22. Scud

熱く滾った迸りを身体の奥深くに受け、息が震え。身体さえ、崩れ落ちるかと思うほど熱くなった。このまま内から焼けてしまえばいいと思うほどに。
そして身体を繋いだ熱の収まらない内に、首に力強い、それでも酷く優しい、温かな手指が回されるのを感じスカッドが微笑んだ。ゆっくりと咽喉元を押さえてくるその惑うことの無い強さに。
すべて……自分が望んだことだから。

ジェイ、と囁く。
まっすぐに自分を見下ろしてくるブルゥを受け止めて、囁く。
ほと、と。零れ落ちてくる涙にスカッドが瞬きした。ジェイクが、微笑んでいた。涙を零しながら。

手を伸ばして、その涙を拭い取ってやりたかった。出来ることならば。

ジェイ、と。それがもう叶わずに、静かに唇を動かすのが精一杯で。

ジェイ、さいしょにあんたに会ったとき、あんたほどつよくてやさしいひとはいないと思った。
それで、次にやっとあんたに会えたとき。それはおれがあの街から引越す前の日のことで。

教会の礼拝堂のベンチで、たったひとりで座ってるあんたをみつけたんだ。
そのとき。
あんたほどさみしいひとはしらないと思ったんだ。
そして、決めたんだ。
何があっても、おれは
あんたの側にいられるようになるって。

あんたがさみしくないように。
あんたが一人にならないように。
あんたを……守れるように。
そうなろうって、おれは思ったんだ。決めたんだよ。

あんたと一緒に、あんたの側に在るためには陽射しの下に立てないといけないんだ。

あんたほど“強く”はなれないかもしれないけど、ジェイ、あんたのことを支えられるようになりたかったんだ。
―――おれ。

ジェイ、ごめん。

おれのためになんか、泣かないでくれよ。

ジェイ―――――

耳の直ぐ横で鐘楼が打ち鳴らされるような割れんばかりの―――音がする。
無数の、聞覚えの無い言葉で紡がれる祈りが聞こえ……

スカッドはうっすらと唇を開いた。
塞き止められた空気を自然と欲するように。

ウルサイ、と無数の祈りに言う。

おれは、そっちへは行かない。
なぜって……ジェイは、いかないって言ったんだから。

おれは―――――

―――――――ジェイ。

ほとり、と。
頬に新しい涙が落ちてくるのを感じ。
スカッドが虹彩の絞られるように狭まる視界に、それでもジェイクの姿だけをとらえ。
ジェイ、と囁いた。それは声にならずに。内心で―――ジェイ、と。

あんたの“いく”先に、おれはちゃんといって、あんたのこと待っててやれっかなあ……。

ジェイ、泣かないでくれよ、おれ、ほんとに……
あんたにあえて、しあわせなんだから―――――

あんたを太陽の下に戻せて………それで―――


――――ジェイ。



23.Jake

組み敷いた身体が、“反撃”しないように強張っていた。
それから、ふ、と力が抜けていった。
最後に大きく息を吸い込もうと、ほんの僅かだけ仰け反り、けれど叶わずに目を閉じていった。

「スカッド、スカッド…ッ」
スカッドを消そうとしているのは己であるにも関わらずに。ジェイクは消えゆこうとしているスカッドを呼び戻そうとするかのように、噛み締めるようにしてその名前を呼び続ける。
視界がブレて曇り、何度も目を瞬いて見詰めなおす。
ぴく、と。リネンを握り緊めていた指がほんの僅かに跳ね、けれど総ての動きが止まっていった。

大理石の置物のように、スカッドは動かず。ずっと目の横が訴えていた微かな痛みが、ふ、と消えていった。
泣いた跡が頬に残されていた。
それでもどこか微笑むようなスカッドの表情を見詰めて、ジェイクはゆっくりと掌にかけていた体重を浮かせて、手指の力を抜いた。

「……っ」
立たせていた脚を下ろしてやり、真っ直ぐにリネンに伸ばしてやる。
ドクドクとこめかみに心臓が移ったかのように思う―――――スカッドを失ったことが怖くて。
彼の願いを完璧にするには、このままその心臓に杭を打ち込み、首を掻っ切らなければならない。そうしないと吸血鬼はカタチを保ったままずっと仮死状態のままでいる―――――それは、充分に解っている筈なのに。
身体が動かない、落とした武器を取りに行けない、身体に力がもう入らない。

「……スカッド、」
ぽかりと魂に穴が開いたような気がする。
心の半分は哀しみに溢れて、もう半分は真っ白だ―――――スカッドが、もう二度と動かないのではないか、と。吸血鬼は灰にされない限り死なないものではある、それは知っているけれど―――――もう、二度と息をしないんじゃないか、と恐れる。
ほんとうは仮死状態から生き返るなんていうのはウソで、このままスカッドが失われてしまうのではないか、と思ってしまう。
ジェイクは吸血鬼の首を掻っ切ることを今まで躊躇ったことがないから……灰にまでしなかったソレがまた起き上がるところを見たことがない。
だから――――――だから。スカッドが、もう二度と動くことができないように思えてしまう。
ジェイクを受け入れて高まった熱は既に冷め。微動だにしない身体に、当然生気はない。
もう、二度と彼の名前を呼ぶことも、やわらかな笑みを向けることも………。

