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「サンジ、」
「――――ん、」
うすく、浮かされてしまった唇が名残惜しいと思った。



「キスするときは、目。閉じろ」
「―――キス?」
もう一度、かるく唇に触れられた。
「そう。閉じていろ」
「―――なんで」
もったいない、あんなにキレイなミドリがよく見られるのにな。そう思っていた。



「おれがそう決めたからだよ」
「――――わかった」
自分が冗談混じりに言うのにひどく真剣な表情をみつけ、ゾロは思わず小さく笑みを浮かべる。
「どうした?」
「わかったから。目ェ閉じとくから、いまのもう一度してくれよ」



「キスを?」
「そう。それ」
ふわりと目許に。あわてて閉じた両の瞼に。そして唇に。
ふれられた、微熱。
やっぱり、きもちいいな。



「アリガトウ」
「どういたしまして」
“ゾロ”の瞳が真近で笑みを含むのが見えた。唇が離れたから、目を開けたら。
その目の中に。見た事の無いカオで笑う自分がいて、驚いた。



やがて乾いた手が自分の肩に留まり、そのまま下向きに滑らされ。腰のあたりでとまったとき、
僅かに相手の片方の眉が引き上げられた。それをサンジは見つめ。



何かを、確かめているようなこの手は、そうだ、あの医者に似ている。
ふとサンジは思い出した。
1度、酷く雑に扱われ医者が呼ばれたことがあったな、と。そんなことを思い出していた。
遠い、記憶の底を探っていたら、真近のミドリが自分の目とぶつかった。
だから、言った。



「ヤる?」
「“ヤらない”」
微かに“ゾロ”が苦笑する。ああ、とサンジは思い当たり。
「“抱いて”くれねえの?」
言い直し、下ろしたままでいた手を伸ばしかけ、



「言葉の問題じゃない、」
腕を取られてサンジは立たされていた。そして広い部屋の、一角のドアを指差される。
バスルームは向こうだ、おまえ身体が冷え切っている、と言われた。
適当に出しておくから服も着替えろ、と付け足されて。
ほら、と最後は肩まで軽く押される。



なぜ“サンジ”がそれほど不可解な表情をするのかゾロは理解できなかった。
動こうとはせずに微かに首を傾け、聞いてくる。
「あんた、冷たい身体が嫌いなんだ?じゃあおれの身体があったまれば、ヤるの?」
「だから、」
ゾロは今度は溜息をつく。
「やらねえって、安心しろ!」



半ば腕に抱え込むようにしてバスルームまで連れて行き、中に放り込む。
閉じられた扉の内と外で同じような困惑をお互いが浮かべているとは知らずに。
けれど、サンジのそれは広い空間の突き当たりに大きくとられた高層の窓からの景色にほどなく消えた。





自室のクローゼットの前で、ゾロはしばらく立ち止まっていた。
上はどうにかなるとしても、あれほどまで下肢が細いとは予想外だった。
明日買いに行かせるとしても、今日のところは何とかしのがせないといけないしな、などと
思考を散らかしつつ、自分のワードローブなど一々覚えていないものだから、
余計に時間が
かかる。




ようやく思い当たり、部屋付きのメイドがカラーチャート並に内部を色別に分類・整頓している
クロゼットに、歩き込んだ。出てきた時に手にしていたのは淡いグレイのカシミアのニットと、
ウェストをドローコードで調節する柔らかなスエードのパンツ。



それにしても、とゾロの思考がうつろう。
触れるつもりなどなかったのに、参った、と。同じ顔をしているものだから、理性では「違う」と
わかっているのに勝手に感情が揺れる、自分の視覚までもが再びあの姿を捉えることを悦んで
いることさえ、薄々感じられる。




路地裏で。
あのままになどしておけなかった。
放って置いたなら、おなじ色の髪、おなじ曲線で描かれる頬、唇、眼、そういったライン、
その持ち主は
遅かれ早かれそう長くもない生を終え、亡骸さえ「処分」されてしまったことだろう。
多分、なかでも一番高価なパーツは、あの双眸。



