部屋に入ったとき不快になったのは まとわりついてくる幾つもの視線
(いないんですか?)
(ああ、もうすぐ帰ってくるから、)
(じゃ、外で待たせもらいます)
それでもとりあえず笑みを浮かべ、そこを出ようとしたとき
腕を掴まれた
引きずり倒し身体を押さえ込んでくる何本もの腕と
切れて口にひろがった血の味
弾けたボタンが床に転がる音が妙に耳について
押し広げられた足に這った湿った熱 指、手のひら 息 いや、だ
押し当てられた
暗やみに逃げ込んでも痛みに引きずり戻され
揺さぶられる
足が、ある おれの?
たすけ、
律動と吐き気
叫ぶこともできずに
・・・い。おい、どうした?
い、やだ。やめ
触れてくる腕を逃れてヘッドボードに背中を打ち付けた。
「った、」
「だいじょうぶか、」
焦点のあってきた視界にオトコが映る。
ベッドサイドに一つだけ灯ったぼんやりした明かり。
身体が逃げかけ、その翆に意識が戻ってきた。
ああ、これは。ゾロだ。
ピアスが鈍く光をはね返し。
「ひどくうなされてた。大丈夫か?」
覗き込んでくる、翆の瞳。穿いているのはジーンズだけで、よほど慌てたのがわかる。
どうにか、うなずく。まだ、口の中が変に乾いて。こいつを起こすほど、叫んでたのか。
叫ぶガキの声は、俺の中から決して消えることはなかったけれど、フラッシュバックは
もう何年も起きていなかったのに。
ヤツが水の入ったグラスを差し出してきて、なんとか、手にするけど。
まだ、手、震えてやがる。
中身を零しそうになって、ゾロが手を添えて、なんとか俺の口元まで持っていかせた。
みつめてくる視線を感じながら、飲み干した。
ベッドからずり落ちていたコンフォーターを引き上げて、そ、と俺に被せてくる。
「平気か、」
「あ、うん」
かち、とライターの着火音。ナイトテーブルから俺の煙草を取って火をつけた。
そして、ゾロは黙って俺に渡してくる。
受け取り、深く吸い込む。
意識が、確実に戻ってきた。
「そんな、叫んでたか」
ベッドの端に軽く座ってヤツは軽く肩をすくめて、何も言わない。
もう何年も、夜中にうなされることはなかったのに。
何を言ってたか、大体想像がつく。
俺のハハオヤが毎朝泣きはらした目をして、チチオヤは俺に州最高の、てことは
ほぼ世界随一の精神科医を俺の治療につけさせた、そんな内容だ。
「俺さ、」
「いい。言うな」
まっすぐに目を見つめられた。真摯な双眸は、いま俺のことだけを見てる。
「おまえが。あんなことするから思いだしたんだ。不用意にヒトに触わんな。聞け」
くう、と子供のするみたいにゾロの眉が寄せられた。
「14の時に。レイプされたんだよ、さんざん。ガールフレンドの兄貴とそのお仲間連中に。
サイアクだろ。ロストバージンがレイプに輪姦。でもな、もっとサイアクなのがその後の
メンタルケアでさ。何回ヤられたか、イかされたか、何人いたかとか、そういうの全部話させんのな。
覚えてるわけねーじゃん。自分の中から出さないといつまでも捕らわれたままだとか言われても、
本当、思いだせなかった。覚えてるはずなのに顔なんてブランクになってんだぜ?
輪郭だけあって、まっくろ。」
煙草を灰皿に押し当てた。
「俺のこと、治しきれないでやんの。あの医者、ヤブだぜ」
ゾロの瞳は逸らされることはなかった。
ゆっくりと腕が伸ばされ、キツイ眼差しが、ふ、と緩んで。
俺の手から灰皿を取り上げると、そのまま立ち上がろうとした。
「なにかあったら呼べよ。すぐ来るから」
無意識に、その腕を掴んでいた。
見上げる。
「いてくれ、」
静かに、見つめ返された。
「ここに、いてくれ。ゾロ」
ベッドに体重が乗せられた。
ぱち、と明かりが落とされ。
ゾロが壁に背を付けて半身を起こしているのが暗い中でもわかった。
足元の方、少し離れた所から眠るのを見ていてくれようとしているのが。
そのシルエットに安堵する自分も。
そっと近付き、ヤツの横に俺も移った。
少しあいた空間から、少し高めの温度が伝わってくる距離は居心地が良くて。
そのまま壁にもたれ掛かって目を閉じていたら、ぐ、と頭を肩口に預けさせられた。
腕が回されるのをぼんやりと感じていた。止めていた息がゆっくりとだされ。
体温が、触れている箇所から流れ込んでくる。
ゾロの手がそっと髪に触れるのを感じ取る。
肩に額を押し当てるようにして。
そうして。
自分の中の泣き叫んでいた子供が、ふう、と膝を抱え、丸くなるようにして
眠りについた。はじめて。
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