*13*

朝食の後片付けをしている間に、ショーンが散歩に行ったのにおまえはいかないのか、と父親が冗談ではなく驚いた顔をしたのにヴァンが軽く肩を竦めてみせ。
部屋に戻ってベッドに寝転がって、読みたくも無い本を手近に引き寄せて頁を眺めていたなら、何時の間にか戻っていたらしいショーンと、父親が話すのが聞こえてきた。
『あのあまったれに嫌気が差していなくなってしまったのかと思ったよ、パトリック』
『嫌気がさしたことなんか、今まで一度もないですよ』
きっと、とってつけたような笑い顔が乗っているのだろう、とすぐに想像がつくような口ぶりだったことに、ヴァンが、ぎゅ、と眉根を寄せた。そして、声のするほうに出ていくことは止めた。
どことなく、ショーンが朝食の支度を一緒にしている間も、どこか居心地の悪さを感じているようだったこともあわせて思い出し。けれど、自分の告げたことにウソも偽りも何一つ含まれていないのだから、ヴァンは後悔はしていなかった。
ただ、ショーンが。自分の在る所為で隠れ家としてこの場所を選んでやってきたのなら、そのジャマはしたくないと、本気で思ってもいたのだ。

だから、父親がショーンに向かってチェスのゲームを誘いかけたときに、あと何時間かは2人を放っておこうと決めた。
リビングでプレイするのか、それとも父親の書斎に移動するのかはまだはっきりとはわからなかったけれども、ゲームが長引くだろうことは明らかだった。
昔から、まだショーンがヴァンを膝に抱えて父親とチェスをしているころから、そのプレイの強さは父親が感心するほどであったのだし。途中でゲームに飽きた自分が、ショーンの胸元に顔を埋めて転寝し、そして目覚めてからもポーンが4つほどしかお互いの手駒に増えていなかったことも思い出した。
「しばらく、かかるね」
ぽす、とヴァンが本を頭の横に落とし。眼を瞑った。
そしてごそごそとベッドサイドのポータブルステレオに寝転がったまま近付いていき、腕を伸ばしてヘッドホンを取り上げ。プレイボタンを押せば。トレイに入れっぱなしだったCDのトラックが流れ込み始め。
あ、と思い当たる。ショーンの仕事のヒトツだ、と。

CDからラジオに変えようか、と一瞬指先が迷い、けれど。流れる音はそのままに、またヴァンはベッドに寝転がり直していた。
CD一枚分じゃ、ゲームの序盤もいいところだろう、とヒトツ息を吐くと。手近にあったCDの山を、ごそりと引き寄せた。5枚分くらいで、少しは流れがみえるかな、と。
けれど、意外なことに3枚目の頭で、自分を呼ぶ父親の声にヴァンが瞬きした。
なに!と部屋から言い返せば。
「ヴァン!いいからおいで!ほらほら早く!この瞬間を見逃すんじゃない!!!」
酷く上機嫌な父親の声に、首を傾げながらヴァンがリビングへと戻れば、窓辺のサイドテーブルでひらひらと手を振る笑い顔にぶつかった。
そしてテーブルの上のボードには、手元に白のポーンとナイトとビショップを全部そろえた父親と。反対に僅かに眉根を寄せてじっと考えこんでいるようなショーンの姿があった。

「パトリック、あと一時間考えようが、もうきみのキングの助かる見込みは無い」
む、と口許を引き結んでいたショーンは両手を挙げて、降参、と笑って椅子にそっくり返っていた。

「ははは!“チェックメイト”」
トン、と良い音を立てて黒のクイーンがキングの前に置かれ。
「――――――歴史的瞬間だ」
そう言ってわらっていた。
うーわあ、負けたぁ、とショーンが笑いながら嘆息し。
「ヴァン、いまのを見たかい?」
満面の笑みで父親が自分を見詰めてくるのに、ヴァンが頷いた。軽く拍手を送ってみる。
いやいや賞賛には及ばんよ、と笑う叔父にショーンは天井を仰ぎ見るようにし。そのまま視線をヴァンに投げると、くぅ、と笑みを乗せていた。
その表情が、集中できてなかったんだよ、とでも言っているようでヴァンも小さくわらった。

「とうさん、」
「んん、なんだい」
「ペナルティ、なに」
大抵、この2人のゲームにはちょっとした賭け事があったから聞いてみれば。
「リゾーリまで、カタログをピックアップに行ってくれるそうだよ」
リゾーリ、とは父親が昔から懇意にしている美術書や古書を扱う本屋で。そこで父親がオーダーするものといえば、古いトイ・ソルジャーの図録やオークションカタログであったりしたから、はは、とヴァンがわらった。
「けど、ショーン多分そこ知らないよ?とうさんも行くの」
「んん?」
父親が酷く驚いた表情を浮かべていた。冗談とも、本気とも、そのミックスとも取れるソレ。
ショーンはといえば。小刻みに首を横に振り。「連れてって」と目元で微笑みながら言ってきていた。

「ヴァン、勝者は常に高みの見物なんだよ、困難に震える輩を肴にワインを飲む」
ほら、この哀れな子羊を案内してやりなさい、と続け。もういってよろしい、と芝居めいてショーンに手をひらりと振って見せていた。
「イエス、キング・リア」
ヴァンが笑えば。
「おまえはかわいい末息子か、ははは!」
ショーンもくっくと笑いながら立ち上がり。シェイクスピアの即興劇めいてヴァンの傍らまで近付くと跪き。よろしく頼む、とナイト流儀の礼をするのに、
「あんたたちには付き合ってらんないよ!」
そうヴァンがまたわらっていた。
「ショーン、あの王様は放っておいてもう行こう、リゾーリまで無事に連れてってあげるからさ」
そして、に、とすると。
「So, you may stand(よって、立ち上がるがよかろう)」
嘯いて、ひらりと手を振っていた。
笑みを乗せるとショーンも立ち上がり、
「ありがたき幸せ、」
そうさらりと返していた。
「馬車の代わりにあんたのローヴァで行こう」
ひょい、とヴァンが先にたってドアを抜けていきながら振り返り、ふわと笑みを乗せていた。





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