*52*

 冬だってのにこの国の気温は相変らず乾いている、そう思いながらパトリックはガソリンを補給するために停車したガソリンスタンドで車を降りた。
 ジムの屋敷でコーネリアスの跡継ぎを決める前に、もう一度アロンソの屋敷に集う用事が出来てメキシコまで飛んできた。
 会議は順調に済んで、滞在二日目にしてもう帰り道だ。
「ロイ、美味いコーヒー買って来い」
 同じ様に車を降りていたロイに告げた。運転手はメヒカン訛りの激しいオヤジとガソリンの値段について交渉をしているようだった。
「美味い、ですか?」
「ああ、美味いコーヒー、だ」
 はあ、とロイが溜息を吐いた。
「イエス、ボス」
 ゆっくりとロイが見事なオレンジの髪を揺らして、車を後にしていった。
 パトリックはゆっくりと笑って、砂漠が広がる風景に目線を投げ遣った。
 いまのロイにしても、会議で集った幹部連中にしても、屋敷に控えている部下どもにしても――――――ここ数日の間、やけに素直だ。よほどの理由がない限り、NOと言い出したり、無理だと言い出したりしてこない。その上余計な日常会話も挟んでこないから、とんとん拍子で会議が済んで、今ニューヨークに帰る為に飛行場に向かっている途中なのだが。
 ほかの幹部連中は、往々にして静かな時が存在するが――――――ロイまで比較的「従順」なのは久しくなかったことだ。いつもだったらアレは、パトリックを茶化したり、茶々入れたりすることを躊躇したりはしないのに、だ。
 ロイは忠実な腹心であっても、半ば友人のような側面も持ち合わせている。
 そもそもが幼い頃からのガキ仲間ではあるから、例えパトリックが彼の雇い主になっても、ロイはパトリックの気分を向上させることのできる気安い人間で在り続けていた。
 パトリックがマフィアのドンであっても――――――ロイは秘書のような役割を持った腹心であると同時に、パトリックのストレスを和らげることのできる人間だった。度を越さない親しさと、辛口のコメントでもって。
 けれど、ここ数日は――――――ルーシャンを彼の世界に帰してからは――――――何を考えているのか、パトリックが為すことに口出ししてくるようなことはなかった。

 遠ざかるロイの足音と、耳障りなメヒカン、風の音が寂れた村を横切る音、それらに耳を傾けたまま、パトリックは視線を真っ直ぐに向けたままでいた。
 ああ、とパトリックは痩せた犬が道路を横切るのを見詰めながら思い出していた―――――――ロイがああいう風に「寡黙」になったのは、前回の時は部下の裏切りを知って処刑を執行しようとしていたその時だったな、と。
 ざ、ざ、と砂埃を巻き上げながら歩いてくる男がいるのを、目の端で捕らえながら、パトリックは思い返す。
 そういえば、最後に殺した男は、あんな風にギラついている割には絶望を背負い込んだ顔をしていたよな、と。
 無精ヒゲにこけた頬、アルコールに血走った目、整えられない髪に、どこで入手するものなのか、テイストの欠片も見出せない着込んで何日か経つ服。

