28.
後になって気付く。
アレがそういえば予兆だったのだろうか、と後になってから不意に思い至る。
たとえばパウリーの場合はソレは、仲間内でのポーカーの一人勝ちだった。
「なんかしっくり来ねェな、」
そう嘯けば、そこまで負けに慣れてンのかおまえ、と同じテーブルを署内の休憩室で囲んでいた連中が笑った。手札が天板の上に落とされていく。ソレを馴れた風に集め、鮮やかな手つきでシャッフルしながらパウリーが言った。
「うるせェな、おれのツキはぜんぶ女神に前払いしてあンだよ」
現場にソレを回して貰うように、との本音は口には出さなかったが。
「そいつは殊勝なこったな」
入り口から届いた声に、卓の向かいに座っていた身体はでかいが態度は殊勝なタイルストンが、チーフ!と嬉しそうに声を掛け。
「なんならおれも一勝負混ぜてもらおうか、」
そう、スモーカーが火の点けられていない葉巻を口端で上下させたのと、アラームベルが鳴り響いたのはほとんど同時だった。

廊下に走り出せば、仮眠室から“ウチのバカ共”も文字通り、耐火服に袖を通しながら飛び出てくるのが見える。
『火災発生、出動要請です……っ。出火場所は―――』
そして、アナウンスが告げる出火場所に、全員が胸中で呪詛の言葉を告げたに違いない、なぜならばそこは。
再開発予定地であり、法律上は老朽化し無人になった廃業ホテルだが。実態はホームレスやジャンキーといった連中が勝手に住み着きしょっちゅう小火騒ぎや周辺の住民とのトラブルを起こしていたエリアであり。誰も実態が掴めていなかったのだ、一体そこへ何人、人間がいるのか、など。


鎮火作業を命じながら、スモーカーは傍らで警官に囲まれ泣きじゃくりながら支離滅裂な言葉を繰り出しその場にいまにもへたり込みそうな膝を、半ば腕を吊り上げられるように支えられている子どもを見遣った。まだ、ほんの14−5に見える。
夜空を焦がして、暗がりよりなおも色濃い黒煙を火の粉と一緒に盛大に窓という窓から噴き出させていたホテルの廃墟は、いまは真っ黒に煤けて、野次馬や自分たちの顔までおそらく染めている。救急車のサイレンと警察車両からの無線の音、そして警官の一人が子どもの肘を軽く揺らしていた。
「8人、いたんだな……?」
「そ、だよ。だけど、最初はほんの遊びで、デニーがあんまりうるせェから、」
「そいつのズボンに火を点けた、ってわけか」

会話の断片が飛び込んでくるだけで、スモーカは眉を顰める。
足に火をつけられたガキが叫びながら走り回り、それを仲間は笑って見学していたという。十中八九、全員がハイになっていたに違いない。ドラム缶で火をたいて、廃墟の中でガキが集まってすることといえばタカが知れる。
「なぁ、ダニーは、」
きょときょとと子どもが眼だけを酷く機敏に動かし、それが充血しているのをスモーカは溜息混じりに見て取る。
留置場にぶち込まれても、おそらくあのガキの迎えは来ないだろう、せいぜい来たとしても保護官だ。
無線からはいくつものノイズが漏れ。最後の放水に、野次馬が安全線を乗り越えようとするのを、パウリーが怒鳴って止めさせており。
警官がちらりと自分を見てくるのにスモーカーは肩を竦めて見せる。そして、燻されて掠れた声が聞こえた。

「おい、ガキ。おまえの仲間は焼け跡から見つかるだろうよ。十何人分かの遺体と一緒にな」
耐火服の裾から水が垂れ落ち、コーザがそれだけを言うと輪から離れていった。

焼け跡を映し出すカメラのフラッシュがあちこちで光る。
明日のローカルニュースにはなるのか?そう苦々しくスモーカーが思う間にも、マイクが差し出され。テレビカメラまで回っていた。
「チーフ、出火原因は―――?!」
「正式な発表を待ってくれ」
一連の騒ぎ、そのなかを、何か言いかけた子どもが警察車両に押し込まれ連行されていく。サイレンの音が長く響く。
今日だけで、チームのメンヴァは3人、救急車で搬送された。幸い誰も命に支障はない、骨折や火傷の類だ。
けれど―――

