11. Jake

二日間で30匹の吸血鬼と、狂乱に誘われてやってきた2匹の悪鬼を仕留めて、ジェイクはブダペストを後にした。
ロスに飛んで、久しく戻っていなかった自宅へと戻り。武器を調整してから、ホワイト枢機卿に呼び戻される理由となった悪魔を一掃しに出た。
3人の神父と4人の女が、ジェイクがいなかった間に喰われていた。黙って片眉を跳ね上げたジェイクに、ホワイト枢機卿は言った――――ジェイコブ、お前とお前の師を買って出たエクソシストが並外れなのだ、と。
『オレが消えたら、アンタらもタイヘンだな』
口端を吊り上げたジェイクに、その場にホワイト枢機卿と共に居た神父たちはギラリと睨み上げてきた。
ジェイクは両手を挙げて小さく笑った――――ヘイ、“アフターケア”はアンタたちの仕事だろ、と。

西海岸から東海岸へと渡って、6匹の悪魔と18匹の吸血鬼を殺した。欧州に渡るまでに吸血鬼たちを殲滅して回ったせいか、国の広さに反して彼らの数は少なかった。その代わり、単独行動を好む悪魔たちは欧州より多い。そして6匹全部がジェイクに言った。
『ジェイコブ、オマエは随分と美味くなっているね』
殺す前にジェイクに跨ったのはオンナの容をした悪魔2匹だけだったし、2匹のオトコの容をした悪魔とはリヴォルヴァを喰らわせてナイフで首を裂き、十字架で貫いただけで、それ以外触れもしなかった。それなのに『美味くなる』とはどういう意味だろう、とジェイクは考える。1匹のオトコの容をした悪魔は、『キレイになった』と断言して、ジェイクに殴られてから死んでいった。

悪魔の考えることは解らない。解るのは、連中が絶えずどこかからかジェイクを見ているということだけだった。
オンナ型の悪魔の一匹が言っていた。
『ジェイコブ、そんなに吸血鬼たちは楽しい?』
『楽しい、とは?』
『あいつらに、オマエはかまけてばっかりいるじゃないの』
くう、と口端を吊り上げて腰を揺らした悪魔に、ジェイクは返した。
『単体なだけ、オマエたちのほうが楽だな』
『複数でオマエを構ってあげましょうか、ジェイコブ?』
くすくすと笑った悪魔が、甘ったるい喘ぎを洩らしたのに、ジェイクは小さく笑った。
『面倒臭いからオマエらはレギオンで来るな。統制の取れた悪魔の配下なぞ、吸血鬼どもだけで充分だ』
『あぁら、ジェイコブ。吸血鬼どもはアタシたちと同じモノではないわ?アタシたちが生まれ出るのに“親”はいらないのよ…?』
『オレにとっては同じものだ』
『屠るだけ、ってことかしら?』
目を細めたソレに、ジェイコブは笑みを返した。名をエリスと言ったソレは、ジェイクの体液を奥深くに受け止めてから2時間後、闇へと返された。杭を腹に喰らい、事切れる瞬間に、ソレは笑って言った。
『またどこかでね、ジェイコブ。早くオマエのイイコと会えるといいわね……すっかり美味しそうよ、あのコも』

悪魔と吸血鬼が生体的にどう違うのか、ジェイクは考えたことがない。
ハーフブリードがそうでない悪魔とどう違うのか解らなかったし、ヒトと自分がどう違うのか知るのが怖くて、どんなに死に掛けても医者にかかったことがない。ジェイクを育てた教会の連中も、ジェイクを医者に見せたことが無い。
ジェイクにとって重要なのは、稀にヒトは悪魔の子を孕む(だから悪魔と交わったオンナと自分と交わったオンナ型悪魔は例外なく殺す必要がある)ということと、吸血鬼同士で番うと純血の吸血鬼が生まれるということ、ヒトと交わればハーフブリードの吸血鬼が生まれるということ、そしてヒトも悪魔も吸血鬼も、十字架の杭を心臓に打ち込まれ、銀の刀で首を落とされれば“死ぬ”ということだけだった。
だから、美味しそうだと言われても、どういうことを意味するのか解らなかった。その意味を理解する気もなかったけれども、“ジェイクのイイコ”だと勝手に断言されているスカッドまでもが“美味しそう”だと言われたのが気になった。

