15. Jake

初めて抱き締めた身体は細く、頼り無げで。そして酷く冷たかった。
それが自分から離れた途端、内側から何かが削り取られていった気がした。

白く煙がスカッドの手から上がった。
そのことがスカッドがどういうモノであるかをジェイクに知らしめる。
自分が消し去るべき不自然なモノ、時の超越者、夜を歩くストーカ、血を吸う呪われた一族の子……。
それでも、ソレは他ならぬスカッドで。唯一、自分に歩み寄ってくれたヒトで。

きゅ、とジェイクは眉根を寄せた。
「また、オマエはオレを置いていっちまうのか」
ぽつん、と勝手に口から零れ落ちた言葉に、ジェイクは漸く自分が寂しいと思っていることに気付いた。
ジェイクが持っている“もの”は最初から多くはなく、何を失くしても、自分のイノチすら失くしても何も変わらないと思っていたけれど―――――スカッドを、スカッドだけは、失くしたくなかった。もう二度と。

知らぬ間に落としていた視線をもう一度スカッドのブルゥグレイアイズに合わせて、小さくジェイクは微笑んだ。構えていたリヴォルヴァを下ろす。
けれど、スカッドが吸血鬼というモノになってしまったことを、自死を決意するくらいに疎ましく思っているのであれば、自分が為せることは最初に決めた通りのことだけなのだろう。そうでしか、スカッドを救ってやれないのだったら……。

ほろ、と涙がスカッドの頬を転がり落ちていった。
透明な、雫――――場違いに、それがとてもキレイなモノだとジェイクは思った。
それが次から次へと大きな目から溢れては、静かに頬を伝い落ちて石造りの床に落ちていく。
懐かしい、甘えるような柔らかな声が、悲痛なトーンを押さえ込んで呟いていた。
「それしかねぇだろ、」
スカッドの声、もう一度心の底から笑っているのが聞きたかったけれども、それは適えられそうにないと解って、ジェイクは僅かに唇を噛んだ。
それしかない―――――その通りだ、と解っている。スカッドを失くしたくないのは、ジェイク一人だけの我が侭なのだから。

ふ、とジェイクは困った風に微笑みを浮かべた。
「……けど自殺はするな」
静かにスカッドに告げれば、ジュ、とまた肉が焼け焦げる音が響いた。それと同時に、怒鳴るようにスカッドが叫んだ。
「なんでッ」
ジェイクは真っ直ぐに十字架の杭を握り緊めているスカッドを見詰めて、答えを返す。
「オマエの魂が、天に還れなくなる」

吸血鬼という古の呪いに掛かったモノに成り果てても、スカッドはスカッドでしかなく、心優しいヒトだった。ジェイクにとっては誰よりもキレイに見えるヒトで……だからこそ、神の御許に迎えられるべき存在。
スカッドの魂が迷ってしまうのも、永遠の闇に閉じ込められてしまうのも、嫌だった。
それくらいなら、自分が彼を神の御許にその魂を送り届けるほうがイイ。

「あんたそっちに行くのかよ、ジェイ!?」
スカッドが泣き叫びながら、それでも真っ直ぐにジェイクを見上げていた。
そのヒトコトに、スカッドも自分というモノと一緒にいたいと願っていてくれたことに気付く。その想いだけでもう―――――ジェイクには充分すぎる程の祝福とするべきだった。
地獄から這い出た悪魔にすら真に呪われた存在と言われる程の自分だ、これ以上、この優しいヒトを望んではいけない。ヒトであったスカッドを吸血鬼にしてしまったのは、彼が自分のような存在の側に居てくれたからだ。そんなスカッドを、叩き返した悪魔どもが手招いて待っている暗黒の世界に落としてしまうわけにはいかない。

ジェイクは薄っすらと笑った。
「オレの行く場所など、今も昔もこれからも、どこにもない」
静かにただ真実を告げる―――――そう、ジェイクはこの世に居るから存在しているのであって、下からは突き出され、上からは見放された呪われたモノなのだ。この先、半分ヒトであるから与えられているこの世に留まる権利を失くしてしまえば……つまり、ヒトである部分の自分が死んでしまえば、きっと自分を待っているのは魂の消去、完璧な無だけなのだろうと思っている。行く場所が無いのなら、消えるしかないのだから。

顔をまるで痛んだように歪めたスカッドを見詰めて、ジェイクは言葉を継いだ。
「けど、オマエは違うだろ」
く、と唇を噛み締めたスカッドが、首を懸命に横に振った。
ジェイクは微笑んでスカッドに言い切る。
「オマエの魂は、神の御許に場所を許されている」
スカッドが背負ってしまった罪は、全部ジェイクの責任だから。だからそれはジェイクが引き受けるべき罪であり、全知全能の神はきちんとその事を知ってスカッドをそのヒカリの中に受け入れるだろう。
そうならない訳がない――――――スカッドは、とてもとても心のキレイな優しすぎる程のヒトだから。

