4.

腕の中の痩躯。
薄い布地越しに、確かな鼓動と、その骨格の細いことが伝わってくる。
雪道を歩くのが面白くてここまで車を使わずに来ていたことを、ふっと思い出した。
濡れたまま微かに縺れるような細い髪を梳き上げ、閉じられた瞳の下の欝血したような跡や
口許の乾いた朱を目にする。



そして、追いやっていた筈の記憶が自分の中で不意に甦ったのを。
「“ミューズ”に会いにルナまで戻るから」
そう言って、振り向いた顔に窓からの陽があかるくおちかかっていたこと。
「大丈夫よ、いまどきルナまでなんて、2ブロック先のドラッグストアに行くのと何も変わらないじゃない」



知らずに閉じていた目を開き、もう一度腕の中の物をみつめる。
指先で乾いた血痕を拭い、そのまま無造作に意識のない身体を抱き上げるようにした。



「歪海路」を抜け、ゾロはシティのその名の通り中心部であるセンターへと戻った。
雑多な人種で溢れる通りに1人くらい「ALをリペアに出す人間」がいたとしてもおかしくはないだろうと
考えていた。妙に気遣って、「意識不明の人間を運んでいる」ように見られる方がよほど不審人物扱いだと。


事実、毛足を短く刈り込んだグレイのファーコートを何でもない風に纏う長身の男が腕に「奇麗な人形」を
抱いて優雅な歩幅で歩いていくのを通り行く誰も、奇異には思わなかった。むしろ、さもありなん、といった
風に納得する様子までみせていたことを、ゾロ本人は知らなかったのだけれど。


へえ?と呟いたただ一人を除いて。


「そこに立ってるガーディアンに通報するぞ、オラ。そこの人攫い」
1台の車が、ゾロの半メートル先に止まり、中から声がした。
降ろされたウィンドウからひらひらと手を振る姿。半身を捻るようにして後方を振り返り、近づいてくる
ゾロを確認すると、薄いグラス越しに眼が笑みを含んだ。



Artificial Life生産メーカー、「レベル・インダストリー」の御曹司の筈が、何故か“アクロポリス(上級士官
学校)”出の変り種。類は何とやらで、出生地も出身校まで腐れ縁の多分、唯一の「友人」のカオに向かい、
「よお、コーザ」
かるく首をゾロは傾ける。
「おれは、おまえにセンサーでも付けられてるのか?」


「“A Mari Usque Ad Mare、海から海へ、血より強きは海の絆”」
に、と唇端を引き上げる。
「おまえウチの大事なプログラマーだからな。こんな所で誘拐犯になって欲しくないわけだ、おれとしては」
「おまえから校訓を聞くとは思わなかった、」
「さてと。乗れよ?」
わざとひどく驚いた風に言って返すゾロにコーザは中からドアを開けた。


「人形」を腕に抱いたまま器用にナビシートに収まり、ちょうどよかった、とかなんとか暢気に呟く友人に
コーザが
はあ、と溜息を吐く。
「ゾォロ、なんで抱いたままなんだよ、ソレ。そもそもどこでそんなモン拾ったんだ」
ナミの店はとうとう完成品まで売るようになったのかよ、と笑っていたのが、微かに眉根を寄せた。
悪趣味だな、同じ髪色じゃないか、と小さく付け足す。


「多分、人肌が離れたら起きるぞ、これは。そうなるとちょっと面倒だろう、だからだよ」
「おいおい、―――抱き人形か?」
ちらりと目をやるが、目線の届くのと反対側の肩に頭を預けている「人形」の顔までは確認できなかった。
「で、なんでおまえが抱っこしてるんだ、ソレを」
「いきがかり上」
その答えに、声に出しコーザがわらう。「ロロノア・ゾロ」が人形買ったのかよ?そりゃ雪も降るぜ、と。


「ああ。ヒトだけどな、」
さらりと届いた言葉に。コーザの眉が引き上げられた。
「ハ?おい―――?」


「“ノー・ナンバー”だ」
ゾロが答え、コーザに瞳をあわせる。
「出生記録の無いこども、か。ソレをどうする気だ?ネコの仔拾ってくるのとは訳がちがうだろ」
「おまえ、バカか?何あたりまえのこといってるんだ」
逆に呆れた風に言い返されてしまっては、コーザも肩を竦めるしかなくなる。


「おまえが“買主”なわけだ、」
たいした気紛れだな、そう口にし、コーザは車のスピードを上げ
「―――顔がな、」
呟かれた言葉を、聞き逃した。






5.

ゆめ・・・・・・・・?

とどく、鼓動。

静かな、ねつのかたまりが、近くにある。


なん、だ?

ただよう、あたたかい  水のなかのような。



・・・・・・・・・呼ばれてる?なに

一際、熱につつみこまれ

意識が浮いた。


ミドリの――――宝玉

やわらかな色あい。



揺れる、意識の底に降り積もるような 穏やかな


なにかが、じぶんの目許にふれるのを



ぼんやりと、かんじていた


腕をまわす、たしかに在る




自分をつつみこんでくる、なにか。




ひどく穏やかな声だと思った
低く、響いてくるような


こんな風に語る人間を、自分は知らない


しっているのは、

浮かされたような声と 哀願するようなそれ

無言、 短い息と

時には威圧するようなそれ


最後はきまって、うめくような音に変わり



そんなの、――――――どうでもいい、


熱が、気持いい

うで・・・・・か?これ



からだに、まわされているのは





6.

