13. Jake

『殺しを、オマエは楽しんでいやしないかい?』
悪魔のヴェルは微笑みながらジェイクに訊いた。ブダペストからロスに帰った後、カヴンに踏み込んだジェイクが繰り出す一撃に次々と死んでいく吸血鬼たちが撒き散らす呪詛に呼応するように現われたモノ、黒髪の美しい男とも女ともつかない容をしたデーモン。
『悪魔たちの断末魔を、忌まわしい吸血鬼どもの悲痛な叫びを、ハーフブリード、オマエは楽しんでいやしないかい?』
闇より深い漆黒の双眸で見詰めて、オンナの声にしては低く、男にしては高いトーンで歌うようにヴァルは問いかけた。
『魂を取られた人間の血を浴び、ブラッド・サッカーどもの灰に塗れ、悪魔の喉を裂いてその呪詛を受け止めて。ジェイコブ、オマエは命をその掌で握り緊め、その足で踏み躙り、切り裂くことに愉悦を覚えていやしないかい?』
睦言を囁くように間近に顔を寄せた、美しくて醜悪なモノを真っ直ぐに見返して、ジェイクは応えた。
『それを楽しんでいるヤツがいれば、変態だな』

ふふふ、とヴェルは笑った。
『違うよ、オマエ。それは違う。ソレを悪魔というんだ、ジェイコブ。反抗し、攻撃し、より強いものを自らの下に引き摺り落とし。より弱いものを食い荒らし、追い立て、貶め、蹂躙して捨て去る。ソレは悪魔の行為だよ、ジェイコブ』
吸血鬼の反撃を何度かまともに食らって出血していたジェイクの唇を赤く長い舌で、ぺろ、と舐め上げて、悪魔が囁いた。
『抗うオマエそのものだね、ハンタァ、スレイヤ、オマエに慈悲はないのかい?』
額にいつの間にか出来ていた傷に長細い指で触れながら、とろりと目を潤ませたヴェルに、ジェイクは小さく微笑みを返した。
『道から外れたモノを元の軌道に戻すことも、慈悲だろ』
ちら、と悪魔がソラを見上げて、眩しそうに目を細めた。
『アレの作った道に、か?なんともご大層なことで―――――ただ、ジェイコブ。道を外れない限りは、なにも変化は起きないのだよ』
漆黒の長い髪が纏わりついている細い首に銀のナイフを押し当てて、ジェイクは笑った。そしてざっくりと切り裂きながら、静かに言った。
『判定は神が下す。オレはただ列を正すだけだ』
とろ、と極上の笑みを浮かべて、ヴェルが意識だけでジェイクに語りかけた。
『盲目の羊飼い、アレを信じもしないクセに……愛しい忌まわしきハーフブラザ、同胞殺しの美しいジェイコブ。オマエこそが真なる悪魔だ、信じぬ者。言祝ごう、オマエの零落は間近だ。為すことを為し、早く堕ちておいで……』

ぱきん、とガラスが割れるように、ヴェルの表層に皹が入り。あっという間にそれは悪魔の全身に広がっていき、そして一挙に崩れ去っていた。灰がかった白い土のような砂のようなものは、ざあっとどこからともなく吹いてきた風に散らされて、ジェイクの目の前から消えていった。そのことを、同じように灰となって消えていったヴァンパイアであったものを見詰めながら、ジェイクは思い出していた。
悪魔のヴェルの言葉が、記憶のどこかにずっと引っかかっていた。
ジェイクの前に現われる悪魔たちは常におしゃべりで、彼らを殺すジェイクをからかい、揶揄し、呪い、罵倒し、嘲笑い、諭し、誑かそうとして死んでいく。だから、彼らの吐く言葉に耳を貸したことはなかったのだが……。

ふ、と。知性と冷徹さと深い何かを常に湛えていたソフトグレイ・アイズを思い出した。今も手の中にある銀のナイフをジェイクに差し出しながら、告げられた言葉と。
『為すべきことを為しなさい、ジェイク』
自分より年上ではあったものの、ホワイト枢機卿より遥かに若く、けれど誰よりもジェイクの求めていたものを何も言わずとも汲み取ってくれていたジェイクの唯一の師とも呼ぶべきヒトが、去り際に残した言葉、それと同じだった。
Do what must be done.
ただし、師の言葉が最後に続けたのは――――――Do as your soul leads, and your heart will follow, 魂が導くままに。そうすればオマエの心はそれに続くだろう。

あのヒトは、他の人間たちと違って。一度たりとも神の望むように為せ、とはジェイクに言わなかった。
憐憫も、同情も、蔑みもジェイクには向けず、ただ真っ直ぐに“力”を使う術と、戦う方法と、そして何よりも、己と向き合うコトの重要さをジェイクに教えてくれた。

