*6*

すぅ、と穏かな、けれどアルコールに熱くなった寝息が首元にかかる。ウェストあたりに回された腕が、心地よい重みを齎してくる。鼻先を潜り込ませたままのブロンドからは、甘いシャンプーの匂いがする。
目を瞑ってしまえば、酷く身体に添う抱き心地だった。
そうしてショーンは自分が酷く久し振りに、誰かを抱き締めていることに気付いた。

最後に抱き締めて寝たのは誰だったっけな……。
すぅすぅと穏かに繰り返される寝息を耳にしながら考える。
黒髪のアリス、ブロンドのレイラ、赤毛のダニエル……いや、いくらなんでも最後に抱いたのは男じゃないだろう。ターニャ?……シンディ?それとも、エヴァ…?
付き合っては放置しすぎて別れる、なんてことばかりを繰り返していたから、もうどのコも同じように思える。
いや、そもそも、誰もが特別でなかったのかもしれない。ショーンにとっては。
不誠実だ、といわれれば、いまなら確かに昔の自分はそうだったと言える。誰かと身体を重ねることは、軽いアルコールを飲むのと同じくらいの意味しかなかったから。

金色の髪の毛が、窓から微かに入り込んでくる月明かりを反射して煌めいていた。
アルコールで深い眠りについているヴァンは、酷くしあわせそうなカオをして眠っている。
子供の頃から、変わらない顔。柔らかな表情。
どうして、いまこのコを抱き締めて自分は寝ているんだろう、とショーンは思う。
もう何年も放置していたのにも関わらず、このコは変わらず自分の腕の中で寝息を立てている。
そしてそれを許しているどころか、その寝顔を見詰めて苦笑したいぐらいにココロのどこかが和らいでいる自分も居る。

オトウトのようなヴァンを抱き締めて眠ることに、全く躊躇の無い自分。
もうチビではなくなり、手足もすっきりと長くなってカオも大人になって、アルコールに色付いた表情がほんの少しばかり色っぽいようなヴァンを抱き締めて眠ることに、異論の無い自分。
ヴァンは、いつまでたってもショーンにとっての“おちびさん”であり続けるだろうことが、こんなところで証明できてしまった。

このコが、他の誰かとどう違うのか、ショーンには解らない。
言ってみれば、全員が特別だったし、誰もが特別でなかった―――――ただ。
『どうしてかしらね。ショーンはヴァンにはとても優しくできるのに、アタシにはできないのは』
夏休みの間に連れてきていた、当時ガールフレンドだったフェンが言った言葉が脳裏で今更リフレインする。
夜毎、ヴァンがバンガロゥに潜り込んでくるために、彼女とはいつもヴァンを挟んで眠ってばかりだった。
ちびのヴァンがショーンの胸元に顔を埋めて眠り。抱き寄せたフェンが、ヴァンの後頭部に鼻先を埋めて目を瞑っていた。
『アタシもこのコ、好きだからいいけどさ――――フツウなら追い出すところじゃないの?』
その時に彼女に応えたのは、こんな言葉だった。
『オマエとはここから離れても会えるけど、コイツはそういうわけにはいかないだろ?』
『ショーンはいいお父さんになれるわ。きっと、最低のオットだろうけど』
そう言って、くすくすとフェンは笑っていた筈だ。
ここから街に戻っていったら、笑っていたフェンとも会わなくなったけれども―――――別れた理由がなんだったか、思い出せない。ただ、あっさりと離れていなくなったことしか、思い出せない。
『アナタとヴァンのお陰で、フツウじゃできない経験までさせてもらっちゃった。けど、フツウのカレシが今は欲しいのよね。車の中でも、森の中でも、映画館のトイレでもなくって、フツウにベッドで一緒にセックスしてくれるヒトが』
ピン、とショーンの鼻先を弾いて、別れる瞬間もフェンは笑っていた。
『大好きだったわ、ショーン。だけど、バイバイ』
ひら、と振られた手のネールが、長くて鮮やかな赤色をしていたことだけは、鮮明に思い出せる。その指先に、もう一度キスしたくなったことと――――それ以外の理由で、彼女を引きとめようとは思わなかった自分のことと。