スカッドを吸血鬼に転化させた“ミナウ”は、彼がジェイクに恋をしているから美味しかったと言っていた。実際に血を吸ったのだから、味が解ってアタリマエだとは思ったけれども、なぜそれがスカッドと会ってもいない悪魔に解るのかが解らなかった。スカッドのみならず、自分までもが美味そうだという。ますます意味がわからない。
けれど、老若男女、神父からごろつきまで喰う相手を選ばない悪魔どもだから、大して意味はないのだろう、とジェイクは深く考えないようにする。悪魔や吸血鬼のグルメレポートを教会に提出しても鼻で笑われるだけだろう、と。

それに、ブダペストで失ったスカッドの足取りを見つけなおすことのほうが重要だった。気付けば、スカッドの“来訪”を受けてから、もう半年ほど経っており。彼はとっくに次の場所に移動している筈だった。
スカッドの来訪の意味は解らずとも、彼が随分と変わっているに違いないにも関わらず、昔と同じような部分も充分に残っていることは嬉しかった。スカッドがジェイクのことを忘れてしまっていないことも――――だから、ジェイクの前に現われないように、彼を避けているということも。

* * *

そうしてすっかり晩秋の色鮮やかさに染まったブダペストにジェイクは戻った。
冷え込む空気にコートの前を抑えて足早に側を通り過ぎていくヒトたちをジェイクは見ずに、ブルゥグレイに染まった空を見上げてみた。
悪魔も吸血鬼も、昼中の街に潜んでいる様子はなかった。だから、前に泊まったホテルの同じ部屋を借りて、夜まで眠って過ごした。悪魔は昼間でも動けたけれども吸血鬼は夜しか歩けないから、吸血鬼の痕跡ではなく、嗅覚で連中を追いかけている自分が昼間闇雲に街を歩き回るのも無駄だと知っていた。

たっぷりと日が暮れて窓の外に闇が満ちてから、ジェイクはホテルの部屋を出た。
ジェイクが“クリシュナの血統”を皆殺しにしている間中、スカッドがその周囲にいた様子がなかったから、別の“巣”が他にあるに違いなかった。
ほんとうはあの時に皆殺しにしてしまいたかった―――――けれど、スカッドを殺す決意に変わりはなくても、心が揺らいでいるのも確かだった。
会いたい、けれど会いたくない。会いたくないのは……本音では殺してしまいたくないからだ。なぜそう思うのか、ジェイクには解らない。けれど、二度と会えないことに変わりがないのならば、殺してしまってもいいだろうに、との結論に達しない自分を可笑しく思う。少なくとも殺すときにはもう一度会えるのだから、そのほうが二度と会えないよりはマシな筈なのに、と。

キシ、と目の横が痛んで、ジェイクは目を眇めて闇夜を見上げた。周囲の気配を探り、屋根の上から静かに自分を見下ろしていたシルエットを見付けて、くう、と口端を引き上げた。
シルエットがジェイクを誘導するように、古びた屋敷まで飛んで行き、ジェイクはその姿を見失わないように、走って後を追った。
開きっぱなしの木のゲートを潜り、リヴォルヴァを引き抜きながら石造りの屋敷の扉を蹴破って中に入る。
人気がなくガランとした屋敷の中を、皮膚感覚だけで存在を捜し出し、足を向ける。

重厚な木のドアを抜ければ、暖炉の前のソファにヒトリの吸血鬼が座っていた。仕立のいい服を着込み、流れるような銀の長い髪をした見かけはまだ壮年の男だった。
「出迎えもなしに失礼したね、“ジェイ”?」
笑うような男の声に、ジェイクは目を眇めて照準を合わせる。
「わざわざ招待してもらえるとは思っていなかったよ。パーティーの割には随分と寂しくないか?」
「ヴァンパイヤ・スレイヤにチルドレンを全部食われてしまうのは残念だからね、ルクセンブルグの知り合いのところで開かれている本物のパーティーに全員送り出しておいた」
「ああ、そうか。ありがとよ。次はルクセンブルグに向かえばいいんだな?全員ってことはアンタのチャイルドでないアイツも一緒か」
ご親切にどうも、と撃鉄を起しながらジェイクが笑えば、首を傾げながら吸血鬼が訊いた。

「確かにオマエは面白いモノだね、ハーフブリード。ミナウが転化を望んだ理由がわかる。けれどヒトとしてはなにひとつ面白くない」
「話しは終りか、ヴァンプ」
「短気は損気だよ、“ジェイ”」
笑った吸血鬼に向かってジェイクは引き金を引き。床を転がって位置を変えながらまた撃鉄を引き起こして、本能が訴える方向に銃を向けた。
くう、とまた男が首を横に傾けた――――まるきり無傷であることを照明するかのように、両手を広げる。

