*57*

窓外を夜の景色が流れ、けれど車内には外界の音は届かなかった。
目眩がするかと思い、ルーシャンが短く喘ぎ。そのまま掠れた声が吐息めいて震え。体温にふわりと香りの立つウィスキィの匂いに呑まれそうになる。
胸に、肩に取りすがるように手指が上質なアルコールの染みこんだ生地の上を彷徨い。握り締めては、深まる口付けに添ってひくりと指先が弾け。膝の上に引き上げられた身体が気が狂いそうに熱いと自覚する。自分の膝をシートに着くようにし身体を僅かに引き起こし、パトリックの項に添えた手に一層力を込め、身体をもっと重ねるようにし、濡れたシャツを通して体温が流れ込むことにさえ吐息が揺らぎ、頼りなく掠れて、そのまま音にはならずに自分の喉を滑り落ちていくように思えた。
 素肌を、掌に辿られ。直に体温が落とし込まれることに、触れられることにさえ背が撓みじりじりと焦げていくかと思う。
 喉を通り、唇まで上る間に肺から押し出される吐息が別のものに変えられる。
 からかうように時折、下肢を押し上げるようにされて跳ね上がろうとする背中ごときつく抱きとめられ。強張りかけた舌をじわりと擦り合わせるにされて喘ぎ。
「―――――――ゥ、ンぅ、っ」
 背骨を痺れが押し上げる。
 膝を跨ぐように座らされたままに下肢が揺らぎ。頭のなかは狂ったように一つの音だけを繰り返し、繰り返し一杯にしていくようで、ルーシャンが堪らずにパトリックの肩口をきつく握り締めた。
 左の手首が絶えず鈍い痛みを伝え続けるのをいまになってぼんやりと気付き。力任せに引き抜いて投げつけた金の蛇が、また同じ場所で淡く暗がりでも発光するようなことを視界の端に映していた。
「…ぁ、っと、」
 溺れるように名を呼び。霞みそうになる視界、けれどパトリックの口許が笑みを刻んでいることを目にしてどうしようもなく胸奥が痛んだ。甘い痛み。
「それはベッドの中だけの約束だろ、仔猫チャン」
 どこかあやすような声に、とろりとルーシャンが微笑んだ。
 軽いリズムで、両頬に軽いキスが落とされていくのに、一層、ふわふわと覚束ないほど笑みを乗せるだけになっていくのを自覚し。ぎゅ、と両腕で抱きつく。
 首元に顔を埋め、そのまま僅かに上向くようにして首筋に口付けていく。
 直に背中から腰まで撫で下ろしてくる掌に息が熱くなる。

「そんなに寂しかったのか、仔猫チャン?」
 パトリックが喉奥で笑い、問いかけてくるのに、くちゅりと肌を吸い上げてまた唇で肌を掠めていく。
「そんなこと、ない」
 鼓動が伝えきれるほどに上体を重ねるようにし。
「―――――――んっァ、」
 く、とヒップを片手に掴まれ、びくりと震え。僅かに反らせた首筋に歯を立てられ、濡れた声が車内に響いた。抑えこもうと懸命であったソレが始めてはっきりと。
 ゆら、と車体が僅かにトレースラインをずれるように揺らぎ。身体が傾ぎかけ、それと同時にパトリックがフロントシートの背を蹴り上げていた。
「―――――――ぅ、ぁ」
 下肢に直に動きが響き、ルーシャンが唇を噛めば。穿った痕を濡れた熱さが、とろりと覆っていくのに一層息を詰める。
 気をつけろ、と助手席にいるロイが運転手に向かって小さく短く告げていた声はその耳に届かなかった。
「―――――――ぁ、」
 一度きつく目を瞑り、ゆっくりと開ければ視界に笑みを乗せたままのパトリックが変わらずに在ることにルーシャンがくしゃりと笑みを浮かべた。
 澄み切った青が底から煌くようで、ルーシャンが首を僅かに傾ける。
 手を伸ばし、その目元を火照った指先で辿るようにすれば、声が届いた。