あたたかな被いが。自分からはなれた、と思った。
そして柔らかなものに受け止められる。


覚醒しかける意識は、さっきとおなじ熱が自分の頬を滑るのを感じ取った。
それは、身体が覚えている触れ方ではなくて、まるで角度を指先で測ってでもいるような。


ハナレタ・・……?



「お。ゾロ、お目覚めだ、」
声。さっきのとは違う。


眼に入る、
砂漠?砂色の――――


半身を起こし、そして初めて自分が何かに横たえられていたのだと知る。
焦点が定まらない、歪みかける視界に


砂と、ミドリ。なんだ・・・・・・?



傾いだ世界、上げた目線の先に。
男が、立っていた。
絶妙のバランスの。引き絞った弓弦のような、張り詰めた弦のような佇まい。
まるで、いつか見た、研ぎ澄ました刃物のようだと。思った。
そして、眼。


その眼が大きく見開かれた。端正な全体のバランスを崩すぎりぎりまで。
近付いてきて、そ、と片手を自分の頬に添える。



「ああ、おまえの眼。オアシスみたいだな」



――――この声。



呟いた、自分にしか聞こえないほどの低い声で。
焦点が合い、ぶつかったのは翡翠の色。そしてその眼に不審な顔をした自分が映り込む。


思い出す。こいつは、



「じゃあ、おれはもう行くぞ。デートに遅れる」
「ああ、世話になった」
砂色が、ひらひらと手を振り。



「あんた―――、」
ちくしょ、声、掠れてやがる。



ソファに半身を起こし、何か言いかけている“拾い物”の頭にかるく手をのせ。
ゾロはその双眸を真近で覗き込むようにする。


「あんた、誰だ?」
と、幻のような顔が言うのを目にし。
「おれか?おれは、おまえを拾ってきた、」
答えてゾロは微笑んだ。
「ここに居ればいい」



ゆっくりと手が離され、やっとその手がどんなに温かだったか気付いた。



「・・・・ふざけんな」
なにを、と聞いてくる男の声は変わらず穏やかで。ちりちりとそれが神経を今は苛む。


「おれは、覚えてる。てめえは “鵺”からおれを買いやがった」
「ああ、あのカラス、鵺って言うのか」
真近にありながら何の影も、兆しさえ浮かべない碧に苛立ちが募る。


「おい、おれの使い道なんざ、一つだろうが。てめえも“鵺”の客みてえにガキ相手にしか
勃たねえっていうンなら別だけど?」
纏っていたシャツを肩から落とす。晒されるのは皙い肌に散る、情交の跡。
「てめえがおれの“買主”なんだろう、 “マスター”?」
フロアに膝を付き、流れる黄金の髪の間から見上げる。
口許に浮かべるのは、艶めいた笑み。
後はお決まりの、ルーティーンが待ってるだけだ、ただの――



「服を着ろ、」
はさりと、脱ぎ捨てた布地が乾いた声と一緒に、頭の上から落ちてきた。


「それから。おれは、“てめえ”でも“マスター”でもない。“ゾロ”、だ。わかったな―――?」
フロアに座り込んだまま、なんの反応も返さない相手の前に屈み込むようにしてゾロが言った。
僅かに見開かれた蒼はゾロのそれを捕らえ、せつな、子供じみて歪んだ。


「―――わかったな?」
しらず、ゾロは頬に手を添わせていた。
自分の掌にすっぽりと収まる、二度と触れることは叶わないと思っていた同じ曲線。
そしてそれが、たしかに頷くのを認め。



自分のなかで、なにかが。
長く吐息をついたのを、ゾロは感じていた。



「わかったなら、いい。二度と、するな」
そう言って、自分の髪を乱してきた掌の熱に。何故、視界が霞みかけるのか、サンジはわからなかった。





「あれは・・・・・・?」
眼差が、ポケットから取り出され窓辺に置かれたままになっていたクリスタルのピラミッドにあてられた。
その声で、しばらく続いていた沈黙が破られた。


「子供の心臓、」
あっけない返事をゾロは投げる。ピラミッドを取り上げるとソファまでいき、その手を広げさせ、持たせた。
「生きてる―――?」
掌中のモノに空色の眼をあわせたまま、それでも自分に問い掛けてきているのは伝わる。
「ああ。器官としては、生きている」



ふわりと、その視線が自分に逢わせられるのをひどく遠くのことのようにゾロは意識した。
そして、その唇がたしかに笑みの形を模るのを
「おれの、キョウダイだ」
そう、告げながら。



その黄金色の髪を指で梳くように、ゾロは手を差し入れた。
「―――おまえの、か?」
「そう。生まれてきた瞬間に、死ぬことが決められていたこどもは、ぜんぶ」


おれのキョウダイだ、そう続けられる筈だった言葉は。
触れてきた唇に奪われ、気管をすり落ちていく。



「名前は、」
「なまえ―――?」
「そう。おまえの名前」
「―――サンジ」










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