*19*

「ドライヴは長いからな。ちゃんと着替えて、挨拶をしたらさっさと行こう」
どこか、楽しそうな風情のショーンにクルマまで促され。にこ、とヴァンが笑い、けれども次の瞬間には飛び上がるようにしてショーンを見上げていた。
「やっべえ……!ショーン、はやくっ」
そして走り出そうとする。
「はン?」
「ショォン、はやくっ!」
「ああ、ちょっと待て。家戻るなら車のほうが早い」
もう何歩か走り始め、声に振り返る。
「やばいって、とうさんもう起きるっ」
ローヴァに向かって今度はダッシュしながら告げれば。
「なにをそんなに慌ててンの?」
だって!とヴァンが頬を赤くしてドアを開けながら、首を傾げたショーンに向かって、早くしてってば、と焦りながら返していた。
「いいからはやくっ」
「だからなんで!!」
ドライヴァーズシートに回り込み、飛び乗ったショーンが問いただせば。はやくはやくとシートで跳ねる勢いで急かしていたヴァンが、「あとで!」と説明にならない説明をし。
あっというまに湖畔を抜けて山道を登り、ヴァンガローの側にクルマがやってくれば、ドアから飛び降り。
「あんたとケッコンするから出て行くって、紙に書いちまったの!!!」
ぎゃあ、やべえって!と叫びながら家へと駆け込んでいく。
ふぅん、とエンジンをきりながらショーンが、別に間違ってねえじゃん、と思っていたことなどは知る由もなかった。

ヴァンがリビングに文字通り駆け込めば、まさに父親がダイニングテーブルに残された紙をひらりと摘み上げたところで。
「ああああああ!それおれのっ」
間一髪で父親の手からそれを引ったくり、ハーフパンツのポケットに押し込んでいた。
息を切らして、どうしてだか倒れこみそうな息子の様子に父親が首を傾けて見せるのに、ヴァンがどうにか右手をひらひらとさせて「忘れて」と伝えようとしていた。
「ハン?まぁ…どうでもいいが――――ヴァン、おまえ。朝からみっともない顔だね」
そう告げるとピッチャーに移されていたオレンジジュースをグラスになみなみと注ぎながら肩を軽く竦めていた。
確かに、朝一に泣き喚いて、叫んで、ジンセイが動き始めて――――数十分の間で起こるにしては劇的すぎたかもしれない。
「それだと…おまえ、オーヴンから出てきたトマトみたいだな」

ドアのもう一度開いた気配に、視線を投げそこに甥の姿を認めると、僅かに笑みを深め。おや、パトリック、と柔らかく微笑んだ。
「ヴァンが転がり込んできたんだが……湖でジェイソンでも出たのかい?」
まぁそのワリにはキミは平然としているな、と眼もとがまたちらりと笑みを刷いた。
「ヴァイキングがヴァンを連れ去ろうとしていたんですよ」
真顔を作って言う甥に向かい、また笑みを一際深くする。あぁ、なるほど。ヴァンはカワイイからね、と。
「ちゃんと、見ておいてやらんと」
そうさらりと告げて、唇を引き上げていた。夜明け前に交わされた会話を知らないヴァンが不服気に唇を尖らせるのを視界の端に収めながら。
「本等にその通りですね、」
ショーンが、天気の話でもするような軽い口調で返すのに、そうだねえ、と頷いて返せば。
「かわいくねえ!!!」
ヴァンが一際大声で抗議をしていた。

「そうか?トマトは海では貴重品じゃなかったな…たしか」
抗議してくる息子は放っておいて食器棚の方に向かえば、「生もの全般が貴重品です、」と歌うように言ってくる甥に向かってこっそりとウィンクを送っていた。どうやら賭けは上手くいったのかな?と。
そして、どこかほっとしたようにポケットへメモを押し込んだ息子に向かい、あぁそうだ、ヴァン、と何事もないかのように話しかけた。
「本当に結婚したいのなら、まだステイツ内では無理だよ?」
「――――――――っぎ……!」
言葉を失って固まる息子に、
「やれやれ、おまえ。少しはベンキョウしなさい」
とわざと溜息をついてみせ。ショーンに視線を戻すと、ぶ、と笑い始めた甥に向かい、
「キミもなかなか苦労するだろうねぇ。いつでも離縁して構わんよ、アレをよろしくな」
やれやれ、とでもいう口調で笑みを滲ませて言い切っていた。
「連絡先は先にお知らせした通りです。なにかありましたら直ぐにご連絡ください。同居もいつでもオーケイしますよ」
どこか楽しげに、さらりとショーンから告げられた言葉にまた微笑み。私はここが好きだからね、と返していた。

そして、まだ事態が飲み込めきれずに固まっていた息子に向かい、ぱん、と手を打ち合わせて視線を戻させる。
「なにか持ち出したいものがあれば直ぐに準備しなさい、セーフティブランケットはもう要らんだろうが」
「ああ、週末には戻るから、服とかは置いておいていいよ」
ついで届いたショーンの声に、ヴァンが視線を2人の間を交差させていた。
「独身貴族のジャマをするとは無粋な甥め」
そう笑う父親から視線を引き剥がし。え、と、とヴァンが瞬きした。
けれど、とりあえずは朝起きたままの格好、おまけにいまは裸足だった、これを何とかしないと、と自室へと走りこむ。
そして小さな自室に戻れば、ヒトツのことに気付いた。持ち出したいものなど、実は何一つなかったことに。