 スタンドの親父と運転手は、スペイン語で姦しく喋り倒しながら、小さなショップの方に入っていっていた。
 寂れた村に飲まれたロイが戻る気配もない。
 薄汚れた痩せた犬も、どこかへと消え失せ。ヒュ、と風が鳴るこの場所には、みすぼらしいギラついた男とパトリックの二人しか、どうやら存在していないようだった。
「ヘイ、アミーゴ、」
 オトコが喋りながら胸ポケットにごそごそと手を突っ込んでいた。
「キャッシュを崩してくれないか」
 そう言いながら、オトコが胸ポケットから手を引き抜いた。
 ギラ、と光を反射したモノに、ピン、と頭の中でアラートサインが点滅し、無意識にオトコの腕を捕まえにかかった。
 スローモーション、世界がスロー再生をしているように時間が滞って見える。
 オトコの目が一層大きく見開かれ、タバコのヤニだらけの歯が切れた唇の間で噛み締められていた。
 オトコの口がパクパクと動く―――――――Muerase, usted hijo del diablo,そうオトコが言っていた。甲高いような絶叫すらもスローで聞こえる。
『死ね、このクソ悪魔の息子!!』
 ザ、ザ、ザ、ザ、と光を弾く鉄が眼下を横切る。
 ヤバイ、と本能が叫んで、ナイフを持っていたオトコを蹴り倒した。車に寄りかかっていたのが幸いしてか、オトコが赤茶けた砂に塗れた道路に見事にすっ転んでいた。
 ザ、ザ、ザ、ザとナイフが描いていた軌跡が変わる。
 それでも―――――――――チリ、と胸が痛んだ。
 チリチリチリチリチリ、と微かに痛む箇所が増えていく―――――――薄く灼熱が皮膚の上を通っていく。

 オトコが両足を跳ね上げて転んでいる間に、胸元を見下ろした。
 黒いラム革のコート、その下に着ていたキングスレーの仕立てた黒いスーツと白いシャツ、それと深紅のタイに斜めに切れ目が入り。布地の重さによってずれ落ちた生地の間から、素肌とそれにぷっくりと湧き上がっている真紅の線が目に入った。
 ―――――――Oh you fuckin' son of a bitch.(このクソ野郎が…ッ)
 ぷつん、と何かが一瞬で振り切れ、手は迷うことなくスーツのジャケットの下に下げていたホルスターに伸びた。
 コルト・ガヴァメントの.38スーパー・オートマティック、ジェットブラックのそれを引き出して、焼けた道路から起き上がろうとしていたオトコに向けた。
 頭に向けて、ダム、と弾を撃ち込んだ。
 オトコの頭が跳ねて道路に叩きつけられ、血と脳漿が飛び散る中、ダム、ダム、ダム、と心臓と胸と腹に向けて打ち込んだ。
 オトコの身体が鉛を受けて跳ね上がる、構わずにまた弾を送り込む。もう一度頭に、そしてオトコの四肢が小刻みに痙攣しているのにオトコがもう死んでいることに気づく、それでも指はトリガーを引き続ける、ダム、ダム、カチン。
 ガチン、ガチン、とラウンドを打ち切った音が冴えた頭に響き、パトリックは漸くトリガーから指を離した。
 殺す対象に近づいていくクセはいつからついていたんだろう、と。7発の銃弾を受けた場所から豪快に血を吹き出しているオトコを間近で見下ろし、パトリックが目を細めた。

 横から運転手が慌てて銃を手にして飛び出てきていた。
 ああ、このオトコも刺客であれば、いまオレは死ねるな。そうパトリックが思ってうっそりと笑った――――――――運転手の銃口は死んだ男から周囲に向けられていた。パトリックは、ゆっくりと目を閉じた。
 砂を巻き上げながらロイが無言で走ってくる音も聞こえてきた。
 !Dios, no mi por favor!(カミサマ、お助けください) そうスタンドの親父が叫んでいるのに、まだ周囲への警戒を解かない運転手に顎をしゃくった。
「買収しとけ」
 イエス、ボス。そう言ってガンをいつでも取り出せる位置に戻しながら、言い付けどおりに踵を返した運転手の声が僅かに震えていたのに笑った。
 足早にロイが隣に滑り込んできた。
「ボス!」
「ロォイ、手ぶらかよ、オマエ?」
 青ざめた顔を、ニ、と笑いながら見上げれば。ロイが両手を一瞬見てから首を横に振っていた。
「ボス、怪我をなさって、」
 ああ、と笑ってパトリックは胸元の傷を見下ろした。
「ちっとヘマした」
「ヘマって、それだけですか?!」
「ああ。ちっとボケっと昔のことを思い出してたら、ナイフを持った手を弾かないで引き寄せちまったンだ」
「見せてください!」
 走りこんできながら、あれだけの銃声がしたにも関わらず気配が増えなかったことを感じ取ったロイが実行犯は一人だと見当を付けたのだろう、道路に背を向けて胸元を覗き込んでくるのに、ハハ、と笑った。
「ここでストリップを?」
「血が出ているんですよ!」

