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Urge ---
内付けのインカムを通して部下の声が聞こえる。
視界が、無い。―――またヤッチマッタか、と一瞬ゾロは我ながらあきれ果てて危うく笑い出しかけた。
ブレインケミカルがどうやら妙な具合に出てきてやがる、とどこか自分を見放して思う。
ヘッドアップ・ディスプレイヘルメット嫌い、で通してきたツケがいよいよ支払期限でも迎えたか。
『バイザー・ディスプレイだけオフにしろっての、ゾロ。おまえのソレは悪ィ癖だぜ?ココはちゃぁんと保護しましょうねー』
そう笑い、とん、と長い指で自分のこめかみを打っていた従兄の声が不意に甦る。
確かにナ、そう呟いたなら、口元に流れ込んできた血の味に辟易した。
頭部ってのはなんでこんなに出血するかなうぜぇ、と内心で悪態をつきながらも手はコンソールを探り、オート・パイロットに切り替えるまでもなく肝心のアヴィオニクス(電子制御)がイカレテイルのを確認する。
グラス・コクピットは辛うじて自分を守ってはいるらしいが、FCS(フライト・コントロール・システム)がイカレタならばCRTはどうせ何も表示していないだろう。
「あったとしても、ディスプレイは見えねェしな」
面白くも無い冗談だ。
『―――少尉……っ』
耳に届く必死な声に、無事を告げる。
部下はまだ生存中。それは良いニュースだ。
敵機を引き連れ空域を離れる間際に部下達に告げた命令を確認する。
「専用機の警護は誰がしている」
『Z-1から3までです』
「おまえはZ−4だな」
『―――はい…っ』
唯一の難点は、帰還命令をきかずに残りの部下が自分を待っていたことくらいか。
「さっさと基地まで戻れ、ジャマだ」
『少尉、ご無事ですかっ』
また別の声が通信に割り込んでき。ニギヤカなこった、とゾロが思う。
「見て解かれ」
エライ事になってるだろうが、と苦笑する。飛べているだけマシだが。
それにしても、と突っ込んできた「トリ」を思い返す。「要人」を乗せた専用機を狙ってきた連中。
腕は良かった、自分にこれだけのダメージを食わせるなど。それとも積んでいたプログラムが余程良かったのか、とシステム担当の連中が聞いたなら卒倒しそうなことをちらりと思い。
そろそろ真剣に『生きて帰る』ことへと意識を切り替える。ドッグ・ファイトの時間は終りだ。
「Z-4、聞こえるか」
す、とゾロの声が冴えたものへと変わる。
「RWS(レーダー警戒装置)とAPARをオフにしろ、おまえのシグナルを追う」
『少尉?』
部下の声に不安が混ざるのを聞く。
「アヴィオニクスが全滅した。自力で帰れなくもないが、まだ道を覚えてねぇんだよ」
軽口に混ぜて返す。
オートパイロット・モード無し、おまけに視界ゼロだなどと言おうものなら、部下だけじゃなくコントロールルームの連中までがぎゃあぎゃあやり始める事は明白すぎる。
赴任して10日にも満たない「ソラ」では、確かに自分でも視界もナヴィゲーションもナシでは着陸はおそらく難しい。一機だけでの帰還ならともかく、いま試すまでもないだろう。
『少尉、それでは負傷なさって―――』
「うるせェよ。戻るぞ」
レーダーがトリの方位と高度を伝えてくるのを確認すると、音を頼りに旋回する。そしてゾロがぺろりと唇を舐め。また眉を顰めていた。
―――それにしても、まだ止まらねェのか、コレは。
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Air Blitz ---
フー、とサンジが煙草の煙を長く吐いた。
実にやりがいのある手術だったらしい、口元は満足そうに吊り上げられている。
あそこまで神経繊維の損傷が激しいうえに(どうやら患者は以前も同様の負傷経験あり、と電子カルテの情報をみるまでも無く知った)、そのときに処置されたらしいアーティフィシャル・ニューロンとの繋がり具合が絶妙にソコソコだった。正規軍の医者ってのも大したことねェなとサンジが一瞬思うほどには。
人工臓器の使用を嫌う何世代か前の医者とは受けてきた教育が違うし、何より臓器の出来は良い。だからむやみに使用を避けているというよりは、例えばこの患者が地上勤務のオフィサーやアーミーの連中ならば、自分もさっさと生体の「メダマ」を極力活かさそうなんて方向性は捨てていただろう。
