*38*

『随分とお気に入りですね?』
そう笑って告げてきたのは、朝一にノックで起床時間を告げてきたロイだ。
『昨夜は覗いて眠るだけだったんじゃないですかー?』
『リクエストだったんだよ』
笑って応えたパトリックに、ロイが目を見開いた。
『お猫サマのですか?』
『そう。カワイイダロ』
『……いや、まぁ、えええっと……』
コトバを失ったロイに、パトリックはさらに笑った。
『どうやら懐いたみたいだからナ、来週辺りにでもメシに連れて出てやろうと思う』
『……うきゃあ』
あんぐり、と口を開いたロイの頭を叩いて、片眉を跳ね上げた。
『キングスレーを呼べ。今日の午後なら時間があるだろう?手配しろ』
『まさか、まさかのマサカでマジですか?』
『オレがそういう無駄な冗談を言うクチか』
『いやあ、もっとタチの悪い行動を取るのがボスですけどぉ……お猫サマに、服を仕立ててさしあげるんですか?』
あっちゃあ、という顔を作ったロイに、に、と口端を吊り上げた。
『スーツ上下にシャツと靴。コートも必要だな、外に出るにはもう必要だろう』
『……ピジョンブラッドに上乗せですかぁ…』
オーマイ、と卒倒したそうに手を額に当てて上向いたロイに、くく、と笑った。
『似合うからイイだろ』
『そういう問題ですか…』
『道楽の一種だ。面白みの無い絵を買うより余程見ていて楽しいだろうが』
『えー、いやぁ、まぁ、ぶっちゃけそうですけどぉ……』
きゅ、と困った顔をしてきたロイの頭を、つい、と軽く突付いた。
『まあデカい買い物はソレが最後だろ。あの猫に関してはナ。ああけど、どうせ服を仕立てさせるのなら、あの猫も多少の手入れが必要か。グルーミングさせろ、仮縫いが仕上がった頃にでも』
『……ボスのその奇妙な完ぺき主義には参りますって。髪と……エステでいいっすか?』
『エステ?猫といえば爪の手入れだろ』
『爪、ですか……わかりました。ウチの関連ビジネスの店から回させます』
はぁ、とロイが深い息を吐いた。
『どうした、ロイ?』
『いえ。……聡明なボスのことですから、心配はしてませんよ』
ふン、とパトリックが笑って返した。
『アレに関しては心配することなんざ何も無ェよ』
なにしろ夜中過ぎに寝かしつけた後、自分から腕を回してきたぐらいだからな。そう心内で呟いて、パトリックは自室に向かった。
甘く追い上げて深く貫いて、蕩けさせて追い上げた後。バスルームで軽く身体を流せれば、もうルーシャンの意識は甘く眠りに蕩けだしているようだった。
前日からの交歓が堪えているのだろう、腕に抱き込めば、直ぐにすうっと眠りに着き。そのままパトリックの身体に腕を回したまま、朝までいた。
ふんわりと柔らかな笑顔を浮かべたようだったルーシャンは、いまもまだ眠ったままだろう。起こさないようにベッドを抜け出してきたから、パトリックの不在には気づいていない筈だ。
あのアマッタレ猫に対してここまでパトリックが気遣っていると知ったら、ロイはまた目を大きく見開いて絶句するんだろう、と内心で笑いながら。いつまでもルーシャンばかりを構っていられないパトリックは、ひとまず着替えるために自室に向かったのだった。