乱れた前髪を指先で梳いてやり。ハタチにも満たないまま時を止められたキレイなヒトの、目を瞑っていればやはりまだ幼さの残る顔を見詰める。
「……スカッド、」
目が熱くなり、喉が痛み、指が震え。堪えきれずに、冷たい身体に縋りつくように身体を重ねた。くたりと力が抜けたままの身体を抱き締める。

「…ぅ、あ、あ……っ」
嗚咽を押し殺し、体温を移そうと抱き締める。
哀しくて、悲しくて、どうすればいいのかわからなくなる。
カミサマに彼の魂を返せたことは喜ぶべきことなのに、もう二度と“会う”ことができないのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。

スカッド。
スカッド。
スカッド。
オマエはオレの何なのだろう?
オマエを失くしたら、オレの心は死ぬみたいだ。空っぽだと思っていたオレの中の総てが、一瞬の内に消え去ってしまった。
オレに残されたのは、酷い、酷い哀しみだけだ。誰を恨むこともできないくらい、どうしようもなく深い絶望に出来たばかりの空ろが満たされてしまった。
スカッド――――――逝かないでくれ。オレをこのまま、ひとりにしないでくれ。
スカッド、スカッド……お願いだ。側に―――――側に、いてくれ。



熱かった体が冷たい身体に体温を移していき。自分の体温が冷えていくことに、ふ、とジェイクは息を吐いた。
このまま、スカッドを抱き締めていようか、と思う。
たとえ、このままスカッドがまた息をすることがなくても。このまま側にいて、いつか自分が滅する時が来るまで抱き締めているだけでもいいじゃないか、と。

この場所を離れてすることなど何もない。ジェイクがいなくなっても誰も困らない。ジェイクはこの世界に誤って記されたほんの小さな点でしかなく。それ以上の意味も、それ以下の意味もないのだから。
ジェイクの生を喜んだヒトは誰もいない。ジェイクの生を祝ってくれたヒトは誰もいない。ジェイクの生を感謝してくれたヒトは誰もいない。
唯一居たとすれば、それは腕の中にいるスカッド、ただヒトリで――――――他の誰も、ジェイクの死を喜びはしても、惜しむヒトはいないだろう。

ジェイ、と甘い声で自分を呼んでくれたスカッドの首元に口付けた。
叶うことならば、もう一度その声で自分を呼んで欲しかった。微笑みかけてほしかった、まるでジェイクのことが眩しいみたいに、ふにゃりと柔らかな表情で。



どれだけ長い時間、そうしていたのかジェイクには解らない。
けれど、ふ、と何かが変わった―――――小さな風が、す、と通り過ぎていったかのように。
ただ灰になっていかない身体を抱き締め。ほんの少しだけ冷静になった頭より先に、何かがジェイクに告げる―――――まだ総てを失くした訳ではないよ、と。

不意に。
ぴく、とスカッドの細い腕がほんの僅かだけ跳ね。
すう、と肺が空気を吸い込んでいった。
そして、ゆっくりと。ほんとうにゆっくりと、濃い茶色の睫に縁取られた瞼が、開いていった。
その一瞬の総てを、ジェイクは息を詰めて間近で見詰める。
酷い嵐の後のまだ暗い空に一筋の光が差し込むように、ジェイクの心を何かが照らしていく。

とろん、とブルゥグレイアイズが、祈るように見詰めていたジェイクの双眸を捉え、どこかまだぼうっとした口調が、掠れきり、けれどふわりと柔らかな声で小さく囁いた。
「な…ん、泣いて…ジェイ、」

くう、と。ジェイクの胸を痛みが刺した。
スカッドの顔を見るためにほんの少しだけ浮かし、大事なヒトが帰ってきてくれた喜びと、そのヒトの願いを適えてやれなかった後悔が嵐のように胸に渦巻くままに、そのヒトの名前を呼んだ。
「スカッド、」

ほんの僅か、スカッドが顔を擡げ。小さなコドモにするように、ジェイクの頬に唇で触れた。
そうして柔らかな声で、宥めるように囁いた。
「おれがいンのに、ジェイ…、」

くう、と。ジェイクはまた喉が押し潰されるように痛むのを感じた。
そして懺悔するために、声をそこから絞り出した。
「スカッド、できないよ」
震える指先で髪の毛を梳き。ぽたん、ぽたん、とスカッドの顔に落ちる水滴を指裏でそうっと拭っていきながら告げた。
「オマエを……還してやれない…ッ」



next
back