SEGUE
草原、宵闇、秋の虫の音。
「虫の音、すげえするな」
「そうだな」
「まっくらなのに、鳴くんだな」
「ああ」
「こんなに、いろんな音があるんだ、」
「―――うん」
「……初めて聞いた」
「そうか」
夜中、何故か折角の陸地だから宿で大人しく眠れば良いものを、酔狂を承知でこの
大きくもない町の外れまで、夜中の散歩に出ていた二人組。広いところで風に吹かれて
酒でも飲みたいなと。秋の宵、そんな気紛れを起こして宿を抜け出してきていた。
「なんか、うれしくねえ?」
「なにが、」
「ん?広いところでサ、まっくらで、何も見えねえのにきちんとモノは生きて、動いてる」
「……うん、」
「――てめえ。さっきから、"そうだな"と"うん"しか言ってねえんじゃねえの?」
「―――そうか?」
「ああ。限りなくそうだ、」
サンジが壜から直接強い酒を口に含み、ゾロに押しやる。
「てめえも何か喋れ」
そして、口許に薄く笑みを刷く。ある種の実力行使。
「こういうのを、宵待、ていうんだ」
ようやくゾロが口を開く。
「……酔い待ち?」
「ちがう、アホ。月が出るまでの間をそう呼ぶんだよ」
「へえ、」
ふと静けさが降りてくる。
かさりと乾いた草のたてるその音に、溢れるようだった音が世界から瞬間無くなり、
また戻ってくる。
「なんかさぁ、あっちの方、」
言ってサンジが東を指さす。
「こう、白くなってきてないか?明るい」
「ああ、」
突然低くなったところから聞こえてくる声に眼をやれば、さっきのあの音はゾロが横に
なってしまったからだったのかと、サンジは気付く。
「あれは。あの明るさは"月白"、ていうんだ。月がでる前の」
「ふうん、」
「おまえ、変なトコ詳しいのナ。意外だぜ」
とんとん、とその形良い指先がからかうように自分の額に落ちてくるのをゾロが払う。
また、眉間の辺りをするすると触れてくるのを手首ごと捕まえて草にその掌を突かせるようにした。
「……ちぇ、つまんねえの」
小さく舌打ちはしても、そのまま上体を僅かに傾げて腕をこころもち開き、そのままにしている。
「おれの育った方は、」
「うん」
めずらしく自分から言葉を紡ぐ相手にサンジは眼差をあわせようとはしない。
話しているほうも、きっとそのまっすぐな眼は"月白"の方へ向けられているだろうと。
「月に関する言葉はたくさんある気がする」
「そうなのか」
「ああ」
「―――他は?」
「思い出せねえ」
あっさりと返って来る返答。
「―――バカじゃねえの、てめえ」
小さなわらいがどちらからともなく上る。
仕様がねえだろ、と告げる声は酷く静まり返っていた。
「こんなにゆっくり、月なんざ見たことねえよ」
「―――そっか」
虫の音が一層高まり、それがつかの間止む。
草に突いた自分の手に重みを感じ、それが何の重みであるのか数瞬遅れて
サンジは思い当たる。
「てめえ、」
「ちょっと貸せ」
「ヤダね。シビレル」
サンジの声が微かに笑みを含んだのと、ゾロが僅かに頭を浮かせたのとほぼ同時に
上体をいきなり頭ごと両手で引きずられ何か文句を言うより先に。ゾロは。
据えられてしまっていた。
片足の伸ばした、その、膝のあたりに。自分の頭を。
「おれのゴッド・ハンドをてめえのクソ頭に敷こうなんざイチマンネン早えぞ」
「おい。てめえの"黄金の足"とかいうどえらいヤツは構わないのか?」
ゾロの声も笑いを含み。
「とりあえず、明日のメシには支障はねえし、てめえの耳に可哀相な虫でも入ってみろ
バカが悪化してウチのダイジナ医者が泣くだろうが」
「そうか」
「そうだ」
ひどく気紛れな行動にゾロの唇端が引き上げられる。
一連の動きにぴたりと止んでいた音が、また勢いを取り戻す。
「こんな、なあんもねえ中、まっくらでさ。こんな風にしてると、」
やっと、月が光をみせた。淡い色味が浮かび。
サンジの声を聞きながら、自分たちのまわりだけが茫と白んだ気がゾロはした。
―――ああ、こいつの所為か。
全部が全部、淡い色味の濃淡で出来上がったようなこいつの、白いシャツであるとか
襟元から続く白さであるとか。それが、まるで光を吸い込んでいるんだ、と。
けれどまたそうやっている間にも雲間にそれは隠れ、薄闇が戻る。
「こうやってると、"ここ"だけがホントウみたいな気がする。てめえなんぞと
取り残されちまったみたいな、気分だ」
ふ、と視界が遮られたと思ったら、身体を折るようにして覗き込まれていた。
「光栄だろ、」
に、と引き伸ばされる薄い唇。
「―――悪かねえな」
腕を伸ばし、月輪を被せたような頭を引き寄せる。
「クソ上等なんだよ、クソゾロ」
「そういうユメも、悪くない」
手を差し入れたまま、半身を起こす。
「ああ。いまくらいはな」
言いながら、両の腕が自分の頭を抱きこむようするのをゾロはさせるに任せていた。
そして自分は真近の耳元に唇を寄せるようにする。
「なあ、アホ剣士」
「アホは余計だ」
「また、つぎもさ、」
さらりと、髪を掻き分け肌に唇で触れ返事にする。
「"月見"しような」
ゆっくりと抱きしめた。月の燐粉の散るような中。
いつか思い出すような、秋の宵。
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お礼の気持です。秋の夜長のなんてことは無いお話。みなさま、いつもご愛顧ありがとうございます。
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