めていた。
なんの気まぐれか、ゾロもそれに付き合い。
しかし内心では、物の怪のコドモの子守をしてるのかおれは?と密かに複雑でもあった。性質の悪い連中であれば斬って捨てるだけであるのにな、と。
この、黄色のきらきらしたものは、ちんまりと自分の隣に座り込んでなにやら一生懸命なだけだ。
下手をしたら、そのうち膝にでも上がってきそうな勢いでぱったんぱったん尻尾が上下している、と。
そんなことを思っていた。

実に奇妙に、穏やかな午後ではあったのだ。

「あ」
ひょい、と物の怪のコドモが見上げてきた。
「おれ、もう戻らなくちゃ」
ひょこり、とまた風に煽られて耳が半ば前のめりになっている。
「あっちに、」
そう言ってまっすぐに野原のどこかを指差すが、ゾロの目には特に野原の境界も、森へと繋がる小道も見えなかったが、コドモには見えているらしい。
「あっちで、まってるんだおれのこと。戻らなくちゃ」
ぴょん、とまた僅かに跳ね上がるようにして、にひゃあ、とわらう。
「そうか」
「うん。なんか呼ばれてるみたいだ、」
にこお、とまた嬉しそうにコドモがわらった。
「けんしもー、ちゃんとお家にもどれよ?」
「あぁ」
旅の途中だ、とは言わなかった。
「はっぱもらってっていいか?」
まっさおが真剣に見上げてくるのを、見詰め。
「あたりまえだろ、おれはいらねぇよ」
ぷ、と思わずゾロが吹きだした。
「うん、」

最後にもういちど、とコドモが葉を唇にあてれば、ぴい、と甲高い音が上がる。
あぁできた、とコドモがひゃあ、と嬉しそうにしていた。耳が半分捲れ上がっている。それを戻してやり。
くるくるとその小さい丸っこい頭を掌で押すようにすれば、葉を口元にあてたままコドモが眼差しをあげてくるのに、少しの笑みで返した。
「もう転んで耳出してンじゃねぇぞ、物の怪」
「しゅぎょうすらァー」
威張っている。
身体の割りには長い尻尾まで出してふさふさと揺らしている。
「だな?すげえ物の怪にでもなってろ」
「おーう」
にひゃ、とまた蒼が嬉しそうに細められた。
「けんしーに取り憑けるくらいかー?」
「あー……、止せ止せ、それにおまえ。取り憑く、の意味わかってねェだろ」
「うん」
即答だった。
「あのな、ヒトなんぞに関わるな、碌なことねェぞ」
「けんしーは、でもヒトだろう?」

ふ、とゾロがわらう。
ほら、とコドモの額を軽く指先で押しやった。
「もどれ、待ってるんだろおまえのこと」
「あ、」
うしろをコドモが振り向いた。
「おれももう行く、物の怪の子守なんざしちまった」
にぃ、とわらってみせれば。
「じゃあここでみててやる、」
そんなことをコドモに言われてゾロが苦笑する。
「見送りなんざいらねェよ」
「じゃあ、せえので帰ろう」
提案されたのはまるっきり、コドモの別れ際だが、あぁ、とゾロも同意した。
「またなー」
にこお、と笑うコドモに。またトン、と掌をアタマに落とした。
さわ、と風に丈の高い草が鳴り。ざあ、と波を作る。そして、一歩踏み出せば背後で草が別たれていく気配がし。肩越しにちらりと振り返れば、もうコドモの姿は掻き消えていた。

「ふン?そういうとこはちゃんと物の怪らしいじゃねぇか」
そして、辺りが暗がりに包まれる前に街中へ戻ろうとし。やはり道を見つけられなかったのだ。
そして。狐につままれた、とはまさにコレだな、と苦笑した。

過去に、そんな奇妙な一日があったことをゾロは長く忘れていた。
とうに親子連れの姿は見えなくなっており。けれど視線はそのままにしていたなら……

「にーさん、にーさん、」
呼び声に、ふい、と視線を巡らせれば中々見栄えの良い女が立っていた。
「ちょいと、店まで来ておくれよ。にーさんのお連れだろうけど、一人店で潰れちまってねえ」


4.
「なにしてやがる、アホ」
店を覗き。思わず呟いたゾロの声に、女将がわらった。
「あぁニーサン。あんた、やっぱりこのヒトのお連れだろう、だってさっき外で一緒にいたのが見えたからさ」
女将が屈託ない笑みでゾロを店内へ招き入れた。

