31.
ガレージまで降りていきかけ、あぁそうか、とゾロが思い返した。
向かおうとしている先はパブであり、帰りは当然飲酒運転になる、十中八九。歩いていくか、と決めドアをそのまま押し開ける。冴え渡るほどの冷気が一瞬で身体を包み込んだ。昨夜、僅かの間だけ降った雪は積もることなくとうに消えていた。



『歩くとパキパキ音しそうじゃねェ?』
振り向きざま、わはは、と。屈託無く笑った顔がイキナリ、記憶に鮮やかに戻る。
耐火服の裾に、滴った水がそのまま凍り付いていた。真冬の現場。
『中行って溶かして来ちゃあどうだ?』
そう言ってエースの頭を軽く小突いていたのはパウリーだったか。
『えー?ダメだよ、おれいまから病院行くんだもん』
さぁむっ、と口にしながら手際よく凍りついたホースのジョイント部分を片手で外し『ヘイ、これはおまえが纏めろナ』長く伸びるソレをパートナに渡していた。
『何だよ負傷か』
パウリーがどさりと渡されたホースを手に言い。
『そ、けど大したことねェのョ』
言いながらグローブから左手を抜き出しせば、親指の付け根から手首近くまで手の甲がざっくりと切れていた。
『止血しとけ、それ』
パウリーがぼそりと言い。ありがとー、とエースが笑っていた。

『お?なん?』
ひょい、と肩越しにコーザがそれを覗き込む。
『へえ。……10針、ってのにJJのホットラム!』
コーザのその一言で負傷具合の賭けが始まった。
『はン?その具合じゃ8針だろ』
パウリーがすぐに乗る。
チームメンヴァそれぞれが慌しく作業に取り掛かりながらも、縫い数を賭けていき。
にぃ、と笑みを乗せたエースが『おまえは?』と無視を決め込んでいたゾロに声をかけてき。9針、そう応えた。
『オーケイ、これで5針から12針まで揃ったネ』

結果は、エースと一緒にパブに現れたナミにより報告された。
『全員ハズレよ!よって私にみんなが奢ること』
悪ぃ、とでもいう風にエースが包帯を巻かれた左手を軽く持ち上げて見せていた。
何針だよ、と口々にチームが聞いていくなか、エースが肩を軽く竦めていた。
『13針』
13!とほぼ全員が叫んでいた。たったアレだけの傷にか、と。
『キングの機嫌が良かったみたいでさ?“オーケイ、痕が残らねェようにしてやる”ってことらしい』

『婚約式は来週だろう、手に怪我何ぞしやがって』
カウンターの内側から聞こえたJJの言葉に、やあ、参ったね、とエースがけらけらと笑っていた。
『薬指があるだけでも良いのかもしれないわ、JJ』
ほんとにこのヒトは、とナミもそう返していたが。全身で、幸福だ、とあのナミが告げていた。



まださほど古くもない記憶、500日にも満たない以前のことだった、まだたったの。
脆い均衡の上で続けられる日常、だがそれは自分たちに限ったことではない、そう思いながらゾロは歩いていく。
タクシーが2台ほど自分を追い越していった。捕まえようと思えばいつでもできるな、とどこかで思いながら、冷え込んだ夜気の中を好んで歩き続けた。ハウストンからヴィレッジまで。
夜半過ぎでも通りは明るいままだ。機嫌良く行きかう人の姿も様々に、ちらりと寄越される視線を無視してゾロは足早に進んでいく。

吐く息が白い。

不意に、サンジの笑った顔を思い出した。雪の日の朝、いきなりドア口に立っていたときの。
ぐるぐると巻きつけられたマフラーに顔の半ばまでが隠れていたことも。それを引き下げて、にか、と笑っていた。そういえば、あの日から雪は積もっていない。

ラファイエット通りを渡る。

「あ、ごめんなさい」
ペイントされた横断歩道を渡り際、肩に軽くぶつかってきた相手が小声で告げた。
そのまますれ違う、何人かで歩いていたまだ学生風の……。視界の隅に、肩口まで垂れて揺れていたブルネットが映る。どこか華やいだ風情の3人ほどのなかの一人。

自分に向かって差し出されてきていた痣だらけの細い腕がフラッシュバックする。
友人たちと連れ立ってアパートメントへ帰っていく少女と、廃墟になったホテルに住み身体を売って薬に呑まれていたコドモと。視界から突然消え去る間際、炎に煽られていたソレも同じ色を……

『全てを救えると思うな、阿呆』

耳の底に残るようなのは、誰の声だ。
パートナのものだったか、パウリーのだったか、エースのものだったか、それとも。あの外科医のものだったか。
内に蟠り続けるものの正体は、漠然とではあるが知っている。

守りきれないものがあると、思い知らされるのが『怖い』だけなのかもしれない。
幾度か、大事に思うものを失くしてきた。
そのたびに、穿たれた虚ろを埋めようと足掻いただけであるのかもしれない、ここに自分を導いてきたものは。


あてどない思考を追いかけるままに、いつの間にか目的地が近づいていた。通りの先に、小さなサインが見える。
明かりが窓から洩れている、けれど。近づくうちに入り口に「Closed(閉店)」のプレートがかけられているのを眼にし、ゾロが小さくわらった。

参ったな、と。
『サンジ』に繋がる全てが好ましい。




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