「そっか、」
ぽつ、とヴァンが呟いた。
ドアの向こう側からは、どこか和やかな気配が届いていた。父親とショーンが何事か話してわらっている。
誰に反対されても、決めたことは通すつもりであったけれども。こうまであっさりと容認されてしまうのも、どこか気恥ずかしいモンなんだな、と。それはつまりは―――自分の恋心など家族からみればあまりにも顕著であった、ということなのだろうし。
「ストップかけらンないくらい、ショーンのこと好きなの、ばれてたんだ」
なぁんだ、と半分わらいたいような気分で着替え、靴を履きながら、室内を一度だけ見回し。それから静かに後ろ手でドアを閉めていた。

「支度できた、」
他に言葉が見付からず、リビングに戻り短く告げれば。
テラスで父親と何事か話していたらしいショーンがリビングへと戻ってきたヴァンを見遣り、「もう行ける?」と微笑んだ。
「お気に入りのぬいぐるみはいいのか?」
そうからかうように告げてくるのに、ショーンがまだ自分がチビのころに抱えて寝ていたテディベアのことを言っているのだと気がついた。
モーリス、と名付けていつも一緒に抱えて寝ていたソレを、何度もショーンのベッドにまで持ち込み、大人2人と子供でも手狭なところにコドモ一人分はゆうにあったモーリスで更に狭くなっていたことを。
そして、モーリスは、大抵自分とショーンのガールフレンドの間に寝かせていたことも。

「モーリスはもう森に帰ったんだよ」
ぷう、と頬を膨らませるようにヴァンが言えば。
「ああ、そう?」
そうショーンが笑い。
「あぁ、パトリック」
テラスから呼び掛ける声にショーンがわずかに首をめぐらせる。
「気をつけなさい、森へ帰る頃にはモーリスの首はね、ぐらぐらだった。ヴァンがあんまりかじりつくから」
「とうさん!!!!!!!!」
ぶふー、っと堪らずショーンがしゃがみこんで笑い出し。
「おや、言っちゃいけなかったか?わたしのかわいい義理の息子にヒミツはいかんよ」
「とおおおおさん!!!!!!」
「むしろ私はモーリスよりショーンの方が心配だ」
「とうさん!!!!」
ああもういいから黙っててよ!とヴァンが叫び。片や、笑いすぎた所為で目尻を拭っていたショーンは。
「大丈夫ですよ。オレには噛み付き返す牙がありますからね、」
そう言うと、口を大きく開いて、また笑っていた。

「そうか、ならば安心だ」
に、と父親がわらうのに、ヴァンが眩暈を覚えかけ。けれども何とか息を深く吸い込んで平静を保とうとしていた。
あぁもうこの人はこういうヒトだったんだ、おれってばナンデ忘れてたんだろう、と。
急に黙り込んだヴァンにショーンが視線をあわせ。
「行こうか?」
口端に笑みを乗せて促す。
「うん」
そして何時の間にか室内に戻ってきていた父親に視線を戻せば。すい、と額に唇で触れられて瞬きし、ショーンを見上げる。
「ちゃんとご挨拶しておいで、先に車で待ってるから」
そういい残し、去り際に父親にぎゅ、とハグをするショーンを見詰め。そのまま離れては行かずに2人して無言で背中を叩きあってから、今度はまっすぐにドアに向かっていく後姿を目で追っていたけれども、静かにドアが閉じられ。
す、と父親の視線が自分に合わせられるのに、ヒトツ息を呑んだ。

ドアの側から何故か離れないでいた父親の方へ向かえば、ひら、と手を振られた。
「とうさ…」
「ん?早く行きなさい」
そうやんわりと告げられて背中を押される。
身体が半分ドアから押し出されたところで振り向き。
ありがとう、だいすきだよ、と。ぎゅ、と両腕を背中に回した。
「ハイハイ、」
とんとん、と背中をあやすように何度か掌で叩かれ、それから一度だけ、ぎゅ、と抱き締められる。
「ほら、ヴァイキングがまた来るまえにいきなさい」
「こないよ」
「わからんぞ?」
ちか、と父親の目が笑いを弾くのに、ぎゅ、と顔を顰めてみせ。けれどももう一度抱きついてから、今度こそヴァンも坂道を車に向かって走り降りていった。
「ヴァン!」
「なにー」
途中で振りかえれば、
「モーリスに伝言は?」
そう大声で返され。ひゃあ、とヴァンがわらった。



