夜明け前。

キ、と乾いた音を立てて病室の扉が開かれた。

その音にベックマンが視線だけを送り、足音も無くするりと現れる姿に苦笑する。

「ミホークには、ワシントンに残れと連絡しておいたぞ」



「予定変更だ、」

一音一音、噛みしめるように発せられる。

「チクショウ。あのワニ野郎、甘くみてたかもしンねェ」



「ゆうべ出来上がった死体袋が、全部コイツの所為になってやがる」

「なんだと?」

ベックマンが短く言い。

「まーさにその通り。即行、逃がさねえとな」



「けどな、エサは上々。赫足に話は付けたぜ?」

「そう来たか

短い返答に、初めてシャンクスの口許に笑みが刷かれた。












夜明け。

扉が開かれ人の入って来る気配は感じても、バルコニーに向かって広く開けられた窓辺にサンジは

身体をもたせかけたまま、何も反応を返さなかった。



「シェークスピアの戯曲でもあるまいし。いつまでも外を見ていたってそこからは誰も入っちゃ来ねェぞ」

落ち着いた低い声にサンジが振り返る。

「ゼフ、」

サンジの声が、微かに震えるようなのにゼフは苦笑を浮かべる。

「自分を通すなら、徹底的にしやがれ。肝心な時に、おまえはどうも周りを慮りすぎる」



ぽん、とその厚い手が窓からの陽に透けるような黄金の頭におかれた。

「少しは、あの“赤髪”のアホウを見習え。ヤツは相変わらずだな」

「―――会ったのか?



問い掛けには答えず、杖の音を響かせその姿は扉へと向かい、追いかけてくる声に

かるく手を振ると、外から開かれた扉を出て行った。













早朝。

岬の先端を目指して4台の警察車輌が連なっていた。中でも目を引く先頭を走る一台は、71年型

プリモス・バラクーダ・コンバーティブル。市警の警部が絶えず唇に挟んでいる葉巻とその愛車は、

既に格好の目印になっていた。その行く先には必ず凶事が起こる、と実しやかに街中で 囁かれる

共に。



一人でハンドルを握るスモーカーが手の中の端末に向かい声に出す。

「また急に動き出したモンじゃねえか」

機械から、いつ聞いても神経を逆撫でるような笑い声が響いた。

「ああ。ネフェルタリの“坊や”がな、上手い具合にコトを起こしてくれた。これを機に一気に動くぜ」

「随分と勝手なことを抜かしやがるな―――?え?クロコダイル」

「あんたこそ、余計なヘマを踏んでくれるなよ―――、警部さん?」





「外道が」

空の助手席に端末を投げ、吐き捨てるようにスモーカーが不快さを隠さずに言い、アクセルを

踏みつける。





あんたも所詮おれの持ち駒なんだからよ、と。声に出さずに。

男が暗がりで嘲う。














--- Time Will Crawl ---



1.

