8.
スコン、と気の抜けた音と一緒に落ちてきたヴェンダーの紙コップを半分視界に入れながら、明かりの落とされた医局のカフェテリアにシャンクスがいた。カワイイオトウト、に軽くアイサツに行く時間じゃねぇな、と壁の時計を見遣る。ただ、当直の医者がベテランだから、もう自分は引けても良い頃合、と見当をつけた。

が、いかんせんこんな明け方前ではまともなコーヒーなど望むべくもなかった。そして機械の前で待つ間、ひょい、と白衣のポケットを探りかけ、あぁそういやもうずっと院内禁煙だね、と薄く笑みを刻んだ。


「あぁ、珍しいな。救急センタの救世主が何をしている?」
低い、落ち着いた声が不意にカフェテリアの入り口から届いた。
「なンだ、それ?」
「あんたが片っ端から"こちら側"に浚ってやってるギャングの若造共のマネだよ。知らないか?あンたそう呼ばれている」
「フゥン?」
半ば身体を折って熱いだけが取得のエスプレッソを取り出した。
「おまえこそ珍しい、何人シンケイ繋げてたンだ今日?」
近づいて来る静かな、ほとんど聞き取れないほどの足音に向かって振り向いて言った。
視界に入る、見慣れた長身。
「術後の容態がやっと安定してな」
「あぁ、なァる。で?その患者、論文の対象になンのか?」
ひらひら、と意外に大ぶりな紙コップを片手に、"いるか?"のサイン。
「いや、それほど新しいケースじゃなかったからな」
ケッコウ、と手で制してからデカフェ、珍しいとそう付け足していた。

「あンたは?また中途半端な時間だと思うが?」
「いや、いつもどーり。死にかけてるヤツがいねぇからひとまずお役ゴメンなんだよ」
「サンジのところにでも寄ってやらないのか?まだ……」
「ん、微妙に間に合わねぇだろ、」
にこり、と。オトウトを溺愛していると豪語して憚らないだけの笑みが浮かんでいた。
「そろそろ閉めてると思うな」
そして話のついでにカップから一口含み、うぇえええ、と盛大に顔をしかめて見せた。

「よくそれだけ不味いカオが出来るモンだ」
く、と片頬で男がわらい、シャンクスもフン、と小さく頷いた。
「―――マジイ、」
それが、すう、と笑みを佩いていくのを紙コップの縁越しでも神経外科医は見逃すはずもなく。
「シャン……」
口を開くより先に。
「そうだ、ベン。おまえ、エスプレッソいれるの得意だろ。おれのカーワイイサンジの代わりにいれろ」
思いついた!と表情が言っていた。

「医務局でか?」
やれやれ、とでも言う具合にため息混じり。
「まぁさか!てめぇン家に決まってら」
にぃ、と外科医が笑みを刻み。
ごみ箱へ向かってカップをすたん、とゴールさせオマケ、とばかりに入り口に引っかかった端を押し込んでいた。
「おし。飲みに行ってやらぁ。ありがたく思え」
「ハイハイ、」
にっこり、と男がし。
「当然だろうがよ」


病院きっての「Spoiled King(わがまま王)」が横をすり抜けるようにドアを抜けていきかけ、くるりと振り向た。
「なあ、でもティア起こしちまう?」
「―――別れたよ」
「あれ?そうだったか?」
別に気にした風もなくシャンクスも、軽く首を傾けてんん?おれティアにそういえば昨日会ったけどなんも言ってなかったぜ?そんなことをのんびりと言いながら廊下を進んでいっていた。そしてまたひらりと手を振って見せ、早く来いと促していた。

が、その同じ時刻にかーわいいオトウトの義母兄曰く「ガラの悪ィの」のために簡単な夜食を作っていることは知る由もないのだが。



                                    9.
ありありと半信半疑、といった様子を隠しもせずにフォークを口元に運び。一瞬後、顔を見合わせた「夜中の常連」をサンジはじぃっとカウンターの内側から見つめていた。
特別に話し掛けることもせずにただ、二人組がスツールに着いたなら一言、「どおぞ、」と差し出したのは、簡単な夜食代わり。そして顔を見合わせていたのがサンジに向き直り。
「うまい、」
とれが、第一声だった。
「そうだろ!」
にかり、とサンジの相好が笑みにくしゃりと崩れる。

「いや、うちのオフクロとタメ張る、ウマイって!」
コーザが片手を参った、と差し上げた。どうやらイタリア男の最大級の賛辞。
半ば以上皿を空にしてからゾロも漸く美味いな、と笑みつきで一言。
思い切り良く眉を跳ね上げてサンジもにかり、とした。
「いくらあんたたちが底なしでもな」
ハハ、と軽く笑い声で返され。満足そうに皿が片付けられていくのを見るともなしに眺めていた。

「なぁ、あンたは、」
「―――サンジ、だよ」
「料理人にでもなるつもりなのか?」
ゴチソウサマ、と皿を軽く押しやりゾロが訊いてきた。
あっさりと名前が流されたことに文句のひとつも言おうと思ったが、すぅと自分に笑いかけてくる目許にサンジは
誤魔化されてやることにした。
「いや、本業は役者。バイトでここのバーテンしてるけどな、料理はまぁ……シュミだな」
「ふゥん、」
なんで、と。目の端でこの男の相方が面白そうな顔で、それでも片手を額にあてているのを捕らえながら訊いた。

「そうか、」
「うん」
「じゃあ、いい」
「なにが、」
「ん?」
だから、なにが"じゃあ、いい"なのだとサンジが言い。
かたり、とスツールからゾロが立ち上がりかけていた動きが途中で止まった。

「や、別に。もしそうだったら勿体無いと思っただけだよ」

「うーわ、言いやがった!サンジ、忘れろ、こいつの悪癖だ誑し込まれるぞ本能で!!」
大人しくしていたと思った一角から突然の声と、ごつ、と鈍音。
「ナニイッテヤガル、てめえは」
「―――ってェー」
賑やかな気配が、「ありがとう、また明日」そう言い残した声と一緒に消えていき―――

もったいない―――?なにが?とサンジが思案顔でぽつねんと残される。
料理の腕があるのに役者になるから?や、逆か?逆で良かったって意味だよな……?
じゃあ――――――
あれ?
ええ???
それってば、……っわ??

明け方のパブで、大事な大事な弟が、不用意に齎されたほめ言葉に一人で赤くなっていることを知ったなら、
過保護な異母兄は仮に世界一のコーヒーが目の前にあろうとパブに飛び帰ったことであろうに、残念ながら
いまはヒトの家のリヴィングで威張っているところだった。




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