最初はイイ。どのコもショーンに気があり、自分も相手に興味があって付き合い始める。けれど、それから直ぐにやることさえやってしまえば――――興味が薄れてしまうのだ。その相手が誰であれ。
『いい、ショーン?基本的に恋愛っていうのは、相手のことを知りたい、自分のことを知ってほしい、より深く理解しあって、思いあいたい。そう願うことなんだよ?』
そう溜め息交じりに言ったのは、フレドリックだった。確かブロンドで……腰の細いビジン顔。
『キミは上辺だけで満足しちゃってる。身体を重ねてファックできれば満足しちゃってる。だから好奇心が満たされるまで付き合えれば、次の瞬間にフられても平気なんだよ』
むにーっとショーンの頬を引っ張って、フレドリックは言った。
『オレはね、ファック・フレンドを探してるわけじゃないの。ボーイフレンドが欲しいの。解ったら、退いてくれる?』
笑顔がかわいいヤツだった。怒った顔はビジンだった。それは、フレドリックだけじゃない、フェンも、アリスも、ティナも、グイードも、ダグラスも、アマンダも、フィリッパも、みんなみんなそうだった筈だ。

なにが不満だったわけでもない、きっとその時に結婚して欲しいといわれていたら、自分はそうしていただろうと思う。けれど、愛しているか、と言われれば―――――。
「……なにが違うんだろうな?」
ヴァンの体温が心地よいことに目を瞑りながら、ショーンは考える。
抱き締めて、気持ちよくして、一緒に遊び歩いて―――――それだけじゃ、どうして“愛していない”んだろうな?
くう、とくっ付いてきたヴァンの背中を撫で下ろしながら、ショーンは金色の髪にそうっと口付けた。
「家族みたいに思うことは、オマエならこんなにカンタンなのに」
オトウトみたいだからか?と考えて、溜め息を吐いた。家族、というキーワードに関連して両親の顔を思い浮かべたからだ。
いくら家族だとはいえ、マムやダッドをこうして抱き締めてたいなどとは思わない。自分がヴァンの立場で抱き寄せられたいとも思わない。
寧ろ、放っておいてくれ、と思う。オレはオレの人生を歩んでいるのだから、勝手にさせてくれ、と。
ヴァンに甘えられるのは平気なのに、両親には干渉されることすら鬱陶しいと思うこの違いはどこから来るのだろう、とショーンは思う。
両親のことは、たとえ父親から大学入学時に一度勘当を喰らっていても、キライではないけれども……。

                                 * * *

なにかおいしいものでも食べている夢を見ているのか、それとも何か言葉を言いかけたのか。
口をちゃむちゃむと言わせたヴァンの寝顔を見下ろして、やっぱり酷くしあわせそうに眠っているヴァンに、ショーンは小さく笑みを浮かべる。
きゅ、と懐くように更に腰を握り締めてきたヴァンの髪に、また唇を押し当てた。

『ほんっとヴァンのことだけは上手にあやすよね、オマエ』
そう言ったのは、ハイスクールの最後の2年間、ショーンと一緒にバンドを組んでいたクィンスだ。
『ついでだから、オレのオトウトのレジーも貰ってくれよ』
『ヒトサマのオトウトなんか、要るわけがないだろ?』
そう言って返したショーンに、クィンスは低く笑っていた。
『じゃあ妹のアリシア』
『妹なんか、どう扱っていいか解らねえからいらない』
『ガールフレンドみたいに……ってオマエが扱いに長けているのはヴァンだけだから、参考にならないか』
イトコってそんなにかわいいもんか?と、夏休みが終わって地元に帰った頃に訊いてきたクィンスに、ショーンは笑って返した。
『かわいくなかったら、この年にまでなって両親が親戚の家に泊まりにいくのに付いていくわけがないだろう?』
『たぁまに会うからいいのかもな』
そう言ってクィンスも笑っていた。
『もっとも帰るって時に毎度あれだけ号泣されてたら、翌年も帰らないわけにはいかねぇもんなあ』

ああ、クィンスにもずっと会っていないな、とショーンは思い出す。
バークレーの作曲科、なんてもので大学に受かったショーンは、大学時代はバンド以外は比較的真面目にクラシックを勉強したから、ロック一筋だったクィンスとは段々と縁遠くなってしまった。
今ではジャズもレゲエもラップも垣根が曖昧になってきているだけに、ショーンが節操無くいろんなジャンルに手をつけていることを知って何て言うだろうか、と思ったところで、放り出してきた仕事を頭がちらりと思い出した。
バーベキューを始める前に、一度だけオフィスに電話を入れた。
そして、会社の現場がいま大揉めに揉めていることを知った上で、1週間休暇の申請を出しておいてくれ、と頼んでおいた。
その間にクビになるならそれでよかったし、会社側が考え直すのもよかった。ショーン自身はもうどうにでもなれ、と腹を括ったから……。