扉の外から柔らかな声がした。



「あなたが、私に命令するの――?どきなさい、私を中へ通して」

「ですが、誰も通すなと」

「その伯父から言われて私はここに来ているの。会わせなさい」







静かに閉じられた扉の内側でビビが口を開いた。

「おはよう。私の恋人を殺し損ねた気分はどう・・・・・・?」

「おはよう、ビビ。良い朝だね。親友の恋人を殺した気分はどう?」



「言葉になんて、出来ないわ。―――安っぽすぎて」

「・・・同感だよ」

眼差が交差する。僅かに、ビビの表情が崩れ。



「ナミは、私個人の大切な友達なの。ネフェルタリの名も、何も関係無いのに」

「コーザは、直接手を下してはいないよ」

「同じことだわ、」

僅かにビビが首を傾ける。

「殺そうとしていたんだもの。重なった偶然が、あの人にそうさせなかっただけ」



「私が、あの人を失くさなかったのも。その偶然の所為でしょう?」




沈黙が落ちる。

ビビが窓辺に歩み寄り。ふわりといつかと同じ香りが漂うのを、どこか不思議な気持で

とらえていた。あのときは、たしかビビは笑いながら恋の話をしていた、と。







「私、あなたのこと少しは理解できるわよ?」

ビビは、ゆっくりとサンジの前に膝を折った。

「ねえ、サンジくん。もし、あなたが。あの人の命を私から奪ったら、私あなたのことを殺せるもの。

だから、あなたが銃を向けた気持も、わかるのよ」




やわらかな朝の陽射しにサンジは目を戻し、言葉を乗せる。

「このまま続く訳がないってわかっていても、もどれないことってあるだろう」



気持は、抑えられないもの、と。

小さく、独り言のように唇に乗せると、ビビはそのまま膝に額を預けるようにし

すこしひんやりとした指先が、そっと自分の髪を撫でるのを感じていた。











コブラの書斎で、ゼフの背後に見慣れぬ看護人がひっそりと従っているのを入り口付近に

控えていたコーザも気づいてはいたが、深く気には止めなかった。市警を前にしての、加齢を

演出するための道具立てだろうという程度の軽い思いで受け止めていた。



「さて。令状をお見せしようか?」

部屋の中央に立ったスモーカーが慇懃無礼に言って寄越す。

「いや、結構だ。そのような茶番にまで付き合う義務は毛頭無いのでな」

コブラが言い放ち、窓辺を離れる。



「重要参考人として、あなたにもご同行願おう」

「よかろう、」

ゼフもゆっくりと椅子から身を起こす。看護人が、そっとその手を添える。



「だがまあ、あんた達だけじゃあ無い。法は公平でな。ジェラキュールの息子は第一級殺人罪で

指名手配中だ。見つけ次第、抵抗したならば射殺せよとのお達しも出てることだしな、悪く思うな」

その言葉に、コーザ弾かれたように顔を上げる。

「―――なんだと?」






にやりと。火の点いていない葉巻を咥えた男が笑って寄越した。







2.