「赤毛を捜していたのはオマエか、ルー?」
 吐息を吐くように、ルーシャンが頷く。
「赤毛の背の高い男、知らないか、って―――」
 ふン、とパトリックが短く笑った。
「よくガブリエーレに辿り着いたナ?」
 こく、とルーシャンが突然告げられた名前に息を呑んだ。そしてパトリックがその人物だけを情報源として特定してきたことに。
 ただの情報屋であるはずもないその男の、煌くようだったキャッツアイを思い出し。くく、と機嫌良いままに小さく笑いを漏らしたパトリックの手が背中を撫で上げていくのを感じながら、ルーシャンが頬を寄せるように顔を近づけた。
「通りで拾われて紹介されたんだ」
「イタズラされなかったな?」
 ブルーアイズが煌き、覗き込まれ。ルーシャンはそうっと頬を摺り寄せる。
「あんたのことを思い出して、泣いちまったら、」
 パトリックが片眉を跳ね上げていた。
「手付け金だって言って、キスされた」
 そう言って、ふわりと唇に触れるだけのキスを落し。もういちど、少しだけ強く押し当てるようにしていた。
 く、っとパトリックが笑った。
 ルーシャンの目を見詰めたまま、唇の触れ合う距離で言葉を乗せていた。
「おい、ロイ。アレに借りはナシだ」
 そして、一瞬後に言葉をまた継いでいた。ただ礼は言いに行かなきゃならんな、と。

「でも、」
 ルーシャンがふわりとまたキスを落し。
 酷く嬉しそうに、顔を綻ばせていた。それは同時に裏にひっそりと滾る熱を透かしてどうしようもなく危ういものであったけれども。
「あんたのことを教えてくれた」
 他の連中はただおれから逃げるだけだったのに、と。
「ロイがちょっと睨んだんだろ」
 言葉に、離れている限界だ、とでも言う風にまた唇をやわらかく押し当てる。
 唇を熱い舌先に舐められて、びくりと肩が揺れ。赤毛の男は容赦無いのが知れ渡ってるからナ、と笑うパトリックを見詰める。
 そして、声をひっそりと洩らしていた。“マカーシー”の右腕ならね、と。
 けど、と続ける。
「ただの馬鹿でノッポでばかのロイだ」
 そう言い切って、きゅ、とパトリックの肩をもう一度握り締める。
 くう、とパトリックの口許が笑みの形に吊り上っていき、やがて上体を揺らして大笑いを始め。失礼な、とロイが小声で反論を呟くのが聞こえ。濃密に篭もるようだった空気が僅かに軽やかになる。

 すう、とパトリックから笑みが引いていき。見詰めていたルーシャンの顎下を指で撫で上げ、ゆったりと口付け。ほんの僅かに浮かせて言葉を落し、「口直しには足りねぇなあ?」そう嘯くとまた唇を舌で割り深く重ねながら、一方の手はヒップを揉みしだくようにし。びくりと膝の上で跳ねる身体を片腕に押し止め抱き込み。言葉にしていた。
「オマエはオレだけを知っていればいい」
「ん、…っぅ」
 背骨を駆け上がる痺れにツーシャンが呻き。小さく身悶え。
「はしたないのも、甘いのも、オレだけが知っている顔だ」
「パトリ…っ、」
 名を模り切る前に喘ぐように吐息に混ざり、また深く口付けられてルーシャンが一層震えていた。
 がり、と上質なレザーにルーシャンの爪が立てられる。
 競りあがってくる声も、すべて相手の内へと落とし込まれ。は、とルーシャンが濡れた唇のままで深く喘ぐように息を取り込めば、頬を指裏で押し撫でられ、とろりと視線を上げた。
 そして、言葉に。パァット、と甘えてそれでも蜜に濡れたような微かな声が返していた。「不満はねぇな?」と訊かれて。

 ボトムスの内に手を滑り込まされ、ひく、とルーシャンの背が強張った。
 そして、奥にするりと触れられ、息を詰めれば。耳元に囁きかれ、そのまま詰めた息が揺れていた。
「ここはベッドか?」
「―――――ノ……、」
 甘く掠れた声で返し、ふるりと首を横に振る。体温が上がるばかりで息苦しくなるかと思い。
「いいコだ、」
 そう囁かれ、唇にキスが落とされても。奥に指は軽く触れたままで。
「―――――ぅ、んん…っ」
 苦し気に眉根を僅かに寄せ、ルーシャンが甘く呻いていた。
 耳にしたなら、平静ではいられなくなるほどの声ではあっても。おそらく運転手にとっては僥倖なことに、クルマは目的地に近付いており。アスファルトを踏む音から砂利を越える音にタイヤのソレが変わり。通りに面したゲートで一回、速度を緩めほぼ停止してから、敷地内へと進んでいっていた。
 背後から否が応でも届く気配は密なままであり。
「――――――っぁ、」
 ルーシャンが身じろぎし、僅かに膝を浮かせ。パトリックがボトムスから手を引き出していったことに、安堵の息を洩らし、それでも酷く甘えたようにその名前を唇に上らせていた。
「ほんとうに、あんただけがいい、」
そういい募りながら。




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