29.
「灰か?―――あァ、これは……」
暗くなりきらない夜空から降ってきていたものは。
いくつもいくつも、ひらひらと僅かな風に流されながら目の前に降り始めたものから眼差しを逸らさずにゾロが小さく、本物だな、と呟いた。
「雪、」
「あぁ、灰よりゃマシか」
翳した手に、一片落ちたソレが逃げ切れずにいた熱の名残に瞬く間にただの水滴に変わっていくのをコーザが見詰めて、言葉を返す。

「なぁ、ゾロ」
「なんだよ」
返答は、もう常の口調に近づいてきてはいるけれども。
「ひとまず、とっとと署まで帰って生き返ろうぜ」
軽く咳き込んでみせ、わざとハナに皺を寄せてみせる。
「肺のなかまで煤けてるみてェだし」
「そりゃ、オマエ。90年かそこらの歴史が燃えちまったンだぜ、煤も煙も出るさ」
家出人やホームレスと一緒に、とは二人とも口に出さずにいた。

「おまえら、何してやがるこっちに来い!」
パウリーの声が届くのに、ひら、とゾロが片手を振って応え。
「なあ?いまのおれに一番必要なモノってわかる?」
言いながら、くぅ、とわらってみせたコーザに向かい、ゾロがわざと眉を引き上げる。
「ビビのキス、とか言うなよ?」
「はーずれ、あっちィシャワー!」
戻るにしろ煙いと奥サンに嫌われるでしょ、とわらって付け足し、ほらほら、とでも言うように撤収作業をほとんど終えていたチームメイトたちの方へ足早に戻っていく。
「だぁからおれは、今日はまっすぐ愛する妻のもとへ戻らせてイタダキマス」
おれだって慰めて欲しいもんよ、とパートナーが唇を引き上げて見せるのにゾロは、ほんの僅か、眉根を寄せた。陽気な態度に隠し切れない、苛立ちめいたものを相手のなかに感じ取る。
守りきれなかった命に対して、この男も思うところはあるのだから。

「だってよ、ゾロ」
灰と金を混ぜ合わせたような色味が、まっすぐに自分にあわせられるのをゾロは受け止める。
そして、コーザがこう洩らすのを聞いた。
おれたちは万能じゃねェんだ、悔しいよな、と。
「あァ、―――だからって諦めねぇけどな」
ゾロが応える。
す、と。笑みがお互いの顔に浮かび、漸く野次馬も去り始めた場所へと戻っていった。1時間後には、少なくとも生き返った気分、だけは味わえているだろう。「愛するもの」のところへコーザが戻れるのはしばらく先だとしても。

「なんつか。ハジマリがこれってのは―――後は静かなお仕事日だといいけどな」
「あぁ、だな」
署へ戻る車輌の中、窓外へ眼をやったままのパートナーの言葉にゾロも軽く頷く。
「バカ言え、」
加わった声に、二人が見遣ればイライラとした風に葉巻に火を点けたチーフがいた。
「シゴトにならねェといいんだよ」
硬い頬が、まだ煤で僅かに汚れている。
かーっこいい、と常なら茶化す役目のコーザも静かに隣のパートナーを見遣るだけだった。

けれど、その願いは叶わずに2度ほどそれ以降も出動があり。
午後にシフトが終わる頃には、ゾロはただ眠りだけを欲していた。自宅に戻れば夢も見ずに眠り、夜半近くに目覚め。疲労とは僅かに性質の違う何かが澱のように意識の底に残るように感じ、軽くアタマを左右に振った。
サイドランプも着けずにいた所為で室内は暗く。自然と眼をやった先、そのうっすらとした暗さの中で、電光が僅かに瞬いていた。モバイル、ベッドに倒れこむ直前に傍らに放り出した筈のモノ。
履歴には最近知った番号が表示されている。残されたメッセージを再生すれば、聞こえてきたのはいつもと変わらず、どこか掠れたような声であり。
『よーう、今日はオマエ何食うんだよ』
それを聞きながら自分が、今日初めて穏やかな笑みを乗せていたことなど本人は知らなかった。




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