「紹介がまだだったね、ハンタァ。イシュトバーンだ。ミナウとは古き友人だった」
「名前は必要ないな、どうせオマエも灰になる」
「おやおや。狼より獰猛だね、オマエ。そんなに牙を剥いていたら―――――圧し折りたくなるじゃないか」
動いた影に弾を打ち出しながら、腰から銀のナイフを引き抜いた。それを、風の巻き起こった方向に続けざま薙ぐ。
ふ、とソファを挟んだ向こうに、イシュトバーンが姿を現した。
「……それがオマエの牙か、ハンタァ」
撃鉄を再度起しながら、ジェイクは口端を引き上げる。
「ご要望とあれば、十字架の杭もあるぜ」

避けたジャケットをゆっくりと脱ぎながら、吸血鬼が笑った。
「……あのコは美味いな、ハンタァ。オマエがアレをあそこまで仕立てたのか…?」
く、と目を細めたジェイクに、くく、と吸血鬼が指を折り曲げて見せ付けた。
「アレは良いよ、オマエ。戯れに開かせたら、クセになった。だから何度も何度も…な」
ぺろ、と唇を舐めたイシュトバーンに銀弾を打ち出しながら、逃げる先を予測し、ナイフで凪ぐ。
旋風のように逃げる吸血鬼を銀の刃で追い、確実に手ごたえがあったにも関わらず、二度三度と切りつける。
爪が振り下ろされるのを腕で塞ぎ、膝で蹴りを入れたその回転を使って再度薙いだ。じゅ、と刃が肉を焼く音が響き、白い煙が立ち昇る。
ぐう、と唸った男を狙って、銀弾を二発打ち込んだ。影が弾かれたように飛んで、壁に当たって崩れ落ちた。

残り二発、と無意識でカウントを取りながら、傷を抑えて床に倒れこんだ吸血鬼に近付きつつ、また撃鉄を起した。
かちり、という音に、痛みにも関わらずジェイクに双眸を当てたままだった吸血鬼が、に、と口端を引き上げた。
「果てるたびにアレはオマエの名を呼ぶぞ、“ジェイ”」

荒い息の合間に、わざと耳障りに甘く囁いた吸血鬼を思う様蹴り上げ、ジェイクは腹を抱えて蹲ったソレを踏み付けた。銀弾を胸に送り込んで、今度はびくびくと跳ね上がったその身体を床に押し付ける。
「ハ、ハハ、ハハ…ハッ」
肺に溜まった血を吐き出しながら、イシュトバーンが笑っていた。
ジェイクは拳銃を放り出し、胸の内ポケットに入れておいた杭を取り出し、傷口を押さえるようにしていた両手ごと、無遠慮に貫いた。噴出す赤い飛沫に目を細め、けれど最後まで目は離さずにいる。

「が、あ…ッ」
首を仰け反らせた吸血鬼の腹に片足を乗せて押さえつけたまま、ジェイクはしゃがんでナイフをその首に当てた。そのまま一気に喉を切り裂く。
びくびくっとイシュトバーンの身体が跳ね上がり。けれど絶叫は洩らされずに、かわりに肺から押し出される空気がひゅうひゅうと音を奏でていた。
ジェイクは足を退かして、降りかかっていた血を苛々と裾で拭った。その間にも、吸血鬼だったモノの身体は端から灰へと変わっていき、さらさらと崩れ落ちていく。

目を瞬いて、視界が正常になっていることを確認する。一瞬すべてが赤く変わっていたのは、吸血鬼の血が目にかかったからだろう、と分析しながら、ナイフを鞘に収め。反対側の胸ポケットに入れてあったアクリル製の小さな瓶を取り出し、聖水を灰に振り掛ける。
じゅ、と溶けるように灰が消えていき。ジェイクは吹っ飛ばされた年代モノのソファを引き上げて、それに腰をかけた。ごしごし、と両手で顔を拭って、それから深い息を吐く。

一瞬、我を忘れそうになったことに、ジェイクは目を瞑ったままソファの背凭れに身体を預けた。
何度か体験したことのあるソレは、度を外れた怒りを覚えた時に現われる症状だ。
最初にソレを体験したのは、まだ5歳の子供の頃――――始めてヒトの子供に引き合わされた時に、何か言われて自分は酷く怒ったのだ。そして怒りのままにその場にあった大きな木のベンチを蹴りつけて……そして自分は二度とコドモたちの側に近寄ることを禁じられたのだった。
過渡に感情が昂ると、自分の内にある凶暴な闇が目覚めようと蠢く。それが自分の内に巣食う“悪鬼”だと教えられ、ジェイクはそれ以来、感情を切り捨てようとしてきたのだった。