『神の為すことは不可思議だ。けれど、それを理解できないからといって信仰が揺らぐことはない』
そのヒトは真っ直ぐに、愛しそうにソラを見上げてジェイクに告げた。
『神は総てを超越するから神という存在なのだよ。けれど、それは力によって為されるものではない―――――いつかオマエもそのことに気付けるといい。たとえオマエが堕ちてしまっても、そのコトを知っていればオマエの魂は二度と迷うことはない』

師の告げた言葉の意味を、その時はただ聞いていた。
意味は解らなかった―――――――今も解るとは到底言えない。
だけれど。

かつ、と背後で音がし、わざとなのか敵が到来を知らせ。キシ、と目の横が痛み、ジェイクはソレがまた新たな吸血鬼だと知り。思考を泳がせながらリロードしていたリヴォルヴァの照準をゆっくりと合わせながら、振り返った。
ふ、と腕の力が勝手に抜けた。
埃まみれの細いそのモノが、落としていた視線を真っ直ぐに上げた。
無造作に伸びた黒髪の間から覗く、スモークがかったようなブルゥグレイアイズが、涙に揺れるのを見詰める。

「……ジェイ」

ジェイクは目を細めて、己の名を呼んだモノを見詰めた。
幼さが残っていた頬のラインはすっきりと削げ落ち。微笑みを模ってばかりいた唇は、薄く淡い色になっており。
それでも……ソレが、もう一度自分が見詰めたいと願っていたヒトのものだと理解する。

随分と大人びて、けれど目許は哀しみに溢れ。触れてしまえば崩れていきそうに、儚げに見える。
陽光を浴びてあんなに煌いていたコがその眩さを失くし、けれど月光にダストが淡く光るように仄かなヒカリを内に隠し持つようにして目の前に佇んでいた。

ずっと、あれからずっと。オマエは泣いていたのか、とジェイクは思い。唐突に胸が突かれたように痛くなる。

『Jacob, have you no mercy?』――――オマエに慈悲というものはないのか?
ヴェルの声が、耳元で囁く。
『If you fall, I will kill you. If I fall, you come kill me, and return my soul to where it belongs. That, Jacob, is what you call mercy』――――オマエが堕ちたのならば、私が殺してやろう。私が堕ちたならば、オマエが殺しにきなさい。そして在るべき場所に魂を還すがいい――――ジェイコブ、それが慈悲というものだ。
師の声が、脳内で響く。

沢山の、本当に沢山の哀しい想いを抱え込んだスカッドの優しい魂を――――在るべき場所に還すべきなのだ、と思考が導き出す。ソラに還して、神の御許にてその安寧を与えられるべきなのだ、ともう何度も何度も自分が出した結論、それを今が実行する時なのだ、と頭が訴える。

勝手にずれ落ちていた照準をまだ細い身体の中心に合わせ直して、ジェイクはゆっくりと息を吐いた。
また会えた喜びと、もうすぐ永遠に失う悲しみと、スカッドをこんなに哀しい存在に為ることを許してしまった自分に対する怒りと、その哀しみからスカッドを開放してやらなければならない、という思いが、心の中で渦巻く。
感情で喉が締め付けられて、苦しかった―――――でも、それよりも。スカッドはもうずっと、“痛かった”に違いない。何倍もの強さで。
だから―――――だから、自分は。



14.Scud

ミナウの城へ向かう間にも、最後に聞こえた悲鳴が途切れスカッドはともすれば止まりがちになる歩みを早めた。そして開かれたままのゲートに崩れ落ちるヒトであったモノの姿を見つけ小さく息を吐いた。ダークサイドへ与したものたちへのハンタァの容赦無さをまた目の辺りにして。
自分が人であった頃は、その厳しさを、強さを無邪気に称賛していた、けれどもいまは。ジェイクが自分自身へと課すその厳しさが胸に痛かった。
あんたは、自分が傷つかないとでも思っている、自分の痛みに気が付こうともしないんだ、痛くないはずなど無いのに―――あんたほど、優しいひとをおれは知らないのに。
煌々と灯りの漏れる開かれたままの城の大扉の内は、不吉なまでに静まり返っていた。なにもかもが……もう終わっているのだ、と知れる。
けれども。
内に確かに息づくものの存在を感じ取り、自分の内に溢れ出す感情にスカッドが拳を握り締めた。
―――もうすぐ会えるという歓喜と、それと同じだけの絶望と……あの蒼を見つめることへの畏れと。

かつん、と大理石の床に靴音が響いた。高い天井へと木霊していく、そして耳を聾するほどに「同族」たちの断末魔の叫びだけが溢れる中を進んでいった。開け放たれた窓から風が吹き込み、細かな灰が流れていく。
感情が凪ぎ、ただ暗くそれでいて酷く熱い何かが自分の内を満たすようであることにスカッドが俯いた。そして、上層階のホールに、求め続け、同じだけ逃れ続けていた存在があることを知り。ゆっくりとらせん状の大階段に脚を掛けた。