嗚咽交じりにスカッドが言った。
「おれは、悔い改めたりなんざしない」
そして両手が十字架の容に組まれた杭を握り緊め、自らの心臓を突こうと動くのを目に捉えて、ジェイクはまだ握っていたリヴォルヴァを放り出してスカッドの手首を掴んだ。
「……スカッド、ダメだっ」
懇親の力でスカッドの腕の動きを止め、片腕で細い身体を抱き締める。
そして縋るように言葉を吐いていた。
「オマエが死ぬのは嫌だ……ッ」

頭の中が真っ白だった。いざスカッドが死んでしまうかと思うと、言い訳も理性もなにもかも吹っ飛んだ。
願うのは、たった一つだけ。
抱き締める片腕に力を込めて、自分が願うことにどれほどの力があるか解らず、それでも堪えきれずにジェイクは想いを口にした。
「死なないでくれ…ッ」

オマエが無くなるのは嫌だ。
オマエが消えてしまうのは嫌だ。
どこかで“生きている”と思えなくなってしまうのは嫌だ。
オマエが小さな幸せを見付けたり、笑ったり出来なくなってしまうのは嫌だ。
死んでしまってオマエがオマエでなくなってしまうのは嫌だ。
オマエが無くなるのは、嫌なんだ……。

スカッド。どうしても、オレは、オマエを失くしたくないんだ。

カン、と木の杭が床に落ちる音を聞いた。
ほっとして腕を緩めた瞬間、ドン、と突き放された。ずき、と心臓が痛んだ。
それでも瞬いて見上げれば、少し離れた場所でスカッドが俯いていた。
ジェイクは小さく微笑む――――拒絶されて当然だった。自分なんかの願いなど。

俯いたまま視線を上げないスカッドを真っ直ぐに見詰めて、ジェイクはぽつりと呟いた。
「……ごめんな」
なにもかも……謝って済むことでも、どうなることでもないけれど。

足元に落ちていた十字架を、無意識に拾い上げた。
くる、とスカッドに背中を向けて、離れるために一歩を踏み出した。
ズキズキと心だけが痛む――――千切れて血を流していないのが不思議だった。

放り出した拳銃も拾って、もう迷わずに足を進める。
一歩一歩、遠のく度に力が抜けていくかと思った。それでも、真っ直ぐに部屋を横切っていく。
ぽたん、ぽたん、と。スカッドが流す涙が床に落ちる音だけ、それでも耳が拾っていた。
泣かないで欲しい、と。真っ白になった頭は、それでもやっぱり思う。
だって、オマエにはあんなに笑顔が似合うんだ―――――だから、泣かないでくれ。

その願いを音にすることもできずに、部屋から抜け出た。
自分が不意にどこにいるのか解らなくなった。
世界がどうでもよくなった。
生きても、死んでも、無くなったとしても、全部がどうでもよくなった――――スカッドを殺してやれない自分に、存在している意味など無いのだから。

崩れるように、石畳の廊下の床に蹲った。
怒り狂えるほどの力はもう当に無く、これ以上どこへも進めなくなった。
痛む心臓だけを、つかみ出して握りつぶしてしまいたかった。痛むだけで無駄な心臓など……いまなら、なんにでも呉れてやる。

胸元を片手で握り緊めて、ジェイクは顔を膝に埋めて唇を噛み締めた。そしてきつく目を閉じて、感情も心臓の傷みも周囲のことも総て遮断しようと自分の胸元に指を突き立てた。
ぎち、と肉が千切れる音がして、唇が裂けたことを知る。
それでも、痛いのは自分で拵えた傷ではなく、生きる意味を無くしても脈打つことを止めない自分の心臓だった。

スカッド、と。泣いたまま置き去りにしてきたヒトの名前を音には出来ずに呼ぶ。もう、謝ることもできずに。



16. Scud

『死なないでくれ……ッ』
悲痛にさえ聞こえる声音で告げられたその言葉の意味などすぐには理解できずにいた。
それよりも、握り締められた手首に感じるジェイクの体温と、酷く間近に在る体温に眩暈がしていた。ジェイク、あんた、なんで……
恐慌状態にあっさり陥ったスカッドをあざ笑うように情動がゆらりと自身の深部から沸き起こるのを感じ、スカッドが身体を引き離そうとしたそのとき、片腕にきつく抱きしめられた。
ほかならぬジェイクのために、自分の存在を消すことを決意したのだ、なのに。なぜ―――