二度目にソレを体験したのは……ああ、小さな子供が転んで泣いていたのを、喧しくて引き起こしてやった時だ。それを途中から見ていた尼僧が、ジェイクが泣かしたものだと勘違いし、ジェイクは小さな部屋に閉じ込められて3日祈祷だけをするよう言い渡されたのだった。自分の言い分がなにひとつ信用されなかったことにジェイクは怒り狂い、壁を拳で打ち抜いていた。誤解だとどうにか認識されて部屋から出されたときには、その部屋は改修工事が必要なまでに破壊されていた。

三度目の時は悪魔を狩っている最中に、警察官に踏み込まれた時だ。その時は殴り倒すだけでことを終えたけれど、その警察官が現場復帰したという話は、終ぞ聞いていない。

姿形が無くなってしまい、イシュトバーンだったものが炎も無く焼ける最中に残したヒト型の影を横目で見遣りながら、ジェイクは小さく息を吐いた。
イシュトバーンが吐いた言葉のどこに自分が最も深く怒りを覚えたのか、思い出す必要があった―――――こんな風に揶揄される度に暴走していては、あっという間にそれがジェイクの弱点だと思われてしまう。
弱点を曝すのは嫌だった。ましてや、またスカッドがジェイクの為にエサにされてしまうことも。

深い溜め息を吐いて、ジェイクは変わらずに赤々と燃えている暖炉の火に視線を移した。
一度覚えた焦燥感が、消える気配はなかった。



12. Scud

「スカッド、」
耳慣れた声が意識に直に語り掛けてき、スカッドが視線を隣に投げた。柔らかく波打つような赤毛がそれ自体がイキモノであるかのように流れていなければ、自分たちが静止していて、夜の景色だけが飛びように周囲を流れていっているのだと誤解しそうなほど、懸命になってイシュトバーンのチャイルドはスカッドの手を取って“走って”いた。
「私はこのままインドまで逃れてみる。あなたはどうするの、私と来る…?」
「ルジェ、なぜおれを」
他にもチャイルドがいただろうに、と。
「あのこたちは私の姉妹、だけどあなたはイシュのペットだもの、“長女”が連れ出すのが当然かと思ったよ」
どうするの、とルジェが燐の燃えるような碧をひたりとスカッドにあわせた。
「あなたも聞いたでしょう、イシュの最後を。此処に居ては危険すぎるわ、直ぐにハンタァが来る」
「おれは―――」


ブダペストからこの街へとやってきたのは、ジェイクの部屋を訪れてから三ヶ月近くが過ぎた頃だった。
『カテリーナがパーティーを開くそうだ、おまえもオレの子どもたちとルクセンブルグまで行っておいで』
『カテリーナ…?なぜ』
初めて聞く名に、スカッドが眉を僅かに顰めればイシュトバーンは小さく笑ったのだった。
『オレやミナウの古い友人だ。ミナウのオーファンにぜひ“会いたい”と言っている』
スカッドの眉根が一層寄せられていくのを認め、くく、とイシュトバーンが咽喉奥で笑い、言葉を継いでいた。さらり、と長い指で額へと落ちかかる髪を梳き上げスカッドの目元に戯れに唇で触れながら。
『あぁ、心配には及ばないさ。オーファンとはいえオマエがオレの加護下にあることは伝え済みだ、飼い主のあるペットにさほど無体はしないだろう』

そして、カテリーナと名乗るエルダーに初めて会い。大理石を思わせる硬質の美貌と、それに反するような口調にスカッドが僅かに瞬いた。
けれどそれに慣れてしまえば、晩餐、と称して供されるヒトの変わるだけで絢爛と続けられる饗宴はスカッドの興味を引くものでもなく、ただ喧騒から離れ佇み。伸ばされる腕の無い限り、ロスへ戻ったと噂されるジェイクのことだけを考えていた。
けれど、この日は違っていた。
カテリーナが一瞬視線を虚空に投げ、次いでルジェがひくりとその肩を揺らし、やがて一つの声が聞こえてきた。
『―――イシュが滅んだ』
『イシュトバーンが滅したぞ』
そしてその直後に、散っていく直前の意識の残響が閃き、ソレは酷く高揚しているかのようだった。まるで、消えていくのを愉しんでいるかのように。

その声にスカッドが愕然とし。饗宴の場が騒然とし始めるなか、けれどもただ一つの可能性に思い当たった。
「ジェイ、」
呟き。
カテリーナに視線を向ければそのアイスブルーの双眸はまっすぐにスカッドにあわせらていた。
『美しき厄災の子、』
カテリーナから意識に直に話しかけられたスカッドが眉根を寄せたとき、腕をきつく捕まれ。
「……スカッド、行くわよ。此処にいてはダメ」
そう短く告げてきたのがルジェだった。