ミスタ・キングスレーがおいでになられました、と告げたウィンストンが開けたドアから、昔から馴染みの仕立て屋が入ってきた。
モノクルが似合う高い鼻梁と奥まった眼孔が特徴的な、細い体躯のオトコ。禿げ上がった頭は、それでも後ろ側に柔らかなグレイの髪が僅かにあり。まるで映画に出てくる俳優みたいな男だと会うたびにパトリックは思う――――――どこまでも手入れされた男。
白いウールのストールとステッキをウィンストンに預け、ぺこりと男が頭を下げた。
「サー、お呼び立てありがとうございます。なにか急ぎの用だとか」
「スーツを仕立てて貰いたい。ディナーに出るだけだからそう堅苦しいものでなくていいんだが」
吸っていた煙草をクリスタルの灰皿に押し込み立ち上がったパトリックに、すい、とキングスレーが片眉を跳ね上げた。
「この間仕立てたものはお気に召しませんでしたか、サー?」
きゅ、と目が不服そうに細まったのに、にかりと笑う。
「オレのはパーフェクトだ、ありがとう」
ふむ、とキングスレーの視線がウィンストンに投げられ、それからパトリックに戻された。
「ではどなた様のもので?」
「着いてきてくれ」
こっちだ、と促すと、後を着いてきながらキングスレーが言った。
「誰、とも仰られないところを見ると、ロイさんでもありませんな」
「アレはオマエのところでは服は仕立てないだろう?」
「当然のことですな。ご主人と同じランクの服を着る部下はいません」
「まあそりゃ個人の自由ってヤツだ。オレはちっとも構わないんだが」
「少しはお構いなさい――――――まあこのキングスレーが仕立てた服を着ている限りは、誰がどう見てもハイクラスに見えますが」
客室に向かったことに、キングスレーが片眉を跳ね上げる。
「サーにご兄弟などがいらっしゃったとは存じておりませぬが」
「兄弟親戚の類じゃない。強いて言えば赤の他人だ」
「部下の方でもない、と」
目をきらっと輝かせたキングスレーに笑って、ドアを開けた。小さな応接間ではロイが立ち上がって二人を出迎えた。
視線をロイに向ければ、にかりと笑顔が返され。
「ミスタ・キングスレー、お久し振りです。ボス、お猫サマはベッドルームにいらっしゃいますよ」
そう告げてきて、ベッドルームへのドアを開けにいっていた。
キングスレーが、モノクル越しにパトリックを見遣って呟いた。
「お猫様?」

コンコン、とロイがドアをノックし、がちゃ、と扉を開けていた。
ノートを手にソファに座って、ぼんやりとマティスを眺めていたルーシャンが、す、と肩越しに振り向いていた。
どこか気だるげな様子が見て取れて、くう、とパトリックが笑った。
キングスレーが横で、苦笑しているロイと視線を合わせていた。
すい、とルーシャンが首を傾げたのに笑ってキングスレーに告げる。
「キングスレー、彼のスーツを仕立てて欲しい」
すい、とキングスレーの片眉が跳ね上がった。
「一瞬マダムのオートクチュールを私めに作れと仰るのかと思ってどきどきいたしました。ですが坊やのスーツなら仕立てられますとも。万事キングスレーにお任せあれ」
来週と仰いましたな?と確認してきたキングスレーに肩を竦めた。
「早ければ早いほど、こちらとしては都合がいい」
「そうですか。では今日寸法を測らせていただきましょう。ロイさん、私のいつものカタログを持っていらしてください。ウィンストンさんが持ってきてくださっているでしょうから」
ロイが頭を下げて了承し、静かに出て行ったのに満足そうに頷いてから、キングスレーが持っていた鞄を床に置き、ジャケットを脱いで椅子にかけていた。それから鞄の中からノートと鉛筆を取り出し、ポケットの中からは巻尺を取り出していた。