きつく抱きこまれ包み込むように温かな体温と鼓動に覆い尽くされた刹那、いままで感じたことの無いほどの飢えに焼き尽くされるかと思い、抗えないほどの渇望に意識がすべて塗りつくされた。その鼓動を感じ、その生命の匂いを嗅ぎ、流れる赤い血、温かなソレを直に脈動を刻む心臓を引きずり出して牙を立てたい、と凶暴な飢えが全身を一気に満たしていき、ヒトの時間にすればほんの刹那、けれども時を越えた存在にとっては永遠に近いほどにも思える一刻一刻にスカッドが自身の内で焼けるほどの渇望に乗っ取られ掛け、全身でソレに抗った。咽喉奥で唸り。
ジェイクをこれ以上は無いほどの力を振り絞り、突き放した。

気が付けば、頬が濡れていた。
探し、惑い、迷い。それでも、自分の存在を求めてくれたそのヒトを、そのヒトの存在を、イノチをあさましくも求めるモノに成り果てた自分が許し難く。
けれどもハンタァ本人からその存在を許され、あまつさえ消えるなと請われ、スカッドは混乱し、涙を零した。存在を許されたその理由さえ理解できなかった。ハンタァとしての信念を覆してさえ、自分のようなモノの存在を願うジェイクのその真意が。

ジェイクの存在が痛みを湛えたまま、室外へ出て行くことも知りながら、それでも視線をあげることはできなかった。その姿を見てしまえば、その背中に縋りつき自分は許しを請うだろう、許されるはずのない願いを述べてしまうだろう、そして―――抱え続けていた真情を。

静かに扉の閉じられる音を耳が捉え、荒れ狂うようだった狂熱じみた渇望が、絶望に徐々に塗り変えられていき、スカッドが嗚咽を洩らした。
「―――ジェイ、ごめ……」
おれは、あんたに会いたいなんて思わずに、……陽に焼かれていればあんたをこんなに追い詰めることもなかったのに―――

遠ざかると思っていた痛みのみに塗れた気配は、けれども室外に留まり。一層、その暗部が拡がるようなことに、スカッドが俯いたまま、小さく肩を揺らした。
まるで、存在を拒絶された小さな子供のような、痛みに震える魂、暗色に塗り込められそうな弱弱しいソレが、扉の外に在った。
「―――ジェイ……?」
信じれない、とでもいう風にスカッドの声が震えた。
なぜなら、記憶のなかのジェイクはいつだって揺ぎ無い自信に溢れていた、なのに。蹲り膝に顔を埋めて世界からまるで己を断ち切るように―――
ジェイ、と呆然とスカッドがその名を唇に乗せた。
ぞくり、と震えた。ダメだ、と。ヒトを超えた感覚が捉え伝えてくるイメージに。それが真実であるという衝撃と、ジェイクをそこまで突き落とした後悔とに苛まれ。ダメだ、と呟いていた。
ジェイ、ダメだよ、あんた、だって……なんで―――

衝動だった。
室外で蹲り、“泣いている”子供、その側に在りたかった。側にあって、ただ、大丈夫だ、と言ってやりたかった。なにもかも、摂理も自身の存在さえも飛び越えて、ただ、側に在りたかった。
全能なるモノ、に初めて祈った。転化する前にさえしなかった行為。
お願いです、いまだけはあのひとの側にいさせてください、あの存在が壊れてく……それだけは、嫌なんです。

部屋を走りで、壁際に身体を丸めて蹲る姿を認め、喉元まで嗚咽が競りあがり。それを押さえ込み、静かにスカッドは腕で耳を塞ぐようにし膝に顔を埋めたジェイクの前に立っていた。ヒトならぬものの生来の動きは、いまのジェイクには察知されないようだった。
すべてを拒絶している姿にスカッドが触れたくなる思いを必死に押さえ込んだ。

「ジェイ、」
酷く小さな声しか出てこずに、それでも。そうっと名前を呼ぶ。涙が零れそうになるのを、懸命に押さえ込み。
そして、こつん、と。
靴先をジェイクの爪先に当てた。
ゆっくりと、酷くゆっくりとジェイクの顔があげられていくのを見守り。その表情が困惑と、当惑に彩られていることに、また、スカッドがそうっとその名を唇に乗せ。手を伸ばしたくなる衝動を押し殺し。
そして、す、とジェイクの正面に同じように腰を落としていた。
こつ、と同じようにジェイクの爪先が靴先に当てられるのに微かに微笑み、そうっと、言葉に乗せていた。

「ジェイ、おれ……こんなンになっちまったよ」
だけど、おれ、あんたのことが、まだすげぇすきなんだ、ごめん、と。言葉には出来ずに。




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