「なんだよ、ここは」
ゾロが辺りを見回せば、女将がわらった。
一歩店に入ってみれば。ずらりと果物と香料とが天上までの作り付けの棚に所狭しと並べられ。どうみても酒場としか思えない長いカウンターがぐるりと奥まで続いていた。
「やだねえ、うちは乾物屋と飲み屋が中で一緒になってるだけさね」
乾物屋の入り口がコレ、飲み屋の入り口はあっち、と気にした風もなく女将が指差していた。
その組み合わせ自体が怪しいじゃねえか、とゾロは苦笑する。
「このにーさん、香料をうちに買いに来てくれたんだけどね、ちょっと目を放した隙にさ?この島の名物だけど味見はしないほうがいいよ、って言ったのに、コレをさ」
「口にしてた、って?」
終いまで言われずとも察しがついた。こと、食材に関する探究心は相当なものだ、このクソコックの、と。
カウンターの隅に、くったりと天板にもたれ掛かって眠るようなサンジの左手に握られたままの。齧りかけの黄色いつるりとした果物のようなものをゾロが視線で指せば。そうそう、と女将が頷いた。
近づき。その手から果物を抜き取る。
どこかで見たような形状をしていた、耳のような突起が2つ……?

「なぁ。これは」
ゾロが女将に尋ねた。
「あぁ、これかい?“とびとびの実”っていってね?ここいらの島じゃあそれほど珍しいものでもなくてさ。こう、なんて言えばいいのかねえ……食べちまった人がね、どっかへ“いっちまう”のさ」
女将がさらりとその奇妙な実の説明をしていくのを聞きながら、まったくこのアホは、とゾロが眠る相手を見下ろしていた。

                              + + + +

「もうすぐ起きると思うんだけどねえ」
女の声を背後に聞くともなく聞きながら。眠るサンジを上から見下ろして見る。
髪がカオに半ば以上おちかかり、テーブルにそのまま垂れている。そして、その「色」に。
そして眠ったまま、むぅ、とサンジが口元を引き結んだ、その様子になぜだか、突然。
ゾロが掌をサンジの右頭頂部に押し当てた。なぜか、また。あの麦色のほわほわしたものがぴょん、と出てくるかととっさに思えたのだ。が、掌には柔らかな温かさが奇妙にリアルに伝わってくるだけで、あの、ほこほことした、つい、齧りたくなるようだった薄い肉を通して放たれる熱の温もりとは違っていた。
あたりまえだよな、とゾロは内心で微かに動揺した。
あたりまえだ、ンなもんがなんでこいつからぴょっこり出てくる、ソレこそ怪談じゃねえか。

ひゃあ、とわらったときに、ちらりと覗いた薄く尖った牙の先であるとか。
ほわほわした頼りない手触りの頬であるとか。
自分の踏み出した一歩を追いつくのに三歩で小走りに、それこそぴょん、と半分地面から浮き上がるようについてきていた歩き方であるとか。
『なァ、おおい、けんし』
コドモだか犬の子だかわからないような細い声の口調であるとか。
酷く、懐かしい。
ぴい、と草笛を吹いて、その初めて出せた音色に自分で驚いて両耳が、そっくり返ったことであるとか。
一度できてしまえば後はひたすらウルサイほどぴいぴいと葉を鳴らし続け、最後には尾を引いて止めさせたことであるとか。
アレは、妖しであったかもしれないが随分と……

『けーんし、なァ。つよくなったらそのあとはどうするんだ』
透けそうな蒼が見上げてきていた。
右手を、くるりくるりと回しながら見上げてきていた。
もっと強くなるしかねェだろ、と自分は返していた。
ぽかん、とソレが唇を開き。ちっさな牙がまた覗いていた。
『もっとか』
『あァ、それしかねェな』
ぺろり、と。アヤカシのコドモのちいさな舌先が唇をたどりまたそれがイキモノめいて戻っていっていた。
『すげぇーなー。けんしー』
そして、唇に葉の味でもついていたのか、うえ、とカオを顰めていた。
『ハハ、不細工なツラ』
そういって、そのアヤカシのアタマをくるくると掻き回した。
その頼りないほど柔らかな感触が残る。