けれどこの患者は「トリ」に乗る者であり、なかでもケタ違いのパイロットときていた。
数値化された技術は人工モノでも対応可能だ、けれど。決して数値に反映されることのないニンゲンの感覚までもこの人工モノがカヴァできるかといえば、答はノーだと思っている。自分がガキの頃の経験を引き出すまでも無い。
カートリッジに記録された「トリ」のフライト・データ、その通りに「トリ」を例え飛ばしたとしてもこの患者、「ロロノア・ゾロ」、が叩きだした迎撃率を引き出すことは出来ないのだし。
そこまで考えて、すぅ、とサンジは意識をいま自分の背後に立つ技術屋に戻した。
その手に後生大事に抱えているものは、「トリ」の全頭脳を動かすソフトウェア、その機密の塊りの詰め込まれたカートリッジだ。完全に暗号化された特殊高等言語で書かれたシステム。
「くそー、コイツしか活きてねェが、とにかくコレだけでも取り出せて良かったぜ……!」
既に男泣きに近い状態だ。
パイロットがそれぞれ「トリ」に積まれた電脳にロードして使うようになっているソフトであるから、プログラム事態が消失したわけではなく、なにをこの技術屋が喜んでいるかといえば―――
「そんなにフライト・データが欲しいのか?」
「あたりまえだろうが!ロロノアのフライト・テクニックだぞ?これの標準化ができれば、おまえ!一体どれだけの―――」
人情に熱いこの男は、いままでソラに散っていったファイター共に想いを馳せているようだ。
「泣くなら他所行きやがれ、ウソップ」
何時の間にか向きを変え、ICUのガラス窓越しにサンジは寝かされている患者を見詰めている。
う、と唇を曲げて途端に情けない表情になるが、これでもこの技術屋はある種の才能の塊りだ。現に、学生時代から「トリ」のプログラム開発に関してはチーフエンジニアであったのだから。旧政府軍がプログラミングに使う標準高等言語だった「Aeda」の改良にも確か係わっていた筈だ。といはいえ、最高機密にまで係わらせた優秀な頭脳をなぜ軍部が流出させたのかはジブンの及び知らないところだ、とサンジは思う。ただ、この技術屋が加わってから明らかに反政府派のトリは改良されていっていた。
「こいつをとにかく取り出せたんで、様子見に来たんだよ。ゾロ、大丈夫なのか」
「自分で見てみろよ。生きてるじゃねェか」
こつ、とサンジの指がガラス窓を軽くノックした。
「―――や!おれは!ハリだのチューブだの点滴だのにめっぽう弱ェ!」
威張っている。
「あぁ、じゃあ見ンな。おまえのカワイコちゃん、ハリだらけ」
「うおぁぁあ」
こんどは悶えている。
「しっかし、カートリッジが取り出せねぇくらいなんざ。どんな損傷だよ機体は」
「それがよ、20ミリでキャノピー、めった撃ち。側面からもかなりヤラレテたな」
「フン」
処置室に運び込まれるときも、唸り声ひとつ洩らしていなかった。
「とはいえ相手方は全滅だ、5機、それも夜間で。尋常じゃねェよ、やっぱコイツは」
ウソップがカートリッジに眼を落していた。
夜明けに見た、トリの軌跡。
そこまでのダメージを受けているようには見えなかった。―――さすがというべきか。
血だらけで医療棟へ運び込まれてきたときも、意識は保っていた。
「探しモノ」をしていた。
その呟きを聞いて自分は――――――
「なぁ、サンジ」
「……ハイヨ」
「おまえに訊くのも野暮だけどよ。“大戦の英雄”様は助かンのか。――つか、」
ウソップの言葉をサンジが遮る。
「あァ、ナンも取り替えなかったさ」
そして、いまのウチの臓器ストックにああいうミドリは無いからな、と言葉にせずに付け足していた。
「あー、ウソ、」
「ップ、も付けろ」
「ップちゃん、」
はー、とウソップが嘆息した。基地内のエキセントリック扱い同士、微妙に気はあっているようだ。
「あの、ロロノア・ゾロ。ヨソの血混ざってンのか?」
患者のDNAデータまでは事前に調べなかった、なにしろ緊急手術であったし。
「や?たしか生粋のテラ系だろ。何しろ正規軍のエリートだったンだしな」
に、とウソップはわらう。
混血は、能力はあっても一定止まり、テラ系の純血種であることが旧正規軍内での出世コースには暗黙の了承として組み込まれていた。あぁ、そのあたりもコイツが反政府側に回った理由かもな、とサンジが思い当たる。いままであえて理由など考えようともしなかったが。
