PARANOID ANDROID



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おかしな風景だ。アウターリムを南へと下るルート1によく似た道を歩いている。いつのまにか、路面から
はずれて車を停め、海際に降り立っている。
なのに、雪が海へと降りつもる。あとからあとから……。日暮れ前のあかいろの空、暑くもない、寒くもない、
ただちらちらと雪。在るはずのない景色。


そしてお前。
波打ち際に立ち背を向けている、懐かしい、後ろ姿。雪混じりの風が、薄手のコートの裾を割る。
ひらめく。はためく。
できるなら、振り返るな。誰であろうと俺はその視線に耐えられそうもないから。
その人影は風に陽より明るい髪を吹き乱されながら、振り向いた。口元に笑いの影。

思い違いであって欲しい―――


ああ、やっぱりな。だけど、「お前」のはずがない。


お前はもう死んでしまったし、この目の前にいる人間は明らかにお前とは性がちがう。
お前に双子の兄弟がいたなら、きっとこんな風だったろうと思う。
だけど、この、手を伸ばせば触れられるおまえ、おまえはあまりに似ている。
その、笑い方までも。



おまえは、――――― 誰だ?




ゆめだった。目覚めてしまえば、口に含んだ水晶玉のようにしんと冷たい。まだ明けるには間のある闇を
感じながら彼は眼を開けるか否か、迷っている。まだ確かに残るそのイメージを失くすことをためらう。
ゆき、うみ、そして中心には「誰か」。過去と虚栄の混ざり
あった脳が紡ぎあげたゆめ。
薄い唇からため息がもれる。
極めて注意深く目を開けて、確かめるように彼は傍らに眠る女の滑らかな背中のカーブをみつめた。
それは彼がゆめの中で見た、そして過去にはその指がたどったこともあるラインには、美しくはあるが遥に
及ばなかった。



「例え、例え夢の中だけでも幸せならばいいのに、」
彼は自分の言葉の陳腐さを笑い、女の裸の肩にそっと口接ける。そしてまた、眼を閉じる。
眠れば、時間が過ぎるだろう。そうすれば俺はまたその中に沈んでいられる、流れに任せて。
漂うだけだなら、目が覚めても同じこと、夢さえ俺のジャマをしなければ。


ゾロは、じっと眠りが自分を抱きとめるのを待っている。
そして、意識のどこかで女の腕が自分を柔らかに抱きこむのを感じていた。


例え目が覚めても夢の続きが見られるだろうか、もしあの姿が側に在れば。むかし、そうできたように。
おれはもう一度死ねるだろうか、生き返るために。そして、あれは俺の側にいてくれるだろうか。
呪文のような、意味もない言葉が、柔らかな温かさにつつまれて眠る彼の、意識の最後の記憶だった。




上空高い窓の外に、多分この冬最後の雪が降り始めていた。





2.

ルナや他のコロニーと違い、シティに降る雪はあえて人為的に清掃されることはなかった。気紛れな
都市生活者は「冬」の記憶を懐かしみ、ときおり「母なる地球」が自分達に与える恩恵を享受していた。
さくりと、足下で軋むような音をたてる「雪」にルナで育ったゾロも、自然と唇に微かな笑みを刷き、
そのままセンターから裏に入り込んだ「歪海路」に足を向けた。


上機嫌な気分のまま店の扉を開けたからなのか、店主のナミが驚いた顔を向けてきた。
「やだ。なに、機嫌よさそうじゃない」
「客に向かって随分な言い方だな、ジャンク屋」
「あんた、ほんっとにナマイキ」
いいっとハナに皺を寄せ、カウンターの後から言って寄越す。


「いらっしゃい、ゾロ」
と、足元から遠慮がちに声がかけられた。
「チョッパー、おまえだけだな、この店でまともなヤツは」
ぽんぽん、と手で小さなトナカイの形をした「Artificial Life(AL) ERS−TONY」の頭を撫でる。
少し困ったように主人であるナミと、プログラマであるゾロの間をアンドロイドの眼差が往復し、
ぱたぱたとカウンターに戻っていく。
「うちのコを困らせないでくれる?」
ナミの声に、適当に返事をし、ゾロもナミの側へと狭い通路を抜ける。正体のわからない部品やLC、
アンドロイドのパーツまでが高い天井までの作り付けの棚にびっしりと並んでいる中を。