掌に、なぜかいま現実味を増してその感触が戻っている。もう、随分と以前のことのようにも思える奇妙な一日のことだ。まだ旅を一人でしていた頃の。
ふ、とまた現実に意識が引き戻される。いま自分の掌にあたる金色をしたモノ。擽るようにあたり、絡まずにけれど流れてさらりさらりとどこか心もとないほどに。
ゾロが、視線の先にある寝顔を見詰めた。
「いい加減、起きやがれ」
普段とは正反対の台詞ではある、と我ながら少し面映いと思いながら。
「起きねェとアタマ揺するぞ」
左手も、こじんまりしたアタマに乗せいつでも揺さぶることのできるようにする。
「おい、クソコック」
ゆっくりと、右手を引き上げる。
いまここで、掌を抜き出せば、テーブルにアタマをぶつけて直ぐにでも覚醒するだろう、と。
その気配を読みでもしたのか、ぱかり、と。剣呑な色味の蒼が前髪の間から覗いた。
「ふぁ?」
けれど口調は寝ぼけている。目つきが著しく悪いだけだ。
惚けた口調に、ゾロが面食らう。
「よう、起きたかよ」
「……よぉ、」
瞬きし、サンジが唇の端を持ち上げて見せた。首の力を抜ききって、ゾロの手にアタマの重さを預けきっている。


5.
「やァ、妙な夢みちまったぜ」
うううん、など。本格的に覚醒し、椅子に座りなおしたサンジはのんびり伸びをしていたりする。事情はあらかた女将から聞かされた後だ。
「だろうな、妙なもん食うからだ」
「味見だけのつもりだったンだけどね」
おやま、にーさんはどこまで飛ばされてたんだろうねえ、と女将がわらって二人の前に淡い色味の茶の入ったグラスを置いた。
「だよねえ?けど、起きたあとなんにも覚えてないってのはモッタイねぇんじゃないかなぁ」
愛想よく相槌をうっているのはサンジであり。
「さあね?アタシらには良くわからないけど。なにぶん島の偉い先生が言うにはね、相手は覚えているんだってさ、夢にでてきたね。だけど、時間も飛ばしていっちまうから、両方が覚えていたなら何かと面倒なことになるらしいんだよ」
「だけど、夢なんだろう?」
サンジが笑みを乗せれば、女将は少しばかり首を傾けていた。
「そうだねえ、夢だという人も居るし、本当だという人もいるし、ね。アタシらにはわからないよ、ただ一度その実を食べたらもう二度と同じ効き目はないんだ」
ゾロは、淡い茶をした飲み物を口に含み、会話には加わらずに居た。
「ふぅん、じゃあきっとどこかに、」
サンジがにこりと女将に向かって笑みを作った。
「おれのことを焦がれてるレディがいるわけだ、あえねえのかなあ」
おやまあにーさん、大した色男だねぇ、と女将がわらった。

                        + + + + +

またいつでもおいで、と女将に見送られ店を出た後は、買い物にも既に中途半端な時間ではあるし、あらかじめ決められていた宿へと歩いていく。
その途中でサンジが僅かに歩調を緩め、タバコをポケットから引き出そうとし。
「……?」
なんとも奇妙な表情を作ったのに、ゾロも隣を見遣った。
「どうした?」
「……や、ウン」
奇妙な表情のまま、ポケットから引き出されたものにゾロも片眉を引き上げていた。

ひしゃげたタバコのパッケージからはみ出るほどに。
艶々とした翠の葉が詰められていた。
千切られた葉のどこか爽やかな香りも僅かに漂うほど、それはまだ青々としたままで。
ぱしぱし、とサンジが瞬きをした。
「なン……?」
突然伸びてきたゾロの腕にも、目を丸くしていた。そしてゾロは葉を一枚取り上げると器用にくるくると巻き。
そのまま口元にもっていくと、ぴぃ、と高い澄んだ音が上がった。

『“けんしー”?』
夢の一部が突然明らかになった。見上げた、先。横顔があり、そして……。
「わ……っ」
サンジが思い当たった可能性に、タバコを咥えていたならきっと落としたほどに大口を開けて驚いていた。

「ゾロ、だよ。クソコック」
ぎゅう、とゾロが空いた手でアタマを押さえてくるのにサンジも逆らわなかった。

ぴょこり、と押さえた掌の両脇で動く“耳”のあるはずもないけれども。
ぐしゃり、と片手にゾロは金髪を握り込み、雑に撫で。

「てめぇが物の怪か。」
クソガキ、このやろう、と押し殺した声が告げてくるのにサンジがまた蒼を見開いた。

「うれしいくせにー」
驚きから一旦立ち直ればサンジは饒舌だ。わかってしまえば。可笑し気な実を食べて夢に見たのは、じゃあ「こいつのこと」だった、ってわけだ、と。見ていた夢の全部は到底思い出せっこないのだが。
掌がアタマに置かれた感じであるとか、―――ほかにも、いわれてみれば、この口調は覚えている気がする。
「あやうく誑かされるところだぜ」
低い声で告げてくるゾロに、ぐいぐい、と痛いほどにアタマを押さえつけられてサンジが苦笑する。
「ばーかばぁーか・似非霊媒師の誑かされー」
歌うように言えば。
ごり、っとアタマを拳で押さられた。
「ッだ……!!」
「あたりまえだ、痛ェようにやってンだ」

