---First Contact---
庭に、椅子を持ち出してすわっていた。
ぼーっとしたくて。あたま、働いてくれねえから。 タバコだけ持って、出てきたのは良いんだけど。ちっとも、浮かばねー。 美術史のペーパー。テーマはモダンアートの変遷、とかなんとか。 最初の一行が出てきさえすれば、あとはどーとでもなんのに。得意分野だっての。クソ。
はー、と深呼吸して。風が抜けていくのを目を閉じてかんじていた。 なんかなァ。浮かんでこねえかな、と。
カシャ。 て、音がした。
――――ん?
「なにしてんだ、」
ヤツが、庭に下りてきていた。カメラ持って。
「てめえこそ、なにしてんだ?」
「ん?撮った」
「・・・・・・フン」
「光が、良い具合だった」
「・・・・・そこらのリスでも撮ってやがれ」
かるくわらって。ヤツが近づいてきた。 スランプかよ、と言って。
「ほっとけ」
「図星か」
あ。マジでリス撮ってやがる。フゥン、リス撮んのにも真剣なツラすんだな、コイツ。 見ていたら、ファインダー覗くのをやめたヤツと目があった。
「悪かった、な」
「なにがだ?」
「おまえ、撮られるのキライだろ」
「わかってるなら、するなよ」
「自己卑下とプライドがおなじくらい高いんだな、おまえは」
翡翠色の眼に、捕まった。
「おもしろいぜ?おまえの周り。透明なエナメルの膜が張ってるみたいで。いまは、 それが薄くなってるな。手、伸ばしたら通り抜けられそうだ」
無理矢理、目を芝に戻すと。
「あ。てめー、ハダシかよ」
「ん?ああ、速攻でこっちに出てきたからな」
カメラ片手ににんまり、とかして。
「ガキみてぇ」
小さくわらいがこぼれる。そういや、コイツ家の中でもハダシだったよな、とか思い出して。
「につまってんのか?」
「んー、まあな。かけねーの、ぜんっぜん」
ふうん、とのんびりとヤツは言い。
「やっぱそうかと思ってたけど。おまえ、バカだろ」
「アァ?」
「こういうときくらい、イソウロウのこと使えよ」
「え?」
「あのな、一応俺も"クソアーティスト"なんだぜ?」
「だから?」
「話してるうちにおまえの煮詰まってんのなおるかもしれないだろ。で、テーマ何だ?」
「モダン・アート」
「まんまじゃねえか!」
「ああ、」
「だから。来いって」
とん、と肩に手が触れた。 俺が相当驚いてたから、逆にヤツの方が片眉引き上げてみせた。
翌朝、大学に行く前、ガレージのヤツのクルマのワイパーに、ありがとなとだけペンで
書いて紙切れを挟んでいった。
その次の日、俺の部屋のドアに、リスの写真がピンで留めてあった。
「サーンジくん。」
とた、と肩を叩かれた。
「うわ。なにイッテンノ、気味悪いってナミ」
ざああっと風が学内のユーカリの木を揺らし。一瞬良い薫りに包まれる。 燃えるようなオレンジに染められた髪が背景の緑に映えて、挑発的なカッコがこのうえもなく 似合う美人は写真家志望。生徒の多いこの美大でも、トップ5には 入る美女がオンナノコしか 好きじゃないってんだから、勿体ない話だ。
「ねえ、ビビのことなんだんだけど」
「ああ、」
「あの娘そうじゃなくても風当たり強いのに、最近、なに。またヤバイのとつきあってるって ほんとう?」
つぎつぎと女の子がナミと俺とにキスや挨拶を投げて通り過ぎる。 俺達は、足を止めて話していたから。
「うっわ。なんだよ、もうウワサになってンの?」
「まあねぇ、あの娘隠し事できないし」
「ふうん?心配なわけだ」
「当たり前じゃない」
豪華にわらう美女。
こういう風に笑うナミを、ほんとうに好きだなぁと、思う。
「ヤバイかどうかは知らないけど。ま、 新進気鋭とか言われてるみたいだし?そこいらの えっらそうな中堅ドコロよりはよっぽど出来るんじゃないの」
はあっ、と溜め息をついてナミは俺のこと見上げてきた。
「あのね。ビビは、みんなの憧れの王子様と一緒に暮らしてるってだけで、そーとー 憎まれちゃってんのよ、周りから。ちゃんと守ってあげてよ?」
「そうなのか?アホだな」
「アホって言うより、オトコもオンナもあんたのファンって暗いから」
けらけらとナミが笑う。
「俺だってそーとー野郎どもから憎まれてるよ?ナミやビビと "ツルンデル"っていうだけで。 どうやら美味しい妄想が働いてるみたいでさ、」
「「夢の3P。」」
声を合わせて、げらげらと笑いだし。