 ブチブチ、とシャツのボタンを弾いて、ボロボロになりかけていたシャツにロイが決定打を加えていた。
「深くは無ェよ、エッジが掠めたんだ」
 ほ、とロイが傷を確認してから、見上げてきた。
「そのようですね。ボス、眩暈や動悸などは?」
「いや、アタマはクリアだ。心拍数も呼吸も、さほど変わらん」
「念のためにフライトを午後に変えて、アロンソさまを呼び出してドクタを手配させましょう」
「毒か?」
 真っ直ぐに見詰めてくるロイに目を細めれば、こく、とロイが頷いた。
「破傷風や狂犬病の疑いもありますから」
 その他の感染も心配しませんと、そう言いながらパトリックの頬についた血や脳漿をロイがハンカチで拭っていく。
「このアホみたいな太陽の下で、狂犬病は無ェよ」
 血はまだ流れ出てたものの、ぴくりとも動かなくなっていたオトコの死体を蹴った。
「だが、コレが誰に寄越されたモノだか確認するのを忘れていた」
 チ、と舌打ちをしたパトリックに、ロイが頷いた。
「死体の回収と、掃除をアロンソさまにお願いしておきます。パウロはスタンドの店主の所ですか?」
 運転手の名前を言われて、ああそういえばそんな名前だった、とパトリックが思い出し、僅かに頷いた。
「ああ。買収しておくように言っておいた」
「結構です。シェリフも買収しておくよう伝えておきますので、さほど問題はないと思いますが――――――」
 ひとつ大きく息を吸い込んだロイに、パトリックは肩を竦めた。
「どっかのホテルでシャワーを浴びて着替えたい。さすがにクセェ」
 頬に残っていた感触に袖でそこを拭えば、赤茶色の染みが残された。
「仕度は整えておきます。それから、念のためにこちらをどうぞ」
 ロイがジャケットの下に手を入れて、別のオートマティックを差し出してきたのに片眉を跳ね上げた。
「S&W.39?」
「8ラウンド入ってます」
 ふン、とパトリックは鼻を鳴らして、銃器製造と開発の専門会社数社を頭に思い浮かべた。
「15程度入らないと、複数居た場合には保たないな。かけあってみよう」
「それでもスペアマガジンを持ちあるかなければいけませんけどね」
 そう言ったロイの頭を、すいっと撫でた。
 ナンデスカ?と冷えたグリーンアイズに真っ直ぐに見上げられて、パトリックは笑った。
「どこの誰が仕掛けたのか判ったら、すぐにオレに報告しろよ。落とし前は着けにいかないとなァ?」
 ロイの手からS&Wを引き取り、まだ熱を持って熱い空になったコルトを手渡した。ホルスターにセミオートを仕舞い、ばさ、と切られたコートを脱いで、それもロイに手渡した。
「アロンソに電話したら、すぐに車を出せ」
 そう言いながら車に乗り込むために背中を向ける。
 ふ、と道路の先で雷が鳴ったことに、パトリックは笑った。
 そして、そのまま車に乗り込んで、破れたジャケットのポケットに手を入れて、煙草を咥えた。
 遠くの雷鳴が雨を伴って近づいてきそうなことに薄く笑って煙草にジッポで火を点けた。
 酷いギャンブルをしたことに目を細めて、煙を吐き出し。運転手のパウロが戻ってきてゆっくりとエンジンをかけたのに目を閉じた。
 ロイも車に戻ってきて、死体はそのままにこの場所を後にしたのは、それからそう後のことでもなかった。





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