ところでてめぇ、と。
ゾロが隣を見遣った。歩きながら、ぎゃあぎゃあと喧しくやっていたのはとりあえず一過性のことである。
「“全部”思い出したのか」
「ふン?」
きょと、とした様子に。あぁ肝心なトコは思い出してねェんだな、とゾロがガテンする。
都合が良いのか悪いのか、非常にあやふやなところが実にこのクソコックらしいよな、とどこか納得しながら。
「ずいぶん、ちんまりしたのになってたみてェだったがな」
腕を下ろしたあたりでひらり、と手を揺らしてみせる。ここいらにアタマがあったぞ、と。
「くそ、マジかよ」
むう、と口角を引き下げたサンジに、ただゾロは頷いた。
ひょこひょこ、と耳が生えていたり。
尻尾がふわふわしていたことであるとか。
ちんまり覗いた牙が「いたいけ」であったこととか。
そういった点は教えてやる気はないようだった。

「あぁ、けど」
ふ、とゾロも思い出していた。
「なん?」
「あの妙なモンにあった後、」
いまではそのモノは、可笑しな具合に時間に紛れ込んだサンジであったとすんなり受け入れてはいるが。
「確か、」
珍しく沢に落ちて怪我をし。熱を出したな、と。それで記憶が曖昧になり長い間忘れてはいたのだが。
そんなことをかいつまんでサンジに話せば。
「へえ?」
サンジがちらりと空を見上げていた。
「うまく出来てンな?」
「そうか?」
ゾロに問い返され、うんうん、とサンジが頷いていた。
「なんだよ、おまえってば昔っからおれに惚れてンじゃねえの?ン?」
「しるかよ、」
言って捨てる口調のゾロに、またサンジがわらっていた。

「けど、コレどうすっかね」
サンジがタバコのパッケージをまた手に乗せていた。中身は緑葉だ。
「さあ?なにも捨てることもねえだろ」
「んー、かねえ?」
そんな会話でそのまま船に持ち込まれた奇妙な成り行きの葉は、船医が「っぎゃあああああ」と倒れるくらい、貴重なものであったらしい。夕食後に、ああそういえば、とサンジが渡したならば。
「どうしたんだ?!これ!!!」
と、元から丸い目が興奮でさらにまん丸だった。
聞けば、もう手に入ることがないといわれる薬草であるらしかった。解熱作用と抗生作用がナミじゃないらしい。
「ありゃ」
そりゃいいもんみつけたなぁ、とサンジが微笑み船医の追及をはぐらかしていたが。
「おれ、さっそくこれで薬つくってくるよ!!」
ちっこい船医がキッチンを走り出て行き。おーう、がんばれなあ、と見送るサンジは、帰り道に、ぴいぴいなぜか草笛を作って5枚程度は使ってしまったことは黙っているようだった。

そんなサンジの横カオをつらりと見遣りながら。
ゾロは、ふい、と思い出してた。あの物の怪のコドモが言っていた最後の言葉。
『待ってるやつがいるからもどる。けんしも怪我すんなよ!』
そういって、すとーん、すとーん、と草っぱらの波のなかに姿が見えなくなっていってのだが。
待ってるヤツ、と。そのときに置いてきぼりにされたヤツ、が同一人物な可能性は何割程度なのかね、とそこまで思って、眼を閉じれば。
「おら寝てンじゃねえぞ、片付け手伝え」
たしたし、と指先で額辺りを突付かれゾロが苦笑した。
「なぁ、」
イキナリ問われ、サンジがそれ以上突付くのをやめていた。
「なんでキツネだったんだよ?」
「へ?」
まっさおがまん丸に見開かれるのを確かめると、ゾロが小さく口端を引き上げた。あぁ、なんだよやっぱり見覚えあるな、と思ったことはナイショである。
「まぁたしかに、あの実はキツネみてェなかたちはしてたけどよ」
そう言いながら手で、影絵のカタチを作って見せた、「キツネ」の。

「しるか!!」
かああ、と目元まで一気に赤くなったサンジをゾロが片手で捕まえ。
「あーあー、しゅぎょうがたりねぇなあ」
そう言ってわらい。
とん、と何か喚きだしかけた唇に自分の唇を押し当てた。






FIN




ええと。当方の原作系で偶に出てくる「似非霊媒師」扱いな剣士のお話みたいです、コレ。