「女の身体も男の身体も嫌いなあんたには絶対できないのにね、そんなマネ」
「ほっとけ」
ナミは、俺が昔から友達付き合いをしている唯一の人間で。
ビビの、昔の恋人。
あの事件のことも多分、知ってるけれど何も言わない。俺が言わないから。
「で、そいつ。なあに、そんな騒がれるくらい良いオトコ?」
「うーん、まあ、な」
渋々認める。確かに、見栄えは良すぎるくらい、良い。 人目を惹くために生まれてきたようなヤツ。
「眼とか、な」
キツイ光を宿す、翡翠の双眸。深い森の、色。
そう、とナミは言うと、俺の腕に自分の腕を絡ませて教室の方へ歩き始めた。
あんたが褒めるんだから、ソートーね、と笑って。
けっこう気もあうし、まあ悪くないよ、とその日ナミに言ったのは、本心。
フランス映画の真似事みたいな自分たちの絵面を笑う余裕が、まだあったころ。
朝起きだして、キッチンでコーヒーを煎れていると薫りに釣られてゾロがビビの部屋から 起きてくる。
適当に言葉を交わして、ゾロがカップ片手にまた部屋へ寝に戻り。 俺は窓を開け放してソファに寝っ転がってブ厚い朝刊なんぞ捲り。今度はビビがやってきて おはようのキスを落としてくる。そんな一日の始まりはたいてい週末の朝で。
「たまに通う」のが面倒になったのか、ゾロがほとんどこの家で暮らすようになっても、
俺はあえて文句を言わなかった。自分の中でみつけた理由は、ビビが幸せそうに笑って
いたこと、そして予想以上にヤツが邪魔にならないのが判明したからだった。最初の頃は
お互い敬遠しているのがわかって、それもまた面白かったんだけど。話しの弾みで、好きな
物事の傾向が近いことがわかって、一気に垣根が取れた感じになっていた。お互い言いたい
ように言い合えるのが気楽だったのかもしれない。
ヤツと普通に話すようになるうちに、そういえば、もうずっと周りに女の子しか置いていなかったから、ゾンザイな口のきける相手がずいぶんといなかったことも思い出させられた。自分には
元々言葉遣いの極端な傾向があったことも、忘れていた。
側に存在が感じられても、不快にならなかった。「他人が家にいる」感じがしなかった。
たぶん3人で、いびつな「疑似家族」を作っちまってたのかもしれない。 居心地の良い距離で他人が3人。ナミは、ネコが3匹だ、と言い張っていたけれど。
そのころ、ビビはいつも笑っていて、とても幸せそうにみえた。
おまけに、神サマからもらった天分は別にして基本的な生活能力の欠けているヤツは、 もともとかまいたがりの俺がちょっかいを出すには最適な人材で。 良い具合にかまわれてた。女から愛情ばっかり受け取っていたのが見え見えのいっそ 潔いくらいの天然ぶり。
「オトコとして、どうかと思うぜ?」
ぽたぽたと濡れたままの頭から水滴をたらしたままキッチンへ入ってきたヤツに いつだったか言ったことがある。
「あ?」
俺の差し出したタオルを受け取るついでに、手の甲をヤツの指が当たり前のように滑り。
「ああ、おまえ美人だから、つい、な」
がしがしと髪を拭きながら、に。と、いたって素直な笑み。
「ヌカセ、アホ」
「美人は美人だろ」
悪びれもせず、軽く笑いながら窓から外の空をのぞいていた。
俺が道楽で作る料理を残らず平らげるのも、ポイントが高かったし、
自分にベクトルの向かって
こない、個人的に好きな相手、というよりは「一緒にいる二人」を
俺は多分に気に入ってた。
距離の保ち方もちょうど良かった。ビビはよく俺がソファに埋まって本を読んでいたりすると
通り過ぎざま背中の方から抱きつくようにしていたけれど。自分の恋人が、そういう風に
「他の男」に触れてもヤツは何でもない風にしていて。実際、「何とも思っていない」のがわかる
から俺も、ビビも気楽だった。
おまけにゾロは、普通にしていると創る作品からはかけ離れた「気性の正しさ」のようなものを
感じさせる男で。あの初めてみたインスタレーションから感じられた暗い衝動や絶望的なまで
の渇望は、どこから出てくるのだろうと思わせた。
この男のつくるモノが生み出す気持を、俺はしっている
どこに隠されているんだろう、と。
女の子以外、他人に関るのをよしとしなかった俺がこいつに興味を持ったのは、確か。
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