「おれは、」
足を止めたスカッドにルジェが首を僅かに傾げてみせた。
「……此処に残る」
「ハンタァが来ることは分かっているのね?」
頷いたスカッドに、ルジェが口端を引き上げて見せた。
「そう、ならば好きにしなさい……オーファン。間もなく夜が明ける、この先に墓所があるわ。あなたはそこにひとまず逃れなさい」
言葉の消えない内にその姿は闇に呑まれていき、灯りも届かない細道にスカッドは一人で残された。

ジェイ、と縋るように呟く。
獣のように狩り立てられることに対して、自分の中に憤りは何も起こらない。なぜなら自分はジェイの狩るべきモノになってしまったのだから。
ならば、なぜ……幾年も幾年もおれは隠れ続けていたのだろう、と石壁に凭れ掛かりスカッドが唇を噛み締めた。
生きながらえたい訳じゃない、このカタチになってしまってからは、ジェイの側に在ることが許されなくなってからは、生きていたいと思ったことなど一度も無い、ならばなぜ―――
ひく、とスカッドの肩が揺らいだ。

「おれ……、」
その蒼が揺らぎ、僅かな月の光さえ映しこまれる。
「ジェイに殺されたくない、んじゃなくて……ジェイに、おれを殺して欲しくないのか―――」
あぁ、そうか、とスカッドが泣き笑いめいた表情を浮かべた。
ジェイは、もしかしたらおれがモンスタァになっちまったことに、セキニンでも感じてるのかもしれない、だから追って……?
でも、もうわかった、おれ……ジェイの手を煩わせたくないんだ、一度は受け入れてくれかけたんだし、おれのことを、と。
ならば、とスカッドが視線を上げた。

「じゃあ、もうおれ死んじまおう、こんなになって生きててバカみたいだ、」
ずる、と壁に背中を伝わせそのまま石畳にしゃがみこみ、スカッドが膝に顔を埋めた。このまま、此処に残って、どこへも動かず出て行かずにいれば、ただそれだけのことで簡単に消えることが出来る、ただの灰に―――

「すげぇ、かんたん」
呟き、外界全てから意識を遮断しようとしたとき、不意にジェイクの呆れたような口調が耳に甦った。
『バカだろう、おまえ』
そう何度も以前言われたことを。
「ジェイ、ごめん、おれ……ほんとバカだよなァ、」
ぐ、と拳で目元を押さえ込み、本能がもう間もなく夜明けが訪れることを叫びはじめる。身体が強張り、震え始め。
あのブルーが、初めてまっすぐに自分を見てきた日のことが細部まで鮮やかに記憶に甦り、スカッドが唇を噛んだ。

「ジェイ、」
その存在のために死を選んだはずであるのに―――
空の稜線がうっすらと色を帯び始めるのを見詰める。ぞくり、と身体がその色味に強張り。意志が揺らぐ。
間もなく此処にジェイクが現われる、それは間違いようのない事実で。ならば最後に、もう一度だけ一目だけでもいいからジェイクの姿を見つめたい、と。
声を聞くことは二度と出来なくても、せめて……
そう心の底から願ってしまった。

う、と嗚咽を知らずに漏らしていた。
石畳を拳で打ち、スカッドがふらりと立ち上がった。ルジェが最後に指差した方向へ向かって、そのまま歩いていく。
墓所の一際奥まった位置にある霊廟に立ち入り、明かりの届かない死者の家に膝を抱えて蹲り。身体の冷えていくのに、外界で夜が完全に明けたことを知った。
なぜ、泣きじゃくることだけしか出来ないのか、腹立たしく。そして……無力感に苛まれ。
泣き濡れた頬のまま、大理石の床に意識を失ったスカッドの身体が倒れこんだ。

              * * *

泥のような眠りから目覚め。自身を苛む渇きと飢えにスカッドが表情を歪ませた。ゆっくりと立ち上がり、霊廟の扉を抜け出る。
埃にまみれ、死者の匂いを纏った姿のまま、ふらり、と墓所の門を潜り抜ける。
思うことはただ一つだった、探すべきものも。
ジェイはどこに現われるのか、それだけだった。
そしてスカッドは目を伏せ、神経を研ぎ澄まさせた。ジェイクの居場所を、せめてその痕跡だけでも辿ろうと。
そして、叫び声を無数の意識のなかから拾い上げた。吸血鬼のモノ、怨嗟を込めた叫び。
それは、前夜後にしてきた城から無数に聞こえてきていた。

「―――ジェイ、おれはそこにいないのに、」
スカッドが低く呟き。静かに歩き始めた。




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