10.
「なんだ、歩いてやがる」
開口一番に"ERの神"とやらが言った。

一旦消火作業を終えて建物の外へ出て、水を口に含んだとたんひどく咳き込み、吐き出した。
灰で薄く色のついた水、それが同じように濡れた地面に吐き出され僅かにカオを顰めるゾロの姿を、パートナーと、
なによりスモーカーが見逃すはずがなかった。
救急車に他の軽症者と一緒に背中を小突かれて押し込まれ、乗せられた。そして、治療室へと一歩踏み入れたなら先の冷笑だ。この間の取っ組み合い以来カオを合わせていなかったオトコに、軽くハナに皺を寄せて唸る素振りでゾロは返す。

どうせチェリイブロンドに見られるのなら隣のナースの方がいい、と自分より数秒先に呼ばれた仲間の横顔をちらりとゾロが見やり、仲間はにやり、と笑って返しただけだった。肩へ何かが落下してきたオトコの方が自分より重症だろうに、とゾロが不満げな顔をしても無視された。

「どーしたよ、救世主」
ぎらり、と物騒に光る薄ミドリ。
「しらねぇ。ちょっと息がし辛いだけだ」
「――――Shit,」
ぐい、と舌を器具で抑えつけられ、ひやりと拡がるスティールの味にゾロが僅かに顔を顰めた。
その間にも外科医が即断していた。
「ハン。オマエ、軽度の火傷だねこりゃ。気管支辺りまで微妙に焼けてんな、この調子だと」
「―――クソ、」
「1週間のメディカル・リーブ(医療休職)取れ。命令だ」
「―――くそう」
さらさら、と診断書に書きこまれていく流麗な字面を目で追いながらゾロが毒づき。ぎろり、とどうみても医師にあるまじき目つきで外科医がゾロを睨みつけた。

「なんだよ?」
「"なんだよ?"じゃねぇぞ、うら。てめえヒトのかーわいいオトウトさっそく誑し込みやがって」
ハァン?とでも言う風にゾロの眉が跳ね上がった。
「おまえのパートナーから裏取ってンだよ、恍けるなよ10万年早ぇぞ」
「―――メシ食わせてもらってるだけだぜ?」
ぐ、とも、ぎ、ともつかない声が外科医から漏れた。
「あーあ、さいですか。地獄に落ちろ、うらてめぇ」
「まだまだ、」
にぃ、と笑い立ち上がる男の鳩尾をストレートで外科医が拳を当て。
「言ってろこのクソガーディアンめが」
微かに零された息の詰まる音に一瞬治療室が静まり返った。もしやまたあの乱闘が始まるのかと緊張が走り。

「いってぇな。なんだよ"サンジ"?アイツってあんたのイモウトなわけ?」
明らかにからかい混じりの声だった。
そしてERの主が返した。
「確かめやがったら殺すぞ」
何か言い返すより先にゾロが名を呼ばれERを後にしたのであるが。最後に目にしたのは外科医のひどく長い指、
中指だ、がきっちりと宙を指しているサマだった。
そして、哀れ神経外科医がまた。苛立ち心頭のこの暴君にコーヒー休憩に付き合わされることになることは、ゾロにとっては埒外のことなのである。


                                   11.
そのままの足でセント・ホプキンスを出ると診断書を嫌々ながら所轄のマーシャルに提出しに寄れば、別のチームの連中が休憩室にいるだけで。賑やかに自分に向かって手を振ってくるのを目の端に捕らえながら、あぁ、おれのチームはまた出て行ったか、とゾロがふと思い。ドア口から顔を半ば覗かせた。
「あいつらは?」
自分の声が心なしか掠れている気がした。
「10分くらい前だな、セカンド・アヴェニューへ急行してったぞ」
「そうか、」
「オマエは、ゾロ?」
ドアから顔を引っ込めたのと同時に呼びかけられ、あぁ1週間後に会おう、と返した。
大事にナ、と何人かの声が背中に追いついた。