コーザが進んでいった先には、ゾロがいた。
装備を着けたまま、消防車にもたれ掛かるようにして身体を半ば折り。水に濡れた足元を見詰めている。
声を掛けず、ただ。とん、とその肩を軽くパートナーが叩き。
ゾロが僅かに顔を上げた。
腕を、そのまま差し伸ばしているパートナーを見上げたゾロの肩が酷くゆっくりと上下する。
ひら、とその目の前でまた手が揺らされた、掴まれ、とでも言うように。

腕を借りて、身体を起こし。
悪ィ、とゾロが短く呟いた。パートナー同様、酷く掠れたソレで。
「いいってことョ。受け止めた、」
クソ、初黒星だよな、と。小さく続けながら。


老朽化した建物は、一歩進むごとに足元から崩落していくかと思えるほどに全体が撓み、熱と炎に軋んでいた。放置されたままに窓ガラスが砕け、住民たちが持ち込んだありとあらゆるものが燃えつくされていた。板で打ち付けられたドアは爆風で吹き飛ばされ炎が天井にまで達し。いるかもしれない生存者に向かって呼びかける声が掻き消される。
無線の声が聞こえる、チーフだ。
『7階、状況はっ』
『要救助者が3名います……っ』
ドアの一つを蹴破り、コーザが振り向いた。自分たちのいる階は8階、最上階だ。
「行くか?」
一瞬、親指が下を指していた。
「このフロアが最優先だ、」
「オーケイ」
地鳴りに似て、建物が揺れ。先に自分たちが駆け上がってきた階段が崩落したのだろうとその規模で知る。
「こりゃ、帰りは梯子車かもな!」
パートナーが部屋に飛び込んで行き、その後にゾロも続き。崩れ落ちてきた天井の一部の下敷きになっていた不法居住者の腕を掴んで引き出し、元から割れ落ちていた窓越しに、ゴンドラへ被害者を乗せ。
無線から撤収の命令が聞こえる。
ゴンドラのなかの消防士も直ぐに迎えに来る旨を言っている、が。

聞こえた、とゾロは思った。
崩れ落ち、焼かれていく建造物の上げる音に紛れ、それでも確かにヒトが叫ぼうとしている声を。細い、いまにも掻き消されそうなソレ。
どこからだ………?
たすけて、と。
紛れもなく耳に届く。


「―――ゾロ……ッ」
信じられないものを観る思いとやらを、おれは一体何回現場で観てるンだ、と。
一瞬コーザは場をわきまえずに笑い出しそうになる自分がいることを、奇妙に冷静に自覚していた。
走り去る背中。
「あー、すまん、ひとまず先にその人を降ろしてやってくれ」
「ですが―――!!」
消防士が半ば叫び。
「すぐ、迎えに来てくれんだろ?」
に、と笑いかけるコーザに向かい、ゴンドラの内にいた消防士も頷くと、すぐに戻ります、との言葉とともに下降していく。けれどそれを見ることもなく、コーザもパートナーの後を追っていた。

そして、見た。
オレンジと蒼の炎が降りしきるような崩れた壁の内側から差し伸ばされた細い剥き出しの腕を、ゾロが掴もうとした瞬間。
まるで計りでもしたかのように、伸ばした腕と腕の交わる境から、足場が消失し。
轟音と。ぽかりとあいた空間から、勢いを増した炎が天井へと噴き上がり。考えるよりも先に、ゾロの身体ごと掴んで後ろに引き倒し、床に転がる。跳ね起きようとする身体を押さえ込み。
「ダメだ、わかるだろ諦めろッ」
叫び、そして、戻ってきた梯子車に押し込み。

いま、自分たちは地上に生きて立っている。

「遊び半分のリンチが出火原因らしいぜ」
傍らのゾロに向かいコーザが言い。
す、と。ゾロが視線を上向けるのに合わせるように眼差しを投げれば。
無数の灰が夜空から降り落ちてきていた。





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