自分の前に立つゾロの手の中のモノに、ナミが眉根を寄せた。
「あいかわらず悪趣味ね、なにそれ」
「ああ、さっき、チャ-リ―・トウキョウの店で見つけた」
そう答え、ぽん、と無造作にカウンターに置いたのはクリスタルのピラミッド。透明な中に鼓動を繰り返す
心臓が収められていた。血液の代わりにペール・グリーンの液体を循環させ。
「これ、バイオ?」
「さあな、」
ゾロの指先が三角錐の形を辿り、手に戻す。
「小さいから。”ノー・ナンバー”の子供のかもしれないな」
「ほんとに、悪趣味」
チョッパーも、うんうんと頷いたのにゾロが苦笑する。


「それより、また“ガラテイア・ファイル”が出たのか?」
ゾロが話を当初の目的に戻した。
「ええ。裏オークションでね。落としておいたわよ?仕様がないでしょ、いまやあんたの名前は一攫千金
狙いの
プログラマ連中の憧れの的なんだから。なんでも良いのよあんたのPCから出たものなら」
「ロクでもないな」
「ええほんとに。アンドロイド1体、ヒットを作れば後は安泰なんですものねェ、」
にっこり、とナミも同意する。
「あんたがもう少し頭の柔らかいジイサンだったら、私も財産目当てに押し倒してるわ」


珍しく声を出してゾロが笑う。
「でも、どんどんビット・プライスが高騰していくんだけど。これに何のデータが入っているのか
教えてくれても良いんじゃない、そろそろ?」
ナミの細い指の間に、薄いメディアが挟まれていた。
「くだらないデータだよ。メモ代わりだ。そんなモノに金払うバカが居る方がどうかしてる。デコードも
出来ないシロモノだぜ?」

「へえ?」


ナミの目が好奇心にヒカリを乗せるのを目にし、ゾロは簡単に説明する。下手なごまかしなどはこの
女主人に通用しないことは経験上、既に知っていた。
「虹彩認識の上に、日替わりの塩基配列のオーバーレイがかかるからな、おれ以外じゃ解けやしない」
「日替わり―――?ゾロ、あんたALなの?」
ナミの目がまんまるになる。
「バカいうな、」
ゾロが片眉を引き上げ。


「おれの両親が“自由主義者”だっただけだ。Mother Cに対する小さな抵抗ってヤツだよ」
「ああ、あんたそういえば、“ルナ”出身だものね」
「そういうこと」
にやりとわらう。
“ルナ”―――最先端の知識人の集う学園都市、といえば聞こえは良いが、要は紙一重の学者の集まり。
まさに、“ルナティック”の意味通りの都市ではある。そんな環境で育ったのだから、あの程度の悪趣味で
済んでいる方がまともといえるんじゃないだろうか、と後からチョッパーは自分の見解をナミに語った。


「あんた以外の誰にもデコード出来ないんじゃどうしようもないじゃない。じゃあなんでわざわざ集めてるの?」「解けない確証は無いだろう?」
メディアを受け取り、引き換えにサイン済みのチェックをゾロはナミに渡し、扉へと向かう。
「私、解いてみようかしら」
その背中にナミは言う。やめておけ、振り向かずにゾロが言った。
「意味の無い記憶の羅列だ、ただの」
扉を抜けていく背の高い姿に、マイドアリ、とナミが声をかけた。




3.