「フゥン?ヤツの目玉面白ェんだよ。タぺータムがあるみたいに光る。“マウ”辺りの連中の血でも混ざってンのかと思った」
「ほおう?」
“マウ”は辺境の惑星であり、非常に排他的なテラ系の戦闘民族が居住する、とだけ知れ渡っている。
「あぁ、連中もな、網膜の奥の細胞膜が鏡面状なンだよ」
素人用にかいつまんで説明しながらも、じ、っと患者を見詰め続けるサンジに何かを感じかけ。だらりと冷や汗がオノレの背筋を伝うのを、ウソップが感知した。
「あー…、サンジ、なんだ、そのおれはもう用事が―――」
ウソップはオノレの予知能力か危機察知能力に慄いた。
明らかに、トモダチの背中が怪しい。怪しすぎる。
「ア?なんだよ」
これは、一刻も早くこの場を立ち去らねば―――
「おれさ、」
有無を言わさない声が。ウソップの泳ぎかけた視線とふらついた足元をびしいと引き止める。
「うえ」
「何妙な声だしてやがンだよ」
ム、とした口調の割にはどこか楽しそうなトーンにで、サンジがガラス窓の反射に話し掛ける。
「―――惚れたかもだな」
「―――ハ?!何言ってンですかオマエ?!」
学究の徒は喉をひくりと言わせた。金縛りにでもあっていたのかもしれない。
「や、アレ、」
すぅ、とサンジが目線を戻したのがガラスに映る。
「情が移っちまったのかね……」
どう思うヨ?とこんどは、くるりと振り向いた。
「おまえ、情って……」
医者が一々患者に大手術だとかなんとかって情が移ってたらエライこったろう、とアタマでは言えるのだが。
「おまえもさー、渾身のプログラムには愛着わくだろ?」
「そりゃおれの―――」
うっかり同意してしまう。いかん、とウソップは軌道修正を図ろうとする。
「しかしオマエ、ありゃ男だぞ、どうみても」
それもかぁなりオトコオトコしたオトコだぞ、と言い募るウソップに。確かこの大層腕は良いくせにエキセントリックで悪名高い医者は、若いし見栄えも良いし基地内でもかなり一部で密かなシンパがいる、が。ことごとく、「そのテ」の輩は多大なる負傷を自ら負う事になっていたのだ。
「おまえ、クロゼットに入ってたのか?いまになってカミングアウトなわけか??ウェルカム・トゥ・ザ・ニュウ・ワールド!なわけか??」
「―――んー?や、ぜんぜん」
けろり、とサンジが言う。
「でもなぁ、あんな眼、見たことねェんだよ、惚れたー、ド真ん中ズッキューン」
―――こんの、眼球フェチがッ!!とウソップは床に崩れ落ちたのだ。
「すげぇんだよ。底がぎらってするんだ、それもメタルの表面みたいな感じで。ヒト離れしてるな、いっそのこと」
「エライぞ、良くぞ摘出我慢したな、おまえ」
半ば本気でウソップが言う。
「おーう、一瞬考えたけどな。どうせイタダクなら丸ごとの方がイイだろ」
にか、と。
いっそ無邪気なまでの笑みを浮かべるサンジを、技術屋は応援することにした。もちろん、草葉の陰からではあるが。
「―――頑張れよ、」
「おう」
よろよろ、よろ、と瀕死の風情で立ち去るトモダチの姿をちらりと見送り。
表情を戻したサンジはICUへと戻っていった。そろそろ、「患者」の麻酔が切れるころだ。
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Sonic Flow ---
着陸時の震動と微かな突き上げ、周囲で慌しく動きまわるヒトの気配を覚えている。
立ち上がろうとし、何本もの腕に押し止められた感覚と。放せよ、歩ける、そう言った自分の声が妙に遠く聞こえたこと。
そして次に思ったことは。
ソニック・フロー。音速流の、あのガラスじみた蒼に空気の波が揺らいで流れて見えるソレ。水の表面に広がる水紋のように、ソラで見ることのある揺らぎ。
音が聞こえてきた。
そしてなにかが自分に触れたことも。
『シンパイスンナヨ、』
する、と声が意識に滑り落ちてきた。初めて聞くソレは―――
『ダイジョウブ、アルカラサ』
あぁ、そうか。失くしてねぇのか……。そう揺らいで落ちていく意識が最後に残り、暗転する。
『―――まだ起きるには早い、』
同じ声だった。
泥にでもアタマから浸かった気がする。
『そう、まだかかるからさ、』
腕のある辺りに何かが刺さる。また暗いなかに意識が落ちていった。
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