*20*

車のエンジンをかけて、後部差席に放り出しておいた携帯電話の電源を切った。
カーナビの設定を整えているうちに、ヴァンがバンガローから飛び出してきた。
無意識に脚を引き摺りつつ、それでもはしゃいで車に近寄ってきたヴァンの様子に僅かに眉根を寄せる。
「ショオン、」
ふにゃ、と笑って運転席側の窓にやってきたヴァンに、顎で乗るように示す。
そうすれば、開けっ放しだった窓からヴァンが届く限り腕を伸ばして。ぎゅう、とショーンに抱きついていた。
そして、く、と笑ったショーンに構わずに、ナヴィシート側に走っていく。

がちゃ、と扉が開いて、直ぐにヴァンが乗り込んできた。
「オマタセ」
ブルゥのローライズとグレーのTシャツの間の腹がちらりと覗いて、ショーンはくっと笑って手を伸ばした。
「もうオレのだからな、オマエ」
項を金色の髪ごと引き寄せれば、笑った視線が合わせられる。
「んん?」
「覚悟しろよ」
に、と笑って、手で後頭部を引き寄せた。そのまま、とん、と唇に口付ける。
ふわ、と綻んだヴァンを間近で見詰めて、くす、と笑う。
「ちゃんと傷の手当はしてきたか?」
「なんでもないよ、水で流した」
あむ、とキスを返されて、柔らかく首裏を揉む。
「後で消毒しよう、炎症でもしたら大変だ」
少し甘くなりかけた吐息に、ショーンはそう告げてから身体を離した。
「シートベルトだ、ヴァン。ちゃんとして」
自分もシートベルトをきちんと締めてから、サイドブレーキを解除した。
ヴァンがにこっと笑ってベルトを締めているのをちらりと見遣る。
「おれ、都会の子じゃないんだよ?こんな怪我、なんでもないのに」
「オマエのことだから心配なんだ」

車を走り出させながら、メインロードに出る前に各ミラーをチェックする。
「ショーン、」
声が笑っているヴァンをちらりと見ながら、他の車が一台も走っていない道路に車を出す。バックミラーには後にしてきたバンガローが、静かに佇んでいるのが見える。
「Aye, Van?」
「だいすきだよ、」
ちら、とヴァンに視線を投げて、ショーンは、く、と口端を引き上げた。
「あんまりオレの忍耐を試すようなこと言うなよ?」
「泊まる?」
に、と笑ったヴァンに、片眉を跳ね上げる。
「だぁめ」
「んんー……」
「明日オマエを担いで移動したくねェもん」
きゅ、と目を見開いたヴァンに、くう、と笑う。
「オマエね。明日ベッドから動けると思うなよ?」

ぱち、と瞬いたヴァンが、かあ、と一気に顔を真っ赤に染め上げていた。
「――――――――え、」
「最初からフルコースはパス?」
に、と笑って、麓のハイウェイ・エントランスに向かって車を走らせる。
ぶんぶん、と真剣に首を横に振ったヴァンに、ちらりと笑みを投げ掛ける。
「冗談だよ。急ぐことなんかなにもないさ」
「ショォン、」
「んーん?」
「おもいっきりフルコースがイイ」
ふわ、と和らいでいる声が、答えを返した。手を伸ばして、さら、とヴァンのデニムに触れる。横顔に視線が合わされるのに、ぽん、と腿を叩いた。

「なぁ、なぁ、ショーン?」
少し笑っているヴァンの声に、ちらりと視線を投げる。
「ン?」
「オンナノコっていっつもこんなドキドキしてんのかな?」
「どうかな」
笑って、前方のアスファルトを見遣る。
「別にオンナノコでなくても緊張はするダロ」
「ドキドキの具合がちっと違う」
ハイウェイ直前のレッドストップに、車を停車させてヴァンを見遣る。
ふう、と息を吐いて、ヴァンが言葉を継いだ。
「レースの前とも違う、もっと楽しくて、少し怖くてでもすげえウレシイ」
ヴァンの頭を、手でくしゃりと撫でた。
「まだ早ぇよ。だから少し落ち着け?」
ぱちん、とウィンクを飛ばす。
「ロスが近づいてきたら、きっともっとドキドキするよ」
「あんたと2人でいるのに?!無理だよ」

ふにゃ、と笑うヴァンに、肩を竦め。グリーンライトを確認して車を滑り出させる。
「ヘイ、ヘイ、ヴァアン。これからずっと一緒だぜ?」
「じゃあ、オレ、一生ドキドキしっぱなしだね」
ふにゃ、と笑ったヴァンの返答に、ハ、と笑う。
「そのうち慣れるよ、仔猫チャン。じゃなけりゃオマエ、そのうち心臓発作で死んじまう」
車間距離に注意しながら、車をハイウェイに乗せた。
来る時には、ヴァンを乗せていることなど、考えもしなかったのに―――――うん、気分はいいな、とショーンは思った。
「オマエのことを大事にするって、叔父さんに約束してきちまったからな。心臓がドキドキしすぎてオマエを失くすなんてハメにはしたかねぇぞ?」
「生き返らせてよ、アンタのキスでさ?」
にこお、と笑ったヴァンに、くすっと笑った。
「カワイコチャンめ。そんなに煽ったって、ロスに帰るまでは手を出さないからナ。いいコで我慢してろよ」




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