Four
サンジくん、ずるい。そんなにやさしい目で、やわらかい表情で見られたら。
わらいかけられたりしたら。私にだって、そんな表情くれなかった。 いとおしくなるに決まってる。
私だって、欲しくなる。 あのひとが、あなたのこと手に入れたいと思っても、私は責められない。
そう言って、俺の大事な、砂糖菓子のような女の子は、いまにも涙のこぼれ落ちそうな瞳で 俺のことをみつめてきた。
――― ビビ?
わからないの・・・・・? わたし、あなたのこと、嫌いにもなれないのね?
そう言って、泣き笑いのような表情になる。
そうして
おねがい、ひとりにして、と。
俺の手を、きつく握り締めて
言った。
;---Tearing Down---
離婚間際の夫婦の子供は、相当ストレスたまるだろうな、そう思った。
この間までの、苛立ちを多分に含んだ自分も周りも刺すような刺はなくなったけれど性質はきっと、いまの方がよっぽど悪い。 上っ面の日常の非常に危うい穏やかさと、洒落にならない軽口。
「ビビと切れたら、おまえとも切れるんだよな」
「あたりまえだろ。俺の親権はビビにあるからな、当然だ」
美味い具合に淹れたコーヒーをそれでも手渡し、ヤツも当然のようにそれを受け取って。 朝一番に交わす会話がこれじゃあ、まったく。
空いた方の手が、すい、と何の前触れもなく俺の方へ伸びてきて、眉間に親指があてられた。
「なんだよ?」
「ん?皺寄るぞ、」
2、3度上向きに撫上げられ。
「美人台無し」
からかい半分の口調でいなくなる。
いつもの事で、もう慣れたけど。 ビビもこいつも、俺のことをなにかっていうと構いたがる。最近とくに。 俺をあいだに挟んでいる時だけは、水面は穏やかで。
上っ面があくまでも上っ面のままで終わる事も、いつのまにか本当になっていることもあったから ビビが、表層だけでもなにも変わっていない振りをしたがることをムリに止めさせるなんて事も出来ず。
ためいきと苛立ちはどんどん、どんどん、見えない埃のようになって部屋の隅に溜まっていく。
多分、 俺達は3人とも、気が付いてはいたのだけれど。
掌からこぼれおちる砂のような、そんなものを繋ぎとめようとしている愚かしさ。時間は戻りはしないこと。
そしてなにより、この不安定な中にいても終わりにしようとしない理由―――。 ムセキニンな愛情を むける先が、変わりはじめていたこと。そして、それぞれのタイムリット。
そんなときに限って、誘いばかり多くなり。まさに、上っ面だけ特別上等なゲスト3名はどこでも歓迎 されて。俺はうんざりして、片っ端から断っていたけれど。どうしても、出かけていかなきゃならない招待状が、3通届いた。
スタントン・ギャラリーでのレセプション。俺は父親の代理出席、ゾロは何だかんだいっても結局はオーナーと仲良いし。わざとやってんのかと思うくらいの最悪のタイミング。
だから。久しぶりに一緒に出掛けた。出掛ける仕度をしているときからビビは上機嫌で、以前のままのような雰囲気だったし。最初は、平穏だった。
とっくに仕度ができてリビングで待っていても次々と着替えてやってきてはどれがいいかと聞いてきて。
「ねえ、あなたたちのどっちに私あわせれば良いと 思う?」と。
「ビビ、悪い事は言わない。俺にしたら?」
「クール・エレガンス路線?」
「そ、」
「それ、リヴ・ゴーシュ オム?」
軽くうなずいたら。
「わかった」、と にこりとし。 結局一番最初に俺の前に着て立ってみせたのにどうにか決まっても。
クツとかバッグとか言い出す前に
ビビの部屋まで行って、ジュエリーと、クツとバッグと仕上げにトワレも俺が選んで胸元に一吹きして。
「はい、美人のできあがり」と頬にかるくキスした。ビビはくすくすと小さくわらった。
「だから好き。」と言って。
てろんとした光沢の白のシャツと、カーマインレッドのパンツ(同系色でよく見れば実はドラゴンなんぞ片足分織り込まれてるアソビと極悪趣味ギリギリなシロモノ)なんて「おまえ何者!」的スタイルが妙に
サマになってるヤツも、「遅せえ」と文句足れつつも困ったような笑みを口の端に浮かべていたし。
ビビの身体から、張り詰めたような様子がなくなっていてもとのまま、いつも俺が鳥を連想していた やわらかな風情が戻っていたから。
ドアにカギをかけているときも、身体に腕を回してぴったりとくっついて肩口に額を押し当てるように してきていた。上機嫌なときの、ビビの癖。
「ビビ、あのさぁ」
「なあに」
「こういうことは、ヤツにしろ」
「ヤダ。だってサンジくんも私のだもの」
「・・・・うん、そうだね」
「あ。いまのマはなに?」
そういって微笑むビビの額に軽く唇で触れて。ああマジでカギかけずれえ、とか思っていたら。
「おまえら、ほんとに遅ェ。」
イキナリ後ろから声が降ってきた。俺の手からカギを取り上げるとさっさとかけて。 ビビごと俺まで一緒に抱き込むようにして。
「待たせんな」
一瞬、まわされていた腕に力がこめられ、離れた。
長い歩幅で離れていく姿をビビが指差し、 俺を見上げて笑った。