ようやく病室で麻酔から覚めたゾロに、即刻シティを出てサラトガで自分達を待てと告げた。

すんなり言うことを聞くとは思ってもいなかったが。まさか診療所の廊下で手加減無しで殴る

ハメになるとはシャンクスにも予想外だった。



「ゾロ、おまえは犬死にする気かよ?」

シャンクスの声が上から落ちてくる。

口内に拡がる血の味にゾロが微かに眉根を寄せ。



「ただ運命に良いように流されて、終わる気なのか?おまえが今しようとしてることは、ソレだぜ。

連中の思うツボだろうが。落ち着いて考えやがれ」



胸元を掴まれ、そう真近で言われ。

自分が口を開く前に。






「あたしの患者になにするんだい!!このクソガキァッ」





最大級の拳が、ナゼか自分の頭にも落ちてきたのを非常に納得のいかない思いでゾロはあまんじ。

ずるずると女医に引きずられるようにして病室に連れ戻された。



「チクショウ退院許可出てるじゃねえか!」

本当にバカだねお前は。ここを出るまではあのガキはあたしの患者なんだよ」

女医の拳が再び赤髪の頭に炸裂し。本当ならあと3日は絶対安静なんだよ、と付け足した。

「中でお話し」

そうして、まるで猫の子でも扱うように、ぽい、と病室に放り込んだ。





「アタマ冷めたか?話戻すぞ、」

扉に寄りかかったまま、シャンクスがかるく吐息をついた。



「いいか。これが検察から引き出せた最大限の譲歩だ。シティに戻ってきたら、てめえの命の

保証はねえんだよ」

ガキでもわかる理屈だろうが、とシャンクスが続ける。



「だから、信じて動くな。おれ達からの連絡を待て」



「わかったかよ―――?」



「わかったよ、」

ふと。ゾロの纏う空気が刃のそれから僅かに和らいだ。

「“いまは”捨てる時期じゃないってことだろ」

瞳が一瞬、閉じられる。



「そういうこと。おまえに何かあったらおれがあの美人に殺されちまうだろーが」

きつく引き結ばれていたゾロの口許が微かに引き上げられる。

どの美人だよ、と言い。

言ってろクソガキ。とシャンクスが返す。



「なあ、シャンクス」

軽く座っていたベッドから立ち上がる。

「おれのコルト、いい加減返してくれねえ?」



「あ。ダメだね」

にやり。とシャンクスにまるっきり苛めっ子の笑みが浮かぶ。

「は?」

「ナッマイキに手なんか入れて使い勝手良さそうじゃねー?気に入った。くれ」

「―――あんたなァ!」

げらげらとシャンクスは賑やかに笑い。

傍らの小卓にごとりとそれを置く。

「シロートじゃねえんだからきちんとメンテしてやれよ?」






「下で。エイブラとベンヴォ―リオが待ってるからな。あと、あの魔女婆から薬取っていけ」

「解熱剤、鎮痛剤、抗生物質」

「よく出来マシタ」

に、とシャンクスから笑みが返される。

「ありがとう」

卓から銃を取り上げ、正面に立つ。

「ああ。―――あとでな」

いきなり手が伸びてきてぐしゃぐしゃとアタマを引っ掻き回し。

「っだァから、」

その手を払いかけ、思いがけず真摯な眼差に、ふと。動きが止まる。




「ゾロ。死ぬんじゃねえぞ?」

「理由がねえよ」

ぽん、と手が軽く頭を小突き。

「そういうときは。スナオに”うん”って言やァいいんだよ。クソガキ」








.

窓外の人の気配と、車寄せに何台もの車輌が停められるざわめきに。ふと、サンジの手がとまる。

ビビも、その顔を上げ。目をあわせる。

「市警が、今朝出頭要請に来たのよ。父も、伯父様もしばらくは拘束されるわ」

「昨日の、」

「そう。内通があったの」



「在り得ないことよね」

ビビが立ち上がり、バルコニーへと窓を抜ける。




「お父さま、」

ビビがつぶやく。それが聞こえでもしたかのように、ゼフが二人の立つバルコニーを見遣り。

微かに目許に微笑をのせたような。そうして、前後を警察車輌に挟まれたリムジンに乗り込む。

続いて、警官に付き添われたコブラが正面玄関に現れ、バルコニーの姿に気づいた。手すりから

身を乗り出すように見つめてくるその様子に、僅かに目許が和らぎ。歩を止め、仰ぎ見るようにする。




そのとき、

その場にいた全員が、微かな電子音を聞いたと思った。

一瞬の空白の後、リムジンが突如爆発し、炎上する。スローモーションのように窓から炎がこぼれ、

限界まで撓み飛散するガラスが陽を映しこみ、光の欠片のように散る。コブラを庇い、警官が

地に伏せ。瞬間、正面扉横に佇んでいたスモーカーは直ぐに指示を声高に発し。

車内無線に掴みかかるようにしていた。



ビビは、その背をサンジの胸に預けるようにし。サンジはただ、その細い身体を抱き、

立ち昇る黒煙と燃え上がるガソリンの異臭に思考を手放していた。







「医療斑を呼べ!なにをしてやがる、至急だっ」

聞こえてくる怒声と、突然の混乱に一瞬、歩を揺らすがベルメールは目指す場所へ足早に向かう。

背後で起こったであろう予期しない事態に、怒りが湧き起こり唇を噛みしめるも。自分に託された

思いを届けなければならない。白衣の姿がサンジに近づくのを、屋敷内の誰一人記憶に留めは

しなかった。



ビビを使用人に預け、廊下に出た自分の腕を捕まえる姿に驚きの声を上げようとするサンジに

ベルメールが癖のある笑みで応える。

「また逢ったわね、ボウヤ」

「―――ベル、」

シッ、と声に出し。

「賭けてみる―――?」




問い掛けた。



「もう一度、逢いたい?」

その問いかけに、空よりも青い双眸が見開かれる。

「これは、毒よ。一口飲めば、24時間あなたの呼吸も、鼓動も止まるわ。ヒトには感知できないほどに

幽かになる。仮死する。その間に、私達があなたを連れ出してあげる。今夜、眠る前に飲みなさい。

どう、信じる―――?」




「あなたを?」

「ちがう。“私たち”を。」

「―――――信じるよ」

「イイコね、」

ベルメールは笑みを浮かべ、アンプルを開かせた手に持たせる。

「―――幸運を」

そう小さく言葉に乗せ、白衣は遠ざかる。

幻のような、数秒間。





サイレンの音と。自分を何処かで呼ぶビビの声と。

窓からの信じられないほどの快晴。

















手の中には、毒。























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