パトリックは目を僅かに見開いていたルーシャンに顎をしゃくった。
「ルーシャン、こっちに来い。寸法を測るぞ」
いや、と首を横に振ったルーシャンの側まで歩いていって、すい、と手を差し出す。
「ほら、来い。オマエの服を仕立てる」
「いらない、」
小さな声で抗議してきたルーシャンに片眉を跳ね上げる。
「それはオマエが選ぶことか?」
 少しばかり声を落としたパトリックのトーンを聞いていたのか、キングスレーがルーシャンに言った。
「なあに、時間はかかりませんよ。今日は寸法を測るだけですからね。服の上からちゃちゃっとやってしまいますよ」
痛くも痒くもありません、と飄々と続け、ノートにかりかりと何かを書いていく。
「なんで?いらないよ、」
じっと真っ直ぐに見上げて訴えてくるルーシャンの片手を捕まえた。
「オレが見たいんだよ、つか、そういうことは言わせるな」
きゅ、とルーシャンの片手を握り、真ん丸くなったブルゥアイズを見下ろす。
「解ったらほらさっさと立て」
きゅう、と眉を寄せたルーシャンの耳元に唇を寄せる。
「ダダを捏ねるな、お仕置きすっぞ」
いや、とまた首を横に振ったルーシャンの目を間近で覗き込む。
「なんでだ?」
「意味がわからない、そんなことしてくれなくていい」
戸惑った声が言うのに、片眉を寄せてパトリックが笑った。
「だぁから。オレが見たいんだっての、ばぁか」
ぎゅうう、とますますルーシャンの顔が困っていく。
「なんでそこで困るンだよ。ほらいいから立て」
「だって、」
「だってもクソもねえよ。それとも抱っこされていきたいのか?あァ?」
困っている声に構わず、パトリックが続ける。
「絶対出来ないね」
むぅ、と意地を張ったルーシャンに、ハハ、とパトリックは笑って、すい、と両腕で抱き上げて肩に抱えた。
「意地っ張りめ」

声も出せずに驚いているようなルーシャンを、そのままトスンとキングスレーの目の前に立たせた。
「んじゃ頼む」
すい、とキングスレーがテープメジャーを広げた。
目を見開いて、顔を真っ赤にし、驚きに見上げてきているルーシャンを背後から抱きかかえて、両腕を伸ばさせる。
びくん、と跳ねたルーシャンに、キングスレーがモノクル越しに片眉を跳ね上げた。
「暴れて年寄りを引っ掻いたりなぞせんでくださいよ、お猫サマ」
「な……」
ますます真っ赤になったルーシャンの耳元でパトリックが笑った。
「オマエがさっさとしないからだ。じっとしてろよ、ルーシャン」
ますます真っ赤に顔を火照らせ、びくりと跳ねたルーシャンが、ひ、でぇ、と掠れた声で訴えるのを見下ろす。
「酷くなんかしてねぇぞ?すげえ優しいだろうが、なぁ、キングスレー?」
首周り、オーバーバスト、胸周り、胴周り、腰周り。腕、背中、足、とサイズを測ってはノートに書き込んでいくキングスレーが、見上げないまま告げた。
「一介の仕立て屋には解りかねますな。さあ背中を向けてください」
まさか、という顔をしたルーシャンを、くるりとひっくり返した。
「ほらよ」
「ぅ、わ…っ」
「サンキュー・サーズ」
する、とキングスレーが肩幅を測っていった。かりかり、とノートに書いていってから、すい、と見上げる。
「靴のサイズはどうしましょうかね?まさかスーツに裸足かスリッパというわけには参りませんぞ」
どきどきと心臓を跳ねさせてるルーシャンの顔を覗き込んだ。
「靴のサイズはどうする?はきはき吐いておくか?」
きゅう、と睨み上げてくるルーシャンに、にぃ、と笑いかけた。
「トップシークレットらしいぞ、キングスレー。測っておいてくれ」
「承りました、サー」
キングスレーが再び跪いてルーシャンの足のサイズを測っていく。
「測らせていただいても、私では既製品をご用意することしかできませぬがね」
立ち上がりながら言ったキングスレーに、パトリックは笑った。
「テイラーのオマエに靴を作れとかは言わねェよ。何足か一緒に持ってきてくれて、合ったものを履かせりゃそれでいい」
「バーキンスに揃えさせましょう。さ、もう寸法はよろしいですよ。後は生地ですね」
ロイさんは遅いですね、と言ったキングスレーに、パトリックが笑った。
「隣の部屋で茶でも淹れてンだろうよ。先に行っててくれ」
「ではカタログの用意をしておきましょう」




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