一歩外へと踏み出せば、冬の初めの冷気が頭の上から降りてくるような夜中で、思わず暗い色を落としきれない空を見上げる。通常のシフト開けよりは幾分早い時間ではあったが、やはり自分の足が勝手にパブへと向かうのを、どこか他人事のようにゾロは面白がっていた。


理由など、特にあるわけでもなかったのだけれども、なんとなくサンジは顔をパブの入り口へ向けた。まだ賑わいは残っているけれども、入ってくる人間よりは出て行く人間の方が多くなる時間帯だった。
どうしたの?とでも言う風にトレイにオーダーを乗せたカーラが、ちらりとカウンターの前を通り過ぎざま見遣ってくるのに少しばかり笑みで返して、なんでもないんだ、と眉を少し引き上げてみせた。そしてまた目を入り口へと戻したとき、ゆっくりと扉が開き。常より随分と早い時間に現れた姿に、くぅ、と自分の唇が笑みを模ったことを、本人は気づいていなかった。

まっすぐにカウンターへと向かってくる姿は、けれど常とは違い一人ではあった。
「よう、」
「あぁ、」
すい、とスツールに音も立てずに落ち着くのを待たずにサンジが声を掛ける。
「めずらしい、」
「なにが?」
僅かにゾロが首を傾け、差し出されたショットグラスを持ち上げた。
「こんな時間に、おまけにあんた一人だ、」
「―――だな?」
「うん」

く、と強いアルコールが喉を滑っていくサマをサンジは何とはなしに見つめ、そのことに気づくと瞬きした。
「あ、休みか何か?」
「ん?まあ、そんなモンかな」
ふうん、とのんびりと答えながらサンジはまた空になったグラスを引き取り中を満たす作業に取り掛かり、
ゾロの方も特に急ぐでもなくカウンターに肘を乗せていた。
「ただ、」
「うん?」
はい、どうぞ、と二杯目を差し出しながらサンジも何とはなしに相手の目を覗き込むようなことになる。
「あンたの作ったモンも喰いたいかな、だから寄った」
「そっか、」
ぱ、と相手の顔が明るさを増すのを、どこかくすぐったいような心持でゾロは眺め、瞬きした。
「だけど、もう少し待てナ?あれ、ナイショで出してるから」
まだ客多いしね、とサンジがまるっきりコドモじみた熱心さで声を落として笑うのにつられてゾロも笑みを浮かべていた。


そしていつもの夜半過ぎ、現れたパートナーが「おまえここでなにしてる!」と盛大に叫び。
サンジがきょとん、と目をまさにまん丸にし、その向かいでゾロが相変わらずの態度で「うるせぇよ」と返し。
「びょーにんはびょーにんらしく大人しく家で寝とけ!」
「おれァ病人じゃねぇよ、バーカ」
「怪我人もびょーにんも似たようなモンだ、ボケ!」

そうして漸くサンジも、この男がケガのために1週間の休職扱いと知ることになり、ゾロは二人がかりで「なにをしているんだ」と多いに糾弾されることになった。

「あんた、バカかよ?喉やれれてんだろ?じゃあそんな強い酒飲むな」
サンジがあっきれたもんだ、と掌を天井へ向かって上向け、ついでにグラスをゾロから取り返していた。
「や、旨いから」
へ?と僅かにサンジが首を傾けるようにし。
「あンたの作る夜食」
当たり前のように返される言葉に、なぜか耳元まで赤くなったサンジが「じゃあ作ってやるから大人しく寝とけ!」と返していた。
「ケイタリング?」
にこ、と外科医が言うところの"誑し込み笑顔"をパートナーが浮かべるのをコーザは半分諦めにも似た気分で眺めていた。だめだ、悪気がねぇだけどうしようもない、と。

「届けてやるから大人しくしろ!」
びしい、と。バーテンダアの細長い指先がゾロの顔数センチ手前で止まっていた。
「ああ、ありがとう」
あっさり、と笑みで返され。
サンジが呆気に取られた顔をしたのを、横で見ていたコーザが見咎め思わず笑い始め、そのまま和やかな空気に巻き込まれたまま、なぜかその日は明け方まで結局3人でパブに居座ったのだ。





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