「こういう自然の中にスタジオ作ってもいいんだよな」
時間が空いたら、直ぐに釣り糸を垂れたりできる環境もいいだろう。
仕事が忙しくなってきてからは、ミュージシャンたちと遊びに出歩いたり、ガールフレンズを作ったりすることも滅多になかったから、独立するための頭金ぐらいにはなるだけの貯金が手元にはあった。
残りのヴァケイションをここで過ごして、その可能性も考えてみようか、と頭をシフトさせたところで、漸く頭がリラックスしたのか、とろんとしたまどろみが久方ぶりに訪れていた。
寝相のよくなったヴァンが、いいコで眠り続けたままだ、ということもちらりと思い出して笑い出しそうになったり。けれど、結果的に笑い出すことはなく、やってきた眠りに意識を手放した。
夢の中で、もしかしたら自分は酷く幸せな顔をして眠っているのかもしれない、と思い至って、ショーンは小さく噴出した。


*7*

自然と眼が覚め、ふ、と意識が浮き上がっていた。温かな体温が薄く空気を介して伝わるようで、く、とヴァンが眼を細めた。
父親は、最近一人で眠ることが多くなったから家族以外の誰かの側で眠ることなどしばらくは無かった。だから、ほんの一瞬、寝起きでぼんやりとしていた頭が記憶をあやふやにしていた。
しっかりと腕の中に抱き込まれて、眠りに落ちたときと同じように髪に鼻先を埋められているんだ、とやっと頭が追いつき、ふにゃりとヴァンが笑った。
そうか、やっぱり夢じゃなかったんだよね、と。
もう輪郭の曖昧になりかけている夢のなかでも自分はたしかに従兄に会っていて、なにか一生懸命に話していたことも思い出した。その内容まではもう思い出せなかったけれども。

きゅ、と一回眼を閉じ、ゆっくりと開き。
ほんの少し首を擡げて眠ったままのショーンを見上げるようにすれば、カーテン越しの陽射しにその肩の辺りがきれいに金色の輪郭を見せていた。
それから視線をゆっくりと上げていき、眠りにまだ浸っている顔を見詰めて、ぽそりとヴァンが感心した風に呟いた。
「……ショーン、ねぞう、よくなったね……」
そして、従兄の腰に自然と掛けていた腕をそろりと引き上げて、腕の中に抱き込んでいた体が離れていくのに僅かに咽喉奥でショーンが唸るようにしていたのに、一層動きを潜めて。それでも、そうっと、ショーンの髪を何度か掌に滑らせるようにする。、
いわば、『よくがんばりました』とでもいうニュアンスを込めて。
ヴァンにとっては、相手が10歳も年長であることなど、この際は関係なく。むしろ、離れていた間の年月の思ったほど従兄に与えた影響はすくないんじゃないだろうか、とその寝顔を見て思っていた。
記憶にあるより確かに髪は短くなっているし、顔の輪郭だってどこかシャープになったかもしれないけれども、伏せた瞼の作る線であるとか、軽く結ばれた唇の薄すぎない、丁度良いカーブであるとか。
昔から、キレイな顔立ちをしていることは知っていたし。

「…けど、前はもっとほっぺたとかつるっとしてたのに」
そろ、と頬を指先でなぞってみて、視覚で受けるのと同じ感覚が指先に伝わってくるのにヴァンが僅かに眼を細めた。
髪と同じような色味の、無精ひげなんてモノは前は無かったのにな、と。
「――――――まぁ、別に。似合ってっけどさぁ、」
頬を辿られた刺激に、ショーンが眉根を寄せるのを眼にし、僅かに指先を浮かせてまだ従兄が眠りのなかにいるのを確かめると、こんどは自分が好奇心に負けそうになった。
どんな感じかな、と。自分の頬で触ってみたら、やっぱりざらざらすんのかな?と。
父親も、確かにこういったヒゲをはやしていた時期はあったけれども。親に頬をくっつけてみようと思うほどの年ではなかったし。
ショーンにはそれをしてみたいと思ういまの自分に関しては、ひとまずヴァンは追求してみることを辞めていた。
なにしろ、気分はいいし、隣にはショーンがいるし、好奇心が先立った。
ガールフレンドたちの感触は十分わかるし。