ふと。

あの蒼に射竦められたように足を止める自分の姿が浮かび、ゾロは顔を歪める。
クリスタルに閉じ込められた、蒼。



「おれの、キョウダイだ」、と“サンジ”が言っていた。

こどもたち。



なるほど、おれは酷く悪趣味だ。
ゾロは今朝、ナミの投げてきた言葉を思い出す。



そしてそれをみつけてしまったら、自分はもう一度神を呪うことになっていただろう。
いまからどうするかなどは後になって考えれば良い事だと、ゾロは思考を切り替える。
とにかく今は、あのイノチが費えさせられずにすんだことだけを考えれば良い、と。



それでも。おれは一体何がしたいんだろうな、何処かでそう呟く声が聞こえた。
あるいはそれは午後、コーザが苦笑混じりに自分に言ってきた言葉であったのか。

「ソレをどうする気だ?」





オレハ、ドウシタインダロウ?





空気が潤み、肌に触れれば指を伝い滴り落ちるかと錯覚するほどの色香を湛えるかと思えば、
ふれるだけの唇に、まっさらの、赤ん坊のような笑みをうかべる、





ひどくアンバランスな。








愛してやまなかった






あの奇跡のような生の











面影が  








手に入った。








8.

何の物音もしないバスルームの扉をゾロは一応ノックした。
「何をしてる?」
変わらず静まり返った様子に扉をあけると、広い浴室の突き当たりの窓に額を預けるように
している姿に問う。
「空がみえる」
空など、と思いかけ、一つの事実にゾロは思い当たる。
ああ、おそらく。
“サンジ”の過ごしていたであろう場所には、広く取られた窓などなかったのだろうと。



「すごいな、」
素直な、よろこびの声。
「ずっと、40センチくらいに切り取られたのしか見たことがなかった」
ちょうど、陽が落ちかけて遮る物が何もないそれは、美しく、設計上演出された通りのパノラマを映し。
薄色から紅碧へのグラデーションを広げていた。



「で。おまえはそこに突っ立ったままで、日が暮れるのをみているのか?」
「いいのか?」
ぱ、っと表情に光がさす。また、そこに覗くのは別の顔。
「見たければ、溺れない程度にバスタブから見てろ」



「なあ。じゃあさ。あんたも一緒にはいらねえ?」
「―――アァ?」
思わず、ゾロにしては珍しくガラの悪い発声が勝手に飛び出した。
「だからさ、」
なおも言いつのろうとするのを、“だまれ、”と手で制する仕種。
「たのむから。だまれ」



そして。重ねてあったバスタオルを取り、相手の胸元に押し付けるようにして持たせた。
ナンダヨ?と、やんわりと笑みを浮かべて言ってくる。冗談でも何でもなく本気で言っている
らしいのに、ゾロはかるく吐息をつく。
「あのな、おれは男と風呂に入る趣味はナイ」
「フン。そうか」
「ああ、そうだ」



扉を抜ける背に向かって声が追いついた。
「溺れてたらたすけてくれよな、不必要にでけえ」
振り返ると、白石の浴槽の縁に軽く腰掛けている“サンジ”と目が逢った。
勢いよく水の溜められていく音の中。

「ああ、それには同感だな」




ぱしあん、と水音。




その姿が視界からなくなって初めて。
知らず、サンジはつめていた息を吐いて浴槽に長く身体を伸ばし、変わる色を眺めていたのだけれども。
だんだんと自分の思考が離れた部屋にいる“ゾロ”に向かうのがわかる。



名前で呼べといい、抱く気はないと言ってくる。
あんな真ミドリの眼は、“鵺”以外、見たことがない。



それでもあの、すこしひんやりした手と。重ねた唇は気持良い。
指の長い手。
もっと触りたいのに。



「まいったな、」
ぽつりと意識しないで言葉がこぼれた。

それが、まさに自分の心中そのものの思いだったのに一瞬、瞳を閉じる。



「あー、煙草。すいてえ、」
半身を滑らせると、上体が水の中にそのまま引き込まれ。ゆらりと。金の髪が揺れた。



なんなんだよ。どうしたらいいんだ?
水の中で考える。
まあ、いいか。急に殺されはしないだろう。



別にどうでもいいけど。長く生きすぎているくらいなのは、自分が一番良く知っている。
つぎつぎと。いなくなっていった「こどもたち」。



それに。



あの眼。

気に入った。





あの眼は、何を見ているんだろう。











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