雪道と、薄紫にけむる空色に気紛れを起こし。
ゾロは普段なら曲がらない角を、ナミの店を出て右に折れた。
ただの、気紛れ。ふと、遠回りをしてみる
気になった。そしてほどなくムサ苦しい複数の背中が裏通りを塞いで
いるのを視界に入れる事となった。
足元がこの通りはぬかるんでいるのに気分を害していた上にこの邪魔者。

「仕様がないな、」
と口にするものの。その背中の纏う空気に小さく舌打ちする。―――加虐者の冥い悦楽。


「―――なあ、そこ。退いてくれないか」
何故このとき自分が声をかけてしまったのか、ゾロは悩む事になるのだがそれは数時間後の話。
返される返事とも唸り声とも取れるモノに、下卑た声だ、そうゾロは思い。案の定、まさに自分の予想
通りに
連邦からの横流し品らしき「ガジェット」を着けた何人かと、素なのは何か増強剤でも服用して
いるのだろうと
見当をつける。


ひどく緩慢なスピードに映る、繰り出されてくる拳のようなモノをあっさりと避け、最後通告を出した。
「素直に退く気は無いんだな?」
性懲りもなく振り下ろされる刃状の鋼を視界に収め、ゾロは溜息を吐いた。


「あああ、おまえら生体弄りすぎだ、血も出ないのか、」
自分の足元に重なるガジェットごと引き離された上腕部や、倒れてうめき声すら上げられない様子で
身体を折り曲げる姿の中で、相変わらず不機嫌そうな声がした。
「こういう真似は、正規の訓練積んでからにしろ」
言い捨てる。


その身体を踏みつけるようにして何歩か歩き始めた時、初めて雪解けのぬかるみに半身を突っ伏して
いる姿に気づいた。ずいぶんと線の細い。
「おい、おまえ―――」


「あんたがコレを買うのかい?」
いきなり、しわがれた声が響いてきた。宙から。
見上げると、大鴉。壊れたライトの頂上にとまっていた。
「買うのかい?いまならまだ声帯も切っちゃあいないよ。いい声で鳴くままさ。コイツらは、舌さえ
残って
イりゃアいいとぬかしてたけどね」
「……下衆だな」


ぎゃあ、と鴉が鳴いた。笑ったのだろう。
「もうウチの売り物じゃあないんだ、コレは。昨日が、生まれた日でね。オトナになっちまった。
直ぐにバラしても良かったんだが、上物だったからねぇ。売ろうとしたら、コロセと言いやがった、
このコは。
買い手はおまえが潰しちまったし。そうだ、おまえ、コレを殺してやってくれないかい?
そうしてくれたら、
礼は払うよ、どうだい」
「―――フザケるな、カラス」
通信機の向こうにいるであろう相手に対し、いいようのない不快感が起こるのをゾロは漠然と
感じていた。



ひくり、とブルーグレイの布が動いた。肩が、揺れた。


「―――こいつのイノチの値は」
「コレは”ノー・ナンバー”だよ。おまえの言い値さ」
コートの内ポケットからカードを取り出す。
「LCのチェックだ。サインもしてある。これで勝手にチャージしろ」
ばさり、と目の前に翼が拡がり、嘴がそれを捉える。
嫌になるほどの、自分に良く似た鉱石の色を宿すミドリの眼。


「おまえ、ゼロ・ナンバーだな?」くくく、とノドで大鴉が「わらう」。
「売春宿の女将にとやかくいわれたくねぇな」
まったく気にした風もなくミドリ眼の鴉は続けた。
「まあねえ、ゼロ・ナンバーならMother Cも“ヒロイモノ”には寛容だろうさ。このコは悪運が強い」
翼が拡がり、冷たい風と、一枚の羽根を残し。幻のように大鴉が消える。


ひらひらと空を落ちていく羽根に、一つ吐息をつき。ゾロは軽く頭を振る。あの眼が、
記憶の底に焼きついたような気がした。全てが、趣味の悪い企みにも思えたけれども。


かるく咳こむ音と一緒に。ゆっくりと細い身体がぬかるみに手をついて半身を起こすのを目にし。
はたと気づく。自分の言動と―――。
「―――大丈夫か、」
肩に伸ばされた手を払おうとし、バランスを崩す身体をゾロの腕が支え。
雪解けの水で汚れた、それでも濡れて鈍い黄金に光沢をのせる髪の間から覗くのは。


氷のように、冷たい空色


「―――おまえ、」
ゾロの翡翠の両眼が大きく見開かれ。


「・・・・・てめえが、おれを、買いやがったのか―――?」
色を失った唇がそれだけを洩らし。
糸の切れたように
濡れた地面に膝をつきかけるのを
思考にするより先に、ゾロは抱きとめていた。








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