一旦、決めてしまえばあとは早かった。
そろりと体を起こして、顔を近づけ。静かに距離を狭めて、する、と頬に触れて見る。
「……ぃテ、」
イメージとしては、レトリバーに顔をくっつけたときであるとか、精々シェパードの毛並みにくっつけてみたとき、であったのだけれども。
予想以上に、チクチクと尖った刺激が肌に引きおこされてヴァンが目を細めた。
「んー、」
僅かに眠りの縁から落とされかけてどこか不機嫌な声がショーンから漏れてくるのが聞こえて、体を浮かせ。
ごめんごめん、と内心で謝りながら、そうっと頬に唇で触れた。
「そんな声だすなよぉ、ごめんって」
こそりと呟き。やはり好奇心に負けて、指先で眉の線を辿って見る。
あぁ、おれチビのころもたしかこうやって遊んでたな、と。
バンガローに泊まりにいき、寝起きの悪いショーンの顔のあちこちを指で辿っては唸られて、そのうち起きてきたショーンにくすぐられて大騒ぎになって、時には隣に眠っていたショーンのガールフレンドの誰かの胸に抱きかかえられて避難していた。

すい、と眉間に指先で触れる。
「ぁ、皺が癖になってら」
ふと、昨日のショーンのどこか憔悴していた様子を思い出し、指先を静かに何度か額に向けて滑らせた。
「ここにいる間に、やすめるといいね?」
形のいい額から、鈍い色のブロンドに少しだけ触れて、手を浮かせ。
「ショーン……?」
そう静かに呼びかけていた。
「おはよう、」
そして、ブルーアイズが現われるのを息を潜めるように待てば。ぱち、と。まるでなにかのスイッチが入ったように眼が開かれるのに、くく、とヴァンがわらった。
ちっとも変わらないや、と。
そして、きっとすぐにじゃあ―――とここまで思う間に。予想通り、何か唸りながら一旦起き上がろうとし、けれどそれは無理でまた枕に頭を突込み直し。
「いつ起きた……?」
僅かに掠れた声が聞いてきていた。
「二時間まえ、ずっとパットのこと観察してた」
とさ、とヴァンもすぐ側に肘をついて、従兄の顔を覗き込むようにすると、に、と笑みを乗せていた。
とろん、とまだ僅かに眠気と気だるさに焦点の柔らかな眼が見上げてき、ふ、と心臓の辺りがざわついた。
「おもしろくもね、だろ…」
うっすらと笑みを乗せながらショーンが返し。
「パットの変わったところを見つけてた、でも一番の発見は、あんたの寝相が良くなったことだったよ」
あとは、と言葉を続け。すい、とショーンの眉間に唇で触れる。
「ここんとこの皺、前なかったのなぁ」

吹き出した笑い声は枕に半分以上吸い込まれ、そして。ゆっくりと自分に向かって伸ばされる腕を、ヴァンは特に警戒もせずに見詰めていたなら抱き込まれ、引き寄せられて。
「だあれの寝相だって?」
そう笑ったショーンが擽り始めるのに、ぎゃあ!と叫んでヴァンが体を捻って逃げ出そうとし。
「しぉ…っ、わ、ひゃあ…ッ」
ブランケットをヴァンが蹴り上げていた。
何度か飛び跳ねて騒ぎすぎて眦から涙が零れかける頃に、す、とショーンの体が離れていき。ヴァンが目元をごしごしとこすり、息を整えようとしていれば。
「オマエは寝つきが良くなった」
言葉と一緒に、頭を撫でられ。ふ、とヴァンが息を吐いていた。

ひとつ、気付いたことがあった。
「あのさ、」
瞬きを一つ。
「あんなに、気分良く眠れたの、久しぶりだった」
そう言うとショーンを見上げ、にこりとした。
「そうか?」
「うん。寝相もよくなって、ますますショーンってばいいね」
もっと頭を撫でられ、機嫌の良い猫のように目を細めてヴァンが言っていた。その言葉にショーンは呆れて笑うだけだった。
「ショーン、あんたもっと寝てる?」
「んー、いいや、もう起きるよ」
よし、とヴァンが頷き。
「じゃあ起きよう、朝から釣りでもする?」
そう言うと勢い良くベッドを下りていた。




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