「オトウサン・・・・?」
「いや、妬いてんだろ自分だけ仲間ハズレで」
ビビがわらい、腕をからめてきた。
「お、サンジ。きょうも一段と美人だな!」
にかっと笑うのは、ここのオーナー。アイリッシュも真っ青てくらいの見事な天然の赤髪が トレードマークの アートディーラー。この男に認められたら、セレブの仲間入りにそれほど 時間を要さない、との評判つき。
「うるせえよ、」
「おおー。あいかわらず照れ屋だな俺のプリンセスは」
「あんた少しは黙ってろ!」
微かな笑いの波動が周りから伝わってくる。 もう延々と何年も繰り返されてきた挨拶がわりの軽口に誰も驚くなんて野暮はしなかった。 俺は二人から少し離れて、オーナーや知りあい連中と話してた。
あまり近づきすぎない事、ただし不自然に感じられるほど離れてはいないように。 これが何となく俺の学習した精神的な間合いの取り方。一度「離れすぎて」いたら、かえって
両方から なんで俺が責められるんだよって逆襲にでる他ないくらいの勢いで、つっかっかってこられて以来の 習慣ではあった。
ゾロはどっかの評論家にとっつかまって、あれやこれや話しかけられていて、隣でビビは微笑を
浮かべて寄り添う。うまくいきそうだな、と思って、眼を戻すと。
「美男美女の組み合わせってのは、いいね、」
ふいに隣からからかうような声がした。
「しょっちゅう見てるんだろうに。それでもまだ見惚れるもんなのか?」
「は?なに言って、」
言いかけた言葉は、頭をくしゃくしゃと撫でてくる、伸びてきた手に遮られた。
「そんな切なそうな顔するなよ。人前だろうとキスしたくなるだろ。こっちに来い、特別に新しい コレクション見せてやるから」
肩ごと引き寄せられて、身体があたりそうになる。
「ダレがそんな顔するか、ってんだ」 口にしたら。
「おまえ、あいかわらず自分のことわかってないな」
・・・・・え?
「俺が真剣に口説いてた時も、ぜんっぜん!気づかなかったしなァ、このクソガキは」
「―――ハぁ??あんたナニいって・・・・」
「それとも、俺がタイミング間違えたのかな、」
めずらしく真剣な目が俺のこと覗き込んで。ええっと・・・・う、どうすんだよ。
目が泳いで、そのとき、まっすぐに見つめてくる翆の視線とぶつかった。 ん―――?機嫌わるいか・・・?と一瞬思うほどのキツイ目が、それでも俺とあうとわずかに刺が無くなり。
それがいきなり長いストライドでやってくると、俺を通り越してオーナーと二言三言、言葉を交わし。 肩に置かれたままだった手を無視するみたいに両腕ごと引っ張られて、俺はヤツのすぐ隣に移されてた。
「なんだよっ?」
もういつもの、ヒトをからかうような表情が浮かんでいた。
「いいから」
「ちっともよくないって」
「ビビが呼んでる」
声と一緒に、とんと背中を押された。 それでも振り返ると、オーナーがヤツの肩越しにウィンクした。 なんなんだ?
ところが。平穏だった帰り道。 いまじゃあ何が発端だったかわからないようなことで、ビビは泣いてるし 。
ヤツはヤツで大口論の途中で、ビビを残して歩いていってしまった。
俺もそんなプライベートな修羅場にいられるほど図々しくはないから、始まった途端に車を降りて 停められた道路の反対側で煙草を喫ってたんだけど。
シルバーグレイの車のドアを開けた。
「 ビビ、」
声を殺して泣いている。振り向きはしないけれど 肩の揺れるのでわかってしまった。
俺はあくまで永世中立なんかじゃなくてビビのサイドの人間だから。ビビの泣いた顔なんてみたくないし 泣かせたくなんてないから。 すぐに戻るから、と言い残すと、一度開けられたドアをまた閉めた。
人も滅多に通らないような倉庫街のど真中に女の子を一人で残していくのも気乗りしないけど、 しょうがない。あのアホ探して連れ戻さないとビビはいつまでも泣きっぱなしだ。俺と帰ろうとも
しないわけだし。
ああ、もう。おまけに寒ィし。 あのクソバカ。どこ行きやがった。
ヤツが歩いていった方向へ進む。街灯もないような通りだけど、ぽつぽつと倉庫の入口に 点いている灯だけが頼り。物騒なトコに停めやがって。 道のほぼ行き止まり、明かりが全部消えたアパートの入り口の踊り場にいやがった。
背の高い男が、ポケットに両手つっこんで石の壁にもたれて立ってた。
「おい、」
「なにしに来た」
「迎えに来てやったんだよ。ビビのとこ、戻ってやってくれ」
「おまえには関係ない」
こっちを見もしない。
「あんだろうが。ヒトのこと引っ張り出してきといておまえらが勝手にケンカはじめやがったんだろ。 いい加減にしろよ?」
あ。フンとかハナで笑いやがって。
「だから。なんで俺とビビのことにおまえが出てくるんだ、って言ってるんだよ」
底の光るような、キツイ眼差し。
「それは、」 確かに余計なお節介かもしんねーけど。
「おまえたちのこと好きだからに決まってんだろ」
まっすぐに目をみつめる。 ふ、とヤツの視線が先に逸らされた。
「悪ぃ、」
小さな声。 ―――え?なに殊勝なコト言ってんの、こいつ?