無人となった城にただヒトツ残る気配は、ハンタァのものだった。

                * * *

「ジェイ、」
自身の声が震えるようなことにスカッドが半ば泣きたくなる。
自分の感情が暴れだしかけ、喜びが大き過ぎてそれは痛みとなってスカッドを内から切り付けるようだった。一歩を踏み出し、灰と散ったばかりの亡骸が自分に向かって散ったことにさえ構わなかった。ただ、ハンタァの姿だけを見つめ。

振り向いたジェイクの手にあったリボルヴァの銃口がまっすぐに自身に向けられていたことに、うっすらと微笑んだ。その硬質な蒼が記憶にあるソレと寸分も違わず、けれども10年に満たないとはいえ、決して短くはない月日がジェイクの上にだけ過ぎていったことを思い知らされる。
一層、鋭角さを増したように思えるその存在と。精錬された鋼を思わせる、怜悧な力強さと。そして―――

変わり果てた自分を見つめるその眼差しの、哀しみに濡れていることにスカッドが静かに首を横に振った。
ごめんね、と心内で思う。
もっと早くに、こうして自分からあんたのところまで向かえばよかったんだ、そうしたなら、あんたをこれほどまで苦しめることにはならなかったんだ……

ジェイ、ともう一度呼びかけた。あぁ、おれの声が昔と変わっていなければいい、と切望しながら。自分勝手な思いだということなど、十分承知で。
泣き出しそうな自身を抑え、静かに笑みをスカッドが浮かべた。そして、ジェイクの腕が僅かに力を緩めたことに涙が零れそうになる。
ジェイ、おれはあんたの狩るべきモンスタァだってのに…あんた何してんだよ、と。

焦がれた姿に向かい、ゆっくりとスカッドは腕を差し伸ばした。抱き合うためでもなく、愛しむためでもなく。
そして、言葉を綴る。
「そんなこと、あんたにさせられっこねぇじゃん、」
なぁ、銃、降ろしてくれないかな、と。
酷く静かに、けれどもどこか強請るような口調は、いつもスカッドがジェイクに向かって語りかけていたトーンにどこか似通っていた。
逸らされることなく、まっすぐに強い蒼に見つめられ、スカッドがまた半ば崩れそうな笑みを浮かべてみせた。
「まだ持ってるのかな、あんたのもういっこの道具、」
言いながら、指で十字を模った。
その行為にさえ、じり、と皮膚が焼けるのに構わずに。エルダーの血を与えられたこどもでさえ、その行為は代価が必要だった。

「それ、くれよ。ジェイ、」
呟かれた言葉に、ジェイクの表情が僅かに歪み。その戸惑うような様子をスカッドは哀しげに見つめていた。
けれど。
「スカッド、」
初めて名を呼ばれ、凪いでいた感情が揺らぎ。
「オマエを殺すのは、オレの義務だ」
続けられた言葉に、くぅ、と笑みを刻み。一瞬スカッドが俯いた。ジェイ、あんた何言ってんの、そんなことさせらるわけねぇだろ、と、そう思いながら。
「やだよ、」
唇から蜜に濡れたような甘えた声が勝手に零れ落ちていった。
「スカッド、オレは、」
「そんなこと、あんたにさせらんねェよ。だって―――」
「スカッド」
言葉の続きを断ち切るような声で一言、名を呼ばれ。スカッドが目元に力を込めた。一瞬でも緩めたなら、勝手に涙が零れ落ちていくのだろうと。唇を噛み締め、ハンタァの姿を見つめる。求めてやまない存在、なによりも欲しそして―――
「ジェ……」

次の瞬間、自身に向かって伸ばされた腕の意味がわからなかった。
瞠目するままに、きつく抱き込まれているのだとわかった刹那、自分と同じほど、突然の衝動にジェイク自身も戸惑っているのが伝わり逃れようとし。けれど、きつくまた抱きしめられ身動きヒトツ、呪縛されたかのように出来ずにいたならば。

「ようやく、オマエに会えた」
ぽそ、とジェイクが洩らした言葉に目が眩むかと思う。何もかもが圧倒されるほどの凶暴な飢えと衝動が貫き。スカッドが渾身の力でジェイクの腕を振り切った。ハーフブリードでなければ、その腕は肩から千切り取られたほどに。

「最初から、こうすればよかったんだ……ごめん、」
じゅ、と肉の焦げる匂いが立ち上り。苦悶に僅かにスカッドの声が揺らいだ。
その手には、ジェイクのコートの下から抜き取った十字の杭が握り締められていた。




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