「また、おまえまで巻き込んじまったな」
「わかってるなら、戻ろうぜ?」
軽く手を広げる。ヤツは動こうとしない。
「ゾロ。」
「おまえがキスしてくれたら、戻る」
「はぁ?なに言って、」
「じゃなきゃあ、朝までこうしてる」
子供みたいなことを!
もう普段のからかうみたいな目付きに戻ってやがる。
はあっ、と溜息をついて、ヤツの目の前まで移動した 。 肩に手をかけ、頬にかるく唇で触れる と すぐに離れ、笑いかけた。こいつ、ガキだからな。大サアビスだ。クソ。
「ほら。戻るぜ」
「そんなとこにして欲しいわけじゃないの、わかってるだろ」
「ふざけんな。キスはキスだ」
「認めないね。俺は戻んないぜ、そんなのじゃ」
いつのまにか、腕を掴まれてた
いいけげん、ビビのことも心配になってきたし、この馬鹿はクソ強情だし
なんだよ、嫌がらせか?嫌がらせなのか?このヤロウ―――!
ちっくしょ。やってやろーじゃねえか。
「クソ」
唇を近付ける。ふと、真近のヤツの眼が笑みを浮かべた 軽く押し当てるだけのつもりが、肩ごと抱きすくめられた
「、ん・・・っ!」
胸に腕を押し当てて突っぱねようとしても、その隙間すらつくらせずに唇を舐める舌の熱さが妙に現実離れしていて。理解できてなかった。
あっさりと進入してきたソレにいいように捕まってさんざん引っかき回されて 息のあいまに勝手に声がもれかけるのを、どこか離れたところで意識していた
それを感じとったのか満足した風にヤツはゆっくりと唇を浮かせ 俺の髪を手でくしゃ、と握ると 俺の勝ちだな、と。眼をあわせたまま言った。
「なに、いって・・・? 」
答えの代わりに、もう一度軽く唇が重なった。 そうして、さっさと歩きだした。
俺はただそれをその場所から見ていた。
いまの、何だよ―――?
きつく拳で唇を拭い、もっと混乱する
あたま、痛・・・・。
4、5歩進んでいったヤツがぐるっと振り返るともの凄い勢いで戻ってきた。
「なにしてやがんだよ?」
「いや、おれ、一人で戻るから、さき帰れ」
話しかけんな だって、
「こんなとこに残していけるか。こい、 」
腕を掴んでくる指の力を痛いほど感じる。俺の方が逆に連れ戻されるようにし て歩いていかされた。
俺をバックシートに押し込むみたいにして、ゾロがドライバーズシートに戻り。
ビビは、ヤツの肩に額を押し付けるようにして、ごめんなさい、と繰り返し
俺は、自分のトワレの芳りが移ってなきゃいいけど、なんてぼーっと考え
そんな自分が滑稽で。
そのうちに夜景が流れても、思考は彷徨って
ヤツの勝ちだって、どういう。
なんで、吐き気、悪寒、心拍数の急増および過度の胸部の痛み、その他その他のお馴染みの症状 が さっき出てこなかったのか、ぼんやりと思っていた。
いまは、頭の奥が鈍く痛むだけだ。なんでだ・・・・?
それでも
まだはっきりと残る腕を掴まれた時の感触が、ざわ、と今になって身体の底から恐怖を思いださせる。
口に突っ込まれた布の固まり。押し付けられた熱。叫べなかった自分の声。
いやだ!いやだいやだ触るなさわるな、
忘れていたその悲鳴を押しやるように、窓に額を預けた
バックミラー越しに視線を感じてはいたけど
俺は自分の中で泣き叫んでいるガキを黙らせるのに、精一杯だった。
その夜は眠らなかった
どうにか叫び声を遠くに押しやるうちに、夜が明けていて。
そして朝のくることをこれほどまで待ち望んだことは
きっとなかった。
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